上 下
29 / 47

Episode29 メッセージ※レミ視点

しおりを挟む


 (もう時期着くわね)


 つい先日。光に送ってもらった自宅マンションへの曲がり角が、景色の端で微かに過ぎ去る。


 忘れたくても忘れられない。光と私が、男と女として会った。最後の日。


 ローマからの直行便。一面ガラス張りの空港へと降り立った時。


 出迎えた光の、俯く背中を見て。


 (とうとうこの瞬間が訪れたのね)


 皺の跡が残らない程度に、私は目頭に力を込めた。


 (解ってたじゃない。必ずこの日が来るんだって)


「おかえり。レミさん」


「ただいま。光」


 サングラスを人差し指でずらし、口角を上げて笑みを作る。


 (これなら、顔が強張こわばってるのは解らないわよね?)


「向こうはどうだった?」


 光の声が安定していて、ホッと胸を撫で下ろす。


 三年前。光の二十一歳の誕生日に、初めてプレゼントしたオーダーメイドのイタリア製スーツ。


 ドレープのたるみが、幼さが残る顔に反して、光の男性的なシルエットを引き立たせる。


 (黒でも負けないのよね。光の場合)


 汎用性の高さもあって、無難な黒スーツは当たり障りない印象を与えがち。


 けれど光は、並外れた華がある。


 だから色味やアイテムを重ねなくても、立ち姿だけで人目を惹く。


「やっぱり良いわ。メインはオスティアの視察だったんだけど」


 去年のクリスマスに贈った彼の革靴を一瞥いちべつして、腕を絡める。


 (どちらも私の気分をがないために、チョイスしたのね)


「じゃあ、ホテルもオーシャンビューだ」


 イタリアで見てきた男性たちとは、別の色気を纏った彼と、腕を組んで歩き出す。


「えぇ。そうよ。今度はオフに二人で行きましょ」


「レミさん」


 話に割って入られて。覚悟をしていたはずなのに、肩がピクリと揺れてしまう。


 (バレたかしら……?)


 耳の裏に、そっと光の息がかかる。


「話がある。ホテル取ってるから、そこで話そう」


「…………」


 (解ってたわよ)


 皮肉満載で、そう返してやろうと思ったけれど。私を見る光の瞳が、あまりに凛々しく秀麗で。


「解ったわ」


 自然と、まろやかな口調で頷いていた。


「…………………………」


「…………………………」


 ホテルのエントランスから部屋へと着くまで、私と光は無言だった。


「どうぞ」


「えぇ……」


 招かれた先で、待っていたのは。


 青紫とオレンジ色の二色に裂かれた夕焼け空。


 カーテン全開の景色と。備え付けられた。ただ一つのウッドテーブル。


「光……」


 そこへ置かれた花束に、私は思わず息を飲んだ。


 あの夜が明けて朝になった。


 このホテルの、この寝室で。


 同じ場所に配置された薔薇を見ながら。


 私は彼に、その花言葉を教えてあげた。


「これだけは。どうしても渡しておきたくて」


 そう呟く光の笑顔に。


 交わす視線だけでも、女性を落としてしまう。


 あの、光の笑顔に。


 感情を殺そうとする痛切さが滲む。


「ホント、貴方って……」


 私が大好きな深紅の薔薇を。視界に捉えて言い淀む。


「何?」


 いつもなら。駆け引きのたぐいのはずなのに。


 振り返り、光を見つめる唇が、震えているのが自分でも解る。 


「レミさん?」


 愛しい光に、戸惑った声で名前を呼ばれる。


 ワンピースのポケットに隠しておいた。小さな紺色の箱を、彼の利き手に握らせた。


「ねぇ、光。貴方…………明日香さんを愛してるのね?」


「!!!」


(初めて見るわ。こんなに驚いた光の表情)


 微かに開いた距離を埋めるように一歩。彼へと近付く。


 脱ぐ気なんてサラサラない光の、ジャケットの胸元へもたれかかる。


「契約のことも、知ってるわ」


「!!レミさん。どうして……?」


「電話を聞いてしまったからよ。あのヒトとのね。でも大丈夫よ。守秘義務違反は犯されてないわ」


(どうせなら、知らないままでいたかったけれど)


