37 / 80
朧げな黒雲
神の舌を持つ男
しおりを挟む
「そうやって俺の事を探られるのはあんまり良い気分ではないな。君は何者だ」
ヴィクトーは手にしていた新聞をテーブルにポンと置くと、その男へと向き直った。
「これは失礼。私はインゲル・エッカーマン。敗戦前はバイエルン第16歩兵師団の伝令兵をしていましてね。戦争が終われば我々のような義勇兵はお払い箱ですよ」
言葉は丁寧だが、この男からは何処か慇懃さが漂った。
「そんな男がしがない考古学者などに何の用があるんだ?」
「アナタと言うよりは、アナタの持っている「物」に用があるんですよ。それとアナタの頭の中身がね」
ヴィクトーの顔が俄に険しくなった。
この男からはあの学院長と同じ、いやそれ以上に何かゾッとするようなものを感じる。
ヴィクトーの危険フラグが立っていた。
「何のことか分からんね」
ヴィクトーは惚けてみた。
すると目の前の男は、値踏みするような目つきでこんな話をしてきた。
「オレのいた隊に皆からアディと呼ばれていた男がいましてね、演説をやらせりゃ誰もが虜になるような、神の舌を持ち合わせている男なんですがね、今はまだドイツ国家社会主義労働者党の一員に過ぎません。
だが、彼はそこで埋もれるようなタマじゃない。
アナタもアディに会ってみりゃ分かりますよ。いかに彼が特別なのか」
それがこの男の癖なのか、エッカーマンは嫌に勿体ぶった話し方でヴィクトーの反応を試しているようにも見える。なんとも言えない嫌らしさだ。
「で、君は何が言いたいんだ。友達の自慢話がしたいわけじゃないんだろう?」
「…気の短い人だなあ。
アナタにも得になる話かもしれないのに。
オレはね、その男の神の舌なら世界をも手中に収めることが出来ると思っているんですよ」
「ハハっ!悪いが、そんな話、ますます俺には興味が湧かないな」
ヴィクトーが素っ気なく席を立とうとするのをエッカーマンが「まあ、待って下さいよ」と引き止めた。
「化け物の棺。ご存知でしょう?」
エッカーマンから出たその一言は、ヴィクトーを引き止めるには充分だった。
「あの黒鞄の中にその答えがあると死んだ男から聞いたんですよ」
その言葉を聞いたヴィクトーの背筋がぞわりと鳥肌を立てた。
黒鞄の持ち主だった男。船で死んだあの男の顔が蘇る。
「もしかして…彼を殺したのはお前か…!あの黒鞄の男を…っ!あの男はひどく怯えて何かから逃げていた。
それは君だったのか…!」
「素直に鞄を渡さないからですよ。金は払うと言ったのに、聞き分けのない男だった」
人を殺しておいて薄ら笑いすら浮かべている男からは、その残虐性がダダ漏れていた。
「さっき化け物の棺と言ったな。君はそれが何だと思っているんだ」
「それを手にした者は世界を手にできると聞きましてね。かのナポレオンやアレクサンダーが皆んな欲しがっていたと言う代物だそうですねえ」
話しが違う。
自分が聞いたのは不老不死を手にできると言う話だった筈だ。
どっちが本当なのだろう。
「そんな物どうする。その友人とやらに捧げるのか。それとも君自身のものにしたいのか」
「オレはそんなもの手にしたとしても神の座には遠く及びませんよ!
