7 / 14
第二章
第7夜
しおりを挟む
「お母さん。あの、実は話があるの」
「なに、シャーサ、改まって」
その日、シャーサはテーブルに座る母に、話しかけた。
「私、実は、一緒にいたい人が、いて」
緊張で張り付く喉に、必死に唾を通す。
「お母さんが紹介してくれた人じゃなくて、その人と、い、一緒にいたい…です」
「…どんな人なの?」
母の問いに、シャーサはしどろもどろになりながら答える。
「え、えっと、ものを、作るひと?服や、履き物とか…」
指先を振るだけで、とは言えないが、嘘ではない。
ましてや、魔法使いです、なんて言った日には正気を疑われてしまう。
「そう素敵ね」
感情の読み取れない平坦な母の感想に不安になりながらも、シャーサは頷く。
そのまま突っ立っていると母に手で椅子を示された。
音を立てないように椅子を引き、母の正面に座る。
母は思い出すように少し遠い目をしてから話し始めた。
「ねえ、シャーサ、聞いて。私もね、望んであなたのお父様と結婚したわけではないの」
母が親の取り決めで父に嫁いだ話は、シャーサも知っている。
早くに妻を亡くした父は、残されたシャーサに母親がいた方がいいだろうと、再婚相手を探していた。
そこで白羽の矢が立ったのが、母だった。
「最初はもちろん嫌だったわ。だって私には好きな人がいたもの。…それでね、私、結婚前に駆け落ちをしたのよ」
結婚する前の母の話は、シャーサは詳しくは知らなかった。
初めて聞く話に驚きつつ、話の腰を折らないよう、慎重に相槌を入れる。
「泣きながら、逃げて、逃げて…悲劇のヒロインみたいで、その時は楽しかったし、嬉しかったわ。この人とならどんなことでも乗り越えられるって、そう思った。…でもね、次の日の朝、目が覚めた時には、その人はいなくなってた。私は裸で、ベッドにひとり。そのまま、昼になっても帰って来ない彼のこと、親が探しに来てくれるまで、ずっと信じて待っていたの」
「…滑稽でしょう?」と母は笑って、頬杖をついた。
どういう反応を返すのが適切か分からずシャーサは固まる。母は笑みを消してシャーサをじっと見た。
「貴女のお父様は、そんな私でも受け入れてくれた素晴らしい人よ。…だから、結婚というのはね、好きだとかそんなものだけで決めてはいけないのよ、シャーサ。おとぎ話のような恋を信じたくなる気持ちは分かるけれど、あなたに、私の二の舞にはなってほしくないの」
母は机の表面を、こつこつと指先で叩く。
「その人の身分は?ご家族は?収入や、交友関係は知っているのかしら?」
「…」
答えられなかった。シャーサは魔法使いの家族どころか、名前すら知らない。
「その全部があなたの望ましいものだったとして…。シャーサ、あなたは本当に相手に望まれるような女性かしら」
母のその問いは、「シャーサは誰かから選ばれるような人間ではない」と言外に否定するものだった。
その呪いのような言葉に首を振れず、シャーサはただ机の下で肌に爪を立てる。
「その人に優しくされて、思いあがってしまっただけではない?…シャーサ、もう一度、よく考えてね。あなたは賢いもの、きっとすぐに分かるはずよ」
確かにシャーサは、あの魔法使いの隣に立てるような人間ではないかもしれない。
母の言う通り、思い上がりなのかもしれない。
けれど、魔法使いの言葉を、誠意を、疑いたくなかった。あの人はそんな人ではないと、言いたかった。
自分の幸せを願う言葉を、受け止められるようになりたかった。
なら、目の前の、母親の言葉は?
