化け物の棺

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過去のカケラ

あの日背負ったもの

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小さなランプがロープに括られてヴィクトーの元に下さた。
辺りはぼんやりと明るくなり、ヴィクトーは恐る恐る前方の何かに向けて灯りをかざした。

「こ、これは…凄い数だ…!どうしてこんな…、」

絶句したヴィクトーにルイが穴から下を覗き込んで尋ねた。

「何だ!どうしたんだ?」
「蝶が…さっきと同じ紫色の蝶が何か箱のようなものにびっしり…!」

波のように蠢いて見えたのは、小刻みに羽を震わせている無数の蝶だったのだ。
ヴィクトーにはそれがまるで箱を守っているように見えた。
恐る恐る手を伸ばす。
わっと飛び立つ無数の蝶達が光を求めて上へと浮上して行くと、穴の上の皆からどよめきが上がった。
数匹を残して蝶達が居なくなるとそれが石で出来た長櫃であることが分かる。
背負った鞄から慌て羽刷毛を出し、ランプの灯のもとで綺麗にその表面を掃いて行った。
すると羽刷毛の下から美しいレリーフが浮かび上がり、ヴィクトーは息を呑み、その手が止まった。
それが何の模様かなんて分からないが、その発見に身体が震えた。

「父さん!来てみて!凄いものが…!」

そう叫びながらヴィクトーは鞄の中から取り出したトレーシングペーパーと鉛筆を使い、慎重にレリーフを写しとることに没頭していた。
時折その手元に細かく崩れた天井がパラパラと落ちて来て、その都度それを払っていると、ふとした瞬間に石櫃の蓋がほんの少しだけズレたのを感じた。

ーー動く?

そう、石櫃ならこの中に何か入っているはず。しかもこんな地下にわざわざ隠されるように設てあるのだ。

この中には何があるんだ。

ヴィクトーは両手でそっと上部を持ち上げてみると、案外すんなり蓋が開きそうだった。トレーシングペーパーを鞄に取り敢えず突っ込んで、もう一度蓋を少しだけ持ち上げた。

どうする。皆んなが来る前に見てしまおうか。

ヴィクトーが躊躇していた時、建物が地震のように小刻みに振動するのを感じて咄嗟に上階を見た。
上階の壁があちこちが崩れ始め、この地下の天井も細かく落下し始めている。皆が慌てふためき、ルイがヴィクトーに向って叫んでいた。

「ヴィクトー!早く上がって来い!崩れそうだ!」
「でも父さん!石櫃が!」
「後でなんとでもなる!とにかく早く上がって来い!!」

ルイの叫び声を聞いてヴィクトーはランプが吊るされて来たロープに手を伸ばすがひと目だけでも櫃の中を見たいと言う強い衝動に突き動かされた。
その躊躇を見てとったルイが声を限りに叫んでヴィクトーに向かって必死に手を伸ばした。

「バカ!そんなモノは良いから早く上がれっ!!」



何故だろうか。
その時の激しい地鳴りや逃げまどっている人々の叫び、自分を必死に呼んでいる父の声が一瞬ヴィクトーの耳から掻き消えた。

ひと目。ひと目だけでも見なければ。
そこに何があるのかを…!


そしてヴィクトーは石櫃の蓋を開けていた。





◆◆◆




「……その中に…何があったんですか」

ベッドに並んで座り、揺れるランプの灯りに瞳を震わせながら、ヴィクトーの話す長い長い昔話をエリックは息を詰めて聞いていた。
蓋を開けたところで途切れたその言葉に、エリックはその後の展開が決して好ましいものでは無いことが感じられ、震える拳を胸元でキュっと握りしめた。

「そこで記憶が途切れた。確かに俺は中を見た。だがそこに何がったのか覚えていないんだ。俺の最後の記憶は崩れる天井と逃げろと叫ぶ父の声だけ。
なのに俺の次の記憶は病院のベッドの上からしか無い。あの惨事で遺跡の中に入った全員が生き埋めになって死んだって言うのに、最下層にいた俺だけが何故が助かった。だがどうやって助かったのか、どうやって建物の外に出たのか何も覚えていないんだ」
「そんな…っ、じゃあお父様はその時に…っ」

ヴィクトーはそうだと苦く笑って頷いた。

「そう、…それが父との最後の別れだった。大きなあの樹木ごと遺跡は崖下に崩れて行き、誰の遺体も探せなかった。それから度々あの美しい人が俺の傍に現れる。何か言いたげに悲しそうな顔をしてね…」

そう言って窓の外を遠く眺めるヴィクトーの曇った表情と、あの美しい人と口付けを交わしていたヴィクトーの顔とがエリックの脳裏に交差した。



「…貴方は…あの人を愛してるんですね…」

ヴィクトーの睫毛がぴくりと動き、答えに窮して沈黙した。
それは今となっては天涯孤独なヴィクトーの心の支えでもあり、肉親のようでもある。だがいくら愛しても報われない幻の恋人でもあるのだ。

「その人を探す旅でもあるのなら、僕を誘って本当に良かったんですか?」

その問いは同時にエリック自身にも向けられた質問だった。
こんな風に衝動的に彼の元に残ったのがどれほど軽率だったのか、ヴィクトーの話を聞くうちに更にその思いを強くした。
そしてヴィクトーもまた、エリックのその質問に気付かされた。自分がいかに軽はずみだったのかと言う事を。
最初はハノイに着くまでのほんの息抜きのつもりだった。
だが油の染みた布のように、エリックに触れた瞬間あっという間に燃え上がってしまった。
それなのに心には動かし難い存在がもう一人住んでいる。
いつもそうだ。それがいつもヴィクトーを苦しめていた。

「すまない…。迂闊に君を引き止めてしまった。まだ間に合うなら君は次の港で降り——」

パン!!

話の途中だと言うのにヴィクトーの頬にエリックの平手が思い切り飛んでいた。

「馬鹿っ!なんでそこで謝るんですかっ!あんな風に引き止めたくせに!今更狡い!」

ヴィクトーの所為だけではない事はエリックも重々分かっているのだ。それはお互い様だと言う事を。
ただ予感がする。あの幻には勝てそうもないという予感が。
そう思うと訳の分からない苛立ちが勝手に湧き上がって来てしまうのだ。


「——分かりました。次の港で僕は降ります!」

そう啖呵を切った筈なのに、エリックは次の寄港地ムンバイでも、その次のヤンゴンでも結局は船を降りることが出来なかったのだ。

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