5 / 8
しょっぱなの次。
昼前も続投。
しおりを挟む
「食わせてる間だけ平和だわね」
不意の声に振り向くが、その頃にはそれが空耳であると悟ってもいた。完全なる思い違いの産物ではなく、記憶の中からの黄泉返り。
誰の声だったのか―――保母さんのせりふではない。えてして保育園の園児たちの食事とは、動物園の動物たちの食事よりも騒々しいものだ。まあ、あの生みの親が真糸の育児をする道理もないから、玄朗佐に雇われたご機嫌ななめなベビーシッターか乳母か、そんなとこだろう。ケイを経た今の自分の立ち位置から見てみれば、その言葉を思い出したのも不思議なことではない。
振り向き直れば、正面には摩訶不思議なことしか残されておらずとも、だ。
二人分の朝食を並べた茶の間のちゃぶ台を挟んで、畳にぶっ倒れているケイを視認する。どうやら自分は、着替えだけした後、用意した朝食を前に、ケイが目覚めるのを待っているらしかった……そもそもこいつは自立型だか自律型だか知らないが、そんな感じで食餌からエネルギーを確保する必要は必ずしもないらしいのだが、「だからってごはん食べない家族なんているもんか」というトンチキな玄朗佐の宣言の元、ケイの三食も用意することになっている。記憶はないが、習性として体がそれを覚えていたのだろう―――夜通し活動していようが相手が昏倒していようが朝がきたら朝ごはん、ごはんは家にいる者全員で、常にあるように玄朗佐は泊りがけの仕事で家におらず。そんな日々の条件反射と同じくらいには覚えていた。
「うーん……ううーん……衝撃……大衝撃波……ちょ、うあ、サ○ヤ人……警備員さん、警備員さーん、地球がかわいそうなんです……」
ケイは自分のうめき声に自分でうなされながら、なんかぴくぴくしていた。まあ、とりあえず触れた部分をあますところなく痛打しただけなのだから、そろそろ目覚めるだろう。ようやっと熱が痛みへ変わってきた己の拳やら肘やら踵やら膝やらを順番に撫でて、真糸は半眼を更に細めた。習性とは凄まじいものだ。殺意に憑依されていてさえなお、死なないレベルで急所を穿つ。
と。ぱか、とケイが目を開けた。ふらふらと、未だに忘我のふちを彷徨っているうわ言を口ずさみながら。
「うう。いとちゃん。サイ○人……あいつら、非常に地球に厳しくって、エコエコしくないんだ……」
「知ってる」
口先だけ答えて、真糸は手元にある炊飯器の蓋を開けた。釜の飯を全体的にかき混ぜ終わる頃には、ケイもなんとか食卓の前に正座している。どことなく、ななめに曲がっているが。
それでも目の前にごはんを盛った茶碗を置くと、ケイはきちんと背筋を伸ばして両手を合わせてみせた。
「いただきまーす」
「はい。おあがりなさい」
その様子を見届けて、真糸はちゃぶ台の下から持ち上げた魔法瓶から、自分の空の茶碗にコーヒーを注いだ。魔法瓶は、ヤンキー座りの立体桃色にゃんこが流し目を送ってくるデザインで(父親の趣味である。念のため)、うねるしっぽが持ち手になっている。よって、半開きのねこの口からだばだばと黒い液体が吐き出されていたのだが、見やるほどシュールな光景ではあった。
よって、ケイが不意にそれに注目したついでに、真糸にまで注目したのは仕方がないことだったかもしれない。一向に食卓に箸をつける気配がない真糸に、抱えていた味噌汁を手放して、ケイが小首を傾げる。
「ごはんは?」
「ちゃんとあんたのお茶碗によそってあげたでしょ」
真糸が怪訝な思いでつっけんどんに返すと、これまた怪訝そうにケイが唇を尖らせた。
「そうじゃなくて、いとちゃんのごはんは?」
「食欲ないの」
「じゃあ俺も食欲ない」
「はぁ?」
「俺もそっち。ちょうだい」
箸を捨てて真糸のコーヒー茶碗へと伸びてきたケイの五指を、真糸はべしっとひっぱたいた。さっきの“躾”が頭をよぎったのか目をむいたケイを、さっき以上に突っぱねるべく、口火を切る。
