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出会い(3)
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夢を見た。幼かった自分に優しかった乳母が、まだ自分の傍にいてくれた頃のことを。幼かった自分は、栄養が足りないせいなのか、人とあまり接していない割によく風邪を引いた。その時に、そっと乳母が手を伸ばして額に触れてくれていたことを思い出す。そうだ、誰かが、今まさに、自分の額に手を触れているような気がする。
(誰? 私の額に手を……?)
ぼんやりと意識が浮き上がる。すると、彼女の額にそっと触れていた手が離れた。うっすらと目覚めて何度か瞬きをすると、枕元にリーゼが膝を折って屈んで覗き込んでいる姿が映った。
「ああ、起こしてしまいましたか。どうですか。起き上がれますか」
「リーゼ……さん……」
「リーゼ、で良いのですよ。アメリア様」
「わたし……」
頭痛がして。めまいがして。そうか、倒れてしまったのか、となんとか思い出す。
「ごめんなさい。ちょっとだけ疲れていて……」
「ええ、ええ、そうでしょう。ヒルシュ子爵家からここまでの長旅、おひとりだったとのこと。後から門兵から聞きました。ですから、相当にお疲れだったのでしょうね」
その声は優しい。自分はもうバルツァー侯爵家から出て行かなければいけないというのに、こんな風に情けをかけてもらえるのか……それを心からありがたいと思いながら、アメリアは体を起こした。
「ちょうど良かったです。お腹はどうですか。あれからもう一日半も経過しています。ずっと何も食べていらっしゃらないでしょう? お水は時々、勝手ながらお口に差していたのですが……」
「一日半も?」
アメリアは驚いて目を見開く。リーゼは「ええ、ええ。もう今日はあの日から2日後の朝ですよ」と笑顔を見せる。
「ごめんなさい。わたし、ここから出て行かなければ……すぐに出ていきますから……」
慌てて毛布を跳ねのけるアメリア。すると、そこにノックもなしに扉が開いて、バルツァー侯爵が姿を現した。驚いて身を竦めるアメリア。
「起きたか。通りがかりに声が聞こえたのでな」
「あっ……の、今すぐ、今すぐ出ていきますのでっ……」
見れば、やはり変わらず険しい表情で眉をしかめている。どう見ても自分のことをよく思っていない彼にじろりと睨まれ、アメリアは萎縮をした。
(怖い……でも、お怒りになるのは仕方がないことだわ。これぐらいは我慢をしなくちゃ)
だが、そんな彼女に思いもよらない言葉がかけられた。
「いい。お前を妻にすることにした」
「えっ?」
「お前がヒルシュ子爵家を出てから、あちらはあちらで動いたようだ。昨晩、こちらにも話が届いた」
「と、申しますと?」
そう尋ねれば、更にバルツァー侯爵は難しそうな表情になり、チッ、と軽く舌打ちをする。
「まったくもって、やられた。お前の姉は、ギンスター伯爵子息と縁談が決まったのだそうだ。よかったな。あちらからもそれなりの金を用意されるんだろうさ。大々的に発表をしたらしい。こちらにお荷物を押し付けてな」
「!」
ギンスター伯爵の名をアメリアは知らない。だが、きっとカミラの夫になるならば、それ相応の地位も名誉も財力もあるのだろうと思う。本来、バルツァー侯爵の方が爵位は上だが、ヒルシュ子爵には何やら思うところがあったのだろう。
「仕方がない。お前を妻にして……腹は立つが、まったく、どうしようもない。が、ヒルシュ子爵家の娘を娶ったということで、1か月後に内々で婚姻を結び、お披露目をするからな。それには出席してもらうぞ」
「は……はい……」
「婚姻はただの形式だ。用意した書類に名前を書くだけだ。名前は書けるな?」
アメリアはそれに頷いた。「それはよかった」と返し、バルツァー侯爵は「後は勝手にしろ。テーブルマナーとダンスだけ出来れば……いや、ダンスもいらない。足をくじいたことにでもすれば良いな。わたしの隣で座っているだけでいい」と言って出て行ってしまった。閉まるドアを呆然と見ていると、リーゼがにっこり微笑んで
「お食事をいたしましょう。こちらにお運びいたしますか? それとも、お食事の間に行かれますか?」
と尋ねた。アメリアは「ここで」と小声で答え、リーゼは部屋を出ていく。
(なんてこと……きっと、既に決まっていたんだわ……カミラの結婚のことは……)
だから、アメリアをバルツァー侯爵邸に寄越したのだ。それを知って、小さなため息をつく。
(わたしは、何の役にも立たないのに。本当にバルツァー侯爵様がおっしゃる通り、わたしはお荷物だわ……何も出来やしない……)
そして、彼もまた自分に期待をしていないのだと思えば、少しだけ胸の奥が痛む。だが、それは仕方がない。自分は何が出来るわけでも何を知っているわけでもない。貴族らしい振る舞いはこのひと月でうわべだけ詰め込まれたものだし、ダンスも出来なければ、刺繍も出来ない、乗馬も出来ない、書物は読めるが学問は納めたこともない。出来ることと言えば……。
(お父様には、媚びを売れと言われたけれど……わたしにはそんなことは無理だわ……)
それは、人に媚びたくない、という意味ではない。彼女はそもそも誰かに「媚びを売る」ということがよくわからない。ただ、言葉の意味はなんとなくわかる。その上で、彼女は「それを侯爵様にするなんて」と、軽く首を横に振った。
(誰? 私の額に手を……?)
