上 下
10 / 13

Episode10 望み

しおりを挟む
「最近、放課後忙しいみたいだけど、何か新しいことでも始めたのか?」
『ちょっとした習い事をね』
「相談ぐらいしてくれても良かったのに」
『報告するほどのことでもないよ』
「……………………」

 口を噤んだ佐々と歩く。

 佐々が過去の話をしてくれてから、僕は近所の小さなボクシングジムへ通い出した。

 もちろん佐々は、そのことを知らない。

 言ったら絶対、気にするから。

 これまで僕はどうしたって、必要以上にヒトと関わる選択肢を取れないでいた。

 今回のことは、何か良い方向へ転ぶかもしれない。

 男らしい身体付きを手に入れたら、自分の弱さを克服できるかもしれない。

 女の子でない僕にできること。

 何よりも、佐々には佐々らしくいてほしい。

 僕のために、余計な我慢をさせたくない。

 同性で、喋ることのできない僕の隣は、色々な意味で、我慢を強いられる場所なはずだから。

 どんな僕を見ても、好きだと言ってくれた佐々だからこそ。

 自由にいてほしい。

 そう心から思って決めた。

『よろしくお願いします』
「はぁーーい!よろしく!
秋くん!荷物置いてアップからね~」

 少し離れた距離に立つ。先生からも見えるように大きく頷く。

(今日もがんばろ)

 よくストレッチして、その後はサンドバッグ相手に、十分ひたすらシャドーボクシング。

 五分休憩したら、また十分を、四セット。

 計一時間の練習メニューをこなしていく。

 運動経験はないけれど、先生がタイムを教えてくれるから、一人で練習できて内容としては僕向きだ。

「ねぇキミ。最近よくいる子だよね?高校生?」

 たまに見かける、明るめな茶髪のお兄さん。

(先生。僕の事情を話してないのかな?でもわざわざ言わないか)

「良かったら、この後メシ行かない?」
「……………………」

 足元近くのリュックから、スマホを取り出しサッと掲げる。

『僕。喋れないので』

 パチパチと何度か瞬きしたお兄さんは、

「あっ、なるほど~。って、そんな冗談信じないから!」 
「……………………」

(たまにあるリアクションだけど。なぜだろう?物凄く久々に感じるなぁ)

『それに僕、男ですよ?あと話せないのも本当です』

「俺ゲイだから、そっちはいいの。つーか、マジかよ。めちゃくちゃタイプど真ん中なのに」
「………………………………」

 正直僕は、佐々以外。そう言われても嬉しく感じない。

 だからこそ返事に迷う。

(なんて打とう?)

「あぁ、もういいよ。声出なくても、ワンチャンあるなら連絡先だけ交換しようぜ」
「!!」

 かなり珍しいパターンだ。

(どうしよう……益々断りづらく)

「俺のなんでっ」
「!!!」
「えっ……?」

(なんでここに佐々がいるの??)

 掴まれた左腕から、佐々の手が、ほんのり汗ばんでるのが伝わってくる。

 思わず僕は後ろを向いた。

 よく見ると、佐々は少し肩で呼吸している。

(走って来た??)

「秋は俺のだって……っ、自覚が足りない」
「?!」

 ロンティーの襟ぐりへと滴る佐々の汗。

 長距離を僕のために、走って来てくれたのかもしれなくて、胸が高鳴る。

『どうしてここが?』
「誰かさんがっ……そんなにあいつが特別ならってっ、教えてくれた」
「?」

(誰だろう?……ってか、いま佐々なんて?!)

「!!!」

 腕を引かれ、抱き留めるようにして、佐々の胸に抱かれる。

「相談もせずっ……こんな野郎だらけのとこ来て、何か遭ったらっ……どうする気だったんだ!」

 初めて聞いた怒鳴り声が、佐々の厚い胸板越しに響く。

(どうする気って……)

 だって仕方がないだろう?

 いくら佐々が僕を好いてくれてるからって、助かるヒトが助からない。

 そんな女の子たちを無下にしてまで、僕は自分が、佐々の隣にいていいなんて、思えない!

