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 大通りの道を覗く。そこで葵は更に驚く。大通りには、沢山の店が並び、沢山の人々が行き交っている。しかし、行き交う人々はやはり『人間』では無い。リザードマンだったり、蛇の下半身の女だったり、ゴブリンだったりが歩いているのだ。人間のような見た目の者もいるが、肌の色が違ったり、全身に入れ墨を入れてたりとやはり、どこか違う。店に並ぶ商品は、凶暴そうな刃物がずらりと並んでいたり、何かの巨大な肉の塊が置かれている。
「ファ、ファンタジーだぁ」
 こんな時ではあるが、多少心がわくわくもした。しかし、誰かと接触したいがみんな葵にはわからない言葉で話している。看板の文字も、どれも読めない。状況は絶望的である。
「はぁ……」
 よく考えれば喉も渇いている。丸一日くらい飲まず食わずなのだ、空腹も感じる。
「これ、ヤバイなぁ。どうにかして、食べ物にありつかないと……」
 葵はふらふらと歩き、店を眺めて回った。美味しそうな、肉の串焼きの匂いがする。しかし、葵には彼らに支払う対価が無い。言葉が通じなくても、雇ってくれるところを探さなくては。適当な屋台で葵は試しに声をかけてみる。
「あの、ここで働かせて貰えませんか?」
 腕四本ある商人の男は、嫌そうな顔をした後に何か叫んで葵をしっしっと手で追いやった。あっちへ行けと言う事らしい。葵はしょんぼりしつつ、他の屋台にも接触を試みたが全く相手にされなかった。
 少し目まいがするので路地裏に入り、座っていると騒がしい声がする。葵は顔を上げて、辺りを見渡す。声は、路地の奥からするようだった。見れば、豚のような顔の男達が数人で何かを取り囲んでいる。下卑た笑いを浮かべて、地面に転がった何かを蹴っている。何を言っているかわからない。ただ、よからぬ雰囲気を感じて葵は、走り寄る。
「こらっ! なにしてるのよ!」
 男たちが振り返る。地面には、犬型の獣がうずくまって倒れている。男達が葵を見て、顔を見合わせる。
「よ、弱い者いじめはダメなのよ!」
 葵は近くに落ちていた棒を握りしめる。男達が葵の方やって来て取り囲む。
「むむむっ」
 遠くの地面に転がった犬の子が、顔を起こして葵を見ている。この間に犬の子が逃げてくれれば良いのだが。男達の一人が葵に手を伸ばす。
「は、離せー!!」
 棒で殴るが、お腹が空いて力が出ない。男達は笑って、葵を地面に押し倒す。最近、こんなのばかりだ。男達の手が四方から葵の体に迫る。腕や足を押さえつけて、お尻や胸を触られている。葵は、血の気が引いて叫ぶ。
「や、やめろー!!!」
 しかし葵が叫んでも、誰も助けに来てくれなかった。ここは、そう言う世界なのだ。
「うぅ……」 
 その時、雷が目の前に落ちた。葵は突然の事に驚く。白い雷を落としながら登場したのは、イルブランドだった。彼が現れたのと同時に、男達は泡を吹いて次々倒れた。押さえていた力が無くなる。
「これでわかっただろ。君は無力だ」
 葵は涙の滲んだ瞳で彼を見上げる。
「もう一度君に問う。私の庇護下に入れ」
 一日、街中を歩き回って思い知った。この世界は葵のような異邦人が上手くやっていける程、優しくは無い。
「わかりました……」
「そうか!」
 喜ぶ魔王を他所に葵は、遠くの地面に倒れた獣を見る。犬型の魔物は、泡を吹いている。
「あぁ、そんな……」
 助けようと思ったのに、助けられなかった。
「その者と知り合いなのか」
「そうじゃありませんけど……いじめられてたから……」
「魔界ではよくある事だ」
