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Episode10 望み
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「最近、放課後忙しいみたいだけど、何か新しいことでも始めたのか?」
『ちょっとした習い事をね』
「相談ぐらいしてくれても良かったのに」
『報告するほどのことでもないよ』
「……………………」
口を噤んだ佐々と歩く。
佐々が過去の話をしてくれてから、僕は近所の小さなボクシングジムへ通い出した。
もちろん佐々は、そのことを知らない。
言ったら絶対、気にするから。
これまで僕はどうしたって、必要以上にヒトと関わる選択肢を取れないでいた。
今回のことは、何か良い方向へ転ぶかもしれない。
男らしい身体付きを手に入れたら、自分の弱さを克服できるかもしれない。
女の子でない僕にできること。
何よりも、佐々には佐々らしくいてほしい。
僕のために、余計な我慢をさせたくない。
同性で、喋ることのできない僕の隣は、色々な意味で、我慢を強いられる場所なはずだから。
どんな僕を見ても、好きだと言ってくれた佐々だからこそ。
自由にいてほしい。
そう心から思って決めた。
『よろしくお願いします』
「はぁーーい!よろしく!
秋くん!荷物置いてアップからね~」
少し離れた距離に立つ。先生からも見えるように大きく頷く。
(今日もがんばろ)
よくストレッチして、その後はサンドバッグ相手に、十分ひたすらシャドーボクシング。
五分休憩したら、また十分を、四セット。
計一時間の練習メニューをこなしていく。
運動経験はないけれど、先生がタイムを教えてくれるから、一人で練習できて内容としては僕向きだ。
「ねぇキミ。最近よくいる子だよね?高校生?」
たまに見かける、明るめな茶髪のお兄さん。
(先生。僕の事情を話してないのかな?でもわざわざ言わないか)
「良かったら、この後メシ行かない?」
「……………………」
足元近くのリュックから、スマホを取り出しサッと掲げる。
『僕。喋れないので』
パチパチと何度か瞬きしたお兄さんは、
「あっ、なるほど~。って、そんな冗談信じないから!」
「……………………」
(たまにあるリアクションだけど。なぜだろう?物凄く久々に感じるなぁ)
『それに僕、男ですよ?あと話せないのも本当です』
「俺ゲイだから、そっちはいいの。つーか、マジかよ。めちゃくちゃタイプど真ん中なのに」
「………………………………」
正直僕は、佐々以外。そう言われても嬉しく感じない。
だからこそ返事に迷う。
(なんて打とう?)
「あぁ、もういいよ。声出なくても、ワンチャンあるなら連絡先だけ交換しようぜ」
「!!」
かなり珍しいパターンだ。
(どうしよう……益々断りづらく)
「俺のなんでっ」
「!!!」
「えっ……?」
(なんでここに佐々がいるの??)
掴まれた左腕から、佐々の手が、ほんのり汗ばんでるのが伝わってくる。
思わず僕は後ろを向いた。
よく見ると、佐々は少し肩で呼吸している。
(走って来た??)
「秋は俺のだって……っ、自覚が足りない」
「?!」
ロンティーの襟ぐりへと滴る佐々の汗。
長距離を僕のために、走って来てくれたのかもしれなくて、胸が高鳴る。
『どうしてここが?』
「誰かさんがっ……そんなにあいつが特別ならってっ、教えてくれた」
「?」
(誰だろう?……ってか、いま佐々なんて?!)
「!!!」
腕を引かれ、抱き留めるようにして、佐々の胸に抱かれる。
「相談もせずっ……こんな野郎だらけのとこ来て、何か遭ったらっ……どうする気だったんだ!」
初めて聞いた怒鳴り声が、佐々の厚い胸板越しに響く。
(どうする気って……)
だって仕方がないだろう?
いくら佐々が僕を好いてくれてるからって、助かるヒトが助からない。
そんな女の子たちを無下にしてまで、僕は自分が、佐々の隣にいていいなんて、思えない!
