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『才能の業火に焼かれて_22歳の冬』

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 祐二が突然一緒に住むことになり、初めは警戒しながら生活を続けていたが、三日も経たずに家に祐二がいることが当たり前になっていた。二年の空白の時間があったとしても、上京前はほとんど一緒の時間を過ごしていたのだ。早くに馴染むのも当然と思ってしまう自分を𠮟責して、今はたまたま偶然一緒にいるだけだと強く言い聞かせておく。

 一緒に住んでみてわかったことは、案外祐二が綺麗好きであることだった。音楽以外の物事に関しては、何事に対しても興味なさそうに無頓着でいる場面を多く見ていたが、ここに来てから窓を拭いていたり、洗い物が溜まる前にさっと洗っていたりと、何かしら気付いたら掃除をしている。

「お前って綺麗好きだったんだな」

 今もコロコロを片手に床を掃除している背中に声をかけると、手を止めて祐二が顔を上げた。ゴミを引っ付けたコロコロのシートを剥がしながら頷く。

「掃除すると空気が澄んだようになるから、喉の通りが普段より良いように感じるんだよね。気持ちの問題だとは思うけど」

 剥がしたシートを近くのごみ箱に入れて、再びコロコロを床に転がす祐二の回答に、そこまで家が荒れていたかと気になってくる。一人暮らしに託けて雑にやっていた部分はあるが、一目見てひどいとわかるほどの生活をしていた自覚はない。

 ただ、それは本当に尚久に自覚がないだけで、祐二から見れば掃除を小まめにしなければならない部屋だったのかもしれない。悪い方向に行きかけた思考を止めたのは祐二だった。

「別に汚いとかは思ってないよ。実家の自分の部屋でもよくやっていたから、癖みたいなもの」

 フォローも多分に含まれていたと思うが、しつこく追及するものでもないので、その回答に納得しておく。改めて部屋を見渡すと、たしかに空気が澄んでいるように感じる。息がしやすいような気もしてきて、影響の受けやすさに苦笑する。

「掃除いつもありがとな」

 感謝を伝えると「ま、居候させてもらっているからね」と返ってきた。それもそうかと思っていると、壁にひっそりと置かれた祐二のリュックが目についた。普段使い用にしては、一回り大きいサイズのリュックだ。祐二の物は全てこのリュックに詰められている。

 服やら財布やらを入れているリュックの中身をどこか一つにまとめたらいいものの、祐二は必要な物を取り出して、使い終わったら戻してと、自分の物をどこかに置くようなことをしなかった。遠慮しているのかと思い、リュックを指差して口を開く。

「あのリュックの中身さ、」

 全部出してどっかまとめて置いたら?と続けようとした言葉は音にならなかった。尚久が指を指した直後、物凄い速さで祐二がリュックを引っ掴んだ。何かを守るように、両手できゅっと抱え込む。突然の出来事に尚久が驚いていると、はっとしたように祐二が首を振った。

「他は散らかさないから、これだけ置かせて」
「あ、いやそれは別にいいよ。毎回何かあるたびにリュックから取り出すの面倒だろ。収納まだ余裕あるから使ったら?」
「ありがとう、でも大丈夫」

 話している間も、祐二はリュックを手放さない。触れて欲しくないことだという事は、ひしひしと伝わってくる。気になりはするも、人の隠したいものを暴く趣味はない。誰だって隠しておきたいことなど、一つや二つはある。

「そっか」

 あっさり話を畳むと、あからさまに祐二が安堵した。そろりとリュックを定位置に置くと、次の瞬間にはいつものどこか偉そうな表情を尚久に向けた。

「お腹空いた」
「……お前本当に掃除だけだな」

 掃除以外の家事を引き受けている尚久は、呆れたように返しながらもキッチンに立った。凝ったものは全く作れないが、炒めるくらいはできる。安いからといった理由だけで買った食材を使って、適当な炒め物を作る。

 炒め物のほかにインスタントのスープを作って出来上がった料理を、祐二の手によって美しく磨き上がったテーブルへ乗せる。祐二がよそってくれたご飯が置かれたところで、二人揃って手を合わせる。

 尚久は食事時に無駄な話を挟めないタイプなのだが、それは祐二も一緒だった。食事に集中するときはお互いに無言で咀嚼だけをする。皿を空にして水を飲んだところで、ようやく会話が始まる。これがお決まりの食事パターンとなっている。

「そう言えば、この前言ってた仕事の当てどうなった?」
「この前面接行ってきた。合格だって」
「……仕事決まったなら言えよ」
「教えてって言われてないから」

 呆れた視線を向けるも祐二の表情に悪意はない。居候の身なら、普通は家主に結果を教えるだろうと尚久の常識はそう判断するが、祐二には通用しないのだと悟る。

「どんな仕事?」

 空気を読めない祐二が選んだ仕事が純粋に気になる。軽い気持ちで聞いてみると、祐二はあるバーの名前を口にした。予想外の店名に口の中の水分が奪われていく感覚に陥る。

「へぇ、良かったな」

 何とかそれだけ口にすると、祐二のまっすぐな視線が尚久を捉えた。力強く澄んだ瞳が宿すこの色は危険だ。嫌な予感に口を挟む間もなく、祐二は恐れていた言葉を口にした。

「一緒にやらない?」

 地元にいたときから、避けてきた言葉は、いとも簡単に祐二の口から零れ落ちた。短い言葉の誘いに関わらず、その言葉が祐二を締め上げていく。

「このバーは店員が優先してステージで歌えるんだ。面接を受けていなくても、店員と同じグループはステージに立てる」

 祐二の言葉がとんでもなく甘い言葉に聞こえる。気持ちを全て掻っ攫っていくような、ひどく甘美な響きだ。麻薬のようにずぶずぶと身体の内側を溶かしていく。

「俺はずっと尚久と一緒に組みたいって思ってた。尚久が一緒だと、いつも以上に楽しく歌える。何でもできるって思えるほど力が沸く。俺の頭じゃ上手く言えないけど……二人なら多くの人に俺たちの歌を届けられると信じている」

 珍しく饒舌な祐二はどこか興奮しているようだった。ずっと言いたかったことが言えたせいか、声が上擦っている。

「尚久は今もギターを弾いてるでしょ。仕事だって音楽関係だ。やっぱり音楽が好きなんだって、あの頃から何も変わっていないんだって、再会して一緒に歌ったときに思った。凄くほっとした」

 そこで祐二は一旦言葉を止めると、ふんわりと目元を緩ませて笑った。

「二人で音を奏でるのが尚久も好きなんだって確認できて、嬉しかった」

 祐二の言葉は尚久を深く貫いた。あまりの痛さに血が出ているかもしれないと自身の手を見下ろすも、何の変哲もない見慣れた自身の手があるだけだった。もちろん血なんて出ていない。全ては思い込みだ。

 思い込みなのに、こんなにも痛い。遅れて痛みの種類に気付く。これは切り傷ではない。火傷だ。そう捉えた瞬間、業火が突如として現れた。身を焼き尽くす炎の熱さに歯を食いしばりながらも、言わなくてはならないと言葉を絞り出す。

「……なに勘違いしてんだよ」

 なるべく平坦に冷たく聞こえるように、努めて声色を低くする。尚久の態度に祐二の顔が固まった。ほんのり口を開いて、どこか呆然としている。

「あんまりにもお前が一人でしょぼくれていたから、合わせてやっただけだよ。お前が思うより俺は音楽を好きじゃない。多少できるから、仕事に選んだだけだ」

 身体が炎に包まれる。熱い。幻覚だとわかっていても、息苦しくなる。

「嘘だよ。人の気持ちに疎い俺にだって、それは嘘だってわかる」

 祐二の声が頼りなく震える。これ以上は止めろと自身を制止しようとするも止まらない。視界が赤く染まっていく。

「毎日のように二人で歌っていたときも、久しぶりに会ったときに歌ったときも、あんなに楽しそうな顔していたくせに、なんでいつも途中で――」

 テーブルを叩いて祐二の言葉を止める。ぐっと身を乗り出して祐二に顔を近付ける。

「俺はお前と組むつもりはない」

 一息に言い切ると、祐二は表情を歪ませた。泣き出す寸前の顔をしながら立ち上がる。

「……ごめん、ちょっと外出る」


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