 葵はむっとする。
「そうだとしても、見過ごせません」
 イルブランドが憮然とした顔をする。
「殊勝な事だ……」
 葵は獣の側に寄り様子を見る。
「息をしてる、生きてはいるのね……」
 その事にほっとする。
「その魔物ならいずれ、目を覚ますさ。それより、城へ行くぞ」
「いえ、この子の看病してからじゃないと行きません」
 葵はイルブランドを睨む。
「何故、縁も無いたかだか一匹の下等な魔物の為にそこまでするのだ」
「私がそうしたいからです!」
 葵が好きな主人公達はみんなそうしていた。なら葵だって、彼らに恥じない人間で居たい。例え、奇異な目でみんなに見られたとしても。これは、葵の曲げられない信条の一つだった。これを曲げたら葵はオタクではいられなくなる。
「……よかろう」
 イルブランドが犬に手を当てる。すると犬の体が緑の光に包まれる。みるみる、傷が治って行く。
「!」
「傷は治した。いずれ、目を覚ますだろう」
 周囲に視線を送る。すると路地に、鎧を着た機械仕掛けの兵士達が入って来る。倒れた男達を縄で縛り引きずって行く。
「目を覚ますまで犬は、兵士達が面倒を見る」
「ちゃんと、面倒見てくださいね」
 葵は念押しする。
「わかっている」
 葵は兵士に魔物を渡して立ち上がる。傷は治っていたので、目を覚ます頃には元気になっているだろう。 
「ありがとうございます」
「ふん。では、城に行くぞ」
「城に行く前に雇用内容について具体的にお聞きしたいです」
「雇用内容」
「どんな条件で私を娼婦として雇うんですか」
「ふむ。ひとまず、夜の供をして貰う為に雇う」
「対価は出るんですか」
「我が城での庇護を約束しよう」
「他には? お給料は? 食事は?」 
「衣食住の心配はするな。給料は……考えておく」
 葵は腕を組んで考える。知らない世界でひとまず衣食住の心配が無くなるのはありがたい。けれど、お給料が出ないのは気になる。お給料が無ければ、次に繋げられないのだ。お金は大事である。しかし、彼もそれがわかっているからお給料を出さないつもりらしい。葵と男は睨み合い、ひとまず葵が折れる。
「わかりました。その条件で良いです」
「では契約だ」
 葵の手を取ってキスをする。彼がキスをすると、葵の手が輝き黒いトカゲの紋章が付く。
「なんですかコレは」
「おまえを庇護すると言っただろう、私のモノだと言う証だ。これがあれば、誰もおまえに手出しできない」
「貴方ってそんなに強いんですか?」
「あぁ、私はこの世界に君臨する魔王だからな」
 葵は目を見開く。
「魔王だったんですか……」
 随分キャラの強い、尋問官だとは思っていた。
「それってつまり、私は魔王様の娼婦になったと言うわけですか」
「その通りだ」
 男が妖しく笑う。彼をいずれ出し抜いて、娼婦を辞めてやろうと思っていた葵だが、それは随分高い障害のようである。
「魔王の女になるのは怖いか?」
 男が尋ねる。全身真っ黒の背の高い男で、顔が異様な程綺麗な人ではあるのだが、特に怖いとは思わなかった。答える前に、葵のお腹が鳴る。
「怖くは無いです。それよりお腹が減りました」
「肝の太い女だ。よかろう、すぐに城へ帰って食事としよう」
 魔王が葵の手を引く。
「これを口に入れておけ」
「なんですかコレ?」
「空間移動は苦手なのだろう。少しは緩和される薬だ」
 葵は差し出された小さなラムネのような物を口に入れた。ミント味だった。
「……ありがとうございます」
 気遣われて葵は、なんとも言えない気持ちになる。
(魔王様、なんで私なんか娼婦にしようと思ったんだろう?)
 空間移動の魔法で瞬時に城につく。確かに、気持ち悪いのがマシになっていた。城について食堂に通される。並んだ、豪華な料理に驚きつつ葵は食べて、食べて、食べまくった。
「味の方はどうだ」
「とっても美味しいです!」
 一日ぶりの食事が胃を満たしていく。出て来る料理はどれも美味しく、手が止まらない。
「ふむ、よく食べるな。健康なのは良い事だ」
 葵は、平均的な日本人女性よりはよく食べた。しかも、全然太らないので痩せの大食いと言われていた。それはつまり、裏を返せば凄く燃費が悪いと言う事なのだが。空の皿を大量に並べて、デザートのケーキを一ホール食べて葵は満足してフォークを置く。
「ごちそう様でした」
「実に豪快な食べっぷりだったな」
 魔王様はと言うと、葵の三分の一くらいしか食べていない。
「魔王様もっと、食べた方が良いですよ」
「いやいや、私はこのくらいで十分だ。若い時ならば、おまえ以上に食べていたが、私も年なのでな」
「え、魔王様っておいくつですか」
 パッ見、葵と変らないぐらいに見える。
「三百二十二歳だ」
「三百二十二歳」
 思わず、繰り返してしまった。
「み、見た目がお若いですね」
「ふふっ。体の老化は止めているからな。しかし、精神の老化だけはどうにも止められぬ」
「そうですか、それは大変ですね」
 長命な人には、その人なりの苦しみがあるのだろう。
「でも、確かに年取ると、いろいろ変わりますよね。私も、前よりお肉が食べれなくなっちゃって」 
「それでか」
 葵の大食いの全盛期は、十代である。
「まぁ、しかし。そう言う事だ、老化にはどうしても勝てぬからな」
 イルブランドはワイングラスを置いて、立ち上がる。
「居間で少しゆっくりしよう」
 葵は彼に手を取られて、隣にある部屋に移動した。ソファの置かれた部屋は、外への窓が開いていて綺麗な庭が見える。ソファに隣り合って座る。
「年はいくつだ」
「二七です」
「そうか、若く見えるな」
「ありがとうございます……」
 スキンケアや、サプリ補給で老化には全力であらがっている。 
「おまえは、ニホンと言う場所から来たのだったな」
「はい」
「聞いた事も無い場所だ」
「本当に、聞いた事ありません? 私と同じような異邦人って他にいないんですか?」
「異邦人ならたまにいる。この世界にはいない人や、魔物が時折やって来る事がある」
 異邦人の来訪は珍しい事では無いらしい。
「魔王様はその異邦人と、話したりしないんですか?」
「しないな。基本は放置している。まぁ、巨大竜がやって来て土地を荒らすと言うなら話は別であるが」
 そうでも無い限り、放置しているらしい。
「おまえが私のところに来たのも偶然だ」
「あの、魔王様は……なんで私を、娼婦にしたいんですか」
「知りたいか」
「そりゃ知りたいですよ」
 これだけ顔が良い人なら、わざわざ異邦人の葵を娼婦にする必要は無いだろう。魔王様となれば、抱く女ぐらい国内で沢山確保できるはずだ。
「気がのったら、教えてやろう」
 魔王は、笑みを深めて笑う。
「すぐには教えてくれないんですね。むむむ」
「秘密があった方が楽しいだろう」
 イルブランドが葵の手を引いて、抱きしめキスをする。葵は思わず、目を閉じた。唇に、柔らかい物がぶつかる。一番最初のキスは、牢屋に入れられてロープで縛られながらの、とんでも無い状況だったので、あまり記憶に無い。舌を突っ込まれた気もするが、衝撃が強すぎて記憶が薄れている。だから、このキスが初めてまともにしたキスだった。唇が離れる。葵は目を開けて、目の前にいる男を見る。黒いまつ毛は長く、切れ長の目は紫水晶のような静かな輝きを持っている。薄い唇は形がよく、肌は白く陶器のようだった。魔的な妖しい美しさを持つ男が、葵を見ている。見つめられる内に葵の顔が熱くなって来る。
「良い反応だ」
 イルブランドは笑みを深める。葵は内心少し焦っている。最初の頃より、男に対する嫌悪感が無くなっていたのだ。たぶん、彼の顔が良すぎるのがいけないのだと思う。何しろ、葵は面食いだった。



つづく
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