僕だって怒鳴りたかった。
僕だって、ちゃんと佐々に、自分の口で伝えたかった。
でもどうしたってそれはできないから。
必死で佐々の腕を振り払い、スマホを動かす指先を、可能な限り走らせた。
『困ってる女の子たちを助けてあげて!佐々にはそれができるんだから。僕は大丈夫。佐々には自由でいてほしいんだ』
佐々の眉間に深い皺。
今日の佐々は様子がおかしい。佐々らしくない。
「秋、お前。自分で何打ってるか解ってる?」
『解ってるよ。だって僕なんかのせいで、助かるはずだった子が助からなかったら、そんな罪悪感と一緒になんて、僕生きていけない!』
スマホを持つ僕の腕を、佐々が握る。
その力はとても強い。ギリリと握られた部分から、じんわりとした痛みが拡がっていく。
親指を抵抗するように動かして、文字を入力する。
『痛い』
悲しんでいるような苦しんでいるような、そんな眼差しが僕を見ている。
「たとえ俺は秋と別れても、以前のように闇雲には救えない」
(どうしてそんなことっ!)
「どうしてそんなこと言うのかって顔してるから、訊かれてないけど答えると。ぶっちゃけ誰かが被害に遭ってる現場って、刃物を持ってる奴だっていることがある。そんな中に飛び込んだら、もう二度と秋には会えないかもしれない。だから俺はもう、前ほど無鉄砲には助けられない」
一気に言い切った佐々は、不思議なくらい冷静だった。
『でも僕は男で、被害に遭ってる子は女の子たちでしょ?』
「それがなんだって言うんだ?」
「!……」
「俺は別に。秋が男だから助けなくていいとは思わないし、彼女たちが女性だから、助けられなくなったって言ってるわけじゃねーよ?」
握られた力が弱まり、佐々の手が離れていく。
「見ず知らずの女性よりも、秋を優先したい。それってそんなに変なことか?少なくとも俺はそうは思わない」
『それだとでも、佐々の時間が僕に取られちゃうでしょ?僕は佐々に自由でいてほしいんだ』
打ち終えた途端、僕の文を目にした佐々が、僕の手からスマホを取り上げた。
(まだ話して)
僕の両肩に佐々の腕が乗る。至近距離。額をくっつけられ、逃れられない。
(なっ、何してっ)
「よく俺の目を見ろ」
「!」
真正面から心を射抜くようにして、見つめられる。
コクコクと二回小さく頷いた。
「俺の望みはこうやって、秋と触れ合える距離にいて、秋と一緒に生きることだ。お前の言う俺の自由ってのは、もうとっくに手に入ってる」
「…………………………」
なんてヒトなんだろうか。
常に言葉が足りない僕と、一点の曇りもない澄んだ心で向き合ってくれる。
ハンディキャップがある人間と、ただ隣にいることを、介助だと言う人もいる世の中で。
同性っていう壁まで軽々と飛び越えて、いつだって、僕だけを想ってくれるヒト。
止めどなく、涙が溢れて頬を濡らす。
「っ…………っ……」
こんな時ですら、僕の声帯は音を出してはくれなくて、どうしようもなく息が苦しい。
「っ………………」
(ごめん。佐々)
そう伝えたいのに。
声が出ない。
(ありがとう。大好きだ)
「っ…………っ………………」
啜り泣く鼻息の音。これが僕の泣き声で、佐々のものとはきっと違う。
涙で歪む視界の中に、佐々の顔面が目一杯に映り込む。
「俺のために、秋が必要。だから秋。頼むからそばにいてくれるか?」
「っ…………」
大きく何度も、首を縦に振る。
「じゃあ帰ろ。その顔の秋を、他の野郎がいるところへ置いておけない」
「!っ…………」
懸命に涙を拭って、そっと微笑んだ佐々を見た。
「あんま強く拭うなって」
目尻を下げて、口角を上げたその表情は、僕が見てきた佐々の中で、一番スッキリとした笑顔だった。
佐々はこの後、僕を家へ送る道すがら、曽野坂との関係を教えてくれた。
「従兄弟なんだよ。母方の」
『従兄弟?!』
「そっ。曽野坂は親父さん似だから、全然似てねぇけどな」
『佐々はどっち似?』
「母さんかな~?」
僕はこの日。初めて佐々の、家族写真を見せてもらった。
『ちょっとした習い事をね』
「相談ぐらいしてくれても良かったのに」
『報告するほどのことでもないよ』
「……………………」
口を噤んだ佐々と歩く。
佐々が過去の話をしてくれてから、僕は近所の小さなボクシングジムへ通い出した。
もちろん佐々は、そのことを知らない。
言ったら絶対、気にするから。
これまで僕はどうしたって、必要以上にヒトと関わる選択肢を取れないでいた。
今回のことは、何か良い方向へ転ぶかもしれない。
男らしい身体付きを手に入れたら、自分の弱さを克服できるかもしれない。
女の子でない僕にできること。
何よりも、佐々には佐々らしくいてほしい。
僕のために、余計な我慢をさせたくない。
同性で、喋ることのできない僕の隣は、色々な意味で、我慢を強いられる場所なはずだから。
どんな僕を見ても、好きだと言ってくれた佐々だからこそ。
自由にいてほしい。
そう心から思って決めた。
『よろしくお願いします』
「はぁーーい!よろしく!
