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四、藍主従の放蕩と表裏
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藍影国。国都、雛安は藍華通り。
都でも指折りに栄えている、大きな目抜き通りが今、湧きにわいていた。
並みいる群衆たちが通りの端々まで溢れかえり、みな一様に、自身ら人の波を割って、悠々と練り歩いている三人へと瞳を注いでいる。
群衆らはこぞって歓声をあげていた。こんな具合に。
「鄭義敢様! なにとぞ、我が大店《おおだな》に――」
「藍宝保様、万歳!」
「貴竜公様、こっちを向いて!」
彼ら人垣を取り巻きらにかき分けさせつつ、ある者は傍らの二人へと意識を割き、ある者は胸を反らし、ふんぞり返って群衆らへ手を振り、ある者は薄く微笑みをうかべて流し目を送る。
むかって左から順に、个子高・很矮・中等身。
折り目正しく黒の袍を着こみ、頑強な岩から名工が削りだしたような顔立ちをしている个子高。右目へと眼帯をあてている。
三人のなかで一番身なりがよく、優男である很矮。夜陰の藍を思わせる藍色に、金糸の縁取りや刺繍が映える袍。両手の指にまで金の指輪を輝かせている。
最後に、着崩した白の袍を着こんでは、くっきりとした幼げな目鼻立ちの顔に、軽薄な笑みを貼りつける中等身。その傍らには日傘をさす供の者がいた。
通りを歩く三人への注目は高まるばかりである。また一人、店から走り出てきた者が、熱い呼びかけを彼らへと投じた。
そして、「貴竜公様!」というとある呼び声に応じて、中等身が顔をむける。ふ、と杏の種のごとき吊り上がった黒瞳を細めるなり、傍らの很矮へと身を寄せた。
半ばしなだれかかるようにすると、呼びかけの主を指さしてみせる。
その透きとおるような真珠色の髪。顔の血色の悪さが、なおその白さを引き立ててやまない。そんな貴竜は、粒のそろう歯を覗かせるなり告げた。
『なあ、宝保。次はあの店に行こうぜ。あそこな、ついこの間の宴席で、すごく質のいい真珠を箱いっぱい三つもくれたんだよ」
「おお、いいともいいとも。はっは! よし。店中ありったけの真珠を持ってこさせよう。お前に似合いの新しい髪飾りも作るとしよう!」
莞爾と笑い、勢いづいて歩を踏みだそうとする很矮――宝保である。が、そんな彼へと、待ったをかける者がいた。
誰あろう、群衆には目もくれずに二人に意識を割きつづける个子高だ。淡々と低く生真面目な意見を投じた。
「皇子、これ以上の出費は」
とたんに顔をしかめる宝保であった。眦をとがらせるなり个子高を睨みすえる。
「嘈、義敢は。もう少しぐらい良いじゃないか」
「しかし、すでに衣服を二十着、靴を十足に、瑟瑟を散りばめた赤革の帯を一つ。金編みの手袋に銀糸の羽外套。翡翠の足環に腕輪をそれぞれ六個。純金の首飾を三つ、純銀製で紅玉、藍玉をあしらった時計を一つ――」
まだまだ言えそう、並べ立てられそうな義敢。ウンザリとより眉を寄せて、宝保は耳をふさぐのであった。
「あーあーあー! 閉嘴閉嘴! 僕はあの店に行くぞ! もう決めたんだ、行くぞ!!」
大声で怒鳴り返してしまう。そんな宝保に、義敢は目をすがめ溜息をついた。
そんな義敢を鼻で笑うなり、貴竜はなおも宝保へと身を寄せていく。
その身に焚きしめられている沈香の甘く辛辣な香りが、宝保の鼻先にくゆる。おもわずどきまぎして閉口する彼へと静かに笑い、髪を擦らせ、上目遣いに貴竜は見上げた。
『さっすがは宝保。名前どおり藍王朝の宝物だな。その思いきりのよさに痺れっちまうぜ。……今日の夜は……ちょっと、やりすぎちまうかもな?』
するりと胸をすべる指先に、宝保は肩を跳ねさせる。
「うっ、ぐ……お手柔らかに頼むぞ、貴竜」
『ふふ。どうしよっかなあ』
「貴竜公、明日の皇子のご予定は――」
「ええい、嘈、義敢!」
傍から見ているに、とても喧しい一団である。なんだかんだでその店へと吸いこまれていく。そうして、おおよそ一刻(二時間)後……心なしか肩をすぼませる義敢と上機嫌な二人という、対称的な姿で出てくるのであった。
藍王朝きっての蠢笨と陰で目されている藍宝保ひきいる一団は――色々な意味で人々の熱い眼差しを浴びながら、その場を後にしていく。
待たせていた豪奢な輿へと乗りこむなり、一路、王城への道を帰還しゆく。
