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化け物の棺
女と男と王蟲と
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儀式のための香が焚かれ、天幕の中に充満し始めるとメイルールの頭は空の器にでもなったようだった。
言われるままに衣を白い肌から滑り落とし、最高神官ギトキトの前に立つと意識が朦朧とし始めた。
謎めいた言葉で囁かれる儀式の言葉には不思議な力が本当に宿っているかのようにメイルールの戸惑いも羞恥も消えていく。
酷く曖昧で酷く鈍い感覚の中、自分が人間ではなく、ただのちっぽけな生き物になったような心持ちになっていくのを感じる。
催眠術にでもかかったように、ギトキトの白眼のない真っ黒な瞳に意識が吸われる。
長い指先がメイルールの身体の上を滑りあらゆる所に触れてくるが、もはやメイルールにはそれがどんな行為なのか理解できなかった。
ただ、確かにギトキトの目を通して神に触れている。
そんな気がした。
王蟲《おうむ》だ!
王蟲様だと?!
おお!なんてことなの?!
何故うちの子が…?!
婚儀はどうなる…!
何故今更こんな事が
婚儀は白紙だ
婚儀は取りやめだ!
ああ… メイルール……!
長い眠りから目覚めたようなぼんやりとした意識の中でメイルールを様々な囁きが取り巻いていた。
柔らかな布に包まれた身体は天幕の中の寝床に横たえられていて、さっきまで祝賀ムードに包まれたいた屋敷の様子は慌ただしさと鎮痛に満ちた重い空気へと一変していた。
それは外と閉ざされた天幕にいても感じるほどだった。
何があったんだろう…。
私はどうしてしまったのだろう。
儀式はもう終わったのだろうか。
儀式の煙を吸い込んでから自分の意識がはっきりしない。
訳もわからず暗雲が胸に渦を巻き、恐ろしいほどの不安に駆られたメイルールは寝床の中で母を呼んだ。
「母様…?…母様!母様!!」
メイルールの元へと母と父が慌てた様子で天幕の中へと入ってきた。
二人とも今まで見たこともない険しい顔をしている。
母の唇が青く微かに戦慄いている。
きっと何か良く無いことになったのだ。
メイルールは小動物のように瞳を震わせながら母に抱きついた。
「私、私、どうかしたの?儀式は…儀式はどうなったの?!」
母も父も口籠っていた。
鎮痛な面持ちで母がメイルールを抱きしめ、父が重い口を開いた。
「良く聞くんだメイルール。この結婚は残念だった。お前はアトモルの嫁にはなれない」
メイルールは父の言っている事が俄に理解できなかった。
「どうして?どうしてアトモルのお嫁さんになれないの?だって私、どこも悪くないし…、私、私、元気でしょ?それとも私、病気なの?だからお嫁さんになれないの?」
メイルールの頭は動揺に混乱した。たった今、自分はアトモルと結婚するんだと幸せに胸を膨らませていたのに!