秋くん!荷物置いてアップからね~」
少し離れた距離に立つ。先生からも見えるように大きく頷く。
(今日もがんばろ)
よくストレッチして、その後はサンドバッグ相手に、十分ひたすらシャドーボクシング。
五分休憩したら、また十分を、四セット。
計一時間の練習メニューをこなしていく。
運動経験はないけれど、先生がタイムを教えてくれるから、一人で練習できて内容としては僕向きだ。
「ねぇキミ。最近よくいる子だよね?高校生?」
たまに見かける、明るめな茶髪のお兄さん。
(先生。僕の事情を話してないのかな?でもわざわざ言わないか)
「良かったら、この後メシ行かない?」
「……………………」
足元近くのリュックから、スマホを取り出しサッと掲げる。
『僕。喋れないので』
パチパチと何度か瞬きしたお兄さんは、
「あっ、なるほど~。って、そんな冗談信じないから!」
「……………………」
(たまにあるリアクションだけど。なぜだろう?物凄く久々に感じるなぁ)
『それに僕、男ですよ?あと話せないのも本当です』
「俺ゲイだから、そっちはいいの。つーか、マジかよ。めちゃくちゃタイプど真ん中なのに」
「………………………………」
正直僕は、佐々以外。そう言われても嬉しく感じない。
だからこそ返事に迷う。
(なんて打とう?)
「あぁ、もういいよ。声出なくても、ワンチャンあるなら連絡先だけ交換しようぜ」
「!!」
かなり珍しいパターンだ。
(どうしよう……益々断りづらく)
「俺のなんでっ」
「!!!」
「えっ……?」
(なんでここに佐々がいるの??)
掴まれた左腕から、佐々の手が、ほんのり汗ばんでるのが伝わってくる。
思わず僕は後ろを向いた。
よく見ると、佐々は少し肩で呼吸している。
(走って来た??)
「秋は俺のだって……っ、自覚が足りない」
「?!」
ロンティーの襟ぐりへと滴る佐々の汗。
長距離を僕のために、走って来てくれたのかもしれなくて、胸が高鳴る。
『どうしてここが?』
「誰かさんがっ……そんなにあいつが特別ならってっ、教えてくれた」
「?」
(誰だろう?……ってか、いま佐々なんて?!)
「!!!」
腕を引かれ、抱き留めるようにして、佐々の胸に抱かれる。
「相談もせずっ……こんな野郎だらけのとこ来て、何か遭ったらっ……どうする気だったんだ!」
初めて聞いた怒鳴り声が、佐々の厚い胸板越しに響く。
(どうする気って……)
だって仕方がないだろう?
いくら佐々が僕を好いてくれてるからって、助かるヒトが助からない。
そんな女の子たちを無下にしてまで、僕は自分が、佐々の隣にいていいなんて、思えない!
