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失ったものと得たもの
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後悔した。
キスをした事も。
信じた事も。
久我を好きになった事も。
だがそれ以上に後悔したのは、久我が悪くないと承知の上で罵倒した事だ。
自分だって心に疾しい事など沢山あったのに、あんな風に一方的に久我を責め立てた。フェアじゃないのは自分もだった。
久我を残し、ホテルを飛び出して一人で店に戻って来た撫川は、心の痛みを罪のない花達にぶつけた。
大切にしていた花達を次々にバケツから引き抜き、猛烈な勢いで床に叩きつけた。
絵の具をぶちまけたような無残に散った花達の屍の中で、撫川は蹲って号泣した。
飽きるまで泣き明かし、撫川はこの日から花屋を閉じた。
花に顔向けが出来なかった。
「なるほど。これが撫川の十六年間と言うわけか」
一課のデスクの前で、瀬尾は久我からの報告書を読んでいた。
その前で、項垂れる久我の疲労の色が濃い。
そんな久我をチラリと瀬尾が見た。
「なんだ、疲れてんのか」
「あ、いえ、そんな事は…慣れない土地でしたから、気を使いました」
撫川と個人的ないざこざがあったなど言える訳もなく、いかにもありそうな言い訳をしていた。
実際久我は精神的に疲労困憊だった。
「あの、事件に進展があったと言うのは…」
尋ねる久我に、瀬尾はパソコン画面を久我に向けた。重ねられた三人の刺青の写真を見せると「鳳」と言う文字が浮かび上がっていた。
「お前が調べてきたこの鳳と言う男は刺青の彫り師だ」
「え?」
「この鳳悠也と言う人物は腕の良い刺青の彫り師だったんたよ」
俄かに久我の頭の中でその事実が結びつかない。久我の頭の中ではまだ鳳悠也は十歳の子供のままだ。
大人になった鳳が、そんな彫り師になっていたのか。撫川はこの事を知っていたのだろうか。
「鳳が何処で修行を積んだのかはまだ分かっていないが相当腕の立つ彫り師だったそうだ。奴が死んでからは伝説的な人物になったようだ。鳳の出自が分かったのなら話は早い」
今、久我は聞き捨てならないことを耳にした気がした。鳳が死んだ。そう聞こえた。
「あのっ、鳳は…既に死んでると言いましたか!」
「そうだ。六年前、鳳は首を掻き切って死んでいる。調べでは当時自殺で処理されているのだが…」
ここで瀬尾が思案げな顔で言葉を区切る。久我が身を乗り出すと、瀬尾は目を細めニヤリと笑いながらこう続けた。
「その時使用されたのが、一連の事件と同じく整形手術用のナイフだった」
瀬尾はもしかすると鳳の自殺は他殺だったかもしれないと思っていた。
報告が終わったら、久我はこの事件から降りたいと言おうとしていた。無論、新人の戯言で一蹴さられたに違いないし、何故かと問われたら答えようが無かっただろう。
「引き続きお前は撫川と鳳の周辺を洗え」
そう瀬尾に言われて、久我はがくりと肩を落とした。
これはもう神様に進めと言われたんだと覚悟した。
「くそっ!出ねえ!あいつ何処に行きやがった!」
鹿島周吾は携帯電話を机に放り投げて声を荒げた。
ここ数日、撫川の消息がパタリと途絶えてしまったのだ。
店は閉めたまま、携帯の電源はオフになったきりだった。
まさか自分の愛人を子分共に探させるなどみっともなくて出来はしない。鹿島はそういう男なのだ。
「おやじ、なんかケーサツが来てますぜ、ゴマキと一緒に来た若いヤツです。どうしましょう、追っ払いましょうか」
子分の一人が鹿島の所へ報告に来た。鹿島は怪訝な顔をしながらも通せと言って相変わらず事務所の奥の席でふんぞり返って久我を迎えた。
「久しぶりだな若けぇの。一人で来たのか?今日はなんだ、聞いてやるから手短に話せ!」
恐らく、後藤に連れられて来なければ、鹿島はこうして会ってもくれなかっただろう。
改めて久我は後藤に感謝した。
「あの、今撫川と鳳悠也の事を調べてます。貴方が何か知らないかと思って」
久我は直球を投げた。
「何で俺が?」
「貴方は撫川の…、頼っている人、だからです。それに背中に鳳に彫ってもらった刺青が入ってると伺いました」
「へえ、撫川を情夫とは言わねんだな」
「ほう?」と言う鹿島に品定めをされているような視線に晒されながら、複雑な思いで久我は直立不動で立っていた。
「撫川と鳳は兄弟かもって事くらいまでは知ってんだろう?」
久我がそうだと頷くと、腰を据えて話す気になっているのか、久我に座れと傍の椅子を視線が指した。
久我は腰を落ち着けて鹿島と向かい合った。
「オレが知ってんのは十年くらい前くらいからだ。本部の三岡って言う男がいてな、そいつが鳳に墨を入れてもらったんだが、それから神がかり的な大出世でな。今じゃ本部の若頭だ。そんな噂が広まって、ヤクザはみんな鳳の刺青を入れたがった。
無論、俺もそのうちの一人だ。
まだ俺は若くて下っ端でな、野心に燃えている頃だった。
そん時、偶然絡まれてる撫川を助けたのが縁で背中のコイツをいれてもらったのさ」
「と言うことは、十年前には撫川は既に鳳と会っていた、と言う事ですか」
「会ってたんじゃねえよ、一緒に暮らしてたのさ。ボロアパートの一室でな。俺が行く時は良く雨が降ってた。一年そこへ通って俺は不道明王を完成させて貰ったよ。そのご利益か知らんがこうして鹿島興業の頭なんぞ張らせて貰ってるって訳さね」
鹿島は少し懐かしむような目をして窓の外を眺めた。
「撫川とはその頃から…その、」
「はっはっはっ!そんなガキの頃から抱いちゃいねえよ?奴は兄貴の手伝いみたいな事をしてたな。今より素っ気無い子でな。いつも何か秘めたような目をしてた」
「死んだ鳳も、撫川の事が心許なかっただろうに、本当に自殺だったんでしょうか」
そう久我が切り出した時、鹿島の眼光が鋭く久我を見た。
「どう言う事だ。何が言いたい」
キスをした事も。
信じた事も。
久我を好きになった事も。
だがそれ以上に後悔したのは、久我が悪くないと承知の上で罵倒した事だ。
自分だって心に疾しい事など沢山あったのに、あんな風に一方的に久我を責め立てた。フェアじゃないのは自分もだった。
久我を残し、ホテルを飛び出して一人で店に戻って来た撫川は、心の痛みを罪のない花達にぶつけた。
大切にしていた花達を次々にバケツから引き抜き、猛烈な勢いで床に叩きつけた。
絵の具をぶちまけたような無残に散った花達の屍の中で、撫川は蹲って号泣した。
飽きるまで泣き明かし、撫川はこの日から花屋を閉じた。
花に顔向けが出来なかった。
「なるほど。これが撫川の十六年間と言うわけか」
一課のデスクの前で、瀬尾は久我からの報告書を読んでいた。
その前で、項垂れる久我の疲労の色が濃い。
そんな久我をチラリと瀬尾が見た。
「なんだ、疲れてんのか」
「あ、いえ、そんな事は…慣れない土地でしたから、気を使いました」
撫川と個人的ないざこざがあったなど言える訳もなく、いかにもありそうな言い訳をしていた。
実際久我は精神的に疲労困憊だった。
「あの、事件に進展があったと言うのは…」
尋ねる久我に、瀬尾はパソコン画面を久我に向けた。重ねられた三人の刺青の写真を見せると「鳳」と言う文字が浮かび上がっていた。
「お前が調べてきたこの鳳と言う男は刺青の彫り師だ」
「え?」
「この鳳悠也と言う人物は腕の良い刺青の彫り師だったんたよ」
俄かに久我の頭の中でその事実が結びつかない。久我の頭の中ではまだ鳳悠也は十歳の子供のままだ。
大人になった鳳が、そんな彫り師になっていたのか。撫川はこの事を知っていたのだろうか。
「鳳が何処で修行を積んだのかはまだ分かっていないが相当腕の立つ彫り師だったそうだ。奴が死んでからは伝説的な人物になったようだ。鳳の出自が分かったのなら話は早い」
今、久我は聞き捨てならないことを耳にした気がした。鳳が死んだ。そう聞こえた。
「あのっ、鳳は…既に死んでると言いましたか!」
「そうだ。六年前、鳳は首を掻き切って死んでいる。調べでは当時自殺で処理されているのだが…」
ここで瀬尾が思案げな顔で言葉を区切る。久我が身を乗り出すと、瀬尾は目を細めニヤリと笑いながらこう続けた。
「その時使用されたのが、一連の事件と同じく整形手術用のナイフだった」
瀬尾はもしかすると鳳の自殺は他殺だったかもしれないと思っていた。
報告が終わったら、久我はこの事件から降りたいと言おうとしていた。無論、新人の戯言で一蹴さられたに違いないし、何故かと問われたら答えようが無かっただろう。
「引き続きお前は撫川と鳳の周辺を洗え」
そう瀬尾に言われて、久我はがくりと肩を落とした。
これはもう神様に進めと言われたんだと覚悟した。
「くそっ!出ねえ!あいつ何処に行きやがった!」
鹿島周吾は携帯電話を机に放り投げて声を荒げた。
ここ数日、撫川の消息がパタリと途絶えてしまったのだ。
店は閉めたまま、携帯の電源はオフになったきりだった。
まさか自分の愛人を子分共に探させるなどみっともなくて出来はしない。鹿島はそういう男なのだ。
「おやじ、なんかケーサツが来てますぜ、ゴマキと一緒に来た若いヤツです。どうしましょう、追っ払いましょうか」
子分の一人が鹿島の所へ報告に来た。鹿島は怪訝な顔をしながらも通せと言って相変わらず事務所の奥の席でふんぞり返って久我を迎えた。
「久しぶりだな若けぇの。一人で来たのか?今日はなんだ、聞いてやるから手短に話せ!」
恐らく、後藤に連れられて来なければ、鹿島はこうして会ってもくれなかっただろう。
改めて久我は後藤に感謝した。
「あの、今撫川と鳳悠也の事を調べてます。貴方が何か知らないかと思って」
久我は直球を投げた。
「何で俺が?」
「貴方は撫川の…、頼っている人、だからです。それに背中に鳳に彫ってもらった刺青が入ってると伺いました」
「へえ、撫川を情夫とは言わねんだな」
「ほう?」と言う鹿島に品定めをされているような視線に晒されながら、複雑な思いで久我は直立不動で立っていた。
「撫川と鳳は兄弟かもって事くらいまでは知ってんだろう?」
久我がそうだと頷くと、腰を据えて話す気になっているのか、久我に座れと傍の椅子を視線が指した。
久我は腰を落ち着けて鹿島と向かい合った。
「オレが知ってんのは十年くらい前くらいからだ。本部の三岡って言う男がいてな、そいつが鳳に墨を入れてもらったんだが、それから神がかり的な大出世でな。今じゃ本部の若頭だ。そんな噂が広まって、ヤクザはみんな鳳の刺青を入れたがった。
無論、俺もそのうちの一人だ。
まだ俺は若くて下っ端でな、野心に燃えている頃だった。
そん時、偶然絡まれてる撫川を助けたのが縁で背中のコイツをいれてもらったのさ」
「と言うことは、十年前には撫川は既に鳳と会っていた、と言う事ですか」
「会ってたんじゃねえよ、一緒に暮らしてたのさ。ボロアパートの一室でな。俺が行く時は良く雨が降ってた。一年そこへ通って俺は不道明王を完成させて貰ったよ。そのご利益か知らんがこうして鹿島興業の頭なんぞ張らせて貰ってるって訳さね」
鹿島は少し懐かしむような目をして窓の外を眺めた。
「撫川とはその頃から…その、」
「はっはっはっ!そんなガキの頃から抱いちゃいねえよ?奴は兄貴の手伝いみたいな事をしてたな。今より素っ気無い子でな。いつも何か秘めたような目をしてた」
「死んだ鳳も、撫川の事が心許なかっただろうに、本当に自殺だったんでしょうか」
そう久我が切り出した時、鹿島の眼光が鋭く久我を見た。
「どう言う事だ。何が言いたい」
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