自分のことを愛して、幸せを願ってくれる言葉なのだろうか。
「お母さん、私、お母さんのこと、好きよ」
ぽつりと言ったシャーサの言葉に、母は驚いたような顔をする。
そして、ふい、とシャーサから目線を外した。
「急にどうしたの、シャーサ。ふふ、びっくりするわ」
「私、お母さんが喜んでくれたら、嬉しい」
「そうなの。ええ、ありがとう」
話を終わらせようと椅子から立ち上がる母を追うように、シャーサは腰を上げる。
「おかあさん、」
「ああ、そうだ、今日、水を使おうと思ったら、水がめの中身が空だったの。ちゃんと足しておいてくれないと困るじゃない。…もっと気が利くようにできないと、嫁いでからお姑さんに色々言われてしまうんじゃないかしら」
「…、あ、のね」
「大丈夫よ。不安よね、分かるわ。…さあ、お話はおしまい。私は少し出掛けてくるから」
「…」
完全にシャーサから背を向ける母に、シャーサはそれ以上言葉をかけられなかった。
中途半端に上げた腰を、ゆっくり椅子に下ろし、シャーサは長い間、そこから動けないでいた。
「なに、シャーサ、改まって」
その日、シャーサはテーブルに座る母に、話しかけた。
「私、実は、一緒にいたい人が、いて」
緊張で張り付く喉に、必死に唾を通す。
「お母さんが紹介してくれた人じゃなくて、その人と、い、一緒にいたい…です」
「…どんな人なの?」
母の問いに、シャーサはしどろもどろになりながら答える。
「え、えっと、ものを、作るひと?服や、履き物とか…」
指先を振るだけで、とは言えないが、嘘ではない。
ましてや、魔法使いです、なんて言った日には正気を疑われてしまう。
「そう素敵ね」
感情の読み取れない平坦な母の感想に不安になりながらも、シャーサは頷く。
そのまま突っ立っていると母に手で椅子を示された。
音を立てないように椅子を引き、母の正面に座る。
母は思い出すように少し遠い目をしてから話し始めた。
「ねえ、シャーサ、聞いて。私もね、望んであなたのお父様と結婚したわけではないの」
母が親の取り決めで父に嫁いだ話は、シャーサも知っている。
早くに妻を亡くした父は、残されたシャーサに母親がいた方がいいだろうと、再婚相手を探していた。
そこで白羽の矢が立ったのが、母だった。
「最初はもちろん嫌だったわ。だって私には好きな人がいたもの。…それでね、私、結婚前に駆け落ちをしたのよ」
結婚する前の母の話は、シャーサは詳しくは知らなかった。
初めて聞く話に驚きつつ、話の腰を折らないよう、慎重に相槌を入れる。
「泣きながら、逃げて、逃げて…悲劇のヒロインみたいで、その時は楽しかったし、嬉しかったわ。この人とならどんなことでも乗り越えられるって、そう思った。…でもね、次の日の朝、目が覚めた時には、その人はいなくなってた。私は裸で、ベッドにひとり。そのまま、昼になっても帰って来ない彼のこと、親が探しに来てくれるまで、ずっと信じて待っていたの」
「…滑稽でしょう?」と母は笑って、頬杖をついた。
どういう反応を返すのが適切か分からずシャーサは固まる。母は笑みを消してシャーサをじっと見た。
「貴女のお父様は、そんな私でも受け入れてくれた素晴らしい人よ。…だから、結婚というのはね、好きだとかそんなものだけで決めてはいけないのよ、シャーサ。おとぎ話のような恋を信じたくなる気持ちは分かるけれど、あなたに、私の二の舞にはなってほしくないの」
母は机の表面を、こつこつと指先で叩く。
「その人の身分は?ご家族は?収入や、交友関係は知っているのかしら?」
「…」
答えられなかった。シャーサは魔法使いの家族どころか、名前すら知らない。
「その全部があなたの望ましいものだったとして…。シャーサ、あなたは本当に相手に望まれるような女性かしら」
母のその問いは、「シャーサは誰かから選ばれるような人間ではない」と言外に否定するものだった。
その呪いのような言葉に首を振れず、シャーサはただ机の下で肌に爪を立てる。
「その人に優しくされて、思いあがってしまっただけではない?…シャーサ、もう一度、よく考えてね。あなたは賢いもの、きっとすぐに分かるはずよ」
確かにシャーサは、あの魔法使いの隣に立てるような人間ではないかもしれない。
母の言う通り、思い上がりなのかもしれない。
けれど、魔法使いの言葉を、誠意を、疑いたくなかった。あの人はそんな人ではないと、言いたかった。
自分の幸せを願う言葉を、受け止められるようになりたかった。
なら、目の前の、母親の言葉は?
自分のことを愛して、幸せを願ってくれる言葉なのだろうか。
「お母さん、私、お母さんのこと、好きよ」
ぽつりと言ったシャーサの言葉に、母は驚いたような顔をする。
そして、ふい、とシャーサから目線を外した。
「急にどうしたの、シャーサ。ふふ、びっくりするわ」
「私、お母さんが喜んでくれたら、嬉しい」
「そうなの。ええ、ありがとう」
話を終わらせようと椅子から立ち上がる母を追うように、シャーサは腰を上げる。
「おかあさん、」
「ああ、そうだ、今日、水を使おうと思ったら、水がめの中身が空だったの。ちゃんと足しておいてくれないと困るじゃない。…もっと気が利くようにできないと、嫁いでからお姑さんに色々言われてしまうんじゃないかしら」
「…、あ、のね」
「大丈夫よ。不安よね、分かるわ。…さあ、お話はおしまい。私は少し出掛けてくるから」
「…」
完全にシャーサから背を向ける母に、シャーサはそれ以上言葉をかけられなかった。
中途半端に上げた腰を、ゆっくり椅子に下ろし、シャーサは長い間、そこから動けないでいた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
【完結】あなただけが特別ではない
仲村 嘉高
恋愛
お飾りの王妃が自室の窓から飛び降りた。
目覚めたら、死を選んだ原因の王子と初めて会ったお茶会の日だった。
王子との婚約を回避しようと頑張るが、なぜか周りの様子が前回と違い……?
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる