神獣の花嫁

綾里 ハスミ

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 神雷は神獣宮の書庫の書物を、端から端まで目を通していた。

(やはり、神力を得るには民の信仰が必要なのか)

 神雷は異邦人の水天をこの世界に永遠に留めたかった。その為には、神雷の神力を高める必要があった。

(強い神力を得た神獣は、この世の理を全て理解し、万能の力を得ると言う。私にその力が備われば、水天をこの世界に留める事ができるはずだ)

 その為に、過去の記録を読んで『神力』を高める方法を調べた。神力を高める方法は三つある。
 一つ目は神獣自身の身を清める事。穢れを払い、聖域で修行する事で神力は高まる。

(各地にある聖域を巡らなければな……)

 二つ目は、伴侶を得る事だった。神力は、神獣自身の幸福度にも関連しているらしい。幸福が強くなれば、神力も比例して強くなる。

(ふむ、私の神力が高まったのは水天のおかげだったのか……)

 三つ目が、民の信仰を得る事だった。

(一つ一つは小さな力だが、寄り集まれば大きな力になる。巨大な龍になるほどの神力を持った神獣は、いずれも民の大きな信仰を集めていたらしい)

 神雷は額を押さえて考える。

「華明」
「はい」

 声をかければ、部屋の隅で待機していた華明が返事をする。

「各地の神殿への、降臨の儀を行う」
「神雷様、それはまことに素晴らしい事だと思います」

 華明が声をあげる。

「それと、各地を巡りながら、聖域にも立ち寄る」
「かしこまりました。すぐに、礼英に伝えて参ります」

 神雷は頷く。華明が立ち去ったのを見て、小さくため息をついた。
 震える右手を強く握り込む。それでも手は震えたままだった。

(お父上……どうか私に勇気をください……)

 神獣として、人々に姿を見せる事。それは、神雷にとって避け続けて来た、大きな試練だった。





 結婚から、三ヶ月経った頃だろうか。静かだった神獣宮が、突然あっちもこっちも騒がしくなった。全ての神官達は、忙しそうに走り回っている。

「なぁ、いったいどうしたんだ」

 お菓子作りで仲良くなった、料理の神官を呼び止める。

「どうしたって! 大変なんですよ! 神雷様が、ご降臨なさるとか!!」

 水天が、気を使わないで欲しいと言ってから、神官達の多くはこの通りかなり砕けた会話をしてくれるようになっていた。

「こうりん?」
「各地の神殿に言って、民の前にお姿をお見せする事です!!!」

 お針子の神官が立ち止まって、教えてくれる。

「あー、神殿ってあの赤い建物か。それって、大変な事なのか?」
「三十年ぶりです!!!! 私達も、見た事が無かったんですよ!!!」
「へ、へー……」

 その凄さがわからず、水天は頭を掻いた。どうにも、この世界の常識は水天にはまだ理解出来ない事が多かった。

「そして、水天様もお忙しくなるんですよ」

 後ろから声がする。振り返ると、衣装係と、作法を教える女官達が立っていた。

「さぁ! 水天様!! 旅先で恥をかかなくても良いように、立ち振る舞いを訓練いたしますよ!!」
「い、嫌だぁ!! 俺、そのずるずるする服嫌いなんだよ!!!」

 神獣の伴侶として着る礼服は、普段来ている地味な着物と違って、いろいろ布が多くて派手だった。あとなんか天女の羽衣みたいなのも付けられる。そんなのを身に着けて歩けと言われても、転ばない方が無理である。

「水天様!!!」

 水天は、それからしばらく女官達にビシバシとしごかれるのだった。

(いや、まぁ、こんな格好で転んで恥をかくのよりはマシだけどな……)


 水天が、ぐったりして寝台の上で寝ていると、部屋に誰が入って来るのがわかった。目を開けると、闇の中でほんのり光る神雷の姿見えた。

「神雷……」

 今日、彼は忙しかったのか朝ごはんの時以来一度も会っていなかった。

「疲れているようだな」

 隣に座った神雷が、水天の下瞼を撫でる。

「ん……、ちょっとな」

 つめたい神雷の手を握る。

「『降臨』って大変な事なのか?」

 神雷が水天の瞳を見つめて来る。彼の赤い瞳は、少し悲しそうだった。悲しい理由が水天にはわからない。

「いや、大変な事はない。ただ、民達に姿を見せるだけの事だ」

 しかし彼はすぐに、その表情を無くしてしまう。まるで、先ほど見たのは気のせいのように思えた。

「そっか……」
「そりより、水天の方が苦労をしているようだな。神獣宮での暮らしはどうだ?」

 水天は少し考える。三か月経って、ようやく神獣宮の暮らしに慣れて来たように思う。常に傍に神官がいるのにも慣れたし、甲斐甲斐しく世話されるにもどうにか慣れた。神官達も、水天を心から受け入れてくれようとしているのが、わかった。

(悪い場所じゃない。むしろ、俺にはもったいないくらい良い場所だ)

 ここには、大勢の人間が沢山いるのに、敵が一人もいなかった。

「ここでの暮らしは悪くないよ。華明さんがいろいろと気を使ってくれるし」

 彼女は、特に水天の事を気にかけてくれているのがわかった。

「そうか……華明には、私も長く世話になって来た。とても気のきく女官だ。困った事があれば、彼女を頼ると良い」

 神雷が、水天の手を握る。

「もちろん、私を頼ってくれも良い」

 水天は返事の代わりに笑みを見せた。

「さぁ、寝よう。神雷は明日も忙しいんだろ。『降臨儀』がんばろうな」
「あぁ」

 神雷を引き寄せて、抱きしめた。彼の腕の中は心地よく、雲の上にいるような心地よさを感じながら眠りについた。





 水天と神雷は神獣宮を出て、馬車に乗り近くの街に向かっていた。神獣宮の外に出たのは、二人だけでなく、多くの神官達が着いて来た。以前青嵐の屋敷の前で見た、巨大な行列が二人の馬車の前後に続いている。道行く人々が驚き、村に入ればざわめきが周囲を包んだ。しかし神官達は、厳粛に静かに歩を進めるのだった。そんな列の中心で、自分が運ばれているのは奇妙な気分だった。

(やっぱり、まだちょっと慣れない)

 水天は、すだれをずらして窓の外を見る。外には、のどかな野原が広がっている。遠くの道を、子供たちが駆けてついて来るのが見えた。

「神雷」

 神雷に声をかけて、外を指さす。彼はその風景を見て、小さく笑みを浮かべた。

「こんな行列、初めて見るんだろうな」
「そうだろうな。国の王でも、こんな事は滅多にしないそうだ。だからこそ、神獣の存在を知らしめるのに、この旅の方法は適しているのだ」

 『降臨の儀』とは、この旅の道程すら意味を持つモノらしい。

「そっか……」

 水天は慌てて着物の乱れが無いかを確かめた。水天を見た子供たちにがっかりさせたくなかった。

「大丈夫、君は綺麗だよ」

 神雷が水天の髪飾りの位置を正す。

「そっか……ありがとう」

 神雷は目を細めて小さく笑い、それから姿勢を正して前方を見て座った。

(あ、まただ……)

 旅に出てから、なんだか神雷に声をかけづらい空気をよく感じた。いや、声をかけたら彼はちゃんと返事をしてくれる。けれど、しばらくしたら張り詰めたような空気を滲ませて黙ってしまうのだ。それは、まるで『緊張』しているみたいだった。

(神様でも緊張するのかな?)

 けれれど、神雷は初めて『降臨の儀』をするらしい。初めてなら緊張もするだろう。
 水天は、神雷の手を握る。彼の固い空気が緩む。

「どうした、水天」
「ううん、こうしてた方が良いかと思ってさ」

 神雷が首を傾げる。

「だって、おまえ緊張してるだろ」

 すると、神雷一瞬表情を失う。

「そんな事はないぞ」
「そうか?」

 水天は首をかしげる。困ったように眉尻を下げる神雷を見ていると、確かに水天の勘違いのような気がして来た。

(やっぱり、神獣は緊張なんてしないのかな?)

 手を繋いだまま、神雷が前を向く。するとまたあの固い空気が神雷を包んだ。水天は、それ以上何も言えず、彼の手を握っている事しかできなかった。



 昼休憩の時に、水天は華明に会いに行った。神雷は神官長と何か話があるらしく、一緒では無かった。昼食の後、華明が焼き菓子を差し出してくれる。

「ありがとう」
「いえいえ」

 焼き菓子を食べながら、遠くの木影で神官長と話している神雷を見る。

「華明さん、『降臨の儀』ってそんな大変なのかな?」
「降臨の儀は、神殿で民の前に姿を現すだけの簡単な儀ですよ。特に奇跡を起こして見せる必要などはありません。民は、神獣の輝きを見てその存在の尊さに感動するのです」
「そっか。じゃあ、なんで神雷はあんなに緊張してるんだろう?」

 華明が、困ったように笑う。

「神雷様は、ご事情があるのです」
「事情?」
「水天様は神雷様のどんなところを好きになったんですか?」

 唐突な問いに、水天は驚く。

「な、なんでそんな事を聞くんですか!?」
「とても大事な質問だからです」

 華明は、いたって真面目な表情をしていた。茶化した質問ではないのだと気づき、水天は真剣に答えを考える。

「あのう……大変失礼な答えなんですけど……俺があいつに惚れたのって、たぶん蛇の時なんですよね……」
「あら、そうなんですか?」
「はい……なんか、一緒にいたら幸せだなって思って……言葉も通じないのに見つめ合ったら心が通じてる気がして……それで、ずっと一緒に居たいと思ったんです……」
「では、人の姿になった神雷様をどう思っていらっしゃるんですか?」
「最初は、驚きましたよ。まさか、本当に神様だと思ってなかったし……けど、人の姿になった後も、あいつはあいつなんだなって思いました。一緒に居たら心地良いし、目を見れば互いの気持ちがすぐにわかる」

 華明が笑う。

「それは素敵な事ですね」
「あ、ありがとうございます……」

 人にこういう話しをするのは、照れる。

「今の話を聞いて安心しました。貴方は、神雷様の優れた美貌や能力に惚れたわけでは無いのですね」
「えっ!? あっ、いや、顔は良いと思ってますよ! あと、なんでも出来て凄い奴だとおも思います!!!」
「けど、何もできない蛇でも愛しているのでしょう?」
「それは、そうですよ」

 姿形が違っても、何ができて、何が出来なくても、それが神雷ならばそれで良かった。

「貴方の愛は深いですね」
「そ、そうでしょうか……」
「これから話す事は、神雷様が貴方に隠している事です。けれど、今の話を聞いて私はこの事を貴方が知るべきだと感じました。私の独断ですが、お話してもよろしいですか」

 水天はどぎまぎした。

「お、お願いします」

 華明は静かに過去の話を始めた。
 それは、水天の神雷の印象を大きく変えるものだった。





 神雷はずっと憂鬱を振り切れないでいた。

『あの神獣の姿を見ろ、角欠けなんて不吉だ』
『本当にあれが神獣なの? 神力が少しも無いわ。ただの、蛇じゃない』
『不完全な神獣なんて、きっとこの国が傾く前兆なんだ、恐ろしい……』

 頭の中に、蔑みの言葉が回る。吐き気がする。

(私は不完全だ……それでも、あの場所に立たなければ……)

 階段を登って、祭壇まで歩いて行かねばならない。けれど、足が震えて動けない。

(今までの努力は全て無意味だ、角欠けである限り、私が完全な神獣になる事はない……)

 階段の上から、人々のざわめきが聞こえる。

「神獣様はいつになったら来るんだ?」
「どうせ、こんなの嘘っぱちだろ」

 ざわめきの中から、そんな声が聞こえて来る。
 逃げ出したくなって、思わず後ろに下がってしまう。

「神雷」
「!」

 後ろから声がして、振り向く。そこには、水天が立っていた。

(こんなところを彼に見られたくない!)

 口を引き結ぶ。

「水天、ダメじゃないか。ここに来ては」

 ここは神獣の立つ、神域である。伴侶であっても、本来は立ち入ってはならない。

「ごめん……けど、心配だったからさ」

 震えないように、手を強く握りしめる。

「私は大丈夫だ、だから早く外へ……」
「だからさ、嘘はつくなって」

 水天が近づいて来て、神雷の手を握る。    

「本当はめちゃくちゃ緊張してるんだろ。初めて、みんなの前に立つんだから仕方ないよな」
「……緊張していない」

 神雷は顔を見られないように、横を向く。

「だから、俺には嘘つかなくって良いって」

 腕を引かれて、背伸びして首を抱かれる。近くで、水天の匂いがしてほっとする。

「おまえがさ、俺の前で良い格好したいのはわかる」

 神雷は固まる。

「けど、好きな奴の前でかっこいいとこばっか見せるのってしんどいだろ?」

 神雷は離れようとしたが、がっしりと首を掴まれていて動けない。

「だから、たまには情けないところも見せてくれよ」

 そう言った瞬間、足元をすくわれて床に叩きつけられた。

「うっ!?」
「よーし、俺の勝ちだ」

 気を抜いていたので、とっさに反応が出来なかった。

「出来ない事があってもいいじゃん。俺なんか、出来ないことだらけだ」

 神雷のお腹の上に乗ったまま、水天が言う。

「だが、みっともないところを見せて君を幻滅させたくない」
「ふーん、例えば川で水切りした時とか?」

 水天が笑う。当時の事を思い出して神雷は顔が熱くなって来る。

「おまえ、本当下手だったもんな」
「い、今は出来る……」
「あぁ、努力したもんな」

 水天が神雷の頭を撫でる。

「けど、俺さ。水切り出来なくて照れてる神雷見て、『かわいいな』って思っちゃったんだ」
「かわ……いい……?」
「出来ない事があった方が、人間味があるって事だよ。そんで、今こんな風に人前に出るのに緊張してる神雷の事もかわいい奴だなって思ってる」
「かわいい……」
「神雷に出来ない事があっても幻滅しないさ。ただ、『かわいい』って思うだけで」

 水天はにんまり笑った。神雷は体を起こす。

「本当に幻滅してないか……」
「してない、してない」

 神雷は水天に抱きついた。

「本当は、緊張して死にそうなんだ!」
「あー、やっぱりな!」

 水天が神雷の背中を撫でる。

「神雷、ちょっと頭のとこ触るぞ」

 水天が頭上で角を触っているのがわかった。
「できた」
「どうしたんだ」
「華明さんに習って、組み紐を編んでたんだ。神雷のお守りになるようにさ」

 角に触れると、折れた左の角に紐が付いているのがわかった。そこに水天の澄んだ気を感じる。水天が神雷の手を取って、甲に接吻をする。

「がんばれ神雷。俺、見守ってるよ。必ず成功するように祈ってる」

 彼に握られた右手がほんのり温かくなって来る。そこから体の方まで、熱がうつる。緊張して固くなっていた体が解れていくのを感じた。

「ここで待っていてくれないか」
「良いのか?」
「あぁ、その方が心強い……」

 立ち上がって、水天を見つめる。

「行って来る」
「あぁ、行って来い!」

 神雷は、自分の内側から強い光が溢れるのを感じた。


***


 神殿の祭壇に、神獣が降臨した時、人々はその眩さに目を細めた。神獣の降臨の報せを聞いた民達の多くが、神殿にやって来ていたが、その大半は神獣の存在を信じていなかった。けれど、そんな彼らも思わず膝を折り手を合わせてしまう程、その神獣は神々しく美しかったそうだ。




つづく

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