「あんたね。メカとはいえ、見た目も言動もこぞりこぞって人間なんだから、ちゃんと食べなさい。青少年が不健康な食生活なんて、あたしの良心の肩身が狭いでしょ。ほら、お御飯・お味噌汁・卵焼き・のり・チョコっぽいアレなそれ」
「チョコ?」
「間違えた。佃煮」
「チョコレートに間違われる佃煮そのものの抜本的な間違いについて問いたいんだけど」
「いいけど代価は生首ね」
「ボッタクリにも程がある!」
「いーから食べなさい」
「なんで、いとちゃんは食べなくていいの?」
「おねえちゃんだからいいの。あんた、おねえちゃんだっけ?」
「ううん。おにいちゃん。あと、いもうと」
「じゃあ駄目。ほら食べる」
「おぉーれぇーもぉーそーれーがーいーいー!!」
「ぶわーーーー! うざーーーーー!」
わかりやすくひっくり返ってゴロゴロし出したケイを前に、頭を抱えて―――片手が桃色にゃんこ魔法瓶で塞がれていて実際には片手で額を押さえていただけだが気分的にそんな感じで―――、真糸は歯を食いしばってあごにうめぼし模様を凸凹させた。ついで目の前の状況と、自分の状態を秤にかける。現在時刻は午前十時十二分。自分の胃袋はとうにリーチを過ぎて、食欲など投げ出している。とはいえそれが、今後のこの状況を持続させる原因であるというのなら―――撤回するしか、解決策は残されていない。
「分ぁかったわよ! あたしも食べるから! あんたも食べなさい!」
ぴた。とケイの動きが止まった。
そして真糸から魔法瓶をもぎ取って、新しい茶碗を持ってきてと、いそいそとちゃぶ台をもう一人前の朝食で飾り立てていく。そうなっては逃げ場もなく、真糸はのたのたと居住まいを正した。渋い何かを舌の根に持て余しながら、完璧な配置に配膳された朝餉に向けて手を合わせる。
「……いただきます」
「はい! おあがりなさい!」
えらく溌剌としたケイの合いの手に無視を決め込んで、真糸はもっとも手近にあった茶碗を手に取った。それに、いつものように味噌汁が入っていることに気付いて、思わぬ苦笑がこみ上げる。
(あたしだって、メカみたいなとこ、あるじゃない)
まずは汁物に箸をつけることによって米粒をこびりつきにくくし、後々の洗い物を楽にする。成る程。
それに対して、自覚に値するほど感慨がわいたということもなかったが。ただ彼女と同様に、口元へおわんを傾けてみせたケイを眺めやって、そんなことを思う。
ついで、卵焼きを箸先で三つに切り分ける頃。思いは違和感へと色を変え、咀嚼する頃には確信へと変わっていく。
……もふ、もふ、もふ、もふ……
自分と全く同じテンポで黄色い塊を食むケイを見据えながら、ごはん茶碗へ手を伸ばす。
と。ぴた、と真糸は茶碗の寸前で指先を制した。間髪いれず、動作を同じくしていたケイも動きをとめる。
時が、ぬめりだす。
その秒数は数えていた。ニ。五。八。十を越えた。十を越えたか? 高まっていく緊張が胸郭を地味に焦がし、数えたはずの数字を崩壊させていく。お互いに、にらみ合うでない―――ただちゃぶ台の真ん中で、視線の突端同士が触れていた。
刹那。真糸はそれを拒絶し、眼球を右へ逸らした。つられたケイの視線が揺れる。
その逆方向へと、動く。手足を畳んで側転し、素早く匍匐の姿勢を取る―――と同時に、片足だけを後ろに伸ばしていた。極端なクラウチング・スタートの状態を決めて、廊下へ向けて跳ねる。
と陽動したのもつかの間、実は右足は脱力させていた。当たり前だが真糸は右に転がる。一回転するうちに長い黒髪が、すだれのように視界を流れた。
じゃまっけだったが、かかずらうつもりはなかった。前に走れば退くのだから。迷いなく真糸は、駆け出すつもりで顔を上げた。
のだが、ケイがいた。真ん前に。
「いっ!?」
