テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

文字の大きさ
上 下
59 / 168
成長、彼の情

3-19

しおりを挟む











「き、今日は………図書館の日だ…。」


朝焼けが始まる早朝、シムはハッと小さなベッドから身を起こして寝癖のついた髪もそのまま、そんなことを口走っていた。

恐らく今のこの寝起きの姿を鏡で見ればさぞ間抜けな見た目だろうが、シムにとっては今日がカスパルとの約束の日であるという事の方がずっと重大だった。

暫く今日があっという間に来てしまった衝撃を、ぼけぼけとした寝起きの頭でゆっくり受け止め、徐にベッドから腰を上げた。


(違う違う。まずは庭仕事だ、今日は草むしりと剪定と…)


流石にぼけぼけし続けるのも駄目だと思い、頭を振って必死に庭の事を考えながらベッドの上の草臥れたシーツの皺を取った。

よれた寝巻きのボタンを外して脱ぎ、ベッドに掛ける。
その際不意に自分の身体を見て、はぁ、と情けない溜息を零した。

貧弱だ。

シムの身体は並に筋肉は付いているにも関わらずカスパルのような胸筋の盛り上がりも腹筋の割れ目もあまり目立たず、女のように可憐な凹凸も勿論ない。カサついていてとても人様に自慢できるような美しい身体ではない。

仮にも一応はカスパルと小風と同じ男の筈なのだが、どこで大差がついたのかシムだけまるで違う生き物のように思えた。

あんな風になりたい、体力作りでもしてみようかななどと考えながら着古しの馴染んだシャツに腕を通した。



シムは部屋を出ると、同じ様な小さな扉がずらりと並んだ廊下に出る。
ここは宮廷内の様々な場所に仕える作業員用の居住スペースだ。

その先にはとても大きな食堂があり、シムはいつもそこの料理に助けられていた。

装飾はなく素朴でシンプルな木造りのこの食堂は、テューリンゲンの時に食事をしていた場所に少しだけ雰囲気が似ており、どこかシムを安心させていた。


シムは適当な場所に取り敢えず腰掛ける。

この食堂には20程の大きなテーブルが置かれており、その周りに乱雑に大小様々な椅子が散りばめられているような造りだった。

従業員はそこを利用する事が多く、人が一人もいないなんてことはまずなかった。

いつも必ず数人はいるし、昼時夕飯時はかなり混雑する。
しかし基本的に知らない者に話しかけに行くという習慣も、この食堂には存在しなかった。

そのためその食堂では同じ服を着た同僚同士が共に食事を取っているか、一人で食事を取るなりお茶を飲んで休憩しているかの光景が常で、シムも例外無くいつも一人で隅によく座っていた。


シムは食堂の大きなカウンターの方へ行くといつも対応してくれているふくよかな女性が、はいはいと慣れた声で中から出てきた。

「あらおはよう坊。
今日も一段と早いわね~。」

何故か初対面の時から坊と呼ぶ、この40代あたりの人当たりの良さそうな女性にもすっかり慣れたシムは柔らかく微笑んで軽く頭を下げる。


「おはよう、ございます。
朝ご飯、お願いします。」


「はいよ~。
そこからパン取ってね。」

挨拶をすると、女性はカウンター横の大きなバスケットを指して中に消えていった。

シムはバスケットの前まで移動すると、中には今朝焼きたての美味しそうな匂いを放つパンの山があった。

このパンは小麦の種類の関係か定かではないが、ふっくらというよりかは重厚な食感で、中にナッツやベリーなんかが入っている時もありどんな日のパンもとても美味しい。
シムはテューリンゲンで働いていた頃よりパンが好きになっていた。

嬉しそうに微笑みながら横に積まれた皿を一枚取って、3つ手掴みで乗せて行く。

パンを皿に乗せて先程の場所に戻ろうと振り返ると、これから仕事がある者達が同じく朝食を求めて幾人かが並んでおり、シムの隣には赤毛風味の男が失礼、と言いながらパンを取っていた。

その数人を避けてカウンターへ戻ると、豪快に切り落とされたベーコンとこんがり焼けた2つの黄身の目玉焼きの乗った皿が奥から滑ってくる。

シムは慌ててその皿を止めて持ち上げると、奥から先程の食堂の女が笑いながら近づいてきた。


「黄身の二つ目はおまけだよ。
庭は進んでるかい?」

おまけと言ってウインクをする女に、シムはありがとうございますと頭を下げた。

「はい、なんとか、進んでます。」

シムは自信なさ気になんとか、と付け加えて苦笑する。

 そんなシムに女はそうかいそうかいと笑って頷いた。
「夏の花でも咲いたら私にちょうだいね。
ここに飾るからさ。」


そう言って、次に来た者達に皿を配り始めた。
シムは一度女に頭を下げてから席に戻ってパンをちぎり始める。

すると先程パンで並んでいた赤毛の男がシムの近くに座った。
どうやらそこに仲間が居たらしく、同じ服装をしている。


こんな朝早くなのに出勤する人達は案外いるものなのだと、ここを利用するたびにシムは感心していた。

「全く、朝っぱらはキツイな~。」

聞こうとしなくとも聞こえてくる知らない男達の声を聞きながら、シムはパンを頬張りフォークで目玉焼きを切り始める。

パンも目玉焼きも毎度同じながら美味しくてシムは顔を緩ませる。


「それにしても女王陛下、とうとう地に着いたって感じだよな?」


シムは聞こえてきた噂話に思わず喉をつまらせそうになり前のめりになった。
仲間の男も驚いたように同じく身体を前のめりにさせていた。


「馬鹿っ…やめろって!
こんなとこで話して誰かに聞かれたら…!」

慌てた様子で同僚を止めに入るも、可笑しそうに笑い飛ばして話を続けた。

「聞かれるって、こんな朝なんだから…。
それに事実には変わりない。」


それもそうだな、なんて言葉を返しながら同僚もふぅと息を吐いて二人は食事を再開する。

しかしその近くで目を見開いてフォークを止めたままのシムには気づいてはいないようだった。


「国王陛下は女王を、魔女だなんて呼んでる噂もあるらしい。」

「なんでだよ、自分でお選びになっておいてな。」


男は可笑しそうに口角を上げながらフォークで目玉焼きを食べていく。
話を始めた方も美味しそうにパンを頬張りながら口を開いた。

「子を産む力もなかったし、既に産める年齢も過ぎた。
なのに正義感は人一倍って…そりゃ扱いづらいんだろう?さすがに?」

「国王陛下も酷いお方だな。」

「だな。はは」

2人の男達はそれ以上エリザベスの噂をすることを止める。
止めるというより、飽きたという表現の方が近かった。

「……っ。」


しかしシムは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃で息を詰まらせた。

シムは宮廷に来てからはエリザベスを一度も目にしていない。
無論国の母であるエリザベスに自分などがのこのこ会えるだなんてつゆにも思っていない。

シムの中のエリザベスは大地のように揺るがない強さ、そして只管の優しさを持つ素晴らしい方だという印象を持ち続けてきたし、これからもきっとそれは変わらない思いだ。

魔女だなんて、そんな恐ろしいこと。

こんな一端の従者にもそんなことを言われてしまうエリザベスをシムは心から案じた。
もしかしたら本当はこの宮廷内の中で肩身の狭い思いをしているのかもしれない。


今彼等が話した噂が本当でも嘘でも、そんな話が出回っていること自体が大変悲しかった。


子を産めない女性は魔女になってしまうのか。
魔女という都合の良い名称で厄介がられてしまうのだろうか、子が産めないというだけで。

男であり、さらに子を残さなければならない家柄でもないシムはそうなってしまう概念は受け入れがたいものだったが、そこでシムはふとジェーンの事を思い出した。


あれはまだ春が来る少し程前、テューリンゲン夫人はジェーンの婿探しの為に庭を使わせてほしいとシムに言った。
その夫人の顔はとても真剣で、心配そうな色をしていたのを思い出す。

まだ幼いジェーンにそれを託す重大性と大切さは、おそらくシムは一生かけても理解し難い貴族特有の焦りの様なものなのかもしれなかった。

しかしシムは深く考えようとしても、貴族になったことのない身としては結局理解し難いという結論にしか至ることが出来ない。

朝から自分の大切な人の心無い噂を聞いてしまい、シムはすっかり食欲を無くす。

魔女だなんて、本当に、酷い。

食欲をなくしてもシムは食事を怠って体力が以前の同僚アベルに怒られたことを思い出して、無理やりフォークを動かし口に無造作に詰め込んでいった。


そしてその皿をフォークが重なる音で、話をしていた男達は初めてそこにシムがいたことを知り、「聞こえてたかな…」と小声で言い合ったりしていたが、シムはその言葉に返事を返すことなく、自分の朝食を平らげた。










 
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】魔王を殺された黒竜は勇者を許さない

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
幼い竜は何もかも奪われた。勇者を名乗る人族に、ただ一人の肉親である父を殺される。慈しみ大切にしてくれた魔王も……すべてを奪われた黒竜は次の魔王となった。神の名づけにより力を得た彼は、魔族を従えて人間への復讐を始める。奪われた痛みを乗り越えるために。 だが、人族にも魔族を攻撃した理由があった。滅ぼされた村や町、殺された家族、奪われる数多の命。復讐は連鎖する。 互いの譲れない正義と復讐がぶつかり合う世界で、神は何を望み、幼竜に力と名を与えたのか。復讐を終えるとき、ガブリエルは何を思うだろうか。 ハッピーエンド 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/03/02……完結 2023/12/21……エブリスタ、トレンド#ファンタジー 1位 2023/12/20……アルファポリス、男性向けHOT 20位 2023/12/19……連載開始

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

うちの冷蔵庫がダンジョンになった

空志戸レミ
ファンタジー
一二三大賞3:コミカライズ賞受賞 ある日の事、突然世界中にモンスターの跋扈するダンジョンが現れたことで人々は戦慄。 そんななかしがないサラリーマンの住むアパートに置かれた古びた2ドア冷蔵庫もまた、なぜかダンジョンと繋がってしまう。部屋の借主である男は酷く困惑しつつもその魔性に惹かれ、このひとりしか知らないダンジョンの攻略に乗り出すのだった…。

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

白銀オメガに草原で愛を

phyr
BL
草原の国ヨラガンのユクガは、攻め落とした城の隠し部屋で美しいオメガの子どもを見つけた。 己の年も、名前も、昼と夜の区別も知らずに生きてきたらしい彼を置いていけず、連れ帰ってともに暮らすことになる。 「私は、ユクガ様のお嫁さんになりたいです」 「ヒートが来るようになったとき、まだお前にその気があったらな」 キアラと名づけた少年と暮らすうちにユクガにも情が芽生えるが、キアラには自分も知らない大きな秘密があって……。 無意識溺愛系アルファ×一途で健気なオメガ ※このお話はムーンライトノベルズ様にも掲載しています

処理中です...