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しょっぱな。
言うなれば。
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2.言うなれば松蔭玄朗佐ゆえの のべつまくなし
「糸ちゃんの欲しいものとパパのプレゼントが合致するという確証があったからだ」
「確証?」
確信だったならば、無視することもできた―――妄想であれ蒙昧であれ、頑なに信じれば、何であれ確信には違いない。『確』かだと『信』じている。あるいは、対象が『確』実だと盲『信』すること。どっちであれ、略せば確信だ(まあ正確な言葉の成り立ちなんかから言えば見当違いもはなはだしいのだろうが、そんなものは試験前にひく辞典にでも書いてあればいい話である。どうせ試験も辞典も、言ってしまえば、当座の人間の勘違いを矯正する役割なんだろうし)。
しかし確証となると、話は違ってくる。訝る真糸に、父は鷹揚にうんうんとうなずいてみせた。そして種明かしでもするように、両手を広げて言ってくる。
種のありかは、突拍子もなかったが。
「そうだ。なにせ、前に糸ちゃん当人から取った証言だからな。誕生日プレゼントなにがいいか」
「ええ? ……ええと」
聞いた時点で、根拠ない予感はした。
それでも考えてみて、真糸が出した結論は、やはり予感どおりのものだった。ぽつりと、口に出す。
「……記憶にない」
「―――やはりツインテールにしていたせいで記憶が分かたれ、やがてホワイト糸ちゃんとブラック糸ちゃんが世界征服を侵攻する立場と阻止する立場に……!」
「なんなのその生煮えなファンタジー設定。っていうかツインテールって、そんな頭されてたの四歳くらいまでなんだけど」
「そうだね。ごほうびにヤクルトをあげると言っただけで狂喜乱舞しながら電球を取り替えてくれた、そんなノスタルジックなあの頃……」
「しながら!?」
四歳児が電球を交換するというシチュエーションを問いただすことも忘れ、とりあえず叫ぶ。が、相変わらずのオーバーアクションで、玄朗佐は胸を張って反転してみせた。こちらに背を向けて熱っぽく声を上げ始める様子は舞台上から聴衆に語る役者のようであったが、この場で唯一聴衆になる可能性がある(と認めるしかない)真糸すら振り切りまくる勢いで、高らかに告げ続ける。
「あの時パパは聞いた! 『誕生日プレゼントなにがいい?』と! すると、糸ちゃんはこう言ったんだ! ちょっとはにかみつつ、聞きたいって言ってるパパに言ってあげたいんだけどその秘密を抱っこしてる感じがちょっぴり優越感♪ なもじもじ笑顔でツインテールのかたっぽに右手の指先をくるくるしながら左手はエプロンスカートのはしっこをオーバーニーと一緒くたにきゅっと膝上で押さえこんべふぉ!?」
回りこんだ真糸によって顔面に右ストレートを食らい、玄朗佐は体格に不釣合いな綺麗さで中空に三回転ひねりを描いて、頭から落下していった。なんだか、あまりの綺麗さにキラキラと光が舞う幻想がちらついた気もしたが、現実的にいえば玄朗佐のどっかから出た汁だろう。
「ぐふぅ……ドメスティックバイエルン……」
「バイオレンスね」
無駄にファンタジー路線を引きずっているらしい玄朗佐に冷たく告げて、真糸は拳をひいた。相手はのろのろと畳から起き上がると、どこか挑戦的な―――ただし敗退的な雰囲気の漂う―――顔つきで、口元をこすってみせる。血など出ていないが、血が透明だとしたら出ていてもおかしくない。見えないだけで。そんな気分になる。まあ言ってみれば、そういったありきたりなポーズだと言うことだが。
