化け物の棺

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化け物の棺

本当の化け物

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「ヴィクトー!大丈夫か?!」

床を掴んだヴィクトーの手首を力強く引く手があった。ヴィクトーが顔を上げるとそこには同じようにずぶ濡れて必死の形相をしたエルネストがヴィクトーを引き上げようとしていた。

「エルネスト!」
「ヴィクトー!引っ張るぞ!しっかり掴まるんだ!」

いつもひょうきん者のエルネストがこれほど頼もしく思えたことはない。
直ぐにタオも駆けつけて男二人の手を借りて、何とか濡れて重い体を床の上へと引っ張り上げた。

「…大丈夫か、エリック!」

エルネストとヴィクトーの気遣う声にエリックは咳き込みながらも精一杯頷いてみせた。
一先ず安堵したが、ヴィクトーはまだへたり込むわけには行かなかった。
撃たれたシュアンはどうなったのだろう。ヴィクトーの視線が荒れた水面を必死に探しながらシュアンの名前を叫んだ。

「シュアン!シュアンは何処だ!…シュアン!」

「大丈夫!ここにいるよ!肩を撃たれちゃいるが死んじゃいないよ!」

対岸からグリンダの声がした。見るとグリンダのへたり込んだその膝にはぐったりとなったシュアンが抱えられていた。

「グリンダ!貴女も無事か!…良かった二人とも…助かった…」

一気にヴィクトーの肩から力が抜けたがその傍で何やら騒がしく小競り合う声が聞こえた。

「どけ!ジジイ手を離せっ!」
「何を言うか!これは私が先に掴んだのだ!」
「そんなもん知るか!お前がしがみつくと沈んじまうだろう!放せっ!クソが!」

荒ぶる水流に浮かんだ一枚の木切れを巡ってエッカーマンと学院長が低レベルな諍いを繰り広げていた。
こんな時に!そう思ったヴィクトーは思わず叫んでいた。

「何してる!そんなことしてる場合か!二人とも沈むぞ!」
「おお!ヴィクトー君!!ごぼっ!私を先に助けたらひゃ、百万フラン出そうじゃないか!…ブクブクっ…」

百万フランはさて置き、どう見ても先に沈みそうなのは学院長の方だった。
周りを見回しても助けられるような物は見当たらない。
だがいくら非道な奴らでも一応命だ。このまま見捨てるわけにも行かない。ヴィクトーは猛スピードでくるくると考えていた。
そうしている間にも、あちこちの壁の亀裂からは水が吹き出し、ますます水嵩は増していく。

「そうだ…!エルネスト!シャツ脱げ!」

何かを閃いたらしくヴィクトーは水からのシャツを脱ぎ始めた。

「早く!」
「ええ?シャツを脱ぐ?!な、何をしようって言うんだ!」
「いいから早く脱げ!」

急かされて戸惑いながらもエルネストはシャツを脱いでヴィクトーへと手渡した。ヴィクトーはそれを引ったくり、互いの袖と袖を結びつけた。
もう片方の袖口に重りになりそうな壁の破片を仕込んで結び、ぶんぶんと振り回して勢いをつけて学院長達目掛けて放り投げた。

「順番に引き上げるからこれを掴め!」

だが、すんでのところで袖はドボンと水に落ちた。

「あぁぁっ!ヴィクトー君!ちゃんと狙え!届かんぞ!」

「くそっ!」

助けてもらおうと言うのに学院長の偉そうな口調に腹を立てながらもヴィクトーは二度三度と袖を放った。
すると何度目か奇跡的に学院長がそれを掴んだ。

「良し!掴んだぞ!」

だが、あろう事かその背後からエッカーマンが学院長の首にしがみついてきたのだ。

「……ゴホッゴホッ!な、何をするんだエッカーマン!放せっ!」
「堅いこと言うなよ。
なあ!ヴィクトー早く引いてくれ!」

エッカーマンは悪びれもせずにヴィクトーに手をひらひらと振っていた。

「お前…!なんて事!」

本当なら殴り飛ばしてやりたい所だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
荒れる水流に今にも千切れそうな袖は二人の男を引き寄せる事が出来るのだろうか。見かねたタオが慌ててヴィクトーの寡勢に入った。
何度か危うい場面もあったが、なんとか二人の男を岸へとつけることが出来た。だが体重の重い学院長を引っ張り上げるのには至難の業だった。
ヴィクトーとタオとエルネストも加わってようやくその重い身体を引っ張り上げた。

