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一章

私は断捨離させてもらいますえ

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登場人物:

山田剛蔵 京都工芸袋物業を営む、18年前に死亡、享年44歳
山田華 妻、55歳
山田剛志 長男、32歳、夫婦で家業を継ぐ
山田和馬 次男、27歳、公務員
山田彩奈 長女、23歳、グラフィックデザイナーとして会社勤めを始めた。




「亀岡~、亀岡~」
 京都駅から山陰線で30分、亀岡駅で降りた山田彩奈は秋の風に揺れる髪をグイッと手で払った。カツンカツンとパンプスの音を響かせ階段を降りると駅前に長兄の剛志が車のトランクを開けて待っていた。
「よう、来たか」
 彩奈はまっすぐ車に近づくと、荷物をドサっと入れ、トランクを勢いよく閉めて言った。
「ああ、もう。どうしたん」
「どうしたって?」
「お母さん、一体、何があったんよ!」

「もう18年になるんや」
 剛志は駅から北の、彼らの実家に向かう広い、ゆったりした山道を運転しながら言う。
 山田家の当主、山田剛蔵が亡くなり18年目だった。当主の突然の死を迎え、剛蔵の妻、山田華は魂を抜かれたようになってしまった。傍目にも気の毒なくらいに、何もかもが上の空のように見えた。それでも空っぽの心のままに葬式、家業の手配、一周忌、三回忌などをこなして来た。そんな母親を子供達が支えた。長男の剛志が家業の伝統袋物工芸を母親と共に継承した。嫁を迎えた剛志は32歳の今は中心となって稼業を切り盛りするようになった。
 次男、27歳の和馬は京都市内で公務員。そして末っ子、23歳の彩奈は東京の大学を卒業後、京都市のデザイン会社でグラフィックデザイナーとして働き始めた。現在は会社借り上げの寮に住んでおり、実家にはボンと正月、それに何かの行事の時に亀岡に戻ってくる。何もかもが平穏無事な毎日に思えた。
「お父さんが亡くなって、そりゃお母さんは頑張って来はった。愚痴もこぼさんとね。まあ偉い人やな、と思うよ」
「そやけど、どうして? お母さん、急に関東に出て行くって言い出したんやね? 何があったんよ」彩奈はわけがわからない、と言う表情で首を振った。「断捨離したいから、皆、自分の欲しいものを全部取りに来て、って急に呼びつけるなんて! お母さん、そんなこと言い出す人やなかったのに」
「まあ、まあ」前を向いて運転しながら剛志は言った。「別に何もなかったよ」
「何もないって……」
「多分、お母さん、何もかも片付いたと思うたのやないかな。彩奈も大学を終えたし、俺ら子供が三人とも片付いたんや。子供が全部出て行のは、大きな区切りなんやろう」
「ふーん、そうか……」
 彩奈はうなづき、しばらく黙った。彩奈の知っている母親は、いつも忙しく家業と家族の世話で忙しかった。のん気に何もせずに過ごしている母親の姿を見たことがなかった。それが母親の元々の性格なのだと思っていた。
「お母さんにもなあ」剛志はチラリと彩奈を向いて笑って言った。「自分の時間が来たのかもしれんね」

 剛志とその嫁、和馬、彩奈が揃い、皆で広間で一息ついてお茶を飲みながら、母親の華が言った。
「みんな、よう来てくれたねえ。助かりますわ。彩奈さんも学校終わって、まあ丁度良い時期やし、皆にお願いしておこ、と思いましてん」
 華はゆっくりした調子で茶をすすりながら言った。
 彩奈は違和感を感じた。お母さんが、こんなにニコニコ笑ってはるのを見たことない……。やっぱり兄の剛志の言っている通りなんだろうか。
 お父さんが亡くなって以来、心を強く持って、辛いことがあろうと、そんな姿を見せない人だった。彩奈は子供心に、母親の痛々しいほどの気持ちを感じたのだ。だから自分も母親に心配をかけないようにしよう、しっかりしよう、と思って来たのだった。
 しかし今の母はどうだろう。まるで……まるでもう悠々自適の生活を送ろうとする初老の幸せな婦人ではないか!
 彩奈の感じたことは理不尽な怒りかもしれなかった。苦労して来た人がようやく幸せな境地に辿り着いたのだ。それを暖かく見守ってあげればいいではないか。

「いやもう、お好きなものを持って帰ってもろたらええから。アルバムも昔のからたくさんありますし。私はもう、だいぶん捨てましたけど」
「お母さん、捨てたの! どうして」次男の和馬が驚いた。「捨てなくてもいいのに。この家はどれだけ広いと思ってるの。部屋はいくつあったっけ。八部屋だよ、八つ! 何でもそのまま残したらええやないの」
 華はニコニコ笑っている。
 こりゃダメだ、と剛志は苦笑いしながら首を振った。最近華はちょっと耳が遠くなり、人の話が聞こえにくい。しかし時々それを逆手に取り、聞きたくないことを無視することもあるのだ。
 華はニコニコ顔でもう一度一同を見回して言った。
「皆んな、ゆっくりでよろしいさかい、帰るまでに時間を見て荷物を整理してくださいな。なにせアルバムはようけございますし」
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