真糸はぎょっとした拍子に、成すすべなくその場で固まった。拍子に手ひどく床にこすりつけた右手と右膝のきわが、じわじわと熱い―――ケイは、その熱感に真糸が思わず畳から右半身を浮かしたところまで寸分遅れず模倣し、彼女の真正面に陣取っていた。
失敗に終わった逐電に未練を残しながら、言葉と吐息を咽頭に呑み込み残したまま、じっとりと沈黙を見送る。そのまま化石になりそうだとも思えたが、それは独りよがりな錯覚だったようだ。あっさりとケイが言ってくる。
「あのさ。激しい運動は、食後ある程度の時間を置いてからした方がいいよ」
「あたしがそれに異論あるとでも!?」
「例示するなら、運動によって臓器の血流量が減少した状態では胃内容物が不完全な消化状態で小腸へと送られてしまいかねず、これは低アレルゲン化されていない栄養が血中に取り込まれる強要素となり、ひいては運動性アレルギーを誘発―――」
「ああもうそんな知識ばっかあたしのおにいちゃん設定!」
まさかケイが真糸の部活動まで網羅しているとは思えなかったが、それでもそれくらいにはプライベートに踏み込まれた気分になって、真糸は頭をかきむしった。ついで、とっくに箸など失くしていた右手の指先を、びしっとケイに突きつける。瓜二つの体勢はこうして失われたわけだが、ケイは今度はまったく頓着をみせずに、ぺたんとちゃぶ台の横に尻をつけて、こちらの人差し指の爪を見上げてくるだけだった。
なおのことその様子が腹立たしく、目をつり上げて叫ぶ。
「なんで食べる順番を鏡映しに真似してんの!」
「マイブーム」
「脱しなさいンなブーム! 流行の名のもとに外界に洗脳されてコロコロと変えなさい! 『俺って俺色で個性的だよねー』という主観は曲げないくせに、客観的に俯瞰された途端に『俺だけじゃないし』とか言って没個性に逃げ込む謎パターンをフォーエビャーに踏み続けなさい!」
「ヴァーの発音おかしいよ」
「じゃああんたもなんか言ってみなさいよ」
「セント・ビャレンタインディ」
「ひどっ!」
「おそろいビャー」
「やめなさい!」
「ふぅむ―――ま、それで命令してるつもりだってんなら、とりあえず今の俺にできるのは忠告だけだな。確かに十二年前のたった一言のせいで命を棒に振りかけてる男の駄法螺ってのは、教材として珍しやかかもしれんがね、当然ながら耳障りだぜ。聞くかい?」
「キュンヘルさんのせりふ盗んでるんじゃないわよ! あんたにキュルンゲヘルム・コッコマチンコーチンが穴あけパンチを持ち出したあの時の気持ちが分かるっての!?」
「とりあえず、そのフルネームにも裏エピソードにもセンスなさげだよね」
「うーーーーがーーーーー!」
心頭に発する憤激に、真糸は意を決した。
ちゃぶ台へとスライディングして箸を構え、佃煮をぶっ掛けた自分のごはんを一気に征服する。ついで、箸に串刺しにした卵焼きを焼き鳥の要領で口蓋に詰め込み、味噌汁で胃へと流し込んだ。
そもそも大した量もない朝食を平らげるのにさほど時間は要しなかったが、それでもケイがわめき出す方が早かった。愕然とした面持ちで、悲鳴を上げる。
「あー! おそろいー!」
「じゃあ、あんたもちゃきちゃき食べ終わって、ごちそうさましたらいいでしょ! はい、ごちそ―――だぁあ!」
立ち上がりかけた足にタックルされ、なすすべもなくすっ転ぶ。
当たり前だが、飛びついてきたのはケイだった。ねちっこい怒気の灯火を燻らせた瞳で真糸をしっかと睨みつけ、彼女の耳にかみつかんばかりの様子で背中にのしかかってくる。
「戻せ! もとどおり戻せ!」
「ちょ―――指! 指、うえっ! やめなさい! 戻る! 元通りじゃないものが胃から戻ゥおえっぷ!」
真糸はケイの指をせりふごと吐き出して、組み伏せようとしてくる腕を振り払った。畳にうつぶせに引きずり倒され、しかも馬乗りになられては、可能となる動きなどたかがしれているが。それでも後ろに向けて、がむしゃらに左手を張り上げる。ケイはその一撃を、さっと身をそらして避けて―――
