テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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愛について

5-32

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「っ…、」


国王の見下ろす眼差しに、その低い声にシムは震える。
もう退路は絶たれているのにその身体は本能で後ずさろうとし続けた。

シムは重く威圧的な態度の男は何より苦手だ。
鼓動がけたゝましく逃げろと早く脈を打つ。
しかし恐怖で足は震え、機敏に駆け出すことは不可能だった。
その間にも国王は狩で小動物を追い詰めた時に浮かべる様な極上に卑しい笑顔を浮かべた。


「さてはお前だな…?
身の程を知らずに図書館の利用を迫った下働きの下男めが…。
おい、何か弁明してもいいぞ。
発言を許そう」


そう言いながら片足を上げ、シムの肩に無遠慮に足を置いた。

その伸し掛かる足と言葉に、痛烈な蔑みと差別を感じたシムは唇を強く強く噛み締め、震える膝と体を制御しようとした。

「……っ」

この男がジェーンを傷つけ苦しめた。
まだまだ子供のジェーンを孕ませた。
そして孕ませたくせに大切に扱わず、あのつまらない部屋に置き去りにしている。


ジェーンはあの部屋で一人ぼっちで、心細さに何回泣いたことだろう。

ジェーンを想うとシムは恐怖の震えは徐々に影を潜める。

代わりに自分でも感じたことのない怒りがふつふつと熱く暗く湧き出してきた。



「貴方は…。」

その言葉を口に出してはいけないと思っても、湧いて溢れる強い怒りでシムの頭がどうにかなりそうだった。


「……貴方は…ジェーン様を苦しめた…。」



そして言葉に出してしまえば、はち切れんばかりの憎悪で心臓の鼓動が上がっていく。
シムは鋭い眼差しで国王を睨み上げた。

ジェーンという名前を聞いた途端、国王は嫌な笑みを消し眉を潜める。

「お前ごときが…何故ジェーンを知っている……?」



肩に置かれた国王の足は圧を強めギリギリと踏みつけてくるも、シムも負けじと座り込んだ体勢から動こうとせず睨み上げる。


「俺はジェーン様を本当に小さな頃から知っているんだ…!
テューリンゲンで大切にされてきたジェーン様を…あんな風に傷つけたあなたを…俺は許せない…!!」

「お前…まさか、ジェーンと……!
ジェーンと不貞を犯していたのはお前か!!」


凡そ成立していない会話で国王は何かを確信したかのようにシムの胸ぐらを掴み上げる。
胸ぐらを締め上げられながらも強く睨むシムは手負いの小動物のようだった。

首が締まり苦しそうに呻くも、シムも一歩も引かず引き剥がそうと国王の手首を掴んで対抗する。


「くっ…離せ!
そんなこと…!する訳ないでしょう!!
ジェーン様にそんなこと出来る訳がない…!
貴方はそんな低俗な事しか考えられないのか、

貴方は、この国の王なのに…!!」



果敢に言い返すシムに、国王は激昂し顔を真っ赤にさせて憤怒した。
最低身分の見窄らしい男にここまで言われた事は人生で一度もないからだ。

「貴様ぁ…!!
殺してやる…!!」


国王は渾身の大きな拳でシムの頬を強く殴り飛ばした。
「かはっ…!」


シムは頭を大きく横に弾き飛ばされるも胸ぐらを掴まれているため首にも大きな衝撃を与えてぐらりと視界が揺れた。
一気に口内に血の味が広がる。
少ない量の出血が口の端から溢れた。


「この私を!!
お前ごときが!!
愚弄するなど…!!」

額の血管がブチンと切れる勢いで青筋を立てたまま、国王はぐらりと擡げるシムの頬をもう3発程渾身の力で殴りつけた。

「ごふっ…うっ」

その度に口から血が飛び散る。
シムは頭と頬に迸る衝撃に目をチカチカとさせ気を失いそうになるも、まだ残る気力でなんとか意識を繋ぎ止める。

シムは口に溜まった血を吐き出し、胸ぐらを押さえつけたままの国王の腕を掴んだ。

「離せッ…触るな…!」


憎悪の眼差しで国王を睨み続けたまま、腕を退かそうと国王から離れようともがく。
しかし国王の腕力の方が勝って容易に離れることが出来ない。

国王も絶対に離さんとばかりに、胸ぐらを掴む腕に力を込めてシムのシャツの上のボタンが無惨に弾け飛ぶ。


その攻防戦が仇になってしまい、シムの胸元がはだける。
そして不幸なことにその胸元に散らばった、昨晩愛された証を国王は目敏く発見した。


「…!」

国王の息を飲む仕草に、シムも漸く気付き顔を青白くさせた。

シャツを閉じようともがくも、胸ぐらを尚も締め上げる国王の手がそれを阻害する。

「っは…!
なんだその痕は!え?」


国王は愉快と言わんばかりに笑いを零し、シムを殴って少量の血で汚れた大きな手でシムのシャツを剥がそうと手を伸ばす。

「やめろ離せ!…うっ!」

動きをさらに封じる為に、国王はシムを勢いよく地面へ叩き込み身体を使って伸し掛かる。

シムは必死にもがき続けるが伸し掛かる国王の両手でさらにシャツは無残な形ではだけていく。

「誰と交わって付いた痕だ!
国が大変な時に…こんなに見窄らしく貧相な塵同然のような思に、こんなにもの痕をつける女は一体どこの誰だ!
言ってみろ?!」


ガクガクと揺さぶられながら捲し立てられている間、シムは息を浅く繰り返しながらジェーンの事を想った。


ジェーンも乱暴に屈したのだろうか。
身勝手に傷つけられたのだろうか。

絶対に抵抗出来ない力と体格差に絶望して、受け入れるしかなかったのだろうか。

…さぞ、怖かっただろうに。




シムは鼻の奥がツンとした。
ジェーンの苦しみ痛み、無念を思って涙が溢れそうだった。



「ッ…あなたには教えたくない。
大事な人ができたことが貴方にはないから分からないのでしょう?
貴方はジェーン様の身も心も、誰の心も手に入れることは出来ないまま終わるのだから…、」


シムは静かに国王に向かって断言した。
声を荒げれば涙が出そうだったからだ。

国王はこんなに殴り飛ばし組み敷かれている男から出ているとは思えない程冷静な声色に目を見開き一瞬動きを止める。


「貴方は今までもこれからも信頼は得られず、貴方のせいで国は滅び…………っごほッごほ」

口に溜まった血で噎せつつも言葉を続ける。

「…ッ、貴方は貴方のせいでこれからも独りだ…!」


シムは強い眼差しでそう言い放った。

国王は暫し息をするのも忘れてシムを見下ろしていたが、わなわなと震える大きな手でゆっくりとシムの首に両手をかけた。

「殺す……」



それだけを低い声で呟くと、シムの細い首を一気に締め上げた。


ギリギリと音がしそうな強さで息を止められ、シムは目を強く瞑り口をパクパクと苦しげに開閉させた。
しかし国王の手は緩まることなく、その目も明確な殺意を湛えていた。



「…ッ!……っ!」





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