「いいえ、病気じゃない。そうじゃないのよメイルール。あなたは…王蟲なんだって…、どうして今まで私は気がつかなかったのか」
「お…うむ…?」
王蟲。
当然メイルールはそれが何か知っている。
男でもなく、女でもなく、男でもあり女でもある存在。第三の性を持つ人間のことだ。両方の性を持つ賓《まれびと》。この世にまたとない高貴な人間。
それが王蟲と呼ばれる人々なのだ。
王蟲は雄と雌のどちらも卵を産む事があるところからそんな人間の事をそう呼び遥か昔から神の血族として信仰の対象になっているのだ。
「私は…女の子じゃ…無いの?」
「ごめんね、メイルール。ごめんね、ちゃんとした女の子に産んであげられなくて」
母はメイルールを痛いほど抱きしめながら泣いていた。それはこれが本当の事だと言う動かし難い事実を告げていた。
十歳になった頃からお風呂も一人で入るようになり、年頃の女の子の身体なんて比べてみたことなんてなかった。
ほんの少しづつ変化していく身体はこんなものかと思うほど僅かな変化で、メイルールは気にも留めていなかった。
結婚も決まり、こんな気持ちになる前にどうしてこの身体が王蟲だと分からなかったのか。
「何故?何故王蟲だと結婚できないの?アトモルならきっと…それでも…」
「メイルール…諦めて…」
「でも私…っ」
きっと王蟲でも好きでいてくれるはず。
幼い頃から培った愛情が、こんな事で壊れるとは思わない。
「母様、アトモルに会わせて!そうすればきっと…」
「ダメよ!ダメなのよメイルール!」
母に強い口調で嗜められた。
そはなんの余地も感じられない完全なる否定。
母はメイルールの両腕を強く掴んで言い聞かせるように揺さぶった。
「アトモルは普通の男の子じゃないのよ!王家の男なのよ。彼は未来の王になる人。何より子孫を残さねばならない使命があるの!確実に健康な子供を産める女の子で無ければ未来の女王になる事は許されない。
だから諦めて…、ごめんなさいメイルール…、ごめんなさい…!」
母はメイルールを抱きしめながらずっと謝り続けている。
父は耐えきれない様子で天幕の外で咽び泣いていた。
母が悪いわけでもないし、父が悪いわけでもない。
勿論自分だって…。
そう思うと悲しくて悔しくて辛すぎた。
芽生えたばかりの恋心は実ったと思ったら首ごと乱暴にもがれ、せっかく美しく開いた花はたった一人の胸に咲くことも許されなかった。
暫くの沈黙の後、メイルールが涙に濡れた顔を上げて母を見上げた。
「…母様…。私、結婚できなかったら…王蟲ならどうなるの?」
動揺に母の瞳が震え、唇はそれを言うことが出来ずに固く閉ざされたままだ。
これ以上どんな伝えにくい事があると言うのだろうか。
メイルールの全身がドクドクと脈打っていた。
「それは私が答えよう。メイルール」
その時あのゾッとする声が聞こえ、捲られた天幕の影から最高神官ギトキトの灰色の顔と背の高い身体が現れた。
今となっては禍々しさしか感じない漆黒の目がメイルールを見つめた。
言われるままに衣を白い肌から滑り落とし、最高神官ギトキトの前に立つと意識が朦朧とし始めた。
謎めいた言葉で囁かれる儀式の言葉には不思議な力が本当に宿っているかのようにメイルールの戸惑いも羞恥も消えていく。
酷く曖昧で酷く鈍い感覚の中、自分が人間ではなく、ただのちっぽけな生き物になったような心持ちになっていくのを感じる。
催眠術にでもかかったように、ギトキトの白眼のない真っ黒な瞳に意識が吸われる。
長い指先がメイルールの身体の上を滑りあらゆる所に触れてくるが、もはやメイルールにはそれがどんな行為なのか理解できなかった。
ただ、確かにギトキトの目を通して神に触れている。
そんな気がした。
王蟲《おうむ》だ!
王蟲様だと?!
おお!なんてことなの?!
何故うちの子が…?!
婚儀はどうなる…!
何故今更こんな事が
婚儀は白紙だ
婚儀は取りやめだ!
ああ… メイルール……!
