テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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愛について

5-18

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介抱していた男が目を覚ました数日後の正午、シムとユーゴはまだ開店していない娼館の前にいた。
まだ立ち並ぶ娼館の開店時間ではないため、辺り一体はとても静かだった。

「じゃあ俺はこれで…
本当に色々とお世話になってばかりで感謝してもしきれないです。」

シムは娼館の前で主人ユーゴの前で深々とお辞儀をした。

ユーゴは扉に凭れ掛かりながら腕を組む。
その表情は非常にやるせないと顔に書いてある様だった。


「ねえもう少しここで働きなよ。
今日から賃金も出してあげるし、あと1~2ヶ月はここにいた方が絶対安全なんだけど…」

シムは嬉しそうに微笑むが、その笑顔が決して肯定の意ではない事はユーゴも分かっていた。

「有難うございます、すごく嬉しいです。
…すみませんがもう少しだけあの人の事よろしくお願いします。」


「分かってるよ、喋れる様になったら事情を聞いて…。
まあお前がいなくなった分の部屋代きっちり働いてもらう事にするよ。」

ユーゴの本音と冗談が混じる言葉にシムは笑った。


「……死なないでよ、シム。」

それだけは本気の声色で告げた。

ユーゴはシムを当然ながら宮廷になど最後まで返したくはなかった。

しかしシムの秘密にしている事を暴いてしまったユーゴには、それを止める事も酷で出来なかった。

「はい、ユーゴさんや他のお姉さん達もどうかお元気で。」


それだけ言ってシムは少ない荷物を持ち、ユーゴから貰ったお古のコートを羽織り宮廷へ歩き始めた。




道中、特段この一ヶ月少しで街に変わった様子はないが、強いて言うならば街を巡回していた少数の私軍さえ見かけないところだけが目立った。

盗み聞いた卸屋の男と主人ユーゴの会話が本当であれば、護衛軍がいない今、街を巡回している余裕さえもないという事なのだろうか。

「寒い。
…はぁ」

シムは歩きながら暖かい息を手に吹き掛け意味のない暖をとる。
それ程今日はとても寒い日だった。

大通りの前まで辿り着くとやはりそこにも私軍の姿はなく、割れた瓶の破片や地面には絵の具か何かで書かれた罵倒らしい文字がいくつか見受けられあまりきれいな状態ではなかった。

シムはその有様に目を落とす。


従業員用の出入り口も封鎖されており、そこからの出入りはもう出来なくなっていた。


シムはぐるりと大きな宮廷の周りの塀を伝う様に歩き、あの日セスとシムが抜け出した秘密の抜け穴を目指した。


セスを追いかけて飛び出して来てしまったあの日からセスのことを忘れていた訳ではなかった。
しかしセスの迷いない動きに街のどこかに目的地があったのだろうかと察していた。


街の事も宮廷の中の事も、小風もセスも心配なことは山程ある。
しかし何より心配なのはやはり卸屋の男とユーゴが話していた”ルージッドの男”である。


一人にさせたくない。


そう強く胸の中で唱えながら北側の方まで塀を伝って歩いた。

セスの知っていた宮廷のもう一つの隠された出入り口はまだあの時と変わらず誰にも見つかっていない様だった。

シムは這いずりながらその抜け道に身体を差し込み、何とか時間をかけて宮廷の敷地内へ戻る事に成功した。


「……あ、雪。」

立ち上がりマントに着いた土をぱんぱんと手で払った時に、チラチラと視界に入り込む白いものを見つめた。

そうか、そんなに今日は寒かったのかと合点が行きマントに身を埋める様に肩を窄めた。



シムはその足で従業員の宿舎へと向かい、食堂の扉を開けた。

そこは人も絶え絶えでとても閑散とした空気だった。


すぐ厨房のカウンターに駆け寄り中を見渡すも、厨房の中も人の気配があまり感じられず少し落胆した様にシムは眉を下げた。



「あのー、すみません」

遠慮がちに声を掛けてみるものの勿論返ってくる言葉もない。

漸くして厨房の奥の方からガタゴトと音が聞こえて来た。


「はいはい、ごめんね、何だい?
……て、シム坊じゃないか!」

奥から声を出しながら顔を出した厨房の女はそこにいた者がシムだと分かった瞬間、大きく目を見開き厨房横の扉から飛び出して来た。

「坊、久しぶりだねぇ…!
無事でよかったよ」


そう言ってシムを豊満な身体で強く抱きしめた。
シムは少し蹌踉めきつつも女の背中に手を添える。

「お久しぶりです、俺がいなかった事気づいていたんですね…。
ミシアさんはもう…?」


「毎日食べに来てくれる皆の顔は覚えてるさ、勿論分かるに決まってるだろ!
ミシアのおばあちゃんはもう退廷していったよ。」

その言葉にシムは悲しげに目を細め抱き締めてくれるその手から身体を離した。
「そうですか…。
最後の日もお変わりはなかったですか?」

「退廷する事は知っていたんだね。
ああ、元気に去ってったよ。
ばあちゃんは一先ずは街の教会のお世話になるそうだから、街の治安が落ち着いたら会いに行ってみたらいいんじゃないかい?
手紙出すだけでもきっと喜ぶと思うよ。

あっそれから…」


厨房の女はそこまで言ってから一瞬口を噤んだ。
言っていい類のものなのか思案している様だった。


「誰とはちょっと色々あって言えないんだけど、偉くあんたの事を心配してる人他にもいたのよ。
…軍人さんとだけ言っておくけどね。
私の口からは最後までは言えないから…」

もごもごと秘密ごとを話す様に小声で告げる。

シムはその言葉で外の雪で冷えた身体が、一気に熱くなる様な不思議な熱が込み上げた。


「…分かりました、有難うございます。」

穏やかに微笑み感謝を噛みしめる様に述べた。


「それじゃあ自分の部屋に戻りますね。
色々教えてくれて有難うございます。」


シムはそれだけ言って軽く会釈し扉の方へと走り去る。
その姿を厨房の女はどこか呆けた様な顔で見送った。




「……坊、話し方が変わったかしらね…?
それになんだかとても凛とした顔になって…。」






 
 
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