テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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無力の力

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シムのさすった背中は細く、階段から転げ落ちて来た晩からあまり変化はない様に見受けられた。
人の体温に飢えていたのだろうか、シムに抱き着きその温度で暖を取っている様にも見える。

ジェーンの好きな様にさせていると、ジェーンが口を開いた。

「…ねぇ、ここは戦争になったの?!
誰も来てくれないから、ああ助けに来てくれないんだって、ずっと怖かったの…!
あの酷い音はなんだったの?!」


シムにしがみ付きながら混乱し震えるジェーンに、やはりここには誰も来ていないのかと悲しい気持ちになった。

「いえ、戦争じゃない、みたいです。
でも街の人達が、王族に反感を持って、いるみたいで、街で暴動が、あったんです。
でも宮廷は、無事ですよ。」


自分の住む建物が無事である事を聞いたジェーンは、幾分か表情を和らげた。
か細い声で「そう……」とだけ漏らした。

シムは少し落ち着いたジェーンをゆっくり自身から離し、先程横たわっていたベッドへと寝かせる。

ジェーンはシムにされるがままになるが、目だけは不安げにまだシムを見つめ続けた。


「誰か怪我はしてないわよね?
私達の周りは?みんな無事?」


不安げな瞳を受け止め、シムは常に身を案じているカスパルの顔が頭を過ぎる。
シムは一瞬悲しげに目を細めるが、すぐに笑顔を努めた。

心身ともに安定していない妊婦に負荷をかける事は得策ではないと判断してのことだった。


「…はい、みんな、無事ですよ。」


その言葉に今度こそ全ての力が抜けた様にベッドに深く横たわった。


「………いい気味だわ。
王族なんてみんな滅んで仕舞えばいいのよ。」


仄暗い憎しみをその幼い瞳に湛えながら天井を見つめるジェーンを、シムは傍に置かれた椅子に腰掛けながら様子を見る。

「テューリンゲンはみんな優しかったわ…。
こことは、本当に大違い。
みんな大嫌い。」


テューリンゲン、という名前を聞いてシムもジェーンを見つめながらも懐かしい気持ちが溢れてくる。

寒い地域だったが確かに皆優しかった。

資源が豊富ではない分、村の人達もテューリンゲン家も持ちつ持たれつ良好な均等が取れていた。

馬引きのアベルは元気でいるだろうか。
適齢期だし、今頃妻でも娶っていてもおかしくはない。
テューリンゲン夫妻はお変わりないだろうか。

懐かしい顔ばかりが浮かんでは消えていく。


「私テューリンゲンに帰れるかしら……」


ジェーンはそれだけ呟くと寂しそうに窓の月光を眺めた。

その言葉は願望からではなく、恐らく帰る事は難しいことを察して諦めた悲しみから来ている様に感じた。
シムは今すぐにでも自分が連れ帰ってあげられたらいいのにと唇を噛んだ。

「ジェーン様…」

ジェーンを気にかける様に名前を呼ぶと、ジェーンは眼をさすりながらシムに視線を寄越した。

シムと話せた事で安堵し、漸く眠気が訪れた様だった。

「…ねえシム、これからも会いに来てくれる?
私を忘れないでいてくれる?」

ジェーンはまるで幼児の様に縋る。
シムは自身にここまで胸の内を話してくれる様になったジェーンに、些か驚き目を開きながら月の光の様に優しく微笑んだ。


「勿論です。
また夜に、会いに行きますね。」



ジェーンはシムの笑顔を眩しそうに眼を細めて見つめる。
シムがくれる優しさが心地良くて堪らなかった。

眼を再びさすりながらシムに釣られた様に微笑む。
久しぶりに笑顔になった気がした。

「ふふ、約束よ。
シム。」



その後ジェーンは静かに眠りについた。

静かな寝息はまだ14歳らしい少女のものだったが、その腹に宿る命は着実に成長している事が、膨れた下腹部で手に取る様に分かった。
シムは母子ともに健康でいて欲しいと、眠るのを見届けながら切に祈っていた。

貴族としての知識はないが、シムにとって14歳はまだ子供である。
世の人々がどの様な理由で王族を怒っているのかシムにとってはどうでも良いことだった。
シムが何より怒っている事はジェーンを無理矢理孕ませ茨の道を強いている事とカスパルを利用するだけ利用して迫害している事だった。

怒りという感情をあまり感じずに過ごせた人生の中で、今初めてその感情がシムの心を翻弄し凍てつかせる。
憎悪、嫌悪、複雑に絡み合った感情に名前をつけるのは難しく、シムはその感情に心が持っていかれそうなところを理性と戦う。
恐ろしい気分だった。

安らかに寝息を立てるジェーンを見つめ、そっと椅子から立ち上がりジェーンの部屋を後にした。










シムはその日、夜まで小風を探しに街へ繰り出し、無事宮廷に帰還出来た後は教会の庭の手入れを少しだけした後ジェーンの様子を見に行った。

庭の手入れと言ってもほぼ完成には達しており、今は撒く水を調整して土に根付く過程を確認するだけであった。


ジェーンの部屋を後にしたシムはその足で図書館へ急ぐ。
カスパルがもしかしたら怪我の手当てを終えて、来ているかもしれないと微かな期待を持って足を進めた。


シムはその道中、今日だけで体験した様々な事を考えた。

結局何も小風の情報どころか、憲兵の事を聞く事が出来なかったが、今まで自分が如何にぬるま湯の様な環境下にいたかを痛感する出来事の連続だった。
子供たちは皆逞しく、大人たちは皆怒りが渦巻いて街は不安定だった。


次街に出る時は、もう少し効率的に情報を集める事が出来るかもしれない。
帰り道の歩き方で手応えを得たシムは、次はどの辺りを歩こうかと思考をめぐらせた。



もし、街に一緒にカスパルが来てくれたらどんなに心強いのだろう。



ほんの一瞬飛び出した弱音を、シムはギョッとして急いで頭から掻き消す。

今はその様な事を言っている場合でも状況でもない。
実質今身軽に動けて小風を探せる者はシムのみである。

一呼吸吐いて気持ちを入れ替えて歩き続けた。





廊下の角を曲がり、後もう少しの距離で図書館というところで、向かい側の廊下が徐々に灯りで照らされているのが見えた。
シムと反対側から歩いてくる者の持つ蝋燭のようだった。

普段この様な深夜帯に人とすれ違う事はなかった為、シムは驚き立ち止まる。

いずれにせよこの廊下を歩く者は間違いなくシムよりも上位に位置する者しかいない。

(頭を下げないと…!)


シムは急いで廊下の端に寄り頭を下げた。前に小風と歩いていた時、国王陛下とすれ違いそうになった際も同じ様に頭を下げ待機した事をふいに思い出した。

頭を下げていると灯りはどんどん近付き、大分シム自身が照らされる距離まで来ると立ち止まる音がした。



「その者、この深夜に何処に行こうとしている?」


灯りの持ち主がシムに問いかける。
その些か初老と窺える声にシムは頭を下げたまま答えた。


「と、図書館に、向かっております。」


この主はその言葉を聞いて少し黙り、何かを考えているのかそれともシムを見ている様に静かになった。




「…図書館…?
名は?業務を述べなさい。」

「はい、庭師のシムと申します…」

声の主はさらにシムの回答を聞いて少し考える様に再び押し黙った。
その後「ふむ」と相槌にも独り言にも取れる様な声を発した後、シムの目の前を何もなかったかの様に通過して行った。


シムはその後も灯りが遠ざかるまでは頭を下げていたが、再び廊下が暗くなり始めた頃漸く頭を上げる。

声の主の方を見てみると黒い燕尾服を身に纏う、想像通りの洗練された後ろ姿だった。

後ろ姿から、その男が何か食事の乗ったトレイを持っているのが見て取れた。






シムはその晩、カスパルを待ちながら字の勉強をした。
カスパルはその日訪れる事はなかった。








 
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