化け物の棺

mono黒

文字の大きさ
上 下
25 / 80
青嵐

始まりの祝砲

しおりを挟む
大きな食堂は今朝は閑散としていた。いつもはエルネスト、ヴィクトー、エリック。時にはタオもいたりと何となく和やかな朝食風景だったが今日は違った。
広いテーブルにはエリック一人がさっきからつまらなそうにスクランブルエッグをフォークの先で弄んでいた。
結局ヴィクトーは部屋を出ていったきり、エルネストの部屋で揉めている声が聞こえていたと思ったら、今度は急に静かになってもうかれこれ二時間も部屋から出て来ない。
そうかと思えば今度はメイドが二人分の朝食をエルネストの部屋へと運んで行ったのが見えた。
二人とも何をしているのかとコーヒーを注ぎに来たメイドに愚痴るように尋ねてみると、何やら熱心に二人でお勉強をなさっているようですとの答えが返された。
それに今日の朝食は何となく精彩を欠いているように思え、エリックが調理番が違うのかとそれとなく尋ねると、今朝からライが見当たらずにメイドたちが慌てているらしかった。
きっとタオのあの投げ文と関係があるのだ。
何だか不穏な一日の始まりに、エリックの気分は少し塞いでいた。
そんな時に騒々しくヴィクトーが食堂へと現れた。
今まで一度たりと目にしたことのない正装で、シルクハットまでかぶっての登場だった。その男ぶりに磨きがかかっているようで、暫しエリックは目のやり場に困った。

「エリック!つまらん朝飯ですまないね!ちょっと出かけて来る」
「ど、どうしたんですか?何かありましたか……ぁ、あの、」
 
エリックは立ち上がってヴィクトーのポケットチーフを整えた。

「何でも今日、新住宅街の落成式なんだと!不本意だがスピーチをなすり付けられた!全く何を話せって言うんだか、施工に何も関わっちゃいない人間に良くも丸投げしてくれたよ!今まで原稿を読まされていた。お歴々の前でスピーチだなんて!俺はこう言うことは嫌いなんだよ!」

何だか相当立腹な様子でヴィクトーは早口で捲し立てた。

「まあ良いじゃないですか、正装が似合ってますよ、親孝行だと思って頑張って行ってらっしゃい」

そう言ってエリックはベストの胸元を軽く叩いて送り出した。
見送りに門の前まで出て来ると、見慣れない運転手が待っていた。

やっぱりタオさんじゃない。

最後まで文句を言いながらヴィクトーは車に乗りこんで行き、去りゆく車を見送りながらエリックは何処に行くのかを聞いていなかったことに気がついた。傍にいたメイドに尋ねてみた。

「ねえ、彼は何処の落成式に行くの?」
「おや!お聞きにならなかったんですか?新しく出来る居留地の住宅街の落成式ですよ。本当ならうちの旦那様がいらっしゃる筈だったのにねえ…お気の毒です。
あ!そうだわ!あたしゃグズグズはしてられないわ!ノワイエ先生に往診に来てもらわなきゃ!」

そう言うとメイドは医者を呼びにあたふたと飛び出していった。

居留地の新住宅街…落成式…?

エリックの何かにその言葉が引っかかる。

『本日正午、居留地の新住宅街には立ち入るべからず』

タオのくれたあの投げ文と奇妙に重なって見えて来る。
嫌な予感が走った。

え…?、これって…ヴィクトーが危ないんじゃ…。

もやもやした不安に駆られ、エリックはヴィクトーを乗せた車を咄嗟に追いかけようとしたが足が止まった。

「そうだ、エルネストさんに聞いてみよう!」

踵を返して屋敷に戻ろうとしてまた足が止まる。

でも何と言ったら良い?
何で危ない事が分かったんだと聞かれたら?
投げ文の事や青嵐の事、タオやライの事をエルネストさんには秘密にすると約束したのに…。

「ダメだ!エルネストさんには頼れない!」

エリックは意を決して再び車を追って走り出していた。


◆◆◆


紅河の近くの湿地帯、フランス人居留地の目と鼻の先、緑深い場所に何人かの気配がある。
十人、いや十五人ほどはいるだろうか。
皆深い草に身を隠すように顔を泥でわざと汚した男達が何かの合図を待っていた。
ライとタオも、この男たちに混じっていた。

「タオ、これを配ってくれ」

草むらに隠してあったと思しき古い木箱をライが開けると中には粗末な銃が何丁も入っていた。
皆無言でそれを一丁づつ取っては懐に隠し持った。

「間に合いましたね、昔のボクならもっと最新式の銃が手に入ったんですけどね。でも、これ集めるの苦労しましたよ」
「お前には何から何まで世話になる。新住宅街の詳しい地図や今日の日取り、警備兵の配置や交代時間。それが分からなければ今日の決行はなかった」

タオは包帯の取れた手を見るとまだ変色している一条の傷痕に苦笑し手を握った。

「ちょっとヘマしましたけどね、あの日に限って、鞄があのヴィクトーという人の部屋にあったなんて誤算でしたけど、エルネスト氏の持っていた情報は手に入りましたし、こんな傷は安いものでしたよ」
「銃の打ち方は何度か皆に教えたことがあるとはいえ、素人集団には違いない。きっと怪我をする人間も出る」
「それでも今日はハノイのお偉方が一同に会しています。
千載一遇の決行日和ですよ。
示威行動には持ってこいだ。こんな好機、みすみす逃すわけにはいきませんよ!」

銃を構えて狙いを定めるようなタオの真っ直ぐ伸びた銃口を、ライは掴んで下げさせた。

「なあ、やっぱりお前はここまでにしろ。元々お前は華僑のボンボンじゃねえか、他所の国の事で命張る事はねえ」

そう言われて暫く何かを考えていたタオが、ポツリと口を開いた。

「…昔ね、ボクが幼い頃、貿易商の父とイギリス人を乗せた馬車が、貧民街に間違って入り込んでしまった事があるんです。
狭い道を貧しい人達が震えながら食べ物を求めて馬車に群がってきた。
子供を抱えている母親、病気の人や老人達です。
度重なるイギリスとの戦争や政府の失策で貧しくなって、国にも見捨てられた人達でした。
それを同じ中国人である馬車の護衛が鞭で殴りつけて道を開けさせていたんです。
馬車の前に転んだ子供を庇った母親が鞭で打たれ、車輪の前で転んだ老人がボク達の乗った馬車に轢かれても馬車は止まらなかった。
それはイギリス人を乗せていたからです。イギリスに迎合し諂うあまりに中国は骨抜きにされたのです。
あの老人を踏みつけた時の車輪の感触がボクは忘れられないです…あの馬車にボクも乗っていたと思うとたまらない気持ちになるんです」

「青嵐」は皆それぞれに思う所のある人々ばかりだった。
やり場の無い心情の発露を求める者、フランスに首を垂れるばかりではない事を知らしめてやりたいと思う人。
あわよくばいつか革命を起こそうと考えている人。
皆、今日行われる企てを虎視眈々と待っていたのだ。

ライが最後の確認をする。

「式典で儀仗隊の祝砲が始まったら例のルートで新市街に入る。俺とそっちの五人は式典会場、タオ達五人は住宅街で火の手を上げる。
後の五人は負傷者の回収と、退路の確保だ。
いいか、銃は無闇に人に向けて発泡せずに己の身を守る時のみ使え!事が済んだら速やかに撤収する。欲張って勝手な事はするな!」

視界の先には新市街。出入りをチェックする衛兵が直立不動で守っていたが、式典の始まる時刻になると、持ち場を離れて行った。全てが予定通りに進んでいた。
そして間も無く最初の祝砲が轟いた。
ライの「行くぞ!」の声に、フィー・フォンの被り物を身につけた一団が身を低くしながらゾロゾロと走り出した。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

処理中です...