 僕だって怒鳴りたかった。

 僕だって、ちゃんと佐々に、自分の口で伝えたかった。

 でもどうしたってそれはできないから。

 必死で佐々の腕を振り払い、スマホを動かす指先を、可能な限り走らせた。

『困ってる女の子たちを助けてあげて!佐々にはそれができるんだから。僕は大丈夫。佐々には自由でいてほしいんだ』

 佐々の眉間に深い皺。

 今日の佐々は様子がおかしい。佐々らしくない。

「秋、お前。自分で何打ってるか解ってる?」
『解ってるよ。だって僕なんかのせいで、助かるはずだった子が助からなかったら、そんな罪悪感と一緒になんて、僕生きていけない!』

 スマホを持つ僕の腕を、佐々が握る。

 その力はとても強い。ギリリと握られた部分から、じんわりとした痛みが拡がっていく。

 親指を抵抗するように動かして、文字を入力する。

『痛い』

 悲しんでいるような苦しんでいるような、そんな眼差しが僕を見ている。

「たとえ俺は秋と別れても、以前のように闇雲には救えない」

(どうしてそんなことっ!)

「どうしてそんなこと言うのかって顔してるから、訊かれてないけど答えると。ぶっちゃけ誰かが被害に遭ってる現場って、刃物を持ってる奴だっていることがある。そんな中に飛び込んだら、もう二度と秋には会えないかもしれない。だから俺はもう、前ほど無鉄砲には助けられない」

 一気に言い切った佐々は、不思議なくらい冷静だった。

『でも僕は男で、被害に遭ってる子は女の子たちでしょ?』
「それがなんだって言うんだ?」
「!……」
「俺は別に。秋が男だから助けなくていいとは思わないし、彼女たちが女性だから、助けられなくなったって言ってるわけじゃねーよ?」

 握られた力が弱まり、佐々の手が離れていく。

「見ず知らずの女性よりも、秋を優先したい。それってそんなに変なことか?少なくとも俺はそうは思わない」
『それだとでも、佐々の時間が僕に取られちゃうでしょ?僕は佐々に自由でいてほしいんだ』

 打ち終えた途端、僕の文を目にした佐々が、僕の手からスマホを取り上げた。

(まだ話して)

 僕の両肩に佐々の腕が乗る。至近距離。額をくっつけられ、逃れられない。

(なっ、何してっ)

「よく俺の目を見ろ」
「!」

 真正面から心を射抜くようにして、見つめられる。

 コクコクと二回小さく頷いた。

「俺の望みはこうやって、秋と触れ合える距離にいて、秋と一緒に生きることだ。お前の言う俺の自由ってのは、もうとっくに手に入ってる」
「…………………………」

 なんてヒトなんだろうか。

 常に言葉が足りない僕と、一点の曇りもない澄んだ心で向き合ってくれる。

 ハンディキャップがある人間と、ただ隣にいることを、介助だと言う人もいる世の中で。

 同性っていう壁まで軽々と飛び越えて、いつだって、僕だけを想ってくれるヒト。

 止めどなく、涙が溢れて頬を濡らす。

「っ…………っ……」

 こんな時ですら、僕の声帯は音を出してはくれなくて、どうしようもなく息が苦しい。

「っ………………」

(ごめん。佐々)

 そう伝えたいのに。

 声が出ない。

(ありがとう。大好きだ)

「っ…………っ………………」

 啜り泣く鼻息の音。これが僕の泣き声で、佐々のものとはきっと違う。

 涙で歪む視界の中に、佐々の顔面が目一杯に映り込む。

「俺のために、秋が必要。だから秋。頼むからそばにいてくれるか?」
「っ…………」

 大きく何度も、首を縦に振る。

「じゃあ帰ろ。その顔の秋を、他の野郎がいるところへ置いておけない」
「!っ…………」

 懸命に涙を拭って、そっと微笑んだ佐々を見た。

「あんま強く拭うなって」

 目尻を下げて、口角を上げたその表情は、僕が見てきた佐々の中で、一番スッキリとした笑顔だった。


 佐々はこの後、僕を家へ送る道すがら、曽野坂との関係を教えてくれた。

「従兄弟なんだよ。母方の」
『従兄弟?!』
「そっ。曽野坂は親父さん似だから、全然似てねぇけどな」
『佐々はどっち似?』
「母さんかな~?」

 僕はこの日。初めて佐々の、家族写真を見せてもらった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

麗しの勘違い令嬢と不器用で猛獣のような騎士団長様の純愛物語?!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:104

カントボーイあつめました

BL / 完結 24h.ポイント:1,001pt お気に入り:113

今からパパにお仕置きします

恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:66

ラブハメパークは年中無休で営業中♡

BL / 連載中 24h.ポイント:5,410pt お気に入り:92

【短編】不良に囲われる僕

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:44

ただ、貴方の事を喰べたいと思った

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

処理中です...