僕だって怒鳴りたかった。
僕だって、ちゃんと佐々に、自分の口で伝えたかった。
でもどうしたってそれはできないから。
必死で佐々の腕を振り払い、スマホを動かす指先を、可能な限り走らせた。
『困ってる女の子たちを助けてあげて!佐々にはそれができるんだから。僕は大丈夫。佐々には自由でいてほしいんだ』
佐々の眉間に深い皺。
今日の佐々は様子がおかしい。佐々らしくない。
「秋、お前。自分で何打ってるか解ってる?」
『解ってるよ。だって僕なんかのせいで、助かるはずだった子が助からなかったら、そんな罪悪感と一緒になんて、僕生きていけない!』
スマホを持つ僕の腕を、佐々が握る。
その力はとても強い。ギリリと握られた部分から、じんわりとした痛みが拡がっていく。
親指を抵抗するように動かして、文字を入力する。
『痛い』
悲しんでいるような苦しんでいるような、そんな眼差しが僕を見ている。
「たとえ俺は秋と別れても、以前のように闇雲には救えない」
(どうしてそんなことっ!)
「どうしてそんなこと言うのかって顔してるから、訊かれてないけど答えると。ぶっちゃけ誰かが被害に遭ってる現場って、刃物を持ってる奴だっていることがある。そんな中に飛び込んだら、もう二度と秋には会えないかもしれない。だから俺はもう、前ほど無鉄砲には助けられない」
一気に言い切った佐々は、不思議なくらい冷静だった。
『でも僕は男で、被害に遭ってる子は女の子たちでしょ?』
「それがなんだって言うんだ?」
「!……」
「俺は別に。秋が男だから助けなくていいとは思わないし、彼女たちが女性だから、助けられなくなったって言ってるわけじゃねーよ?」
握られた力が弱まり、佐々の手が離れていく。
「見ず知らずの女性よりも、秋を優先したい。それってそんなに変なことか?少なくとも俺はそうは思わない」
『それだとでも、佐々の時間が僕に取られちゃうでしょ?僕は佐々に自由でいてほしいんだ』
打ち終えた途端、僕の文を目にした佐々が、僕の手からスマホを取り上げた。
(まだ話して)
僕の両肩に佐々の腕が乗る。至近距離。額をくっつけられ、逃れられない。
(なっ、何してっ)
「よく俺の目を見ろ」
「!」
真正面から心を射抜くようにして、見つめられる。
コクコクと二回小さく頷いた。
「俺の望みはこうやって、秋と触れ合える距離にいて、秋と一緒に生きることだ。お前の言う俺の自由ってのは、もうとっくに手に入ってる」
「…………………………」
なんてヒトなんだろうか。
常に言葉が足りない僕と、一点の曇りもない澄んだ心で向き合ってくれる。
ハンディキャップがある人間と、ただ隣にいることを、介助だと言う人もいる世の中で。
同性っていう壁まで軽々と飛び越えて、いつだって、僕だけを想ってくれるヒト。
止めどなく、涙が溢れて頬を濡らす。
「っ…………っ……」
こんな時ですら、僕の声帯は音を出してはくれなくて、どうしようもなく息が苦しい。
「っ………………」
(ごめん。佐々)
そう伝えたいのに。
声が出ない。
(ありがとう。大好きだ)
「っ…………っ………………」
啜り泣く鼻息の音。これが僕の泣き声で、佐々のものとはきっと違う。
涙で歪む視界の中に、佐々の顔面が目一杯に映り込む。
「俺のために、秋が必要。だから秋。頼むからそばにいてくれるか?」
「っ…………」
大きく何度も、首を縦に振る。
「じゃあ帰ろ。その顔の秋を、他の野郎がいるところへ置いておけない」
「!っ…………」
懸命に涙を拭って、そっと微笑んだ佐々を見た。
「あんま強く拭うなって」
目尻を下げて、口角を上げたその表情は、僕が見てきた佐々の中で、一番スッキリとした笑顔だった。
佐々はこの後、僕を家へ送る道すがら、曽野坂との関係を教えてくれた。
「従兄弟なんだよ。母方の」
『従兄弟?!』
「そっ。曽野坂は親父さん似だから、全然似てねぇけどな」
『佐々はどっち似?』
「母さんかな~?」
僕はこの日。初めて佐々の、家族写真を見せてもらった。
応援ありがとうございます!
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