そのまま真糸の尻からひっくり返って、ちゃぶ台のふちに、ガンと後頭部を打ち付けた。
ごととん、と跳ねたちゃぶ台だけが、その後に音を立てた全てだった。さすがにぞっとして、ようやっと起こせた身体を、ケイに向けて引っ繰り返す。ばらけた黒髪の隙間、そこにいるケイは放心したように床に伸びたまま動かない。目は開いているが。
「…………」
情け容赦ない静寂が、茶の間を押しつぶす。と―――
ケイの目尻が、ぎゅうと歪んだ。
そのままぼろぼろと泣きながら、突然手足を振り回し始める。
「もぉーどせえええぇぇぇえ!!」
それは、音波が視認できそうな弩級の声量だった。
「もとどおり戻せー! また作れー!! ごはんまた作れーー! あほー! ぎゃー!」
これが本当に妹だったら真糸がちょっと殺気立つぐらいで済んだ話なのだろうが、男(メカ)が本気で繰り出す無差別徒手空拳は、駄々を捏ねるという域を完全に突破していた。
不可視の恐竜が全力で足踏みしているかのような、馬鹿げた倒錯が真糸の恐怖を齧った。共振する襖。ちゃぶ台が震え、その上の小皿たちもまた震え、その上にあるケイの卵焼きがぺたぺた小躍りする。ぱりぱりと、それ自身で割れてしまいそうな音で共鳴しているガラス戸―――その桟と畳の継ぎ目から、振動のせいで埃がせり出してきていた。ぞっと、胸中で呟く。もしかして今こいつが平手で殴りつけたあの畳、指紋のひとすじまで忠実に凹んでたりして?
「ああああぁぁぁぁ……」
悲鳴が喉から抜けていく。こんなときに限って、息は詰まりもしない。
そのうちなんのコツをインプットしたのか、ケイは段々とブレイクダンスじみた動きで背中で回り出した。ぐるぐる。ぐるぐるり。
ぐるぐる回っていたのは―――から回りしていたのは、自分の方だったのかもしれない。それに気付いてしまえば、疑うべくもなかった。
(泣く子には誰ひとり勝てやしないのよ……それこそ地頭がいた鎌倉時代からそうだったじゃない……ああ、早いこと思い出せばよかったわ……)
真糸は、肩を落として悪あがきをやめた。
それは、最後に肩甲骨できゅっとターンを決め、跳ね立ってみせたケイと真逆で、まさしく勝者と敗者のように見えた。
不意の声に振り向くが、その頃にはそれが空耳であると悟ってもいた。完全なる思い違いの産物ではなく、記憶の中からの黄泉返り。
誰の声だったのか―――保母さんのせりふではない。えてして保育園の園児たちの食事とは、動物園の動物たちの食事よりも騒々しいものだ。まあ、あの生みの親が真糸の育児をする道理もないから、玄朗佐に雇われたご機嫌ななめなベビーシッターか乳母か、そんなとこだろう。ケイを経た今の自分の立ち位置から見てみれば、その言葉を思い出したのも不思議なことではない。
振り向き直れば、正面には摩訶不思議なことしか残されておらずとも、だ。
二人分の朝食を並べた茶の間のちゃぶ台を挟んで、畳にぶっ倒れているケイを視認する。どうやら自分は、着替えだけした後、用意した朝食を前に、ケイが目覚めるのを待っているらしかった……そもそもこいつは自立型だか自律型だか知らないが、そんな感じで食餌からエネルギーを確保する必要は必ずしもないらしいのだが、「だからってごはん食べない家族なんているもんか」というトンチキな玄朗佐の宣言の元、ケイの三食も用意することになっている。記憶はないが、習性として体がそれを覚えていたのだろう―――夜通し活動していようが相手が昏倒していようが朝がきたら朝ごはん、ごはんは家にいる者全員で、常にあるように玄朗佐は泊りがけの仕事で家におらず。そんな日々の条件反射と同じくらいには覚えていた。