「へっ……なかなかのパンチだったぜ。気づいてないのか? 気づかないままでいたいってんなら、俺が今からとどめをさしてやるよ。てめえの手は、広げてるときよりも、拳になってるときの方がはるかにでかいのさ……握り締めた指でしか掴めない夢を知ってるかい?」
「そーねー。威力の次に極めるべきは神速かしらねー」
「ああっ!? さりげにパパのパクリでありやなしやっ!?」
「で」
その一言とともに突き出した彼女の前足は、雰囲気を瓦解させて取り乱している玄朗佐の背をあっけなく踏み倒した。肉の厚い胴体はどれだけ床へ向けて踏み込んでも痛痒を感じないようだったが、それでも素直に玄朗佐が黙り込む。ぷぎゅ、と息を吹いて。
「そろそろ答えて。何が欲しいっていったの? 四歳のあたしは」
「おにいちゃん」
すべての前フリを無視するにもほどがある執着のなさで、玄朗佐が白状した。
「おに……?」
戸惑い、口にしかけた内容に、更に戸惑いが深まる気配を感じる。よって純粋な自衛反射として真糸は黙り込んだわけだが、その代わりにしても余りある勢いで玄朗佐が口上を再開したので、とりあえず話は進んだ。彼は、愛娘の足の裏から強いられる拘束から、じたばたと抜け出しつつ、
「正直、パパは困った。妹や弟ならばまだしも、お兄ちゃんじゃ、糸ちゃんが生まれる前に、家族計画とか人生設計とかママとかをねりねりしなきゃならない」
「ねり直すって言いなさい。せりふが猥褻物に準じかけてるわよ」
「まあパパの頭脳なら、タイムワープでもタイムリープでもタイムマープでも―――」
「マープ?」
「そーいったアレっぽいそれとかもオールオーケイなメカを作るなぞ、お茶の子さいさいだ。でも、きっと糸ちゃんは最初に生まれたからお兄ちゃんが欲しいと言い出したわけで、お兄ちゃんがいる状況で糸ちゃんに同じことを聞いたところで、次には『お姉ちゃん』とか言い出しかねない。そーなると、いわゆるイタチゴッコだね。ところでイタチゴッコって言う格言の意味なんだけど、百聞は一見にしかずなわけで、おっとビックリ偶然ここにパパとペアルックな―――」
「意味知ってる」
「……そ」
どこかしょんぼりしながら、取り出しかけた二体のイタチの着ぐるみを箪笥にしまい直し、それでも玄朗佐はめげなかったらしい。殊更に燃えあがる瞳をこちらに向けてくる。
「そこでひらめいたのだ! パパは!」
「ほう」
「続きはパパと呼んでくれたら教えてしんぜ―――」
「まあそんなにあの世から自分の遺言が結実するのを見たいって言うなら、あたしも無理に止めはしないけど」
「人生の先達としては清く正しく美しく弁才を振るう様を見せるのもよかろうと、パパはすぐさま本題に入ろうとしていたところなんだよ。うん。ほんと」
再度突きつけられたはしの先端が、冗談抜きで延長上の深部頚動脈に向かいかけたことを察したらしい。青い顔で、どこか仕草をカクカクさせつつ、玄朗佐が目を泳がせる。
「で、ひらめいた! 糸ちゃんを長子のままにしつつ、いつの日かお兄ちゃんを―――と!」
「既にいかんともしがたい齟齬が発生してるわよ」
ぐっと手を固める玄朗佐が、こちらの言葉に耳を貸さないことは知っていた―――としても。はしを下げ、それでも告げる真糸へと、父は明後日の方向を向いていた顔を振り返らせてきた。全く揺らがない丸い目を、片方だけ閉じてみせる。
「そんなことはない。だって齟齬というのは、極論を言えば、言ってる内容を現実にしようとすると不可能が起こる絵空事のことを指すのだからね。だからそんなのがあるとしたら、こーんな十年越しの研究に励んだところで、現実に出来るはずがない」
「……え?」
