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第一章 幼な妻の輿入れ
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しおりを挟む半月ぶりの妻の寝室は、未だにしつこく例の香が焚かれていた。
「おいでいただけて嬉しいです、殿下」
笑顔でマティアスを招き入れたリリアは、自然な手つきで部屋の内鍵を掛けた。
―――襲われる。
いや、彼女が腕力で俺に勝てる訳がない。
落ち着け。
「お茶を淹れます。
どうぞおかけになって」
どうしたものか、とマティアスは眉を寄せる。
マティアスの考えは初日に伝え済みだし、その上での行動なのだから慎重にやらないとエスカレートしかねない。
「お仕事お忙しいところ、何度もお願いしてしまい申し訳ございません。早くお会いしたくて。
殿下からもお話があるとか。お先にお伺いしても?」
ティーコゼーをポットにかけて、リリアはマティアスの正面に座った。
大人びた優雅な態度に張り付いた貴族の笑顔。
先日晒した泣き顔などなかったかのように慇懃な口調で、本当に同一人物かと疑う。
何を考えているのか分からない笑顔であるが、リリアは真っ直ぐ聞けば答えてくれる人のような気がした。
先日の一件で、マティアスの好感度も上がっている筈だ。
「―――その、確認しておきたいんだが、」
「はい」
「やっぱり俺に抱かれたくなったのか」
「……………」
少しの沈黙の後、張り付いた笑顔はそのままに、青い瞳が虫を見るように細められた。
「………その目はやめてくれ。ヘコむ」
「あら、ごめんあそばせ。
殿下が面白いことを仰るので、つい」
「『夜にお待ちしています』だけの手紙を毎日送ってこられたら、そういうことなのかと思うじゃないか……」
がっくりと両手で顔を覆うマティアスに、感情の分かりにくい声でリリアが答える。
「だって、わたくしが他にどうやって殿下とお会いする機会を作れるというのですか」
「昼に普通に呼び出してくれれば都合がつき次第顔を出すから」
寧ろなんでそうしない。
「……お優しいのですね」
「その喋り方もやめてほしい」
「え」
「普通でいい。あの、泣いたり怒ったりしてた貴女が本当の貴女だろう。
それは腹を割れない人間の態度だ。何を考えているか分からなくて好きじゃない」
「…………」
「だめか?」
「……わたくし、素は……無遠慮で無神経で品性も慎みもないともっぱらの評判なので……」
散々な評価に、マティアスはうっかり笑いそうになる。
胸の前で握られた色白の手が、少し震えているようだった。
「……素のわたくしが殿下のお気に障って、あの件が取りやめにでもなったら……」
弱気な口調に、マティアスは漸く仮面ではなくリリアの顔を見たような気がした。
……本当に学園が大事なんだな。
「あの件はもう俺だけでどうこうできる状況じゃなくなったし、―――申し訳ないが、今の態度の方が気に触る」
びくりと震えてリリアの視線が上がる。
「普通にしてほしい」
「………あの、不愉快な時はご指摘を頂けますか……?」
「約束する」
「……では、はい」
完璧な微笑みが消え、目の前の小さな大人が、少し不安そうな少女に変わった。
「それで、貴女の要件は?」
「………殿下に、お渡りいただきたくて」
さっきそう聞いたら虫を見る目だったじゃないか。
「メイド達が、わたくしでは子どもすぎて、殿下の食指が動かないと」
そんなことを本人に聞こえる場所で話しているのか。リリアの扱いが軽い。
「それで、その者たちを黙らせたかった?」
「いいえ、色々聞こえてくるのは便利なので。
それで……
三日もお渡りがないのに努力もしないわたくしではお子は望めないと、メイド長から奥様に報告されたようです」
嫌な予感に、背筋に寒気がする。
「……新しい側室候補を、ちゃんと殿下とのお子を望む大人の女性から探した方がよい、と。
もちろん今はメイドが言っているだけのことですが……殿下は、あと五年は静かになると期待して、わたくしと結婚されたんですよね?」
「……そうだな」
あの能面のような顔でちゃんと聞いていたとは驚きだ。
「……子どもを産まないわたくしでは、お役に立てない気がします」
そこまで考えが至らなかった。
今までは、ヴォルフの後釜に据える為に王妃たりえる令嬢をと、寧ろ母が縁談を蹴っていた節もあった。リリアの輿入れで、側室という手があったじゃないかという考えになっている可能性は高い。
リリアとの結婚も抵抗は無駄だったし、確かにあの母なら側室の三人や四人増やしかねない。
「断る……理由がいるな……万が一結婚させられても、通わなくていい理由が……」
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