【完結】王甥殿下の幼な妻

花鶏

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最終章

06

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「……そう、なのか……」

「そうです。
 マティアス様こそ、おなかは大丈夫ですか?」
「おなか?」
「昨日わたくしが蹴ったおなかです」

 そう言われてマティアスは腹を摩る。

「………いや……? 別になんとも」
「…………そうですか。
 割と渾身の蹴りだったのですけど」

 なぜかがっかりするリリアに申し訳なくなって、慌ててフォローを入れた。

「しかし、手は痛い。
 花瓶を割って抵抗してくれたんだろう」
「それはマティアス様がご自分で割ってご自分で握り込んだものです」
「……そうか」

 フォローに失敗する。
 つんと拗ねたふりをするリリアが可愛いと、場違いな感想が浮かんだ。

「………本当、なのか」

「わたくしが嘘をついていると思いますか?」
「いや……そうか、……
 そうか、良かった………」

 両手で顔を覆う。
 急に体温が上がった感じがして、ひどく喉が渇いていたことに気付いた。

「いや、すまない、怪我をさせて良かったではないのはわかっているのだが……」
「承知してます。
 マティアス様は、わたくしがまだ子どもだと思っていて、ああいったことはわたくしにすべきでないと思っていらっしゃるのですよね」
「あんな無理矢理するようなやり方は、どんな相手にもすべきではない。大人になっても誰にも許すな」

 言ってから、はたと気づく。

「すまない、俺が言えたことではない」
「いいえ」
「………本当に、俺が言えたことではないな……。
 未遂だったのはリリアが頑張ってくれたおかげで、そうでなかったら」

 ふと軍の警邏で不幸な女性を保護した記憶が蘇り、背筋がぞっとした。
 あの類の事件は被害者の尊厳を傷つけると言われるが、もしリリアが頑張ってくれていなかったら、人として地に堕ち、尊厳を失うところだったのは寧ろ自分の方だったと思う。

 そしてそうなっても、おそらくマティアスを断罪する者はおらず、今後リリアをマティアスから庇う者もいない。―――あの、口の悪い侍従を除いて。

(……アーネストがいないと、俺は本当にだめだな……)

 ただただリリアが心配だったところに安堵して余裕ができたのか、己の不甲斐無さが重く認識されてくる。

「……アーネストに、報告したくないな。
 ここまでの恥は初めてだ」

 リリアは落ち込むマティアスを少し考えるように見てから、複雑な表情で控えめに申し出た。

「……あの」
「なんだ」
「マティアス様は、すごく頑張って我慢してらしたと思います。呼吸も荒くて、その、………とても辛そうだったのに」

 自分の発情ぶりを実況されてマティアスは耳を赤くした。
 なんだ、何かの前置きか。それとも酷い事をされた仕返しなのか。もしかして状況説明が始まるのか。いや、聞けと言うなら聞くが、どういう反応が正解なんだ。
 冷や汗をかきながらぐるぐると考えを巡らせてもマティアスの人生経験の中に参考資料は見当たらない。

「抵抗したら頑張って我慢してくれるんですけど、またすぐ触ってきて、また我慢して、……わたくしは、マティアス様が泣いてしまうと思って最後まで抵抗してましたけど、正直そんなにしたいなら一発お腹でも殴れば大人しくなるのに」
「おい」

 そんなことをしていたら、俺は今日首を括る。

「それで、わたくし今まで、マティアス様のお役に立つなら変態のおじさんに貸し出されても構わないと思っていたのですけど」
「リリア」

 咎めるように呼ぶマティアスにリリアは笑う。

「そんな風に考えるの、もうやめますね。
 昨日のマティアス様が頑張って守ってくれたこの身体は、そういう風に使って良いものじゃないって、今はそう思います」

 唖然としていると、リリアはマティアスの包帯が巻かれた右手に優しく手を重ねた。

「―――大事にしようとしてくれて、ありがとうございます」


 ―――この、人は。

 違うだろう、貴女は被害者で、俺は加害者の筈だ。それを―――


 リリアは自分の身体に本当に頓着しない。
 イドゥ・ハラルでの騒動で、マティアスはリリアの胆力に感心する裏で、あれだけ自分を大事にして欲しいと言い続けても届かなかったのだと知って悲しかった。
 その彼女が、これからは自分を大切にすると言う。―――おそらくは酷薄で身勝手な罪状をマティアスから拭う為に。


 強く抱きしめれば折れてしまいそうなか弱い身体で、覚悟ひとつで全てを捨てて王都にやってきた少女。たった一度の恩義を返すために、いつでもマティアスの届かない場所から手を述べてくれる得難い人。

 どんなに賢くてもまだ子どもだと思っていた。守るべき人であって、心を分かち合う相手ではないと思っていた。

 だが思い返せば、彼女は出会った時からずっと、一人前の人間だった。


 ……本当に、敵わないな……。

 リリアが好きだ。
 もう、誤魔化しようもなく、彼女だけが欲しい。


 ―――たとえ彼女の中に自分の場所はないのだとしても。



「……他には俺は何かしたか?」
「たくさんキスされて、食べられちゃうかと思いました」
「………それは覚えていない」
「わたくしの身体は、マティアス様に差し上げているので、いいんですよ」
「身体だけか」
「わたくしの心はわたくしのものなので、差し上げることはできません」
 
 マティアスの軽口にリリアが笑いながら返す。
 評価の厳しいアリーダが得難い女性であると賞賛した意味を、改めて実感する。

 彼女と出会えたことは本当に幸運だった。

「………リリア」
「はい」

 少しの拒絶も見落とさないように、マティアスは青く澄んだ目を真っ直ぐに見る。

「貴女が嫌でなければ、昨日俺が乱暴に触った場所に、もう一度触れたい」

 リリアは少し驚いた顔をしたが、にっこりと笑んで両手を広げ、マティアスを迎えた。

「どうぞ」

 寝台にあがり覆いかぶさると細いかいなで優しく抱き止めてくれた。
 少しの間抱きしめてから、マティアスは上半身を起こす。
 整った輪郭をなぞってそっと頬を撫でる。色白の小さな顔を掌で包むと、リリアの長い睫毛がゆっくり閉じた。マティアスは瞼や頬に何度かキスを落としてから、己の唇をリリアの桜唇に軽く重ねる。

「大人のキスはしないのですか?」
「……どこで覚えてくるのか知らないが、そういうのは、惚れ合った相手とするものだ」

 苦笑いして軽く額を擦り合わせる。耳朶を優しく撫でていた指を首筋を伝わせて胸元へ運び、するりとリボンを引く。
 されるがままに肩を浮かせるリリアの上半身を軽く抱き上げ、寝衣のリボンを鳩尾まで解く。胸元から肩をなぞるように寝衣を開く。明け方には紅かった鬱血痕が痛々しく紫色に変色していた。

 あらわになった胸の間を胸元から鳩尾までそっと確認するように大きな掌を伝わせる。透き通るような新肌の手触りが気持ちよく、名残惜しさに手が吸い付いた。

「痣は触れても痛くないか」
「押されると少し痛いですけど、大丈夫ですよ」
「そっと触るようにするから、じっとしてて」

 雪肌を汚す紫色の痕を指で優しく辿ってから、マティアスはゆっくりとひとつずつキスを落としていく。
 最後のひとつへのキスを終えると、マティアスはもう一度、先ほどより長くリリアと唇を重ねた。
 リリアは恥ずかしがる様子もなく、マティアスの愛撫を黙って受け入れていた。

 寝衣を戻してリボンを結び直す。
 湿布の貼られたリリアの両腕を撫でてからその手をとり、両の甲を揃えて口づけた。

「………ありがとう」
「はい」

 両手を繋いだまま、マティアスはリリアを見つめる。

「嫌じゃなかったか」
「嫌じゃないですよ」

 真っ直ぐに見つめ返してくるリリアの表情に嘘はないように思う。少しほっとして肩の力が抜けた。

 リリアと出会えたことは幸運だった。
 
 リリアは務めだから嫌ではないと言うのだろうが、本当なら今したようなことも、愛し合った相手とだけしてくれればと思う。

 今したことは、マティアスがリリアから奪ってしまったもの。

 残りは全て、リリアの想う男に―――いや、


 リリアに返す。





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