化け物の棺

mono黒

文字の大きさ
上 下
7 / 80
過去のカケラ

密林に挑む

しおりを挟む
「父さん、この丸のついたところは何?」

明日から密林地帯へと入っていくと言う夜に、十二歳のヴィクトーはテントの中でランプの灯りの元、広げられた地図を眺めていた。
ヴィクトーの父、ルイ・マルローと友人のエルネスト・エブラールがさっきまで真剣にその地図を睨んでいたからだ。
いくつかの箇所に丸が書かれてあり、地図の上には「マウタムフー」と殴り書きされていた。
ルイは丸い眼鏡をかけ直してその地図を一緒に覗き込んで来た。

「明日目指すのは山岳地帯だからな、丸のついたところはマウタムフーの信仰が色濃い土地だ。東南アジアには色々な神様がいるのさ」
「マウタムフーって?」
「マウタムフーってのはな、三府聖母道信仰とも言って自然崇拝、聖道仏教の中から生まれた三人の聖母を中心に据えた信仰の事だ」

そう言うと使い込まれた小さな手帳を広げると、そこにスケッチされた三聖母の絵をヴィクトーに見せながら、ルイは瞳を輝かせていた。聖母と言ってもマリア様のような感じではなく、ヒンドゥーの神話に出てくるような東南アジアの聖母だ。

「最上位第一の母が天母で空を司り、第二位の母が岳府、つまり山だな。第三の母が水を司る水母だ。マウタムフーはその三聖母が軸になった信仰なんだよ。
その土地にお邪魔するという事は、そういう土地土地の神を蔑ろにしてはいかんのだぞヴィクトー」
「じゃあ、明日行くのはマウタムフーの寺院跡とかなの?」
「どうだろうな、話に聞くとマウタムフーが興るもっとずっと前の古い遺跡だろうとエルネストが言っていたが、実際に見ない事にはな。ハハハ!ワクワクするだろう?ヴィクトー」

どっちがワクワクしているやら、遺跡の事を話すルイはまるでヴィクトーよりもずっと子供みたいだ。
ルイの本業は雑貨商なのだが、仕事場の倉庫には商売の品々よりも、何だか訳わからない物で溢れかえっていた。
何かの欠けた碑文や壊れた壺、何かの獣の骨とかホルマリン漬けになった変な形の生き物。誰かの髑髏や大きな鳥の羽。何かの呪術に使う道具。
おおよそルイにしか価値がわからない様々な気持ちの悪いものばかりだ。
だが今は、ヴィクトーの作業場風景が、そのままそっくり父親と同じようなものなのだ。
ヴィクトーは学校の勉強よりも、こうしたものを眺めて日がな一日過ごすのが好きな子供になっていた。
親子揃って考古学バカ。
お陰で夫婦仲も悪くなり、この旅に反対していた母親が、学校を休校させてまでヴィクトーを旅に連れ出した事で、ついに堪忍袋の尾が切れて家を出て行ってしまったのだ。
それ以来、母とは今も疎遠になってしまった。

寝支度を整えた父が寝床へとヴィクトーを呼ぶ。

「さあ、もう寝よう。明日は早くから出発だ。密林を歩くからちゃんと体力を温存しておかんといかんぞ?」

寝袋に入ると共に、ルネが傍のランプの火を落とした。
周りは暗くなったが、テントの隙間からチロチロと火が燃えているのが見えた。
恐らく誰かが外で寝ずの番ををしているのだ。その漏れてくる火の揺らぎを感じながら、ヴィクトーはいつしか眠りに落ちていた。

翌朝、寒さで目が覚めた。熱帯と聞いていたのに三月のハノイの密林の朝は上着がないと肌寒いほどだった。
ハノイには四季があり、十一月から四月までが乾季にあたる。雨季になる五月六月を避けて三月の探索に決定したのだった。
現地の人の下調べと村人の噂話とを頼りに、今日は本当にそこに遺跡があるのか、ただの岩場なのかを確かめに行くというのが今回の遺跡調査の目的なのだ。
ヴィクトーがテントの外に出ると、調査隊はすでに動き始めていた。
調査隊の中心になるのはルイとエブラールだが、随行員として雑誌記者を名乗るフランス人の男とフランス極東学院の調査員。そしてガイドのラットポン含め、現地で雇い入れた人達合わせて十二人の探検チームだった。
フランス極東学院と言うのは、ハノイに拠点を持つインドシナ総督府の直属機関で、フランスにおけるインドシナ考古学調査の権威だ。
相当力のある機関らしく、今回の調査隊の費用も大半はこのフランス極東学院から捻出されたものだった。
そうでなければ貧乏なルイ達がここまで来る事はできなかっただろう。
その代わり、ここで発掘調査をされた物や研究成果などは極東学院の博物館に寄贈すると言う約束になっていたのだった。

ヴィクトーは眠い目を擦り歯を磨き、寝癖でひっちゃかめっちゃかな頭を探検家が皆かぶるピスヘルメットへと突っ込んだ。
大人達同様に、ヴィクトーも流行りのサファリジャケットを着込み、ジョッパーパンツに長靴下にブーツを履き、双眼鏡と水筒を斜めに掛ければ格好だけは一丁前の探検家の出来上がりだった。
簡単な朝食を済ませると、同じ場所に戻って来るために一人だけ現地の人をキャンプに置いて出かけることとなった。
厳重な装備で身を固めたフランス人達とは違い、現地の人達は至って簡単な服装だ。
皆三角形の傘を被り、薄手の白いシャツに丈の短い綿のズボンだけ。
手荷物は全部現地の人たちが持ってくれていた。
ヴィクトーはそれが何となく心苦しく、少し年上のお兄さんから自分も手伝うと言って荷物を分けて貰った。
言葉は分からないが、何となく通じ合うような心の素朴さが好ましかった。
ナタを手にした先頭の人が、獣道を切り開いて皆の通路を確保しながら前へと進む。
東南アジア独特の背の高い木々と、シダに似た植物が時折行く手を阻み、流れる小川は濁った茶色をしていた。
見たこともないほど大きな昆虫が、時折葉陰から這い出してはヴィクトーを驚かせた。耳を澄ますと何かの鳴き声がしていて、こんな所を夜に歩いたらさぞ怖いだろうとヴィクトーは思った。
密林に分け入るように進んでちょうどお昼に差し掛かる頃だろうか、先頭を行く現地の人何人かが何やら揉めはじめた。地図を取り合っては、指をさして皆んなてんでな事を言い始めた。

「ラットポン!どうしたんだ?」

エルネストが通訳のガイド、ラットポンに尋ねると、ラットポンは必死で身振り手振りを交えながらルイとエルネストに説明していた。

上手く聞き取れないが、何か想定外の事が起こっていることだけはヴィクトーにも何となく分かったのだった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫愛家族

箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。 事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。 二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。 だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

処理中です...