「ヒーっ!フーっ!やれやれ助かったぞ!」

その姿はまるで打ち上げられたトドだ。
それを尻目にエッカーマンは流石に元軍人だけあって縁に手が届くと殆ど自力で這い上って来た。
助けた者も助かった者も一様に体力の限界だった。
息を弾ませながら皆床にへたり込んだその時だった。


ズズズズズっ!
  ズシャーーーーン!!

ガラガラガラガラ!

地鳴りと共に横一文字にひび割れていた背後の石碑が今度こそ真っ二つになって崩れて剥がれ落ち、そこにいる皆の上に降り注いだ。

「うわあっーー!!」
    


「………ううっ、」
  
「げほっ!げほっ!」
「皆んな無事か…?!」

強か打撲と擦り傷は負っていたが、何とか皆瓦礫と砂埃を払い除けながら瓦礫の下から這い出して来た。

その時その光景に最初に気がついたのはエリックだった。

「ヴィクトー…!見て!あれ…、あれは…!」

辺りに立ち込める石灰の土埃の中にその光景は皆の眼前に現れた。
夥しい数の紫命蝶《しめいちょう》に守られるように鎮座する黒い十基の石櫃が、上下二段横五列に整然と納められていたのだ。
エルネストは幻でも見ているかのように呟いた。

「…化け物の棺だ…!」

その光景に見入っていたヴィクトーとエリックには特別な感慨が湧いていた。
何故なら自分達はこの棺に眠っているのが何なのかわかっていたからだ。
報われなかった十人の王蟲達の眠る棺。この中にはメイルールの棺もきっとあるに違いないのだ。

「ヴィクトー…これは」
「ああ、エリック。棺だ。メイルールの棺だ…」

二人が感極まって涙を堪えている後ろから、エッカーマンが奇声を放ちながら走り出た。

「ひつぎだぁーーー!!『化け物の棺』だ!!ヒャッホー!!」

エッカーマンは崩れた瓦礫に飛びつくと、血眼になって石碑のかけらを掻き分けながら棺へと突進しようとしていた。
その後ろからはさっきまで水から上がったトドだった筈の男がその巨漢を揺らし、皆を突き飛ばしてエッカーマンの後に続いた。

「棺だ!棺だぞ!はっはっはっ!『化け物の棺』だ!とうとう見つけたぞ!どけエッカーマン!これは私の棺だ!私の物だ!」

棺に取りつくエッカーマンの後ろから学院長が引き剥がそうとしがみつき、エッカーマンがそれを振り払うと転んだ所を足蹴にした。その足に学院長がしがみつき脛に噛み付くとエッカーマンが悲鳴を上げて学院長の顔を蹴り飛ばした。
それでも学院長はエッカーマンの足を離さない。

「やりやがったな!クソジジイ!もうじき年寄りは死んじまうんだ!こんな物宝の持ち腐れだ!これは我がヒトラーに永遠の権力をもたらす宝だ!はなせっ!このっ!」
「離さんぞ!死んでも離さんぞ!永遠の命は私の物だ!もう年寄りとは言わさん!!」


棺の前で何の敬虔な気持ちも持たずに醜い泥試合を繰り広げる光景にヴィクトーの中になんとも言えない虚しさが広がった。
王蟲たちはこんな事のために、こんな醜い争いや欲望のためにみんな命を賭したわけじゃない。
メイルールの気持ちを思うとやりきれない思いで胸が潰れそうだった。

「見ろ、エリック。こいつらこそ醜い欲望の化け物だ…!」

侮蔑の気持ちでヴィクトーはそう吐き捨てた。
その時、ヴィクトーの中に消えて行こうとするメイルールの最後の言葉が蘇った。

アトモルどうか幸せに…そして…。

そして…。




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