ぼんやりと意識が浮き上がる。すると、彼女の額にそっと触れていた手が離れた。うっすらと目覚めて何度か瞬きをすると、枕元にリーゼが膝を折って屈んで覗き込んでいる姿が映った。
「ああ、起こしてしまいましたか。どうですか。起き上がれますか」
「リーゼ……さん……」
「リーゼ、で良いのですよ。アメリア様」
「わたし……」
頭痛がして。めまいがして。そうか、倒れてしまったのか、となんとか思い出す。
「ごめんなさい。ちょっとだけ疲れていて……」
「ええ、ええ、そうでしょう。ヒルシュ子爵家からここまでの長旅、おひとりだったとのこと。後から門兵から聞きました。ですから、相当にお疲れだったのでしょうね」
その声は優しい。自分はもうバルツァー侯爵家から出て行かなければいけないというのに、こんな風に情けをかけてもらえるのか……それを心からありがたいと思いながら、アメリアは体を起こした。
「ちょうど良かったです。お腹はどうですか。あれからもう一日半も経過しています。ずっと何も食べていらっしゃらないでしょう? お水は時々、勝手ながらお口に差していたのですが……」
「一日半も?」
アメリアは驚いて目を見開く。リーゼは「ええ、ええ。もう今日はあの日から2日後の朝ですよ」と笑顔を見せる。
「ごめんなさい。わたし、ここから出て行かなければ……すぐに出ていきますから……」
慌てて毛布を跳ねのけるアメリア。すると、そこにノックもなしに扉が開いて、バルツァー侯爵が姿を現した。驚いて身を竦めるアメリア。
「起きたか。通りがかりに声が聞こえたのでな」
「あっ……の、今すぐ、今すぐ出ていきますのでっ……」
見れば、やはり変わらず険しい表情で眉をしかめている。どう見ても自分のことをよく思っていない彼にじろりと睨まれ、アメリアは萎縮をした。
(怖い……でも、お怒りになるのは仕方がないことだわ。これぐらいは我慢をしなくちゃ)
だが、そんな彼女に思いもよらない言葉がかけられた。
「いい。お前を妻にすることにした」
「えっ?」
「お前がヒルシュ子爵家を出てから、あちらはあちらで動いたようだ。昨晩、こちらにも話が届いた」
「と、申しますと?」
そう尋ねれば、更にバルツァー侯爵は難しそうな表情になり、チッ、と軽く舌打ちをする。
「まったくもって、やられた。お前の姉は、ギンスター伯爵子息と縁談が決まったのだそうだ。よかったな。あちらからもそれなりの金を用意されるんだろうさ。大々的に発表をしたらしい。こちらにお荷物を押し付けてな」
「!」
ギンスター伯爵の名をアメリアは知らない。だが、きっとカミラの夫になるならば、それ相応の地位も名誉も財力もあるのだろうと思う。本来、バルツァー侯爵の方が爵位は上だが、ヒルシュ子爵には何やら思うところがあったのだろう。
「仕方がない。お前を妻にして……腹は立つが、まったく、どうしようもない。が、ヒルシュ子爵家の娘を娶ったということで、1か月後に内々で婚姻を結び、お披露目をするからな。それには出席してもらうぞ」
「は……はい……」
「婚姻はただの形式だ。用意した書類に名前を書くだけだ。名前は書けるな?」
アメリアはそれに頷いた。「それはよかった」と返し、バルツァー侯爵は「後は勝手にしろ。テーブルマナーとダンスだけ出来れば……いや、ダンスもいらない。足をくじいたことにでもすれば良いな。わたしの隣で座っているだけでいい」と言って出て行ってしまった。閉まるドアを呆然と見ていると、リーゼがにっこり微笑んで
「お食事をいたしましょう。こちらにお運びいたしますか? それとも、お食事の間に行かれますか?」
と尋ねた。アメリアは「ここで」と小声で答え、リーゼは部屋を出ていく。
(なんてこと……きっと、既に決まっていたんだわ……カミラの結婚のことは……)
だから、アメリアをバルツァー侯爵邸に寄越したのだ。それを知って、小さなため息をつく。
(わたしは、何の役にも立たないのに。本当にバルツァー侯爵様がおっしゃる通り、わたしはお荷物だわ……何も出来やしない……)
そして、彼もまた自分に期待をしていないのだと思えば、少しだけ胸の奥が痛む。だが、それは仕方がない。自分は何が出来るわけでも何を知っているわけでもない。貴族らしい振る舞いはこのひと月でうわべだけ詰め込まれたものだし、ダンスも出来なければ、刺繍も出来ない、乗馬も出来ない、書物は読めるが学問は納めたこともない。出来ることと言えば……。
(お父様には、媚びを売れと言われたけれど……わたしにはそんなことは無理だわ……)
それは、人に媚びたくない、という意味ではない。彼女はそもそも誰かに「媚びを売る」ということがよくわからない。ただ、言葉の意味はなんとなくわかる。その上で、彼女は「それを侯爵様にするなんて」と、軽く首を横に振った。
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