テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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愛について

5-36※(流血表現あり)

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シムは自分の手についた血をシャツで拭いながら、ひたすら廊下を進む。


自分がこの手で国王の首を刺してから、その溢れた血に呆然としてから、一体どれだけの時間が経ってしまったのだろう。
シムの足は急いでいた。



しかしその足取りは先程よりもしっかりと、そして流れた涙ももう拭れている。

(小風が、生きていた…)


シムは胸が熱くなる。
小風が生きて、目の前にまるで舞い降りるように現れた。


見たところ目立つ怪我もなかった。
それだけで安堵と勇気が湧いて溢れる。


加害することは許されることではないが自分にも譲れない大切なものがある。どちらも選べないから自分は大切なものを守る方を選んだのだ。

そう断言してくれた小風の言葉に勇気を貰い、シムは急いでジェーンのいる寝室へと急いだ。

そのシムが向かう道に続くように、点々と血が落ちていることには気づかないまま。







階段を幾度も登り、漸くジェーンの寝室がある階まで辿り着く。

シムは拳を固めてジェーンの寝室の扉を叩いた。


「ジェーン様!
遅くなりました、シムです!
迎えに来ました、一緒にここから出ましょう!」


そう扉の向こうに告げるも、ジェーンの返答はない。

シムはさっと顔から血の気が引く。

室内でジェーンが倒れているかもしれない。
何かがあったかもしれない。

シムは何度も扉を叩き、焦ったように扉の取っ手に手をかけた。

「ジェーン様!大丈夫ですか!?
すみません、…開けますね!」

そう言って勢いよく扉を開ける。

ぶわりと奥から風が吹き、扉から逃げて行った。
部屋の窓が開かれている何よりの証拠だ。

シムはジェーンのベッドまで走って駆け寄る。

するとそこにジェーンはおらず、ベッドに何かの水溜りと夥しい血痕。そのベッドの上で開いた窓によってカーテンが大袈裟にはためいていた。

シムは青ざめ、窓の下を覗くがその下にジェーンの姿はない。

「ジェーン様…!」


足を震わせながら、ベッドの無残な様相を見下ろした。
何かがジェーンの身に起きている。


その時、ベッドから続く血痕が扉まで続いていることに漸く気がついた。
ジェーンは移動した、血を流して…否、もしや…。

シムはベッドと窓を交互に見て、自分の推測に戦慄した。



血を垂らした国王がここに来ていたとしたら。
ジェーンは窓から逃げようと、或いは助けを呼ぼうとしたとしたら。
助けは来ず、逃げることも叶わず、国王に連れ出されたとしたら。


そう考えた瞬間シムは全速力で駆け出した。









自分が今まで通ってきた道、そしてそことは異なる道にもそれぞれに血痕が続いている。


シムは先程通らなかった方の廊下を走り抜けていく。
その先から只ならぬ声が徐々に聞こえてきた。

「…ろ!……!……く……!」

シムは目を見開き、足元がふらつき転げながらも走り続けた。



この怒号には強く覚えがある、国王の低い声だった。

廊下の先で2人の影が見えたその時、大きな影が小さな影に勢いよく拳を叩きつけた。



「早く歩けと言っているんだ!
この愚図が…!」

顔を殴りつけられたジェーンは、膨らんだ腹を庇うように屈み床に倒れる。

「お願い…お願いだから、私を動かさないで…っ
お腹が、お腹が…、」

ぜえぜえと息を浅く吐きながら、激痛に耐えるように汗をダラダラ垂らす。
襲いかかる国王の拳は眼中にないほど、ジェーンの集中は腹に向いていた。


ジェーンの白いドレスの裾はびっしょりと濡れそぼっており、血も滴っている。
シムは走りながら、ジェーンが破水していることに気づいた。


「ええい、こんなタイミングで…!!
じゃあここでさっさと産め!
早く産まないか!!


