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謎と謎と
フランス人を嫌いなオウム
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厚みのある体躯がヴィクトーを思い切り抱きしめながら涙ぐむ。
「君は私の親友の一人息子だ。私の息子も同然だよ。ああお父さんにますます似てくるなあ」
そう言って感慨深そうに手で包むヴィクトーの顔に髭面が頬擦りしては、また涙ぐんでいる。
豊かすぎる感情の渦に飲まれるようにしばらくヴィクトーはされるがままだ。
しまいにはルイと混同して嗚咽まで漏らし始めた。
「……うっうっ、ルイ…っ、
あの時私が居ながら助け出せず…済まない、ルイ…ルイ…!」
「エルネスト、おい先生!俺はヴィクトーだ!
それにあれは不幸な事故で、今更先生が気に病む事じゃない!」
漸く我に帰ったのか、エルネストはああそうだねと、鼻を拭いて顔を上げた。
やっとの事で初めて傍に立っていたエリックに気がついた。
「おや?ところでこの少年は君の新しいボーイフレンドかい?
私はエルネスト・エブラール。この子の後見人だよ」
ヴィクトーの事をこの子扱いする声がどこか遠くに聞こえながら、エリックは人懐っこく話しかけてくるエルネストを見上げた。
「…え、エリックと言います。じょ……助手です」
宜しくとかお邪魔しますとか、急に一人増えてすみませんとか、色々言わねばならないことがあったのに、呆気に取られてエリックは何も言えない。
屈託なく差し出された手におずおずと手を差し出すと大きく厚みのある手がぎゅっとエリックの手を力強く握り、ブンブンと上下に振って握手を交わした。
「エルネスト、もう俺も三十近いんだ。今更後見人が必要な歳でもないと思うが…」
そう言いかけただけでエルネストは再び目を潤ませた。
「分かった!分かったよ先生!アンタはずっと俺の後見人だ、だから泣くな!」
これではどちらが歳上か分からない。
ヴィクトーにあやされながらエルネストは邸宅へと二人を招き入れた。
高い天井、大きな窓からは心地よい風。東南アジア風の温かみのある藤の家具。見事な刺繍の施された光沢のあるシルクのクッション。
カラフルな色彩の陶磁器に溢れるように飾られた南国の鮮やかな花々。
「これは過ごしやすそうな家だな、なあエリック」
「東南アジアの家具は軽やかな感じがしますね。とても素敵ですね」
珍しそうにキョロキョロ辺りを眺め回していた時、エリックの目が一点で見開かれ、急に前方を指差して走り出した。
「ヴィクトー!あれ!オウムですよ!オウムがいます!僕は図鑑でしか見たことがないです!凄い…なんてカラフルな!」
それは天然木の止まり木に、ひょうきんな哲学者の風情で佇んでいた。何となくだがエルネストとお似合いな鳥だとヴィクトーは思った。
赤と緑のコントラストが美しい羽根。白い目元と嘴。所々に配された黒が美しく映えていた。
その見開かれた目が思慮深く二人を見つめてこう叫んだ。
「フランス人め!出て行け!」
◆◆◆
「はっはっはっ!オウムの言うことだ気にせんでくれ!あのオウムは現地人の飼っていたオウムでね、主人亡き後私が引き取ったんだよ。なかなか辛辣なオオムだよ」
その夜は賑やかなディナーになった。豪華に並べられた食事はフランス料理かのように見えたが、どことなく違う気もした。
エルネストは久しぶりの遠方からの来客に、すっかり気分を良くして豪快に呑んで豪快に食べた。
「あの、オウムの名前は何と言うのですか?」
魚料理らしき皿がエリックの前に置かれ、それに気を取られつつも遠慮がちにエルネストに尋ねてみた。
「名前かい?名前はムォイと言うんだよ。現地の言葉で10を意味するんだ」
エリックは頷きながら、皿の上の魚料理にナイフを入れた。
パンをちぎりながらヴィクトーが聞く。
「何故10なんだ?」
エルネストは「さあ?」と戯けた調子で肩を窄めた。
何故フランス人は出て行け!なんだろう?
