龍虎の契り

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春景色と極寒

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苛烈な性戯の続いた後は、棗も李仁も決まって甘くて緩く睦合う。
それは二人の愛を確認するための儀式だ。
だが、幸せなら幸せなほど、愛すれば愛するほど、何故か漠然とした不安は一層強くなって行く。
人はそれを幸せな悩みだと言うだろうか。

この日、金沢から李仁が持ち帰った鈍色桜が、棗の採寸に合わせた振袖として納められてきた。
見事な出来栄えに今日一日は、店の小上がりで、衣桁《いこう》に掛けられて飾られ、店員やお客の目の保養になっていた。

ようやくお客も掃け、閉店した店の中で李仁自らが棗にその着物を着付けてみる事になった。
着物を着終えると、帯紐、帯、帯揚げと幾重にも巻かれる事となるのだが、そんな際に時折李仁の腕が棗の後ろに回される。
そうすると二人の身体の距離が近くなり、棗の見つめる大きな姿見の中で、まるで二人が抱き合っているように見えて棗はうっとりとしてしまう。

「あ、ん…っ」

李仁が帯を少しきつく締め込んだ時だった。
突然棗の口から悩ましげなため息が漏れた。

「なんだ?オレはそんな声を出させるような事はしていないぞ?」

「帯が少しきつくって、、」

「そうか?」と李仁は少しだけ帯を緩めた。「どうだ?」と眼差しが鏡の中の棗に聞いた。

「丁度良いかもです」

棗も鏡越しに李仁に頷く。

「息苦しいとあっちの感度も上がるという人もいるらしいぞ?
首を絞められると良いと言う話しも聞く」

ほんのおふざけのつもりで、李仁は棗の首を軽く絞めた。

「…っ!いや!」

いつもどんな戯れも許してくれる棗が、今回に限っては激しい拒絶を示して身を固くした。
李仁は驚いて直ぐに棗の首から手を離した。

「どうした?そんなに強く絞めてはいなかったが、苦しかったか?」

「あ、いいえ、少しびっくりして、ご、ごめんなさい李人さん」

棗自身も咄嗟の自分の反応に驚いていた。
あの日はる君に首を絞められた感覚が一瞬脳裏に浮かび、強烈な嫌悪が棗を襲ったのだ。
棗は動揺して高鳴る鼓動を押さえ込むように、胸元で拳をギュッと握っていた。
その手は薄っすらと汗ばんでいた。
そんな棗に少しの違和感を覚えつつも、李仁は仕上げの帯結びに着手していた。

「どうしようか、ふくら雀の変わったものにしてみようか」

「あんまり可愛いものより、少ししっとりした帯結びの方が良いです」

「じゃあ文庫結びだな。変わり文庫にしようか。ちょっと最近考えてる結び方があるんだ」

棗の背後で手際良く帯を結んでいる真剣な李仁の表情を、棗は鏡越しに見つめている。
それだけで棗の乱れた心は落ち着きを取り戻して行った。

「なんだか仕事してるって感じで…。李仁さんは着物屋さんなんですよね。とても素敵です」

「ははっ、今頃分かったのか?毎日見てるのに、君はどこを見ていたんだい?」

巻いた帯揚げを少し帯に押し込み、李仁は懐から取り出した帯留めを最後に帯の上に締め込んだ。

「さ、出来たよ。
うん、とても綺麗だ。やっぱり君にこの着物が良く似合ってる」

そう言うと、姿見の正面に棗を立たせ、両肩に手を添えて鏡の中の棗に微笑んだ。
その鏡の中に棗はあるものを見つけて眼差しが揺れた。

「李人さん、これ、あの時の珊瑚の帯留め…っ」

「そうだよ。君と初めてホテルに行った日。君はこれだけオレに残して消えたんだ」

ホテルから逃げ帰ったあの日以来、いくら探しても見つからなかった珊瑚の帯留めが、李仁の手で再び棗の帯を飾っていた。

「これ、持っていて下さったんですね」

棗は久しぶりに会った友のように、懐かしそうにその帯留めに触れた。

「勿論だ。お守り代わりにずっとね。また君に会えるようにと願を掛けていたら、本当に君に会えた」

「李仁さん…」

棗の大きな目が涙で滲み、それが膨らんで決壊した。

「ありがとうございます。李仁さん。私、貴方に出会えて良かった」

「おいおい、何も泣かなくても良いだろう?困った子だね。せっかくの晴れ着なんだ。ほら笑って棗」

事もなげな様子の李仁だったが、その天性の優しさや、深い情に触れて棗は心が優しい感情の昂りにうち震えていた。

「もっと良く見せて」

棗は両腕を開いて李仁に着物姿を見せた。
溢れんばかりの桜が淡く彩り、棗の身体を包んでいる。
李仁は匂い立つような棗の姿を、眩しそうに目を細めて眺めていた。

「やはり、この着物は君にしか着こなせないな。君のためにあるような着物だ。本当に美しい。オレは春の妖精を捕まえたのかもしれないな」

「またそんな歯の浮くような事、良くポンポン出てきますね。恥ずかしいです」

そう言いながらも、頬や耳を仄かな桜色に染めて棗は嬉しそうに俯いた。

「これ、何処に着て行きましょうか。クリスマスですか?初詣はどうですか?」

「そうだね、春の先駆けとして初詣は良いね。実際に桜が咲いたら花見に着ていくのも良い。
本物の桜が霞んでしまいそうだがね」

まだ外は冬の只中にありながら、この場の二人には既に春は訪れているかのようだった。その時背後から声がした。

「こんばんは、李仁、近くまで来たからちょっと立ち寄ったんだけど…、お邪魔だったかしら?」

その声に、二人は一気に現実に引き戻された。
その場を極寒に冷え込ませる人間の登場だった。

「母さん!い、いらっしゃい。突然で驚くじゃないか」

「あら、母親が突然息子に会いたくなったらいけないのかしら?」

その言葉に、棗が慌てて膝をついた。三つ指をつき丁寧な所作でお辞儀をし、李仁の母の前で畏〈かしこま〉っていた。
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