真糸は、疑問の声を上げた。常にあるような、疑問を示すことによって父の奇行や観念に客観を差し挟もうとする常識人の力なき抵抗ではなく。純粋に。
玄朗佐の確信は、真面目に取り扱って益があるものではない。それは分かっていた。ただし今、彼の顔にあるのは、確信の念ではなかった。それを悟るしかない……ゆえに、疑問だった。見間違いかと思いはしたものの、ついさっきそれを見たばかりとなると、勘違いしようがない。つまり、彼の頬を笑みの形に押し上げているのは―――確証。
「というわけで、カモーン! ぽちっとな」
刹那。理解したのは脳でなく、身体が先だった。
つまりは、事態を理解したのでなく、状況が五感を圧倒したということだが。
言うなればそこに知性の介在する余地はなく、防衛本能しか役に立たない。そんな出来事とも言えた。
要するに真糸は、なんの脈絡もなくひたすらな威力で爆発したちゃぶ台近辺からの衝撃波に巻き込まれ、ただもみくちゃとしか形容しようがない状態で、問答無用に吹き飛ばされていた。
悲鳴も出ない。とにかく肉体が勝手に呼吸を止めて全力で張り詰め、外界から叩き込まれるあらゆる脅威に抗っていることは自覚していた。目を閉じていた。だというのに、光が見えていた。そんなことがあるとするならば、この輝きは、火炎が発したものではあるまい―――ひとすじの躊躇なく目蓋をまっすぐに刺し貫く、そんな悪意の実現が、人為的に加工されていないただの自然現象にできるはずがないではないか……
そして光が過ぎ去ってしまえば、あとには眼窩を目玉ごと覆う頼りない薄皮のもたらす薄暗がりだけが残る。つまりは、目蓋越しに網膜をあっためてくる、そんな何の変哲もない昼下がりの陽光が。
その明るさに悪意がないことを数秒かけて値踏みし、真糸は目を開けた。当たり前だが、部屋は散々たる有り様になっていた。全体的に、薄黒い。真っ二つに折れた食器棚が、他にどうしようもなく中身すべてをぶちまけている。その腹の内容物だった食器の類は大半が細かく破砕し、踏んづけるミスに気をつけさえすれば無害に扱えそうではあったが、溶けたガラスコップをかぶった柱がぶすぶすとこげた煙をあげかけているのを見ては、その認識を翻さざるを得なかった。ひっくり返った箪笥。それに巻き込まれた襖は、不本意そうに、もげて転がった自分のもう半分を見詰めている。畳はテレビを巻き込んで、ちゃぶ台のあった部屋の真ん中を中心にめくれて、反り返るようにひしゃげていた。その様子は、それだけ見れば、蕾が花開いたかのようにも見えた。
(それだけを見れば?)
やけくそで笑って、真糸は無言で毒ついた。冗談じゃない。自分は畳の有り様だけを見て、蕾を連想したのではない。
目の前の風景と重なったのは、保育園の出し物の記憶だった。劇。親指姫。
中に役の子が入った、巨大なダンボールの花。
あれは先生の力作だった。教職員三名による計八時間のサービス残業は伊達でない。子どもなりにその出来栄えに驚嘆し、それ以上に感嘆した。手をたたき、幼稚な教養で培われた未熟な言葉をあますところなく費やして賞賛した。感動の衝動はあと七分はもつだろうと思われたが、当のダンボールの花の方がものの四分で全壊した。主役の座の魅力を強化する展開により勃発した、強行的な簒奪を目する脇役と現状の力ずくの(過剰)防衛を試みた主役とによる攻防戦の余波に、紙はあまりに無力すぎた……
同じように、畳ではあまりに無力すぎたということか。
親指姫。花開く時に蕾から生まれるという、ミニマムな人間。
ただし彼はミニマムでもなく、そしてその周りをずらりと囲んでいるのさえ花びらでもなく、当然ながら“彼”という以上は姫であるはずもなく―――