「その上で、貴方にプロポーズするつもりだったのよ」


 光が私の肩を、カーディガンごと引きはがす。


 紺色の箱が、一分と経たずにスッと手元へ戻ってきた。


「これを渡す時に使う言葉は、明日香さんにしか言いたくないんだ」


(言いたくない……か)


 断定的な表現に耳が痛む。


 ホストを続けていく中で、常に曖昧さを保ってきた光の言葉。


(もう辞めるって、言ってるようなものじゃない)


「ねぇ、光。女として。これだけは正直に答えて欲しいの。あの花の意味には、そのことも含まれているのかしら???」


 数秒間。見つめ合う。


「………………」


「………………」


(嗚呼、なんで)


 光の左腕が、私の顔のすぐそばでゆっくり上昇する。


 デートではがんとして触れさせて貰えなかった。彼の人差し指が、真っ直ぐ八本の薔薇の花束を示した。


「俺が叶えてあげられるのは、ここまでだから」


「っ……」


「せめて思いだけは。返したかった」


「光!!」


 音もなく、イタリアンスーツの生地へと、目から溢れた温かいものが跡を付ける。




 三年前―――。


「誰にも話したことはないけど。実は、夢なの」


「夢?」


「そう。大好きな薔薇の花言葉を使って、愛する人に告白されるのが。おばさんが何言ってるんだって、笑っちゃうでしょ?」


「笑わないよ。いつか誰かが叶えるはずだから」


「気をつかってるなら、止めてちょうだい」


「遣わせてよ。俺だけには」


「なら、花言葉を教えてあげるわ。その心遣いで、私を射止めて見せなさい」



 冗談混じりに挑発して。


 彼に教えた。


 八本の薔薇の花言葉。




 それは―――。






『あなたの思いりに感謝します』






 恋人への甘い台詞が、無数に付けられた薔薇の花言葉ですら。


 光は嘘でも【愛してる】とは告げなかった。


 彼は私に、想いはくれなかったけど。


 宣言通り。


 光は私に、思いをつかって去っていった。




 ドルデーテの店先が、斜め前方に見えてくる。


(嫌になるわ)


 煌びやかなエントランスやシルバーに輝くそのロゴより。


 惹き付けられるのは、たった一人の男の背中。


(ちゃんと借りは返したわよ)


 今にも飛び出しそうな隣の彼女が、運転席の背もたれを、前のめりで掴む。


 淡いピンク色のカットソーに、ジーパン姿。足元は、紺のシューレースタイプのスニーカーで、お洒落よりも生活しやすさを意識したコーディネート。


(どこにでもいる普通の子だって。調べた段階では思ってたけど、まとが外れたわ)


 ほんのり毛先が肩にかかったミディアムヘアの黒髪の奥で、清らかな眼差しが彼を映してる。


(あれだけのことを、一気に聞かされたのに。まだそんな目を向けられるのね)


「これからは、隣で一緒に戦います。もう後ろは振り返りません。幾月くんも、それを望んではいないと思うので」


「えぇ。そうしなさい」


(相手の内面をしっかり見たいって思ってるのが、言われなくても伝わってくる子ね)


「光の周りに何人かスーツの男が見えるでしょ?あそこには弁護士事務所の人間もいるから、もう安全よ。気にせず会いに行って来なさい」


「っ!!!」


「何を驚いてるの?交渉の場に単身で乗り込むわけないじゃない」


「いえ。そっ、そうですよね」


(何かしら?目を見開いたかと思ったら、俯いて額なんて押さえちゃって)


「少し休んでいけば?疲れてるでしょ??」


「そういうことではないんです。あの、一つお伺いしたいんですけど。レミさんの苗字は、もしかして『姫城ひめしろさん』ですか?」


「!!」


(……そういうことね)


 光のちょうど右隣。見慣れた男性が、中に彼女がいると知ったようで、私の車へと柔らかく微笑む。


「その通りよ。なかなかやるじゃない。貴女。あのヒトにもよろしく言っておいてちょうだい」


「はい」


 彼女が車を降りようと、スッと腰を上げる。


(これでもう。私が光にしてあげられることは何もなくなったわ)


 ここ数日。光が、光でいてくれる間に。何か出来ることはないだろうか。


 考えた末に導き出した。


 諦めの悪い女の未練が、私に彼女を送らせた。


「レミさんのこと。私好きです」


 淀みなくそう言い切った明日香さんが、アスファルトへと舞い降りた。




「社長。すごかったですね。さっきの女性」


「去り際に、咄嗟の判断でお礼をしなかったことを言ってるの?」


 私の名前を口にする直前。彼女は明らか『あ』の形の唇を、私へ向け軽く頭を下げようとしてた。


 そして、寸でのところで噤んで見せた。


(光のことで、ホントは気が気じゃない癖に。でもドアを開けた峯田からも見えたのかしら?)


「名刺交換されてないのに、社長の苗字を当てられたじゃないですか」


「嗚呼……、それね。それはたしかに。彼女だから出来たことだわ」


(むかつくけれどね)


「峯田。出してちょうだい」


「かしこまりました」


 抱き合い言葉を交わす二人を横目に、空いたシートで一人去る。


(さよなら。光)


 初めは生意気な若い子だって思ってた。


 けれどあの涙を目にしてから『応援したい』と強く感じた。


 でも気が付いたら、そんなことは全然関係なくなってた。


『レミさん。仕事きついんでしょ?』
 

『したくない笑顔。作らなくて良いから』


『無理しないで。甘えたい時はちゃんと言うこと』


 他の誰も気付かなくても、光には全てお見通しだった。


 仕事で疲弊してたとしても、どんなに商談が上手くいかなくても。


 光がいてくれたから、頑張れた。


(お願いだから。これからは、貴方が彼女に甘えて、光。本当は何より言いたかった言葉も。もう我慢しないで)

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~

泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳 売れないタレントのエリカのもとに 破格のギャラの依頼が…… ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて ついた先は、巷で話題のニュースポット サニーヒルズビレッジ! そこでエリカを待ちうけていたのは 極上イケメン御曹司の副社長。 彼からの依頼はなんと『偽装恋人』! そして、これから2カ月あまり サニーヒルズレジデンスの彼の家で ルームシェアをしてほしいというものだった! 一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい とうとう苦しい胸の内を告げることに…… *** ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる 御曹司と売れないタレントの恋 はたして、その結末は⁉︎

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜

白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳 yayoi × 月城尊 29歳 takeru 母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司 彼は、母が持っていた指輪を探しているという。 指輪を巡る秘密を探し、 私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

ご先祖さまの証文のせいで、ホテル王と結婚させられ、ドバイに行きました

菱沼あゆ
恋愛
 ご先祖さまの残した証文のせいで、ホテル王 有坂桔平(ありさか きっぺい)と戸籍上だけの婚姻関係を結んでいる花木真珠(はなき まじゅ)。  一度だけ結婚式で会った桔平に、 「これもなにかの縁でしょう。  なにか困ったことがあったら言ってください」 と言ったのだが。  ついにそのときが来たようだった。 「妻が必要になった。  月末までにドバイに来てくれ」  そう言われ、迎えに来てくれた桔平と空港で待ち合わせた真珠だったが。  ……私の夫はどの人ですかっ。  コンタクト忘れていった結婚式の日に、一度しか会っていないのでわかりません~っ。  よく知らない夫と結婚以来、初めての再会でいきなり旅に出ることになった真珠のドバイ旅行記。  ちょっぴりモルディブです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

警察官は今日も宴会ではっちゃける

饕餮
恋愛
居酒屋に勤める私に降りかかった災難。普段はとても真面目なのに、酔うと変態になる警察官に絡まれることだった。 そんな彼に告白されて――。 居酒屋の店員と捜査一課の警察官の、とある日常を切り取った恋になるかも知れない(?)お話。 ★下品な言葉が出てきます。苦手な方はご注意ください。 ★この物語はフィクションです。実在の団体及び登場人物とは一切関係ありません。

処理中です...