「うーん……ううーん……衝撃……大衝撃波……ちょ、うあ、サ○ヤ人……警備員さん、警備員さーん、地球がかわいそうなんです……」
ケイは自分のうめき声に自分でうなされながら、なんかぴくぴくしていた。まあ、とりあえず触れた部分をあますところなく痛打しただけなのだから、そろそろ目覚めるだろう。ようやっと熱が痛みへ変わってきた己の拳やら肘やら踵やら膝やらを順番に撫でて、真糸は半眼を更に細めた。習性とは凄まじいものだ。殺意に憑依されていてさえなお、死なないレベルで急所を穿つ。
と。ぱか、とケイが目を開けた。ふらふらと、未だに忘我のふちを彷徨っているうわ言を口ずさみながら。
「うう。いとちゃん。サイ○人……あいつら、非常に地球に厳しくって、エコエコしくないんだ……」
「知ってる」
口先だけ答えて、真糸は手元にある炊飯器の蓋を開けた。釜の飯を全体的にかき混ぜ終わる頃には、ケイもなんとか食卓の前に正座している。どことなく、ななめに曲がっているが。
それでも目の前にごはんを盛った茶碗を置くと、ケイはきちんと背筋を伸ばして両手を合わせてみせた。
「いただきまーす」
「はい。おあがりなさい」
その様子を見届けて、真糸はちゃぶ台の下から持ち上げた魔法瓶から、自分の空の茶碗にコーヒーを注いだ。魔法瓶は、ヤンキー座りの立体桃色にゃんこが流し目を送ってくるデザインで(父親の趣味である。念のため)、うねるしっぽが持ち手になっている。よって、半開きのねこの口からだばだばと黒い液体が吐き出されていたのだが、見やるほどシュールな光景ではあった。
よって、ケイが不意にそれに注目したついでに、真糸にまで注目したのは仕方がないことだったかもしれない。一向に食卓に箸をつける気配がない真糸に、抱えていた味噌汁を手放して、ケイが小首を傾げる。
「ごはんは?」
「ちゃんとあんたのお茶碗によそってあげたでしょ」
真糸が怪訝な思いでつっけんどんに返すと、これまた怪訝そうにケイが唇を尖らせた。
「そうじゃなくて、いとちゃんのごはんは?」
「食欲ないの」
「じゃあ俺も食欲ない」
「はぁ?」
「俺もそっち。ちょうだい」
箸を捨てて真糸のコーヒー茶碗へと伸びてきたケイの五指を、真糸はべしっとひっぱたいた。さっきの“躾”が頭をよぎったのか目をむいたケイを、さっき以上に突っぱねるべく、口火を切る。
「あんたね。メカとはいえ、見た目も言動もこぞりこぞって人間なんだから、ちゃんと食べなさい。青少年が不健康な食生活なんて、あたしの良心の肩身が狭いでしょ。ほら、お御飯・お味噌汁・卵焼き・のり・チョコっぽいアレなそれ」
「チョコ?」
「間違えた。佃煮」
「チョコレートに間違われる佃煮そのものの抜本的な間違いについて問いたいんだけど」
「いいけど代価は生首ね」
「ボッタクリにも程がある!」
「いーから食べなさい」
「なんで、いとちゃんは食べなくていいの?」
「おねえちゃんだからいいの。あんた、おねえちゃんだっけ?」
「ううん。おにいちゃん。あと、いもうと」
「じゃあ駄目。ほら食べる」
「おぉーれぇーもぉーそーれーがーいーいー!!」
「ぶわーーーー! うざーーーーー!」
わかりやすくひっくり返ってゴロゴロし出したケイを前に、頭を抱えて―――片手が桃色にゃんこ魔法瓶で塞がれていて実際には片手で額を押さえていただけだが気分的にそんな感じで―――、真糸は歯を食いしばってあごにうめぼし模様を凸凹させた。ついで目の前の状況と、自分の状態を秤にかける。現在時刻は午前十時十二分。自分の胃袋はとうにリーチを過ぎて、食欲など投げ出している。とはいえそれが、今後のこの状況を持続させる原因であるというのなら―――撤回するしか、解決策は残されていない。
「分ぁかったわよ! あたしも食べるから! あんたも食べなさい!」
ぴた。とケイの動きが止まった。
