テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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無力の力

4-25

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宮廷への帰り道、カスパルとシムはマントは羽織っているものの万が一の事もあり、それぞれ別々のタイミングで裏口から帰る事になった。

最初にシムが裏口へ入るのをカスパルは物陰から見守り、暫くしてカスパルも足早に裏口を潜った。
裏口の先の通路でシムはマントを畳みながらカスパルを待っていた。

「カスパルさん、マント、有難うございました。」

そう言って頭を下げながらマントを寄越すシムの手をカスパルは片手で制した。

「これはシムに渡しておく。
これから街に降りる時は必ず羽織るといい。」

「え……でも、」

早々簡単に貰い受ける訳には行かないと顔にでも書いてある様に困惑するシムにカスパルは言葉を続けた。

「いいんだ、マントなんて幾らでもある。
それに羽織って貰わないと俺が心配で仕事が手につかない。」

シムは少し考える素振りをみせた後、おずおずと頭を下げて畳んだマントを抱きしめた。

「そしたら大切に、使わせて、もらいます。
有難うございます。」





その後カスパルとシムは今夜また図書館で落ち合い、今日の街での事について報告をし合う約束を交わして一旦持ち場の庭に戻った。
そして午後から束の間の休暇を得ているカスパルも自室へと戻る事になった。

お互い心では、再び会う事が出来る喜びにじんわりと胸が温まるものの、それを口にする事はお互いにないままの一旦解散となった。









シムはせっかくなので教会の庭を見に行く事にした。
私服のカスパルを見送った後マントを抱きながらその足で教会へと向かった。

「……な、……だわ?」

「でもそれ……だって……?」

教会の方へと近付くにつれて何だか若い女の話す声が耳に入って来たシムは歩く足を遅め、きょろきょろと辺りを伺いながら進んだ。
高貴な者とすれ違う事はシムの身分では無礼なため、出来るならば避けたいシムは不安げに辺りを見回した。

どうやら教会の庭から声がしている様だと気付き、庭からある程度離れた外廊下の窓から覗く様に庭を見た。
其処には4~5人の若い女達が煌びやかなドレスに豪華な毛皮の羽織物を身に纏い、誰かを待っている様に手持ち無沙汰にしていた。


(教会の庭で、何してるんだろう…)

ジェーンと同じ程か少し歳上か、女性をまるで知らないシムは見ただけでは判別できない。
ただ全身を緊張させながら見ることしか出来なかった。


「じゃああの方は?マルツ公爵」

「あの方は…あまり上手ではなさそうね。
だってほら、背も小さいし太っているし……」

「なんだか見栄張りそうですものね?ふふ」


楽しげに談笑する女達の会話の内容がどう言ったものなのかは聞いても分からない。

ここで覗き見たところで彼女達が居なくなる訳でもないのでシムは大人しく宿舎に戻るか、と足を動かそうとした時、聞き間違えるはずのない名前が聞こえてきた。


「そしたらあの方は?
カスパル・ラザフォード。」

カスパル

その名前にドクンと心臓が低く鳴る。
たった今迄一緒に居た者の名前を、彼女達は遊び言葉の様に口軽く言葉にする。
なんだか理由も分からず先程より緊張した。


「あの方は是非一度夜を共にしてみたいわ!」

「わたくしも!
背も高くてがっしりしてて…きっとさぞ楽しく激しい夜になるのでしょうね……」

「それに男気もありそうだから、一晩寝ただけで面倒な事も言わないだろうしね?」

「分からないですわよ?
イブニス様は美しいから、あのラザフォードも面倒臭い男になってしまうかも」

「あら、そうかしら?ふふふ」

言葉とは裏腹に満更でもなく気持ち良さげに笑うイグニスと呼ばれた女の言葉を聞いてシムは廊下の途中で固まった。

"きっとさぞ楽しく激しい夜になるのでしょうね"


その言葉で今迄彼女達が何を話しているのか分かってしまい、同時に話の種にカスパルが出て来た事に動揺し、マントを抱き締めていた手を強める。

男女の事情に疎いシムでも性交の知識は知っていたし、愛し合う男女の為にあるものという基礎知識は一応程度には備わっている。

しかしそれは軽々しく言葉にしてはならない類のものかと思っていたシムは、若く美しい女達から次々に出る下劣な会話に驚いた。

そんな浅ましい視線をカスパルに向けているなんて下劣な、という感情。
それと同時に、何故何の関わりもない自分が男女のそのような事に嫌悪し動揺しているのか整理がつかない。

男女なのだから、ましてやお互いに貴族なのだからその様な事があったとしても不思議ではない。いやごく自然な摂理である。

貴族がどの様に生活しているのかは分からないが、こんなにも軽々しく話す口調からいかに性的な事が身近にあるのであればそれが貴族にとっての常識なのだ。


「今度誘ってみようかしら?
ラザフォードは誘いに乗ると思う?」

無駄な程に悩ましそうな態度を取るイブニスに、周りの女達は高い声で次々に肯定する。

「勿論ですわ!
イブニス様のお誘いなんてあちらも光栄に感じるはずよ。」

「今は立場が弱そうだし、良い言いなりになるかもしれないですしねぇ。」



「……っ」


シムは大切なものを酷く侮辱されている様で、やめろと叫びたくなる。
こんな人達に靡かないで欲しい、カスパルの優しさも、こんな人達に与えないで欲しい。

「いや、……だから、どうして俺は、こんな事」


何度も何度も図々しすぎる想いをカスパルに抱き、そして何度も何度も許されない事だと戒めて来たのに、と愚かな自分自身が酷く小さい人間に思えた。


カスパルだっていつかは必ず嫁を貰う事になる。
せめて良いお方が隣に居てくれればと切に願う。

願えば願う程、シムの心は鋭く痛みが走った。



「皆、待たせて悪かったわね。」

教会の扉から出て来たのはエリザベス王妃で、待っていた侍女達は「とんでもないですわ!」と白々しくも可愛らしく返事を返していた。


「なんだか楽しそうに話してたわね。
何を話していたの?」

「ここの庭があまりに綺麗なので、草の名前を当てていたんですの!」

「あら、それは楽しそうね。」

そう言ってエリザベスは侍女達を引き連れて教会の庭を通り、宮廷の中へと入っていった。

動揺したまま俯いたシムは、細くやつれたエリザベスの疲れた顔に気がつく事はなく、マントを抱き締めたまま廊下の奥へと消えていった。










  
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