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第四章 幼な妻との離婚危機
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しおりを挟む翌日、アーネストと一緒に王宮に出仕したマティアスは、宰相補佐のルーカスにバクーラ宗派の資料を渡された。
先月から王都ではたちの悪い風邪が流行している。八年前にカダール地方で流行し街の人口の一割を減らした、カダール風邪と呼ばれている風邪だ。これに効く薬はないというのが常識だったのに、ここ数年で名前を聞くようになった国教会の分派のバクーラ宗派が信徒に薬を配っているらしい。勢力をつけつつあるこの宗派は、献金の強要が厳しいと国教会に苦情がきていた。
「僕としては、薬の効果も出てないのに疑いもしないで、好きで貢いでる人の金は、ほっとけばいいと思うんですけどねぇ」
ルーカスが上目遣いにマティアスを見る。
「言っておきますけど、王族のおうちに依頼してるのであって殿下個人に依頼してる訳じゃないですからね。この間みたいに自分で見に行こうとしないでください」
「分かった。ちゃんと家の者にやらせる」
「この間のだって諜報の素人が一人でできる訳ないでしょ! アーネスト、君、分かってて面白がってたでしょう」
「いえ、俺も官吏としての用務かと勘違いしまして」
「嘘つけ……」
軍を辞めた二十の歳からマティアスは王族としての仕事の傍ら、王宮の官吏の仕事に混じっている。概ねは書類仕事だが現地調査や力仕事に従事することもあった。
将来、実務をこなす官吏のことが全く分からないでは正しい施政は難しい、というレイナードの教育方針だ。
そして、差戻し書類を量産したり会議を凍らせたりしていた。
割と早いうちからマティアスに親しく声をかけてくれたルーカスは、十年前の官吏試験を最年少かつ首席で合格し二十代で宰相室に配属されたエリートである。
マティアスは当初、遠巻きにひそひそされながら平民に混じって雑用をこなしていた。ルーカスは、そんなマティアスに声をかけていたせいで王族に取り入っていると揶揄された折、自分は媚を売る必要などないと仕事ぶりで証明してみせた豪の者だ。ヴィリテの歴史にも造詣が深く、歴史好きの上司や貴族にもすこぶる受けが良い。
会議前の短い時間にたびたびマティアスを捕まえては、マティアスの会議資料をぱらぱらと捲り議題のポイントを教えてくれる有難い存在でもあった。
「……ルーカス」
「はい?」
「その、最近貴方から事前説明してもらえる事が減った気がするのだが、気のせいだろうか。いや、してもらえて当然と思っている訳ではないが、」
ルーカスはきょとんと目を開いて、それから楽しそうに笑った。
「そんな事を気にされていたんですか!
助けられる事があればと思っていただけで、ご説明してないのはもう必要ないかなって思ったからですよ」
「いや、いつもすごく助かっていたんだが」
「でも最近は説明なくてもお困りじゃないでしょう?」
そう言われてマティアスは最近の会議を思い返す。確かに以前のように議論の流れが分からなくて困るような事は無くなっていた。
ふふ、と楽しそうにルーカスが笑う。
「この間、殿下の書類見ましたよ。こんなことするの今だけなのに、いつもノルマ以外の提言書まで頑張って作ってますよね。ほぼ没ですけど。
僕、殿下のあの直しようの無い文章とか、ちぐはぐな資料とか面白くて好きだったのに、最近整ってきちゃって残念です」
「………もう少し素直に喜べるように褒めてくれ」
殆どの官吏は厳しい試験を潜り抜けて地方の出先機関に就職し、その中でも選りすぐりの者だけが王宮に集められる。マティアスは努力によって地方官吏程度の事務能力は身につけた。しかし王都の、しかも王宮の官吏たちにはとても及ばない。
「正直僕は、殿下が下っ端の書類作ったり会議に出たりする必要ないっていうか、あまり良くないと思ってたんですけど」
「足を引っ張っているし、身分のことで窮屈な思いをさせている自覚はある」
「違いますよ。陛下や殿下たちは、理想と方針を示すのが仕事です。―――実務を知りすぎると実現可能性が理想の足枷になるし、詳細が見えすぎると大局を見逃すでしょう」
一瞬だけ国の上級官僚の表情を見せた青年は、また朗らかに笑う。
「でも、殿下、どれだけ提言が通らなくてもめげないので頼もしいです。
どう実現するかは僕たちが考えることです。殿下は、何がしたいのか、見失わないでください」
「ありがとう。頼りにしている」
努力を諦めた訳ではないが、優秀な人に素直にそう返せるようになったのはリリアのおかげだと思う。自分は書類仕事がしたいのではない。望んでいるのは、その先だ。
「そう言えば、昨日ザムールの王太子様と話がついて、ネブラス山の植林に技術者を貸してもらえるそうですね」
「何の話だ」
「あれ、ご承知じゃないですか?
殿下のところの、新しい子。橋の設計ミス見つけたりセロッタの織物を交易品にのせろって言ったりしてた」
リリアのことだ。
「彼から、このままだと下の町が危ないけどザムールの知識を借りれたら伐採やめなくていいんじゃないかって提案出してたでしょう。
リリア様のご用意された多色の蝋燭をお土産に差し上げたら二つ返事で承諾されたそうですよ」
昨日の応接室でマティアスも初めて見た、多色の蝋燭。ザムール王太子にはイリッカが準備したと言っていたが、リリアの案だということか。イリッカがリリアを連れて行ったのはこのためだったのだろうか。
「搬出路にもけっこうお金かけちゃったし、山主に中止させるのも骨が折れるから、続けられるといいですよね」
「……聞いてない。いつの話だ」
「あれ? 先月の話ですけど……あ、そうか、決裁文書じゃなくて手紙が添えてあったんだ。あの子面白い書類作りますよね。今度会わせてくださいよ」
「……だめだ。あれは、表には出さない」
正確には、出せない。
リリアは城の官吏たちに比べれば処理能力が高いという訳ではなかったが、その場所で不足しているものと、それを持っているものを見つけるのが上手い。そして意外なことに、儲け話を見つけるのが好きだった。それを宰相に面白がられ、少女であることを知られると面倒ということで、必要以上に喋るなときつく言われている。
公表した方が数少ない女性官吏の励みになるのではとも思ったが、マティアスという後ろ盾があるリリアではそれも微妙で、表に出すメリットはないということになった。
「えぇ? 残念だなぁ。
まぁいいです、もっと出世したらまた頼みます。
では調査の件お願いします。月末に一度報告あげてください」
「分かった」
アーネストに書類を預けて自分の執務室に向かう。
アーネストが前を歩くマティアスの肩を叩いた。
「良かったな」
「何が」
「リリアちゃん、土砂崩れのこと黙ってなかったじゃん」
「…………そう、だな」
先月手紙が来ていたと言っていた。マティアスたちにばれるよりも何日も前だ。―――宰相が、マティアスが知らない事を訝しんでいたのはそのせいか。
「すっきりしたか?」
「………する訳ないだろう」
「なんで」
「…………濡れ衣で、二週間も無視してしまった………」
「………ほんとだ。マティアス様、最低……。
リリアちゃんはドレスとか宝石とかで機嫌がとれないから、せいぜい頑張れ」
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