そして真糸から魔法瓶をもぎ取って、新しい茶碗を持ってきてと、いそいそとちゃぶ台をもう一人前の朝食で飾り立てていく。そうなっては逃げ場もなく、真糸はのたのたと居住まいを正した。渋い何かを舌の根に持て余しながら、完璧な配置に配膳された朝餉に向けて手を合わせる。
「……いただきます」
「はい! おあがりなさい!」
えらく溌剌としたケイの合いの手に無視を決め込んで、真糸はもっとも手近にあった茶碗を手に取った。それに、いつものように味噌汁が入っていることに気付いて、思わぬ苦笑がこみ上げる。
(あたしだって、メカみたいなとこ、あるじゃない)
まずは汁物に箸をつけることによって米粒をこびりつきにくくし、後々の洗い物を楽にする。成る程。
それに対して、自覚に値するほど感慨がわいたということもなかったが。ただ彼女と同様に、口元へおわんを傾けてみせたケイを眺めやって、そんなことを思う。
ついで、卵焼きを箸先で三つに切り分ける頃。思いは違和感へと色を変え、咀嚼する頃には確信へと変わっていく。
……もふ、もふ、もふ、もふ……
自分と全く同じテンポで黄色い塊を食むケイを見据えながら、ごはん茶碗へ手を伸ばす。
と。ぴた、と真糸は茶碗の寸前で指先を制した。間髪いれず、動作を同じくしていたケイも動きをとめる。
時が、ぬめりだす。
その秒数は数えていた。ニ。五。八。十を越えた。十を越えたか? 高まっていく緊張が胸郭を地味に焦がし、数えたはずの数字を崩壊させていく。お互いに、にらみ合うでない―――ただちゃぶ台の真ん中で、視線の突端同士が触れていた。
刹那。真糸はそれを拒絶し、眼球を右へ逸らした。つられたケイの視線が揺れる。
その逆方向へと、動く。手足を畳んで側転し、素早く匍匐の姿勢を取る―――と同時に、片足だけを後ろに伸ばしていた。極端なクラウチング・スタートの状態を決めて、廊下へ向けて跳ねる。
と陽動したのもつかの間、実は右足は脱力させていた。当たり前だが真糸は右に転がる。一回転するうちに長い黒髪が、すだれのように視界を流れた。
じゃまっけだったが、かかずらうつもりはなかった。前に走れば退くのだから。迷いなく真糸は、駆け出すつもりで顔を上げた。
のだが、ケイがいた。真ん前に。
「いっ!?」
真糸はぎょっとした拍子に、成すすべなくその場で固まった。拍子に手ひどく床にこすりつけた右手と右膝のきわが、じわじわと熱い―――ケイは、その熱感に真糸が思わず畳から右半身を浮かしたところまで寸分遅れず模倣し、彼女の真正面に陣取っていた。
失敗に終わった逐電に未練を残しながら、言葉と吐息を咽頭に呑み込み残したまま、じっとりと沈黙を見送る。そのまま化石になりそうだとも思えたが、それは独りよがりな錯覚だったようだ。あっさりとケイが言ってくる。
「あのさ。激しい運動は、食後ある程度の時間を置いてからした方がいいよ」
「あたしがそれに異論あるとでも!?」
「例示するなら、運動によって臓器の血流量が減少した状態では胃内容物が不完全な消化状態で小腸へと送られてしまいかねず、これは低アレルゲン化されていない栄養が血中に取り込まれる強要素となり、ひいては運動性アレルギーを誘発―――」
「ああもうそんな知識ばっかあたしのおにいちゃん設定!」
まさかケイが真糸の部活動まで網羅しているとは思えなかったが、それでもそれくらいにはプライベートに踏み込まれた気分になって、真糸は頭をかきむしった。ついで、とっくに箸など失くしていた右手の指先を、びしっとケイに突きつける。瓜二つの体勢はこうして失われたわけだが、ケイは今度はまったく頓着をみせずに、ぺたんとちゃぶ台の横に尻をつけて、こちらの人差し指の爪を見上げてくるだけだった。
なおのことその様子が腹立たしく、目をつり上げて叫ぶ。
「なんで食べる順番を鏡映しに真似してんの!」
「マイブーム」
「脱しなさいンなブーム! 流行の名のもとに外界に洗脳されてコロコロと変えなさい! 『俺って俺色で個性的だよねー』という主観は曲げないくせに、客観的に俯瞰された途端に『俺だけじゃないし』とか言って没個性に逃げ込む謎パターンをフォーエビャーに踏み続けなさい!」
「ヴァーの発音おかしいよ」
「じゃああんたもなんか言ってみなさいよ」
「セント・ビャレンタインディ」
「ひどっ!」
「おそろいビャー」
「やめなさい!」
「ふぅむ―――ま、それで命令してるつもりだってんなら、とりあえず今の俺にできるのは忠告だけだな。確かに十二年前のたった一言のせいで命を棒に振りかけてる男の駄法螺ってのは、教材として珍しやかかもしれんがね、当然ながら耳障りだぜ。聞くかい?」
「キュンヘルさんのせりふ盗んでるんじゃないわよ! あんたにキュルンゲヘルム・コッコマチンコーチンが穴あけパンチを持ち出したあの時の気持ちが分かるっての!?」
「とりあえず、そのフルネームにも裏エピソードにもセンスなさげだよね」
「うーーーーがーーーーー!」
心頭に発する憤激に、真糸は意を決した。
ちゃぶ台へとスライディングして箸を構え、佃煮をぶっ掛けた自分のごはんを一気に征服する。ついで、箸に串刺しにした卵焼きを焼き鳥の要領で口蓋に詰め込み、味噌汁で胃へと流し込んだ。
そもそも大した量もない朝食を平らげるのにさほど時間は要しなかったが、それでもケイがわめき出す方が早かった。愕然とした面持ちで、悲鳴を上げる。
「あー! おそろいー!」
「じゃあ、あんたもちゃきちゃき食べ終わって、ごちそうさましたらいいでしょ! はい、ごちそ―――だぁあ!」
立ち上がりかけた足にタックルされ、なすすべもなくすっ転ぶ。
当たり前だが、飛びついてきたのはケイだった。ねちっこい怒気の灯火を燻らせた瞳で真糸をしっかと睨みつけ、彼女の耳にかみつかんばかりの様子で背中にのしかかってくる。
「戻せ! もとどおり戻せ!」
「ちょ―――指! 指、うえっ! やめなさい! 戻る! 元通りじゃないものが胃から戻ゥおえっぷ!」
真糸はケイの指をせりふごと吐き出して、組み伏せようとしてくる腕を振り払った。畳にうつぶせに引きずり倒され、しかも馬乗りになられては、可能となる動きなどたかがしれているが。それでも後ろに向けて、がむしゃらに左手を張り上げる。ケイはその一撃を、さっと身をそらして避けて―――
そのまま真糸の尻からひっくり返って、ちゃぶ台のふちに、ガンと後頭部を打ち付けた。
ごととん、と跳ねたちゃぶ台だけが、その後に音を立てた全てだった。さすがにぞっとして、ようやっと起こせた身体を、ケイに向けて引っ繰り返す。ばらけた黒髪の隙間、そこにいるケイは放心したように床に伸びたまま動かない。目は開いているが。
「…………」
情け容赦ない静寂が、茶の間を押しつぶす。と―――
ケイの目尻が、ぎゅうと歪んだ。
そのままぼろぼろと泣きながら、突然手足を振り回し始める。
「もぉーどせえええぇぇぇえ!!」
それは、音波が視認できそうな弩級の声量だった。
「もとどおり戻せー! また作れー!! ごはんまた作れーー! あほー! ぎゃー!」
これが本当に妹だったら真糸がちょっと殺気立つぐらいで済んだ話なのだろうが、男(メカ)が本気で繰り出す無差別徒手空拳は、駄々を捏ねるという域を完全に突破していた。
不可視の恐竜が全力で足踏みしているかのような、馬鹿げた倒錯が真糸の恐怖を齧った。共振する襖。ちゃぶ台が震え、その上の小皿たちもまた震え、その上にあるケイの卵焼きがぺたぺた小躍りする。ぱりぱりと、それ自身で割れてしまいそうな音で共鳴しているガラス戸―――その桟と畳の継ぎ目から、振動のせいで埃がせり出してきていた。ぞっと、胸中で呟く。もしかして今こいつが平手で殴りつけたあの畳、指紋のひとすじまで忠実に凹んでたりして?