だが、アディなら、或いは本当に世界を握ることができるかもしれない。
その為には彼を神格化する「物」が必要なんですよ。
彼が神となって世界を手にしたその時、オレは彼の隣に座ってる。
そうなればアンタだって彼の途方もない恩恵に浴する事が出来るかもしれないんだ教授。
だが今のドイツを見ろ!人々は自信を失ってアンタらフランスやイギリスに靴底まで舐めさせられ、ユダヤ人にはコケにされていてる。
この優秀なるアーリア人がだ!そんなのは許されんのだ!」
段々と怒りを露わにする男は机をバン!と叩いた。
そこには強烈な支配欲と激しい民族差別。そして己の優越を挫かれた劣等感が男を支配しているように見えた。
全身から押し殺したドス黒い炎が揺らめいている。
そんな風にヴィクトーには思た。
この男の言うように、化け物の棺がそのような人間の手に渡ったらと思うとヴィクトーは恐怖以上に耐え難い怒りが込み上げ、無意識にその手が震えた。
二人の男の醸す不穏な空気にカフェの客や従業員達が怪訝な顔でこちらを見ていた。
「もし、仮に化け物の棺とやらが本当に存在していたとしても、俺は君みたいな奴らには渡したくはないな」
エッカーマンは最初に会った時のような浮ついた表情を引っ込めて、ヴィクトーを静かに睨んだ。
「オレは力尽くで奪える人間だって事。アナタ分かりますよねえ」
「奪ってみたまえ。奪った所で果たしてその黒鞄の謎が君達に解けるのか?」
ヴィクトーは盗れるものなら盗って見ろと、言わんばかりの強気な態度を崩さなかった。
ヴィクトーとて怖くないと言ったら嘘になるが、ここでこの男に怯んだら、きっと自分を許せない。そう思ったからだ。
「ではその時は、先生にも御同行願わないと。是非とも!」
周りの客が騒めき始め、店主が及び腰になりながら二人へと近づいて来た。
「申し訳ございませんがお客様、他のお客様が驚いていらっしゃいますので…その、大声は…」
「ああ、すみません、彼、用事が済んだみたいなので、もう帰りますから。
皆さんも騒がしくしてしまって申し訳ない」
ヴィクトーが立ち上がって店主と客に謝る一方で、肩越しではエッカーマンに出て行けと睨みを効かせていた。
エッカーマンはうまい具合にヴィクトーに追い出される格好となり、「ではいずれまた」と言い残して店から退散していった。
いずれまた。
エッカーマンはそう言った。きっとこれで終わりな筈はない。
それにしてもアディとは何者なんだ。そんな凄い男とは一体…。
愛称しか教えられなかったその男の事が無性に気にかかる。
ヴィクトーの胸の中に巨大な暗雲が立ち込めていた。
ヴィクトーは手にしていた新聞をテーブルにポンと置くと、その男へと向き直った。
「これは失礼。私はインゲル・エッカーマン。敗戦前はバイエルン第16歩兵師団の伝令兵をしていましてね。戦争が終われば我々のような義勇兵はお払い箱ですよ」
言葉は丁寧だが、この男からは何処か慇懃さが漂った。
「そんな男がしがない考古学者などに何の用があるんだ?」
「アナタと言うよりは、アナタの持っている「物」に用があるんですよ。それとアナタの頭の中身がね」
ヴィクトーの顔が俄に険しくなった。
この男からはあの学院長と同じ、いやそれ以上に何かゾッとするようなものを感じる。
ヴィクトーの危険フラグが立っていた。
「何のことか分からんね」
ヴィクトーは惚けてみた。
すると目の前の男は、値踏みするような目つきでこんな話をしてきた。
「オレのいた隊に皆からアディと呼ばれていた男がいましてね、演説をやらせりゃ誰もが虜になるような、神の舌を持ち合わせている男なんですがね、今はまだドイツ国家社会主義労働者党の一員に過ぎません。
だが、彼はそこで埋もれるようなタマじゃない。
アナタもアディに会ってみりゃ分かりますよ。いかに彼が特別なのか」
それがこの男の癖なのか、エッカーマンは嫌に勿体ぶった話し方でヴィクトーの反応を試しているようにも見える。なんとも言えない嫌らしさだ。
「で、君は何が言いたいんだ。友達の自慢話がしたいわけじゃないんだろう?」
「…気の短い人だなあ。
アナタにも得になる話かもしれないのに。