あたりかまわず松蔭家の家財(ならび家人)をなぎ倒した爆心地に、その青年は、ただぽつんと立っていたのだった。
「糸ちゃんの欲しいものとパパのプレゼントが合致するという確証があったからだ」
「確証?」
確信だったならば、無視することもできた―――妄想であれ蒙昧であれ、頑なに信じれば、何であれ確信には違いない。『確』かだと『信』じている。あるいは、対象が『確』実だと盲『信』すること。どっちであれ、略せば確信だ(まあ正確な言葉の成り立ちなんかから言えば見当違いもはなはだしいのだろうが、そんなものは試験前にひく辞典にでも書いてあればいい話である。どうせ試験も辞典も、言ってしまえば、当座の人間の勘違いを矯正する役割なんだろうし)。
しかし確証となると、話は違ってくる。訝る真糸に、父は鷹揚にうんうんとうなずいてみせた。そして種明かしでもするように、両手を広げて言ってくる。
種のありかは、突拍子もなかったが。
「そうだ。なにせ、前に糸ちゃん当人から取った証言だからな。誕生日プレゼントなにがいいか」
「ええ? ……ええと」
聞いた時点で、根拠ない予感はした。
それでも考えてみて、真糸が出した結論は、やはり予感どおりのものだった。ぽつりと、口に出す。
「……記憶にない」
「―――やはりツインテールにしていたせいで記憶が分かたれ、やがてホワイト糸ちゃんとブラック糸ちゃんが世界征服を侵攻する立場と阻止する立場に……!」
「なんなのその生煮えなファンタジー設定。っていうかツインテールって、そんな頭されてたの四歳くらいまでなんだけど」
「そうだね。ごほうびにヤクルトをあげると言っただけで狂喜乱舞しながら電球を取り替えてくれた、そんなノスタルジックなあの頃……」
「しながら!?」
四歳児が電球を交換するというシチュエーションを問いただすことも忘れ、とりあえず叫ぶ。が、相変わらずのオーバーアクションで、玄朗佐は胸を張って反転してみせた。こちらに背を向けて熱っぽく声を上げ始める様子は舞台上から聴衆に語る役者のようであったが、この場で唯一聴衆になる可能性がある(と認めるしかない)真糸すら振り切りまくる勢いで、高らかに告げ続ける。
「あの時パパは聞いた! 『誕生日プレゼントなにがいい?』と! すると、糸ちゃんはこう言ったんだ! ちょっとはにかみつつ、聞きたいって言ってるパパに言ってあげたいんだけどその秘密を抱っこしてる感じがちょっぴり優越感♪ なもじもじ笑顔でツインテールのかたっぽに右手の指先をくるくるしながら左手はエプロンスカートのはしっこをオーバーニーと一緒くたにきゅっと膝上で押さえこんべふぉ!?」
回りこんだ真糸によって顔面に右ストレートを食らい、玄朗佐は体格に不釣合いな綺麗さで中空に三回転ひねりを描いて、頭から落下していった。なんだか、あまりの綺麗さにキラキラと光が舞う幻想がちらついた気もしたが、現実的にいえば玄朗佐のどっかから出た汁だろう。
「ぐふぅ……ドメスティックバイエルン……」
「バイオレンスね」
無駄にファンタジー路線を引きずっているらしい玄朗佐に冷たく告げて、真糸は拳をひいた。相手はのろのろと畳から起き上がると、どこか挑戦的な―――ただし敗退的な雰囲気の漂う―――顔つきで、口元をこすってみせる。血など出ていないが、血が透明だとしたら出ていてもおかしくない。見えないだけで。そんな気分になる。まあ言ってみれば、そういったありきたりなポーズだと言うことだが。
「へっ……なかなかのパンチだったぜ。気づいてないのか? 気づかないままでいたいってんなら、俺が今からとどめをさしてやるよ。てめえの手は、広げてるときよりも、拳になってるときの方がはるかにでかいのさ……握り締めた指でしか掴めない夢を知ってるかい?」
「そーねー。威力の次に極めるべきは神速かしらねー」
「ああっ!? さりげにパパのパクリでありやなしやっ!?」
「で」
その一言とともに突き出した彼女の前足は、雰囲気を瓦解させて取り乱している玄朗佐の背をあっけなく踏み倒した。肉の厚い胴体はどれだけ床へ向けて踏み込んでも痛痒を感じないようだったが、それでも素直に玄朗佐が黙り込む。ぷぎゅ、と息を吹いて。
「そろそろ答えて。何が欲しいっていったの? 四歳のあたしは」
「おにいちゃん」
すべての前フリを無視するにもほどがある執着のなさで、玄朗佐が白状した。
「おに……?」
戸惑い、口にしかけた内容に、更に戸惑いが深まる気配を感じる。よって純粋な自衛反射として真糸は黙り込んだわけだが、その代わりにしても余りある勢いで玄朗佐が口上を再開したので、とりあえず話は進んだ。彼は、愛娘の足の裏から強いられる拘束から、じたばたと抜け出しつつ、
「正直、パパは困った。妹や弟ならばまだしも、お兄ちゃんじゃ、糸ちゃんが生まれる前に、家族計画とか人生設計とかママとかをねりねりしなきゃならない」
「ねり直すって言いなさい。せりふが猥褻物に準じかけてるわよ」
「まあパパの頭脳なら、タイムワープでもタイムリープでもタイムマープでも―――」
「マープ?」
「そーいったアレっぽいそれとかもオールオーケイなメカを作るなぞ、お茶の子さいさいだ。でも、きっと糸ちゃんは最初に生まれたからお兄ちゃんが欲しいと言い出したわけで、お兄ちゃんがいる状況で糸ちゃんに同じことを聞いたところで、次には『お姉ちゃん』とか言い出しかねない。そーなると、いわゆるイタチゴッコだね。ところでイタチゴッコって言う格言の意味なんだけど、百聞は一見にしかずなわけで、おっとビックリ偶然ここにパパとペアルックな―――」
「意味知ってる」
「……そ」
どこかしょんぼりしながら、取り出しかけた二体のイタチの着ぐるみを箪笥にしまい直し、それでも玄朗佐はめげなかったらしい。殊更に燃えあがる瞳をこちらに向けてくる。
「そこでひらめいたのだ! パパは!」
「ほう」
「続きはパパと呼んでくれたら教えてしんぜ―――」
「まあそんなにあの世から自分の遺言が結実するのを見たいって言うなら、あたしも無理に止めはしないけど」
「人生の先達としては清く正しく美しく弁才を振るう様を見せるのもよかろうと、パパはすぐさま本題に入ろうとしていたところなんだよ。うん。ほんと」
再度突きつけられたはしの先端が、冗談抜きで延長上の深部頚動脈に向かいかけたことを察したらしい。青い顔で、どこか仕草をカクカクさせつつ、玄朗佐が目を泳がせる。
「で、ひらめいた! 糸ちゃんを長子のままにしつつ、いつの日かお兄ちゃんを―――と!」
「既にいかんともしがたい齟齬が発生してるわよ」
ぐっと手を固める玄朗佐が、こちらの言葉に耳を貸さないことは知っていた―――としても。はしを下げ、それでも告げる真糸へと、父は明後日の方向を向いていた顔を振り返らせてきた。全く揺らがない丸い目を、片方だけ閉じてみせる。
「そんなことはない。だって齟齬というのは、極論を言えば、言ってる内容を現実にしようとすると不可能が起こる絵空事のことを指すのだからね。だからそんなのがあるとしたら、こーんな十年越しの研究に励んだところで、現実に出来るはずがない」
「……え?」
真糸は、疑問の声を上げた。常にあるような、疑問を示すことによって父の奇行や観念に客観を差し挟もうとする常識人の力なき抵抗ではなく。純粋に。
