佐々の名前を呼ぶことも。好きだと声にすることだって、僕にはどちらもできやしない。

殿原しん

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Episode12 無声

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「お邪魔します」
『いらっしゃい』

 いよいよ佐々が、僕の家へとやって来た。

 口角を意識して上げながら、玄関先で出迎える。

 佐々の服装は、ワンポイント柄の黒Tシャツに、白いゆったりめのパンツスタイル。

 シンプルな服装も、モデルみたいに背が高い佐々が着ると、様になっていて、かっこいい。

『暑かったでしょ?麦茶冷やしてあるんだ』
「ありがと。マジで外やばい温度だわ」

 七月末の猛暑の中、わざわざ足を運んでくれた。

 その事実だけで、口元がにやけそうになって、慌てて左手で隠す。

(僕いま変な顔になってるな)

 頭の中では解っていても、二人きりのこの状況は、驚くほど僕を浮かれさせた。

「親御さん。良かったのか?」
『うん。東京観光楽しんでくるって』
「そっか」

(ウチの廊下を佐々が歩いてる……)

 後ろから付いて行きながら、あまりの慣れない状況に、なんだかとてもふわふわとした心地がする。

「リビングこっち?」

 コクンと一つ頷き返す。

「スゲーお洒落なリビングじゃん」

 リビングのドアを開けて早々に、佐々の爽やかな声が、家の中へと染み渡る。

(いいな。こういうの)

 佐々の出す柔らかな中低音は、僕の心を一瞬にしてあたたかくしてくれる。

「秋の親御さんって、かなり家具にこだわりある人?」

 その声をよく聞こうと、思わず目を閉じて耳を澄ましていたら、

「……………………」

 突然佐々の声が止まった。

「?……」

(どうしたんだろ?)

 ざわざわとした小さな不安が胸に広がる。

 ゆっくりと瞼を開いた。

 キッチンにある冷蔵庫の前へ、いつの間にか佐々が移動している。

「ごめん。喉乾いちゃってさ」

 麦茶入りのコップを手に、戻って来た佐々が、僕のすぐ近くにあるソファへと腰を下ろす。

『ううん。謝らないで』

(なんだろう?いま妙な空気が流れた気がする)

 キッチンとリビングをもう一往復した佐々は、麦茶の入った容器ごと、目の前のガラステーブルへと、そっと置いた。

『いっぱい飲んで』
「お言葉に甘えるわ」

 麦茶を佐々が飲む度に、立派な喉仏が大きく揺れる。

 それをただ眺めているだけなのに、なんだか僕は、身体の奥の方がむずむずしてきた。

(おっ、落ち着かない)

【友だちが泊まりに来るから、二人きりにしてほしい】

 佐々と日程を決めてすぐ、僕は両親へそう告げた。

 すると二人揃って、見ているこちらがびっくりするぐらい目を見開いた後。

【良かったわね】
【楽しみなさい】

 母さんも、父さんもそう涙目で言ってくれた。

 本当は、友だちじゃなくて恋人だけど……。

(そんなこと言ったら、きっと二人とも、腰抜かしちゃうだろうから)

 嘘も方便。

 今朝僕は、玄関に立つ僕を何度も振り返る両親を、東京観光へと見送った。

 正真正銘。明日のお昼過ぎまで、この家には、僕と佐々の二人だけ。

 ドリンクタイムが落ち着いたのか。

 佐々が麦茶の容器を手に、再び立った。

『戻すのは僕がやるよ。佐々は少し寛いでて』

 容器を両手で受け取って、キッチンへと一人離れる。

(はぁー……緊張するっ)

 同じ空間にいるのなんて、学校で毎日のように経験しているはずなのに。

 いざ二人だけになると、全然違う。

 ただでさえ惹き寄せられる視線だって、すぐに合ってしまう気がするし、リビングも毎日必ず訪れる場所なのに、ちっともそんな感じがしない。

 まるで知らない場所へ、初めてやって来たみたいで、全く以てじっとしていられない。

(きょっ、今日は勉強会って誘ったんだから。とっ、取り敢えずワークと教科書とノートと)

「!!」

 考え事でいっぱいいっぱいになっていた。僕の身体が、一瞬にして固まった。

 だって佐々が、後ろから僕を抱き締めたから。

(べっ、別に抱き締められるのは初めてじゃ!)

 そう思うのに。

 全身が心臓になってしまったのではと思うぐらい、バクバク、バクバク、鼓動の音が煩くて。すぐに頭の中が真っ白になった。

「ごめん。秋。触れたくて、俺、我慢できなかった」
「!」

 首元で佐々の声が響く。

 かけられる息で、身体の硬直が酷くなった。

(いいよって、僕も触れてほしいって伝えないと)

 伝えたい。

 そう心から願う時に限って、最近スマホが手元にない気がする。

 リビングのソファへ置いたスマホへと、そっと流し目で視線を送った。

「ふっ、俺がっつき過ぎてんな」
「っ」

 僕のうなじを佐々の息が撫でる度、ゾクゾクとした何かが僕を襲う。

(お願いだから、首元で喋らないで!)

 羞恥から、頭が爆発しそうになる。

 だっていま、この家には二人きり。

 それに佐々の身体は、驚くほど僕と密着してる。

「秋。真っ赤」
「!!」

(かっ、隠さなきゃ!)

「駄目。秋、見せて。俺、秋のどんな表情も見てたいんだ。秋は嫌?」

 顔を覗き込まれるようにして尋ねられた。

 全身がとにかく熱い。

 嫌なんて思うわけがない。

 首を振る。

「じゃあ、俺に見せてほしい。秋の全部を」
「!…………」

 ゆっくりと後ろを振り返った。

 衣擦れの音が僕の耳に染みていく。

 佐々の大きな身体が、僕の全身を包み込む。

「秋の部屋へ行こう。いい?」

 膝を折り、目線の高さを合わせた佐々が、僕の意思を確認するようにして問いかける。

 それだけで、僕は泣きそうで、下唇をギュッと噛んだ。

 はっきりと頷く。

 次の瞬間。

「?!」

 僕の身体は宙へ浮いた。

(なっ?!なにこれ?!!お、お姫様抱っこ??!!)

 バタバタと一気に足をバタつかせる。

(恥ずかしい!下ろしてよ!佐々!!)

 睨み付けては見たものの、どうやら全くその気がないようで、

「秋、軽過ぎ。もう少し太ったほうが身体にいいから、今度また肉食いに行こうな」

 なんて頓珍漢な言葉が頭上から降ってきた。

 あっという間にベッドの上へ下ろされる。

 ゆっくりと僕の全身を覆うようにして、佐々の身体が近付いてくる。

 前髪にそっと佐々の大きな手が乗った。

 そして一言。

「スマホ取ってくるから、待っててな」

 そう言って遠ざかる。

 気遣いはとっても嬉しいはずなのに。

 なぜだか僕は泣きたくなった。

 さっき流れた妙な空気も、きっと、このせいだ。

 近距離にいない時。

 声を張れない僕には、身振り手振りしか、相手に意思を伝えることができない。

 いまだって、普通の人ならきっと。このままキスして、えっちしてたはずなんだ。

 困った時、親を呼ぶためのベルが置かれた、勉強机が視界に入る。

 この日に憧れると同時に、僕の中にはずっと、しこりがあった。

 佐々は気付いているだろうか。

 僕には喘ぎ声が出せないということを。

 抱いてみて、佐々は後悔しないだろうか。

 男で、声の出ない僕を。

「なんて顔。してるんだよ」「?………………」

 手荷物片手に戻ってきた佐々が、ドアから入ってすぐのところで立ち尽くしてる。

(なんて顔って……僕はいま、一体どんな顔をしてるんだろう?)

 自分の頬に触れてみて、初めて僕は音もなく、自分が泣いていることに気が付いた。

(また泣いて)

 涙を拭う僕の腕を、ベッド脇まで歩いてきた佐々がそっと握る。

「泣きたい時は泣いていい。でも頼むから俺の腕の中でにして」

 ギュッと佐々の服を両手で掴む。

 泣いていた理由。

 きちんと伝えて、抱いてもらおう。

 たとえこれが、最初で最後の、夢のような時間になっても。

「っ………………」

 僕はこの日、佐々の胸で、肩を震わせ、音なく泣いた。
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