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夜の逢瀬(2)

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 次の日も、その次の日も、夜の庭園でアメリアはアウグストに出会った。まさか毎日そこまで遅い時刻に彼が帰宅をしているのかとアメリアは驚いた。

 アウグストも「またいるのか」と眉をひそめてアメリアを見たが、特に彼女が夜の庭園にいることを禁じなかった。彼は彼で、仕事を詰めてなんだかんだディルクとリーゼにアメリアを任せたことを少し気にしていたので、日々、庭園で彼女の姿を見ることをまるで生存確認を自分で行っているように感じ、そこまで悪くは思わなかった。

 朝、アウグストが邸宅を出る時にはまだいつもアメリアは眠っていた。彼の朝は早く、馬車の中で眠りにいくらかつく。だから、目覚めの時刻に彼女が起きないことは当然だと思っていた。そもそも、ディルクですら時には目覚めていないのだし。よって、2日に一度はディルクやリーゼからの報告すら紙になっていた。

 そんな折、夜ほんの一瞬彼女の姿を見えることは、彼にとっては「面倒だが、生きていることがわかればいい」ぐらいのことだったのだ。

「お帰りなさいませ」

 その夜、初めてアウグストは、彼女が自分に「お帰り」を言っていることに気付いた。いや、きっとそれまでも言っていたに違いないのだが、疲れて帰って来た彼の耳に届いていなかったのだ。

「……ああ」

 アウグストは足を止めると、燭台を庭園の方へと向けながら曖昧な返事をした。そして、薄暗がりの中で立っているアメリアを見て、ようやく

「前髪を切ったのか」

と気付いた。

 俯けばばさりと落ちる長い前髪。貴族は髪を結うものだからそれで特に問題はないはずなのだが、アウグストが彼女と会ったのは彼女が髪を下ろしている時ばかりだった。だから、いつでも長い前髪は彼女の顔を隠し、伏し目がちな表情すらも隠していた。だが、今の彼女は前髪を眉の下ぐらいまで切っており、顔立ちがよく見える。清楚だ、とアウグストは内心驚いた。

「えっ……あ、あの、2日前に……」

 そう返されて、言葉に詰まるアウグスト。2日前。ここ数日は毎日彼女に会っているはずなのに、気付いていなかった。いや、考えれば、昨日読んだリーゼからの報告書に書いてあったような気がする……。

(商人たるもの)

 相手のほんの少しの造形、顔色、仕草などに気付かないとは。そう思う反面、彼は「本当にどうでもいいと自分は思っていたのだな」と考える。

(いや、違う。そうではない)

 ディルクが言っていたではないか。

――艶やかな金髪に、美しい水色の瞳をなさっておられますよ。それに、あまり顔を上げてくださらないようですが、綺麗なお顔立ちです――

 それを聞いて、自分は彼女をよく見ていなかったと思った。だが、そんなことがあるだろうか。自分が誰かをよく見ていない、だなんて。

(わたしは、彼女が噂と違う偽物を掴まされたと思って……だが、それは、今まで自分が嫌っていた女たちがわたしにやったことと同じことだったのだし、その報いを受けたのだと思った……)

 だから、彼は過剰に苛立ち、そして彼女に対して過剰に邪険にしてしまった。その上、彼女を見ないことで、自分がやったことから目を逸らした。アウグストは無意識で深くため息をついた。

 すると、そのため息にアメリアが反応をする。

「あの……バルツァー侯爵様……?」

 その声に「ああ、そうだな……それも言わなければいけなかった」と彼は彼女に話しかける。

「呼び名を改めろ。いつまでも、バルツァー侯爵と呼ばれても困る」

「あ……」

「まあ、今変えずとも、結婚をすれば嫌でも変えることにはなるんだが」

「なんとお呼びすれば?」

「普通に名前で呼べばいい」

 そのアウグストの言葉に、庭園に立つアメリアは薄暗闇の中、困ったようにもじもじする。そんなに名を呼ぶのに苦労をするのか、とアウグストが思っていると、彼女はなんとかか細い声を発した。

「あのっ……お、お名前、を、存じ上げておりません……」

「!」

 それは、予想外のことだった。アウグストはあまりのことに驚き、それから小さく「ははっ」と笑った。呆れを通り越して、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。だってそうではないか。自分も、ヒルシュ子爵家の令嬢の名を知らぬまま婚姻を申し込んだ。それと同じで、彼女もまた自分の名を知らずにここにいるのだと思えば、ほとほと馬鹿馬鹿しいと思えた。

「アウグストだ。ミドルネームはない」

「アウグスト様」

「アウグストでいい。お披露目会では、うまくわたしを呼べるな?」

「えっ……」

「呼んでみろ」

 アメリアは「出来ません」と消えそうな声で答える。だが、アウグストは引き下がらない。

「アウグスト、だ」

「アウグスト様……」

「もう一度。呼び捨てで」

「……アウグスト」

 恥ずかしそうに名を呼ぶアメリアを見て、アウグストは「可愛いところもあるじゃないか」と思う。

「それでいい」

 彼はそう言ってその場を離れた。それは、いつも通りだった。彼は彼女とそう会話をする気もなく、何も言わずにそこから離れて私室へ行く。常に彼の頭の中は仕事のことでいっぱいだったし、ここで彼女の様子を少し見られればそれで「今日もいつも通りだな」と彼は納得するからだ。

 だが。

「おやすみなさいませ」

 背後からかけられた声。ああ、そうか、と彼は足を止めた。

 この声は、今日が初めてではない。昨日も、一昨日も、確かに聞こえていた声だ。だが、アウグストはそれを無視していた。聞こえていても聞こえていないように。彼は「ああ」とだけ言って、自分からは「おやすみ」を返さなかった。
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