玄朗佐の確信は、真面目に取り扱って益があるものではない。それは分かっていた。ただし今、彼の顔にあるのは、確信の念ではなかった。それを悟るしかない……ゆえに、疑問だった。見間違いかと思いはしたものの、ついさっきそれを見たばかりとなると、勘違いしようがない。つまり、彼の頬を笑みの形に押し上げているのは―――確証。
「というわけで、カモーン! ぽちっとな」
刹那。理解したのは脳でなく、身体が先だった。
つまりは、事態を理解したのでなく、状況が五感を圧倒したということだが。
言うなればそこに知性の介在する余地はなく、防衛本能しか役に立たない。そんな出来事とも言えた。
要するに真糸は、なんの脈絡もなくひたすらな威力で爆発したちゃぶ台近辺からの衝撃波に巻き込まれ、ただもみくちゃとしか形容しようがない状態で、問答無用に吹き飛ばされていた。
悲鳴も出ない。とにかく肉体が勝手に呼吸を止めて全力で張り詰め、外界から叩き込まれるあらゆる脅威に抗っていることは自覚していた。目を閉じていた。だというのに、光が見えていた。そんなことがあるとするならば、この輝きは、火炎が発したものではあるまい―――ひとすじの躊躇なく目蓋をまっすぐに刺し貫く、そんな悪意の実現が、人為的に加工されていないただの自然現象にできるはずがないではないか……
そして光が過ぎ去ってしまえば、あとには眼窩を目玉ごと覆う頼りない薄皮のもたらす薄暗がりだけが残る。つまりは、目蓋越しに網膜をあっためてくる、そんな何の変哲もない昼下がりの陽光が。
その明るさに悪意がないことを数秒かけて値踏みし、真糸は目を開けた。当たり前だが、部屋は散々たる有り様になっていた。全体的に、薄黒い。真っ二つに折れた食器棚が、他にどうしようもなく中身すべてをぶちまけている。その腹の内容物だった食器の類は大半が細かく破砕し、踏んづけるミスに気をつけさえすれば無害に扱えそうではあったが、溶けたガラスコップをかぶった柱がぶすぶすとこげた煙をあげかけているのを見ては、その認識を翻さざるを得なかった。ひっくり返った箪笥。それに巻き込まれた襖は、不本意そうに、もげて転がった自分のもう半分を見詰めている。畳はテレビを巻き込んで、ちゃぶ台のあった部屋の真ん中を中心にめくれて、反り返るようにひしゃげていた。その様子は、それだけ見れば、蕾が花開いたかのようにも見えた。
(それだけを見れば?)
やけくそで笑って、真糸は無言で毒ついた。冗談じゃない。自分は畳の有り様だけを見て、蕾を連想したのではない。
目の前の風景と重なったのは、保育園の出し物の記憶だった。劇。親指姫。
中に役の子が入った、巨大なダンボールの花。
あれは先生の力作だった。教職員三名による計八時間のサービス残業は伊達でない。子どもなりにその出来栄えに驚嘆し、それ以上に感嘆した。手をたたき、幼稚な教養で培われた未熟な言葉をあますところなく費やして賞賛した。感動の衝動はあと七分はもつだろうと思われたが、当のダンボールの花の方がものの四分で全壊した。主役の座の魅力を強化する展開により勃発した、強行的な簒奪を目する脇役と現状の力ずくの(過剰)防衛を試みた主役とによる攻防戦の余波に、紙はあまりに無力すぎた……
同じように、畳ではあまりに無力すぎたということか。
親指姫。花開く時に蕾から生まれるという、ミニマムな人間。
ただし彼はミニマムでもなく、そしてその周りをずらりと囲んでいるのさえ花びらでもなく、当然ながら“彼”という以上は姫であるはずもなく―――
あたりかまわず松蔭家の家財(ならび家人)をなぎ倒した爆心地に、その青年は、ただぽつんと立っていたのだった。
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