オレはね、その男の神の舌なら世界をも手中に収めることが出来ると思っているんですよ」
「ハハっ!悪いが、そんな話、ますます俺には興味が湧かないな」
ヴィクトーが素っ気なく席を立とうとするのをエッカーマンが「まあ、待って下さいよ」と引き止めた。
「化け物の棺。ご存知でしょう?」
エッカーマンから出たその一言は、ヴィクトーを引き止めるには充分だった。
「あの黒鞄の中にその答えがあると死んだ男から聞いたんですよ」
その言葉を聞いたヴィクトーの背筋がぞわりと鳥肌を立てた。
黒鞄の持ち主だった男。船で死んだあの男の顔が蘇る。
「もしかして…彼を殺したのはお前か…!あの黒鞄の男を…っ!あの男はひどく怯えて何かから逃げていた。
それは君だったのか…!」
「素直に鞄を渡さないからですよ。金は払うと言ったのに、聞き分けのない男だった」
人を殺しておいて薄ら笑いすら浮かべている男からは、その残虐性がダダ漏れていた。
「さっき化け物の棺と言ったな。君はそれが何だと思っているんだ」
「それを手にした者は世界を手にできると聞きましてね。かのナポレオンやアレクサンダーが皆んな欲しがっていたと言う代物だそうですねえ」
話しが違う。
自分が聞いたのは不老不死を手にできると言う話だった筈だ。
どっちが本当なのだろう。
「そんな物どうする。その友人とやらに捧げるのか。それとも君自身のものにしたいのか」
「オレはそんなもの手にしたとしても神の座には遠く及びませんよ!
だが、アディなら、或いは本当に世界を握ることができるかもしれない。
その為には彼を神格化する「物」が必要なんですよ。
彼が神となって世界を手にしたその時、オレは彼の隣に座ってる。
そうなればアンタだって彼の途方もない恩恵に浴する事が出来るかもしれないんだ教授。
だが今のドイツを見ろ!人々は自信を失ってアンタらフランスやイギリスに靴底まで舐めさせられ、ユダヤ人にはコケにされていてる。
この優秀なるアーリア人がだ!そんなのは許されんのだ!」
段々と怒りを露わにする男は机をバン!と叩いた。
そこには強烈な支配欲と激しい民族差別。そして己の優越を挫かれた劣等感が男を支配しているように見えた。
全身から押し殺したドス黒い炎が揺らめいている。
そんな風にヴィクトーには思た。
この男の言うように、化け物の棺がそのような人間の手に渡ったらと思うとヴィクトーは恐怖以上に耐え難い怒りが込み上げ、無意識にその手が震えた。
二人の男の醸す不穏な空気にカフェの客や従業員達が怪訝な顔でこちらを見ていた。
「もし、仮に化け物の棺とやらが本当に存在していたとしても、俺は君みたいな奴らには渡したくはないな」
エッカーマンは最初に会った時のような浮ついた表情を引っ込めて、ヴィクトーを静かに睨んだ。
「オレは力尽くで奪える人間だって事。アナタ分かりますよねえ」
「奪ってみたまえ。奪った所で果たしてその黒鞄の謎が君達に解けるのか?」
ヴィクトーは盗れるものなら盗って見ろと、言わんばかりの強気な態度を崩さなかった。
ヴィクトーとて怖くないと言ったら嘘になるが、ここでこの男に怯んだら、きっと自分を許せない。そう思ったからだ。
「ではその時は、先生にも御同行願わないと。是非とも!」
周りの客が騒めき始め、店主が及び腰になりながら二人へと近づいて来た。
「申し訳ございませんがお客様、他のお客様が驚いていらっしゃいますので…その、大声は…」
「ああ、すみません、彼、用事が済んだみたいなので、もう帰りますから。
皆さんも騒がしくしてしまって申し訳ない」
ヴィクトーが立ち上がって店主と客に謝る一方で、肩越しではエッカーマンに出て行けと睨みを効かせていた。
エッカーマンはうまい具合にヴィクトーに追い出される格好となり、「ではいずれまた」と言い残して店から退散していった。
いずれまた。
エッカーマンはそう言った。きっとこれで終わりな筈はない。
それにしてもアディとは何者なんだ。そんな凄い男とは一体…。
愛称しか教えられなかったその男の事が無性に気にかかる。
ヴィクトーの胸の中に巨大な暗雲が立ち込めていた。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる