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第四章 幼な妻との離婚危機
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しおりを挟むまた冷たい風が通り抜けて、リリアが小さく身体を震わせる。マティアスは上着を脱いで華奢な肩に掛けた。その襟元を掻き合わせてリリアは嬉しそうに笑みを深くする。
「マティアス様の、誰に対してもお優しいところ、すごいなって思います」
「……話を聴くだけなら、置物でも出来る」
話を、確かに聴いた。
しかし、それだけのことだ。
たいして仕事も出来ないのに予算をせびるマティアスに、宰相は散々嫌味を言った。それでも予想外に迅速な対応をしてくれ、年度末が近いとは言え議会にも諮らずその日のうちに予算をつけた。―――つまり、初めから学園の存続にはそれだけの価値が認められているのだ。
「置物には出来ますが、人にはなかなか出来ないことです」
「………そうかな」
「そうです」
「………そうだな。一番最初も、今回も、話も聞かずに貴女を傷つけた」
「今回は別に傷ついてはいません」
「話があるって言われたのを無視したのに、傷ついてもくれないのか」
「傷つけたかったんですか?」
「………そうじゃない」
リリアが首を傾ぐ。
基本的にマティアスとリリアは色々なことが共有できない。言葉を重ねないといけないと分かっていた筈だった。
「面白計画を考えていたこと、まだお怒りですか?」
「いや、怒っていたのは単に俺が……
―――いや、面白計画はほんとにやめてくれ。
なんで貴女は俺とクラウディアをどうにかしたがるんだ。お似合いと言われれば光栄だが、彼女は既婚者だぞ」
なんならばマティアスだって既婚者で、その妻は目の前の少女なのだが、一顧だにされないのが解せない。
リリアはきょとんと目を開く。
「マティアス様が、喜ぶと思って……」
「なんでだ」
「だって、クラウディア様のことがずっとお好きで」
とんだ誤解にマティアスは呆れて眉を下げる。
「子どもの頃の話だ。今はいい友人だ」
「でも」
「本当だ。今の方が仲が良いくらいだ。
だいたい貴女は、クラウディアと仲良くしてるんじゃなかったのか。俺の希望のためだけに離婚させるなんて酷いじゃないか」
「マティアス様はお優しい方だから、その方がクラウディア様も幸せかと」
「………ヴォルフの幸せは」
「ヴォルフ様の幸せには特に興味ありません」
「…………貴女は、ほんとに怖い人だな……」
敵でなくて良かったと心底思う。
「………もう母上と具体的な話をしてしまっているのか?」
「計画のですか? していません」
「そうなのか?」
「だって、わたくしは興味ありませんけど、マティアス様、ヴォルフ様がお好きでしょう?」
意外な指摘にマティアスは目を見開く。
「皆、マティアス様が責任感でお立場を弁えてると言ってますけど、マティアス様はヴォルフ様を可愛がってるでしょう?」
「………うん」
「ヴォルフ様が泣いてしまったら、マティアス様が悲しむと思ったので。だから、誰にも言ってないし、初めから実行するつもりもなかったです」
「―――そうか」
安堵の息が漏れる。
リリアの話を聴いたのが、自分で良かった。
もしイリッカが彼女の恩義を得ていたなら、今頃本当に自分が王太子だったかもしれない。
「………あまり有能さを示さないでくれ。
誰かに利用されそうだし―――俺も利用したくなりそうで怖い」
「すればいいですよ」
「したくない。俺は、貴女とはそれなりに仲良くなったつもりだ。違うか?」
「……違いません」
「じゃあ、利用させるようなことをするな」
「…………はい」
リリアはどこか納得のいかない顔で頷く。
「エアハルト様との結婚、お断りした方が良いですか?」
「貴女はどうしたいんだ。
……兄の欲目かも知れないが、あの子は良い子だ。貴女が望むなら、悪くないと、思う………」
見た目も優しげで、実際気立も良い。自分のように母に振り回されるでもなくルドルフのように反発するでもなく、母親の暴挙を躱す器用さもある。それに自分と違って、恐らく女性に怒鳴ったりすることもない。まだ十九のエアハルトなら、十四のリリアもすぐに釣り合いのとれる歳になる。
「たぶん、エアハルト様、想いを寄せる方がいらっしゃるんですが」
「………………そうなのか? 相手は誰だ?」
「ゲントナー伯爵家の、ディートリンデ様です。
でもまあ、わたくしの人生でマティアス様とエアハルト様以上の良縁なんてなさそうなので、マティアス様とは離婚する予定ですし、ありがたくお受けしようかしら」
「断ってくれ」
「え」
「すまない、断ってほしい。
ゲントナー伯爵家なら可能性がある話だ。
可能性があるなら、残してやりたい。
俺は離婚許可証にサインしない」
「マティアス様ったら、舌の根も乾かないうちに」
「―――エアハルトと結婚したらアルムベルクには帰れないぞ」
「あっ」
「俺がこのまま統治官をやることになったらリリアに学園の役職をやる。天才たちのサポートがし放題だぞ。
俺の方がお得じゃないか?」
「大切な旦那様がそこまで言うなら、しょうがないですね、再婚はお断りします」
あっさりと餌に釣られた現金な妻にマティアスは吹き出す。
アルムベルクの統治官職は未だ後任が決まらず、引き続きマティアスが名前ばかりの統治官となっている。代理で赴任している官僚が優秀で問題が起こらないため、選抜が後回しにされている状態だった。
「まあ貴女の見立ても合っているのか怪しいものだがな。
俺がクラウディアに未練があると思っていたへっぽこだし」
「それは、マティアス様が他に女性の気配が無さすぎるから」
リリアが珍しく子どものように口を尖らせた。
「マティアス様は、じゃあ、誰と結婚したいんですか? 出来るだけ誰も傷つけないでご縁を作る方法を頑張って考えます。
最近『素敵な出会い百選』を学習中なので、大船に乗ったつもりでお任せください」
「泥舟の予感しかない」
「失礼が過ぎる……」
「それに今は好きな人は特にいない」
「伴侶選びは大事ですよ。じゃあ、一番仲の良い女性、誰ですか? もしかしてエルザですか? アレクシスには申し訳ないけど、わたくしはマティアス様を応援しますよ」
夫の女性関係をうきうきと問い糺す妻の額を、マティアスは溜め息を吐きながら人差し指で押した。
「俺が今、一番仲の良い女性は、貴女だよ」
リリアは押された額を両手で庇ってぽかんとマティアスを見る。
「わたくし、ですか?」
「そうだよ」
「……じゃあ、好きな人ができたら、教えてくださいね」
「―――貴女は教えてくれないのにか」
「え?」
「なんでもない。
寒いし、そろそろ戻るか。
今日は屋敷に帰ってくるだろう?」
「イリッカ様に確認してみますね」
「帰ってきてくれ。
可愛い妻がいてくれないと、屋敷が針の筵で辛い」
げんなりと言うマティアスにリリアは笑う。
マティアスの上着をマントのように羽織ったまま歩くリリアの手を取り、バルコニーの階段を登る。
冷たい空気の中、街のシルエットに点々と灯る家屋の光が美しい。
木々の向こうに教会の鐘が見える。
今年の終わりを予告するように、鐘の音が街に響いていた。
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