そう思いつつエリックはムニエルらしきものを一口切って口へと運んだ。
「…!」
それは食べたことのない奇妙な味だった。馴染みのないハーブと魚臭いソース。
フランス料理の筈なのに味はかなり独創的だった。
一口食べただけでエリックはリタイアしてしまったが、ヴィクトーもエルネストも美味しそうに食べている。
「それより、エルネスト。あの手紙は何なんだ?俺の心を擽るあの手紙は…。まんまと誘き寄せられてしまったじゃないか」
「手紙?はて?なにを書いたかな?」
エルネストはキョトンとした目でヴィクトーを見た。
「…おい、嘘だろう?俺の好奇心を擽る何かがあるって…その何かって何だ!それを知りたくてここに来たんだ」
「ん?…ああ!そう。そうそうそうだったね!思い出したよ!鞄だよ。かばん!ルイの研究資料の入った鞄を手に入れたんだよ!」
ヴィクトーとエリックが一瞬鋭く目を見合わせた。
鞄?またしても鞄か…!と。
食事を終え、エルネストの書斎へと通された。
机の上にヴィクトーが子供の頃、ルイがいつも傍に携えていた見覚えのある鞄が置かれていた。
帆布で作られた緑色の軍用鞄は、あちこち擦れて随分ボロボロになっていたが、あの日崩れた遺跡と父親と共にその鞄も葬られたと思っていた。
なのに何故、十五年の時を経てヴィクトーの前に現れたのだ。
「どうだい?間違いなくルイの鞄だろう?」
「中身は?中身は流石に無いだろう?」
「それが奇跡的に残っていたんだよ!見たまえ!」
鞄を開いて見せると、遺跡の資料や書類の束。本に地図やコンパス。あの日ルイが密林に持ち込んだ物達がぞろぞろと姿を表した。
「……エルネスト。実は俺も鞄についてはちょっと変な事件に巻き込まれてるんだ」
そう言うと、ヴィクトーはエリックに例の黒鞄を持ってこさせた。
エルネストにそれを見せながら、神妙な顔つきで船の上で起きた自然史博物館のライアー・ブライトンの不審死と、彼から死の直前にこの黒鞄を預かった事を語って聞かせた。
黒鞄の中身を確かめながらエルネストは建築家ではなく考古学者の顔になっていた。
「これは…っ、アヌビスの小像…。他にもツタンカーメンに関する物ばかりあるね。
死んだ男の名前はライアー・ブライトンと言ったね。……そうだ、待てよ、待てよ、最近何処かで聞いた名前だぞ?」
しばらくはくるくると何か考えていたエルネストが、思いついたように拳で掌をポンと叩いた。
「おお!そうだ!新聞だ!新聞で見たのだよ!ライアー・ブライトン!彼は確か指名手配中の男だ!」
「君は私の親友の一人息子だ。私の息子も同然だよ。ああお父さんにますます似てくるなあ」
そう言って感慨深そうに手で包むヴィクトーの顔に髭面が頬擦りしては、また涙ぐんでいる。
豊かすぎる感情の渦に飲まれるようにしばらくヴィクトーはされるがままだ。
しまいにはルイと混同して嗚咽まで漏らし始めた。
「……うっうっ、ルイ…っ、
あの時私が居ながら助け出せず…済まない、ルイ…ルイ…!」
「エルネスト、おい先生!俺はヴィクトーだ!
それにあれは不幸な事故で、今更先生が気に病む事じゃない!」
漸く我に帰ったのか、エルネストはああそうだねと、鼻を拭いて顔を上げた。
やっとの事で初めて傍に立っていたエリックに気がついた。
「おや?ところでこの少年は君の新しいボーイフレンドかい?
私はエルネスト・エブラール。この子の後見人だよ」
ヴィクトーの事をこの子扱いする声がどこか遠くに聞こえながら、エリックは人懐っこく話しかけてくるエルネストを見上げた。
「…え、エリックと言います。じょ……助手です」
宜しくとかお邪魔しますとか、急に一人増えてすみませんとか、色々言わねばならないことがあったのに、呆気に取られてエリックは何も言えない。
屈託なく差し出された手におずおずと手を差し出すと大きく厚みのある手がぎゅっとエリックの手を力強く握り、ブンブンと上下に振って握手を交わした。
「エルネスト、もう俺も三十近いんだ。今更後見人が必要な歳でもないと思うが…」
そう言いかけただけでエルネストは再び目を潤ませた。
「分かった!分かったよ先生!アンタはずっと俺の後見人だ、だから泣くな!」
これではどちらが歳上か分からない。
ヴィクトーにあやされながらエルネストは邸宅へと二人を招き入れた。
高い天井、大きな窓からは心地よい風。東南アジア風の温かみのある藤の家具。見事な刺繍の施された光沢のあるシルクのクッション。
カラフルな色彩の陶磁器に溢れるように飾られた南国の鮮やかな花々。
「これは過ごしやすそうな家だな、なあエリック」
「東南アジアの家具は軽やかな感じがしますね。とても素敵ですね」
珍しそうにキョロキョロ辺りを眺め回していた時、エリックの目が一点で見開かれ、急に前方を指差して走り出した。
「ヴィクトー!あれ!オウムですよ!オウムがいます!僕は図鑑でしか見たことがないです!凄い…なんてカラフルな!」
それは天然木の止まり木に、ひょうきんな哲学者の風情で佇んでいた。何となくだがエルネストとお似合いな鳥だとヴィクトーは思った。
赤と緑のコントラストが美しい羽根。白い目元と嘴。所々に配された黒が美しく映えていた。
その見開かれた目が思慮深く二人を見つめてこう叫んだ。
「フランス人め!出て行け!」
◆◆◆
「はっはっはっ!オウムの言うことだ気にせんでくれ!あのオウムは現地人の飼っていたオウムでね、主人亡き後私が引き取ったんだよ。なかなか辛辣なオオムだよ」
その夜は賑やかなディナーになった。豪華に並べられた食事はフランス料理かのように見えたが、どことなく違う気もした。
エルネストは久しぶりの遠方からの来客に、すっかり気分を良くして豪快に呑んで豪快に食べた。
「あの、オウムの名前は何と言うのですか?」
魚料理らしき皿がエリックの前に置かれ、それに気を取られつつも遠慮がちにエルネストに尋ねてみた。
「名前かい?名前はムォイと言うんだよ。現地の言葉で10を意味するんだ」
エリックは頷きながら、皿の上の魚料理にナイフを入れた。
パンをちぎりながらヴィクトーが聞く。
「何故10なんだ?」
エルネストは「さあ?」と戯けた調子で肩を窄めた。
何故フランス人は出て行け!なんだろう?
そう思いつつエリックはムニエルらしきものを一口切って口へと運んだ。
「…!」
それは食べたことのない奇妙な味だった。馴染みのないハーブと魚臭いソース。
フランス料理の筈なのに味はかなり独創的だった。
一口食べただけでエリックはリタイアしてしまったが、ヴィクトーもエルネストも美味しそうに食べている。
「それより、エルネスト。あの手紙は何なんだ?俺の心を擽るあの手紙は…。まんまと誘き寄せられてしまったじゃないか」
「手紙?はて?なにを書いたかな?」
エルネストはキョトンとした目でヴィクトーを見た。
「…おい、嘘だろう?俺の好奇心を擽る何かがあるって…その何かって何だ!それを知りたくてここに来たんだ」
「ん?…ああ!そう。そうそうそうだったね!思い出したよ!鞄だよ。かばん!ルイの研究資料の入った鞄を手に入れたんだよ!」
ヴィクトーとエリックが一瞬鋭く目を見合わせた。
鞄?またしても鞄か…!と。
食事を終え、エルネストの書斎へと通された。
机の上にヴィクトーが子供の頃、ルイがいつも傍に携えていた見覚えのある鞄が置かれていた。
帆布で作られた緑色の軍用鞄は、あちこち擦れて随分ボロボロになっていたが、あの日崩れた遺跡と父親と共にその鞄も葬られたと思っていた。
なのに何故、十五年の時を経てヴィクトーの前に現れたのだ。
「どうだい?間違いなくルイの鞄だろう?」
「中身は?中身は流石に無いだろう?」
「それが奇跡的に残っていたんだよ!見たまえ!」
鞄を開いて見せると、遺跡の資料や書類の束。本に地図やコンパス。あの日ルイが密林に持ち込んだ物達がぞろぞろと姿を表した。
「……エルネスト。実は俺も鞄についてはちょっと変な事件に巻き込まれてるんだ」
そう言うと、ヴィクトーはエリックに例の黒鞄を持ってこさせた。
エルネストにそれを見せながら、神妙な顔つきで船の上で起きた自然史博物館のライアー・ブライトンの不審死と、彼から死の直前にこの黒鞄を預かった事を語って聞かせた。
黒鞄の中身を確かめながらエルネストは建築家ではなく考古学者の顔になっていた。
「これは…っ、アヌビスの小像…。他にもツタンカーメンに関する物ばかりあるね。
死んだ男の名前はライアー・ブライトンと言ったね。……そうだ、待てよ、待てよ、最近何処かで聞いた名前だぞ?」
しばらくはくるくると何か考えていたエルネストが、思いついたように拳で掌をポンと叩いた。
「おお!そうだ!新聞だ!新聞で見たのだよ!ライアー・ブライトン!彼は確か指名手配中の男だ!」
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