国王は倒れ込んだジェーンの髪を引っ掴み揺さぶった。
ジェーンは何発か殴られたであろう赤くなった頬と額、そして血の滲む口元を震わせて陣痛に耐えた。


「っ、めて…お願い…っ」

「ここで力んで早く出せ…!!
私の後継者を産んで、お前はさっさと死ね!!」


国王の首にはもう簪は刺さっていないもののそこからはまだ少量血が流れている。
致命傷ではなかったが国王が、この状況に焦っていることは明白で、近付くシムにも気づいていないようだった。




シムは頭の血管がぶちんと切れる音を聞いた。
自分の荒い呼吸以外が聞こえない。

「やめろ…!!」

シムは自分でも聞いたことがないぐらいの大きな声で、国王の大きな身体に自分の身体を勢いよくぶつけた。


「ぐぁっ!」

国王は突然の衝撃に呻き、重心を崩し弾き飛ばされた。


シムはすかさずジェーンに駆け寄りジェーンの様子を見る。


ジェーンは苦しそうに呻き続け、髪も濡れるほどに大量の汗を流している。
「ジェーン様、ジェーン様…!」

シムが濡れて顔に張り付いた髪を丁寧に整えながら意識の確認をする。
ジェーンは苦しそうに呻きつつも、ゆっくり目を開けた。

途端にジェーンの目は涙の膜に覆われて、気力なく薄く笑んだ。

「…あぁ、シム…。
来てくれた、シム…っ…」


ジェーンはどれ程シムの顔を見て安心しただろう、久しく出来ていなかったかのように、胸を上下させて深く呼吸した。

シムはジェーンの言葉に何度も頷き、返すように元気付けるように微笑み返した。


「はい、シムです…。
遅くなってしまってすみませんでした、ジェーン様。
もう大丈夫です、俺があなたを守ります。」

シムがそう告げるとジェーンは涙を流した。

「ふぅっ…うぅっ…シム、痛いっ…お腹が凄く痛いの、張り裂けそうなの…っ!」

「…お腹の子が出てこようとしてるんですね、俺がついてます、だから、」

シムが言葉を続けようとした時、シムの背後から立ち上がり近付く足音を聞き逃さず言葉を止めて振り向いた。

国王は体勢を整えて、シムを忌々しそうに、激しい怒りと共に見下ろす。


「貴様ぁ…、何度も何度も私の邪魔を…!
退け!ジェーンを返せぇ!!」

激しい激昂を浴びてもシムは怯まず揺るがない。

横たわるジェーンを国王から守るようにシムは覆い被さった。

ジェーンと向き合う状態になったシムは、安心させるように目を細めてジェーンの目だけを優しく見つめる。
ジェーンもそのシムの優しい眼差しを見上げ、安堵の涙を流した。


「ほら…大丈夫、俺が守っています。
もう傷つけさせません。
お腹に集中して、息を吐いて。」

いつも通りの落ち着いた声がジェーンに降ってくる。

その言葉に勇気を与えられたジェーンは涙が溢れた目を強く瞑り、激痛に悶える下半身に意識を集中させた。


「ふぅうっ…、ふーっ…うぅっ…、ふぅっ…」

辿々しくはあるがジェーンなりに気張って息を吐いて吸ってを繰り返す。

国王から守るようにジェーンに覆い被さるシムは一切国王に視線を向けない。
そしてジェーンを返すまいという姿勢に、国王はますます激昂していく。

「そこを退けぇ!!ジェーンの子はやらんぞ!
この卑しい下僕の身分で!
退け!退け!!」


そう叫びながらシムの背中を国王は何度も何度も蹴りつける。

国王の履くブーツは威厳を保つ無骨なヒールが付いているため、その部分がシムの背中の肉を容赦無く抉った。

シムはその度に身体が激痛に震え、息をくぐもらせる。
しかし決してジェーンの上から動かない。
そしてジェーンに向けた優しい眼差しも全く揺るがなかった。


「このっ!この…!!このぉぉ!!」

国王は激しく足を叩き下ろすも、びくともしないシムに焦燥した。
シムの背中のシャツに血が滲んでも揺るがなかった。


シムの下でジェーンは痛みに悲鳴を上げながら悶える。

「ふぅっ…!
ふぅうっ、…ぅう痛ぃぃっ!」

「っ…大丈夫ですよ、ちゃんと出来てますよ、大丈夫です。」

ジェーンを勇気付ける言葉を惜しまないシムは、背中の激痛に眉を顰めながらも微笑みを絶やさない。

この小さな少女を絶対に守るというただ一心だった。


「早くそこを退けぇ…!!」

国王は真っ赤な顔で焦ったように、何度も何度も背中を蹴り付ける。

しかしその蹴りは唐突に音もなく止んだ。




シムは、真下にいる汗ばむ少女の顔を手のひらで拭ってやりながら、ゆっくりと振り返る。




そこには大剣を握り締めたカスパルが、国王の首を鷲掴みにして立っていた。






 

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