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特異の入廷者
2-1
しおりを挟むエリザベス達の出発から僅か4日後の夜。
シムは汚い頭陀袋に入る程小さな自分の荷物を持ち、暗い馬小屋の前に立っていた。
シムはまるで海に落ちるために船に取り付けられた揺れる細い板を進む気分であった。
エリザベス御一行の出発から夫人は憔悴しきり床に伏せってしまったにも関わらず、1日に何度も決まった時間に必ずシムの部屋へと訪れ、青い顔で出発の日時を決めましょう、とシムに提案をするのだ。
その痛々しい夫人の言動と表情に、さすがのシムも堪えた。
優しい夫人をシムは沢山知っている。しかし今の夫人は早く行ってしまえと迫ってくる知らない人のようで、シムも暗示のようにここに長く居ては迷惑がかかってしまうと徐々に思うようになっていた。
「なあシム!
そんなに早く行くこたねぇんだぜ!
考え直せよ、まだ傷だって治りきってないんだから…」
馬小屋へ入ろうとするシムの腕をがっしりとした手でアベルが掴む。
シムは簡単にその足を止め、アベルへ視線を向けた。
「いいんだ、奥様も、心配なんだよ、
俺は、十分休んだし、ここにも、沢山お世話に、なったから……迷惑かけたく、ないんだ…」
シムは少し頭を下げながらやんわりアベルの手を解き中へとはいる。
馬小屋の中には王家の紋章が掘られた兜を被った茶の馬が一頭、草を頬張っている。
この馬はシムが入廷する際に使える様、エリザベスが一頭置いて行った馬だった。
シムはその馬の綱を引き馬小屋の外へと誘う。
外には変わらずアベルが苦しい表情で佇んでいる。アベル以外にシムの見送りに来る者はいない。
散々せっついた夫人も、共に働いてきた召使いたちもいなかった。
この屋敷で自分は本当に居場所がもうないのだ、と痛感する。
もう戻ることもきっと許されない。
寂しい感情を整理する時間もシムには与えられていなかった。
10年あまりお世話になったこの土地と人々との別れにしてはあまりに悲しいものだった。
しかし弟の様に自分を心配してくれるアベルの存在はシムにとってやはり大きく、そして大切な兄だった。
「アベルさん、本当に、ありがとう」
慣れない馬に苦労しながら、なんとかたどたどしく座りアベルから貰った皮の手袋をさする。
「……元気でな、兄弟。
ちゃんと飯食えよ。
辛くなったらすぐ帰ってこい。
そん時は俺が主人に一緒に頭下げてやるから。
絶対我慢せずすぐ…帰ってくるんだぞ。」
「うん…うん…」
アベルは頭をガシガシと撫でながら絞り出す様に告げる。その暖かな言葉にシムは涙声になりながら一生懸命頷いた。
アベルはまだまだ納得のいかない表情をしながらジムから離れると、馬に跨るシムに近づき馬の尻を軽く叩いてやる。
その反動で馬は前に進み始め屋敷の出口へと向かって行った。
もう二度と会うことのないだろう本当仲の良かった同僚を、アベルは涙こそ出さないが心が痛む気持ちで見送った。
テューリンゲンの庭に咲いたたくさんのロニーの花は時期を終え一斉に水々しさをなくしていった。
その茶色く荒れていく庭を整える者は、もうこの屋敷には誰一人としていなくなってしまった。
その日を境にテューリンゲンの庭の噂は二度と出回ることはなかった。
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