長い眠りから目覚めたようなぼんやりとした意識の中でメイルールを様々な囁きが取り巻いていた。
柔らかな布に包まれた身体は天幕の中の寝床に横たえられていて、さっきまで祝賀ムードに包まれたいた屋敷の様子は慌ただしさと鎮痛に満ちた重い空気へと一変していた。
それは外と閉ざされた天幕にいても感じるほどだった。
何があったんだろう…。
私はどうしてしまったのだろう。
儀式はもう終わったのだろうか。
儀式の煙を吸い込んでから自分の意識がはっきりしない。
訳もわからず暗雲が胸に渦を巻き、恐ろしいほどの不安に駆られたメイルールは寝床の中で母を呼んだ。
「母様…?…母様!母様!!」
メイルールの元へと母と父が慌てた様子で天幕の中へと入ってきた。
二人とも今まで見たこともない険しい顔をしている。
母の唇が青く微かに戦慄いている。
きっと何か良く無いことになったのだ。
メイルールは小動物のように瞳を震わせながら母に抱きついた。
「私、私、どうかしたの?儀式は…儀式はどうなったの?!」
母も父も口籠っていた。
鎮痛な面持ちで母がメイルールを抱きしめ、父が重い口を開いた。
「良く聞くんだメイルール。この結婚は残念だった。お前はアトモルの嫁にはなれない」
メイルールは父の言っている事が俄に理解できなかった。
「どうして?どうしてアトモルのお嫁さんになれないの?だって私、どこも悪くないし…、私、私、元気でしょ?それとも私、病気なの?だからお嫁さんになれないの?」
メイルールの頭は動揺に混乱した。たった今、自分はアトモルと結婚するんだと幸せに胸を膨らませていたのに!
「いいえ、病気じゃない。そうじゃないのよメイルール。あなたは…王蟲なんだって…、どうして今まで私は気がつかなかったのか」
「お…うむ…?」
王蟲。
当然メイルールはそれが何か知っている。
男でもなく、女でもなく、男でもあり女でもある存在。第三の性を持つ人間のことだ。両方の性を持つ賓《まれびと》。この世にまたとない高貴な人間。
それが王蟲と呼ばれる人々なのだ。
王蟲は雄と雌のどちらも卵を産む事があるところからそんな人間の事をそう呼び遥か昔から神の血族として信仰の対象になっているのだ。
「私は…女の子じゃ…無いの?」
「ごめんね、メイルール。ごめんね、ちゃんとした女の子に産んであげられなくて」
母はメイルールを痛いほど抱きしめながら泣いていた。それはこれが本当の事だと言う動かし難い事実を告げていた。
十歳になった頃からお風呂も一人で入るようになり、年頃の女の子の身体なんて比べてみたことなんてなかった。
ほんの少しづつ変化していく身体はこんなものかと思うほど僅かな変化で、メイルールは気にも留めていなかった。
結婚も決まり、こんな気持ちになる前にどうしてこの身体が王蟲だと分からなかったのか。
「何故?何故王蟲だと結婚できないの?アトモルならきっと…それでも…」
「メイルール…諦めて…」
「でも私…っ」
きっと王蟲でも好きでいてくれるはず。
幼い頃から培った愛情が、こんな事で壊れるとは思わない。
「母様、アトモルに会わせて!そうすればきっと…」
「ダメよ!ダメなのよメイルール!」
母に強い口調で嗜められた。
そはなんの余地も感じられない完全なる否定。
母はメイルールの両腕を強く掴んで言い聞かせるように揺さぶった。
「アトモルは普通の男の子じゃないのよ!王家の男なのよ。彼は未来の王になる人。何より子孫を残さねばならない使命があるの!確実に健康な子供を産める女の子で無ければ未来の女王になる事は許されない。
だから諦めて…、ごめんなさいメイルール…、ごめんなさい…!」
母はメイルールを抱きしめながらずっと謝り続けている。
父は耐えきれない様子で天幕の外で咽び泣いていた。
母が悪いわけでもないし、父が悪いわけでもない。
勿論自分だって…。
そう思うと悲しくて悔しくて辛すぎた。
芽生えたばかりの恋心は実ったと思ったら首ごと乱暴にもがれ、せっかく美しく開いた花はたった一人の胸に咲くことも許されなかった。
暫くの沈黙の後、メイルールが涙に濡れた顔を上げて母を見上げた。
「…母様…。私、結婚できなかったら…王蟲ならどうなるの?」
動揺に母の瞳が震え、唇はそれを言うことが出来ずに固く閉ざされたままだ。
これ以上どんな伝えにくい事があると言うのだろうか。
メイルールの全身がドクドクと脈打っていた。
「それは私が答えよう。メイルール」
その時あのゾッとする声が聞こえ、捲られた天幕の影から最高神官ギトキトの灰色の顔と背の高い身体が現れた。
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