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第六章 王甥殿下の責務
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しおりを挟む女王との面談を終えて執務室を出される。
リリアは明日の晩は王の寝所に侍る決まりのようで、明日は朝から禊をするらしい。アイディティア女王は、襲わないから安心しろ、と笑っていた。
急転直下した事態にマティアスは頭がうまく動かなかった。
リリアに手を引かれて石造りの階段を下る。
「殿下」
茫然自失のマティアスにラビンドラが声をかけた。
「よろしゅう、ございました。
ほんとうに……」
嬉しそうなラビンドラの顔を見て、自分は生き存えたのだと漸く理解した。
軽い目眩とともに汗が滲みだす。
「………ラビンドラ殿の、御協力のお陰です。ありがとう」
「力になれたことがあったなら幸いです」
「貴方が前日に訪ねてくれなかったら、何もかもが違っていた。本当にありがとう。
以前我が国に留学していたと仰っていたが、楽しく過ごしていただいたんですね」
「それもありますが―――実を言うと、殿下のことは少しばかり聞き及んでおりまして」
「俺のことを?」
「はい。強さをひけらかさず、目下の者にも丁寧で、困っていれば助けてくれる良い方だと」
「……随分と高い評価を頂いているな。誰からそんなことを」
「今、ヴィリテにお邪魔している甥です。殿下に困っているところを助けて頂いたと聞いています。ムクティと申しますが、お分かりでしょうか」
ラビンドラの言葉にリリアが目を丸くする。
「ムクティのおじさまですか!?」
「おや、リリアさん、うちのをご存知で?」
「わたくし、ムクティとは学園で一緒でした!」
「なんと。なるほど、学園の方でしたか……!
あの子はちゃんとやれてましたか。大変なことも人に言わない子なので」
「ムクティは凄いですよ。今は一人で書架に入れます。学園で、信頼を得てるということです」
「そうですか。外国人ということで苦労しているのではないかと」
「恥ずかしながら街には色んな人がいますが……学園は外国人が多いので大丈夫ですよ。
今も文通してます。書架の奥でビステト時代のザムールの文献にイドゥパクタル語の記述を見つけて、いつかザムール王国に文献を探しに行きたいって書いてありました」
「ビステト時代の! ということは、やはりイドゥ・ハラルの神々は古代ザムール西部の遊牧民の信仰が」
共通語の筈なのに理解不能の会話で盛り上がり始めた二人をマティアスは呆けたまま見守る。それに気づいてラビンドラは話を戻した。
「し、失礼、殿下はここのところなかなか眠れなかったご様子ですし、今日はゆっくりなさってください。部屋には誰も近付かないよう申し付けておきます」
リリアと二人で客間に戻り、扉を閉める。
この二日、一人で己の死と向き合って暗く長い夜を過ごした部屋。今は窓から差し込む朝の陽の光で床石の凹凸までがはっきりと見える。初日からずっと、美しく曼荼羅の織り込まれたタペストリーが壁を飾っていたことに気づく。灰色に茶色い筋の入った床を、こんな色だったろうか、とぼんやり見つめて、ふとマティアスはずっとリリアと手を繋いだままだったことに気付いた。
「―――すまない、汗ばんでて気持ち悪いだろう」
手を放そうとしたが強張って指が開かない。
「………手が上手く動かない」
戸惑うマティアスの手を引いて寝台に寝かせ、リリアは両手でその手を包んだ。
「甘えん坊の旦那様の為に、可愛い妻が手を握っててあげます」
「大サービスだな」
「起きたら、ごはんもあーんしてあげます」
「………そこまではしなくていい」
やっと笑うことができたマティアスに、リリアはほっとしたように表情を緩めた。
「ムクティに、ありがとうって手紙書かなきゃ」
「そうだな。彼が貴族だったとは思わなかった」
「ムクティは貴族じゃないですよ」
「ラビンドラ殿の甥だろう?」
「イドゥ・ハラルの八曜は世襲制じゃないので、ラビンドラ様が八曜でもムクティには関係ないです。ラビンドラ様も引退したら一般人に戻ります」
「そうなのか。すごい国だな」
「女王陛下がお妾さんとったり?」
はたと何かに気づいたようにリリアがくすくすと笑い出した。
「どうした」
「わたくしの身体はマティアス様のものですけど、マティアス様もわたくしのものになっちゃったな、と思って」
「ほんとだな」
数日後には天へ還る筈だったマティアスが、リリアのものとして地上に残ることを許された。
本当に、さまざまな偶然と、何人もの人々の好意で辛うじて繋がった命だった。
「マティアス様、王都に帰ったら、アイディティア陛下にショールを贈って差し上げたいです」
「うん、良いんじゃないか」
「全面刺繍の。マティアス様、手伝ってください」
「……全面?」
「刺繍の量は愛の量ですよ」
「なら、俺が手伝うのはズルじゃないか。王都に帰ったら図案だけ描いてやるから頑張れ」
「王都に帰ったら、わたくし、報告で忙しいですよ」
「俺も帰るんだから報告は二人でやれば良いだろう」
「王都に、………帰れますね、二人で」
「……そうだな」
マティアスの冷たい手をリリアは自分の頬に当てる。温められた指先から命が巡るような感覚を覚えて、マティアスはそのまま眠りに落ちた。
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