「ああああぁぁぁぁ……」
悲鳴が喉から抜けていく。こんなときに限って、息は詰まりもしない。
そのうちなんのコツをインプットしたのか、ケイは段々とブレイクダンスじみた動きで背中で回り出した。ぐるぐる。ぐるぐるり。
ぐるぐる回っていたのは―――から回りしていたのは、自分の方だったのかもしれない。それに気付いてしまえば、疑うべくもなかった。
(泣く子には誰ひとり勝てやしないのよ……それこそ地頭がいた鎌倉時代からそうだったじゃない……ああ、早いこと思い出せばよかったわ……)
真糸は、肩を落として悪あがきをやめた。
それは、最後に肩甲骨できゅっとターンを決め、跳ね立ってみせたケイと真逆で、まさしく勝者と敗者のように見えた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
魔王復活!
大好き丸
ファンタジー
世界を恐怖に陥れた最悪の魔王ヴァルタゼア。
勇者一行は魔王城ヘルキャッスルの罠を掻い潜り、
遂に魔王との戦いの火蓋が切って落とされた。
長き戦いの末、辛くも勝利した勇者一行に魔王は言い放つ。
「この体が滅びようと我が魂は不滅!」
魔王は復活を誓い、人類に恐怖を与え消滅したのだった。
それから時は流れ―。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
異世界勇者~それぞれの物語~
野うさぎ
ファンタジー
この作品は、異世界勇者~左目に隠された不思議な力は~の番外編です。
※この小説はカクヨム、なろう、エブリスタ、野いちご、ベリーズカフェ、魔法のアイランドでも投稿しています。
ライブドアブログや、はてなブログにも掲載しています。
転生したら、犬だったらよかったのに……9割は人間でした。
真白 悟
ファンタジー
なんかよくわからないけど、神さまの不手際で転生する世界を間違えられてしまった僕は、好きなものに生まれ変われることになった。
そのついでに、さまざまなチート能力を提示されるが、どれもチートすぎて、人生が面白く無くなりそうだ。そもそも、人間であることには先の人生で飽きている。
だから、僕は神さまに願った。犬になりたいと。犬になって、犬達と楽しい暮らしをしたい。
チート能力を無理やり授けられ、犬(獣人)になった僕は、世界の運命に、飲み込まれていく。
犬も人間もいない世界で、僕はどうすればいいのだろう……まあ、なんとかなるか……犬がいないのは残念極まりないけど
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
学園長からのお話です
ラララキヲ
ファンタジー
学園長の声が学園に響く。
『昨日、平民の女生徒の食べていたお菓子を高位貴族の令息5人が取り囲んで奪うという事がありました』
昨日ピンク髪の女生徒からクッキーを貰った自覚のある王太子とその側近4人は項垂れながらその声を聴いていた。
学園長の話はまだまだ続く……
◇テンプレ乙女ゲームになりそうな登場人物(しかし出てこない)
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
峰打ち攻撃兵の英雄伝
マサ
ファンタジー
峰打ちとは…相手を殺さずにギリギリの体力を残す攻撃
そしてもし、この峰打ちの能力をあなたが持ったらどう使いますか?
アクションゲームが大好きな18歳の青年ウチダ・ミネトはゲーム内でいつも特殊なことをして負けていた
そんなミネトはひょんな事から自らが戦うことに…
そしてミネトの秘められた能力が明らかに!
様々な特徴を持った仲間たちと共に敵に挑んでいく!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる