化け物の棺

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朧げな黒雲

白髪の魔女

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二人が公園から出てすぐに、厳つい軍服の男とすれ違った。
すれ違いざまエリックはその男の肩にぶつかったが、
その男は鋭い眼差しでエリックを一瞥し、何故か微かに口角を上げて笑った気がした。

見間違いだろうか。

胸騒ぎのするような、嫌な感覚だった。

「大丈夫?」
「え?ああうん。平気」
「怖そうな人だったね」
「うん…、本当にね」

気遣ってくれるタオにそう答えながら、エリックは角を曲がって行くその男の後ろ姿を小首を傾げながら見送った。

店に戻ると、ここもまたおかしな雰囲気が漂っていた。
店主やお客達が困惑気味な眼差しでヴィクトーを眺め、当のヴィクトーはと言えば、恐縮した様子で皆に頭を下げている。
そんなヴィクトーに恐る恐る、エリックが背後から声をかけた。

「あの、ヴィクトー…?何かあったの?」

その声を聞くや否や、ヴィクトーは振り向き様にエリックの腕を強く掴んで引き寄せた。

「エリック!今出て行った男の顔を見たか!」

いきなりの険しい表情。
何かただならぬ様子に怯んだエリックは咄嗟に返事が出来ない。
そんなエリックの身体をヴィクトーは揺さぶりながら言葉を畳み掛けた。

「見たのか?見なかったのか?!」
「み、見たと、思う、」
「なら顔は覚えてるか?」
「う、うん…でも、」

言い淀むエリックに、ヴィクトーは更に厳しい口調で言い募った。

「さっきの男には気をつけろ!街で見かけても決して近づくな!」
「…どうしたの?ヴィクトー…怖いよ、、」

すっかり怯えているエリックに気がついて、慌ててヴィクトーが宥めるように抱きしめた。

「ああ、すまなかった。
でも、本当に気をつけろ。
あの男が…例の、ドイツの軍人だ」

そう言われた時、自分を一瞥したあの男の冷たい眼差しがエリックの頭を掠めた。


不老不死。
世界掌握。
その棺には本当に、いったい何が詰まっているんだろうか。



また雨。
カフェからの帰り道、三人はエブラール邸に戻る途中で急なスコールに見舞われていた。
狭い軒先で三人横並びで壁に張り付くようにして雨を凌いでいたが、足元はもうびしょ濡れだった。
土砂降りの雨が騒々しく地面や木々を打っていた。
その激しい雨音のしじまを縫って人の声のようなものが途切れ途切れに聞こえた気がして、三人は揃って顔を見合わせた。

「今、何か聞こえましたよね」

タオがそう言い終わらぬうちに今度ははっきりと人の声が聞こえた。

「そこの人達!」

声は頭上から聞こえた。
見上げると、二階の窓から老婦人が家の扉を指差しながら大きな声を出していた。

「君たち!こっちに来なさい!そんな所では雨宿りになりませんよ!」

入っても良いと言う事かと、ヴィクトーも家の扉を指差した。
彼女はそうだと頷くと窓から顔を引っ込めた。

「どうやら雨宿りして行けって事らしいぞ。この降りだ、ちょっと甘えさせて頂こうか」

それはよく見るとパリのアパルトマン風の建物だった。
一軒づつの細長い扉が三つほど並んでいると言う事は、一つの建物に三軒家がひしめいていると言う事なのだろう。
三人は扉を開けて中へと飛び込んだ。
目の前には背の高い眼鏡を掛けた痩身で白髪の老婦人が浴布を持って立っていた。

「はい、これで拭きなさい。イギリス人から頂いたタオルと言う布だ。良く水気を吸い取るから」

そう言うと一人一人にそのタオルなる布を手渡した。

「すみません、マダム。雨が止んだらすぐにお暇いたすますから…」

そう言うヴィクトーの手は既に水気が無くなっていた。

「この布…、凄いですね!手触りが柔らかくて気持ちいいです!」
「本当だ!それにぐんぐん水を吸い取ってる」

タオもエリックもタオルの吸水力と肌触りに歓喜した。

「私達はエブラール邸に居る者で怪しい者ではありません。どうかご安心くださいマダム。ご親切にどうも有り難うございます」

ヴィクトーが丁重に礼を言うと、老婦人は家の奥へと手招いた。

「良いんだよ。どうせババアの侘しい独り住まいだ。畏まらずに中へお入りなさい。今お茶を淹れるから」

白髪をキチンと後ろに纏めた姿勢の良い姿は、今でも現役と言った佇まいだ。
部屋の中は狭く、東南アジアの調度品が所狭しと飾られ、沢山の南国の草花がまるでここが庭のように飾られていた。
雑然としてはいたが、彼女なりの秩序を感じるような、一風変わった部屋だった。
二階に上がる狭い階段には全ての段に本が積み重なっていた。

「読書家でいらっしゃるんですね」
「趣味と言えるようなものがそれしか無いのでね、知らない間に溜まってしまった」

四人が座るといっぱいになるほどこじんまりとしたキッチンテーブルで彼女が淹れてくれる茶を待った。
やがて柔らかい湯気と共に手元に小振りのミルクボールが置かれ、その茶器の中には可憐な白い花が湯の中で咲いていた。

「良い香りだ。インドシナらしい美しいお茶ですね」
「これは蓮茶だ。朝一番で咲いた花に茶葉を入れて丸く包むんだよ。
それを茶器に入れてたっぷりの湯を淹れる。
そうすると花が開いて、ほら、まるで湯呑みが蓮池のようだろう?さあ、熱いうちに召し上がれ」

三人とも、口には出さなかったが、さっきの出来事と降られた雨に、何処か気持ちが逆立っていた。
それをこの香りの良い熱いお茶と、この老婦人の飾らない雰囲気が宥めてくれているような気がした。

「マダムはハノイに暮らして長いのですか?」

手に茶器を包みながらタオが訪ねた。

「マダムなんてやめてくれ!私は…魔女だ。ここいらの子供達は私の事を「白髪の魔女」だと言って揶揄ってくるよ」

そんな事を言ってはいても、魔女は揶揄われる事を楽しんでいるようにも見えた。

「まあ、魔女と言うのは冗談だけれどね、私の事はグリンダと呼んでも良いし、ゲイツと呼んでも良い。私は堅苦しいのはごめんだからね」

要するに彼女はグリンダ・ゲイツと言う名前なのだろうか。
少し変わり者の雰囲気が漂っていた。

「改めて有り難う。じゃあ貴女の事はグリンダと呼ぶことにしましょう。
俺はヴィクトー。遺跡研究のためにハノイに来ました」

遺跡研究。
少し違う気もするが、きっと世間ではそう言う括りなのだ。
エリックもタオも、そしてヴィクトーもこの出会ったばかりの「白髪の魔女」に不思議な魅力を感じていた。
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