だが、ふと、少しだけ御簾《みす》がかき分けられる。隙間から空をあおぐのは、義敢の左目であった。
視線のさきには、尾をひく鳴き声をあげながら、青空に円を描く鷹の姿がある。
すぐに御簾は元通りに閉めきられる。そうして――相も変わらずの三人のやり取りが、漏れ聞こえだすのであった、
そして、あっという間に夜が訪れた。
すみずみまで磨きあげてくる! と息巻く宝保を見送り、貴竜は牀上《ベッドじょう》から気怠げに手を振った。染み一つないすべらかな頬へと頬杖をついて、横に転がっては、その足音が遠のくのを聞いていて。
その気が完全に遠のいたのを感知するや否や、瞳を天井へと滑らせる。
ふと、唇をすぼめた。数度の細い口笛を奏でる。それに応じる形で、天井裏から小突く物音が数度。
天井板が外されて、そこから黒長衣と飴色髑髏の半面に身を包む男が飛び降りてきた。
その姿をみるに、貴竜は薄く斜に構えた微笑みをうかべる。
『辛苦了、義敢』
「この姿の時は老鬼と呼べ」
『べっつにだぁれも聞いてやしねえよ。お前だって分かってんだろう?』
「念には念を入れてだ」
『堅いねえ。昼も夜もそう堅くっちゃあ、肩凝っちまうぜ?』
けらりと笑う貴竜に老鬼は鼻を鳴らす。おもむろに自身の襟の釦へと手をかけた。
「ん、もうやるのかよ? もうちょい情緒を楽しんでもいいんじゃねえか? ……なあ。按摩でもしてやろうか』
「要らん。早く済ませるぞ」
首を振って襟を寛げる老鬼に、貴竜は肩をすくめてみせる。が、笑みを深めるなり身を起こした。その指での招きに応え、老鬼から歩み寄っていく。牀をきしませ、手をついて乗り上げる。
その首へと腕をまわし、貴竜はあらわとされた喉に顔を寄せる。冷たい指で側面の皮をつっぱらせるなり――ちろり、と氷のような舌で命脈を舐めた。
老鬼は途端に身を強ばらせる。目出し穴の目で半眼を作り、睨みやるのだった。
「っ、遊ぶな」
『ふふ。二週間ぶりの飯なんだからさ。楽しまないと』
「いつも皇子からせしめているだろう」
『ん。まあ、悪くはないけどね? 味も質も、契約者のそれとは比ぶるべくもない』
「……いずれにしろ、その皇子が戻ってくる。その前に報告したいことがあるんだ」
『あ、そうなの? じゃあ、仕方ない』
ぶつり。
『仕方ない』と言うが早いか、貴竜は老鬼の首に齧りついていた。
粒のそろった歯列には、剥きだすと、獣のそれめく尖った牙が存在したのである。
急所を食まれた者特有の反応として、老鬼はやはり肩をゆらし張り詰めさせる。そんな彼に忍び笑いつつ、貴竜は溢れだす血をすすった。
軽く吸いついて、濡れた舌を何度も傷口に這わせて刺激する。ぴりぴりじくじくとした痛みに耐え、老鬼は歯を食い締め、身じろぎもしなかった。
長いとも短いともつかない『給餌』の時が終わる。
『……ん。非常好吃』
「ん」
衣擦れの音をたて体を離す貴竜。太い溜息まじりに老鬼も体を離し――そこで袖を握る手に阻まれると、怪訝げに眉をひそめた。
『座れよ。……気付いてないかもしれないけど、体冷えてるぜ? 虚寒症(陽気、活力が足りぬ冷え)だ。ほっとくと疲れとの悪循環になる』
笑みまじりだが、有無を言わせぬ口ぶりだった。
そんな貴竜の様子におもわず瞬いて――苦虫を嚙み潰したような顔をする老鬼だった。
「……先に、按摩だなんだと告げていたのはそれでか」
『ん』
なおも渋い面で見返すものの、少しをおいた後に牀へと腰をすえる。
そんな老鬼の背に貴竜の手がまわり宛がわれて、もう片手が胸に当てられた。見る間に白い炎がその手へ灯される。
背中の手と胸元の手からじわりと染み入る温もりがあり、老鬼は俯いた。
まるで熱めの湯に浸かるような心地であった。初めはひりつくそれに震える息をこぼし、やがて緩む溜息をつく。やはり、冷えていた証であった。
貴竜の手は移り、下腹と側腹をも暖めにかかる。燃える掌に炙られて熱をもらいつつ、老鬼は瞳をゆらした。
その炎の揺らめきに覚えがあったからである。
伏し目がちになりつつ、おもむろに口を開いた。
「そのままでいいから、聞いてくれ」
『うん? うん』
「先日の、賤竜奪取作戦において。邪魔立てしてきた娘がいる……と、それだけ、部下に伝えさせたな」
『うん。お前が失敗したやつな。よりにもよって、珍しく』
「……。獣の蟲人で、あること以外にも……あれは、お前のソレに似て……黒い、炎を、纏ってきたんだ」
『……へえ?』
「同様の、似通う炎を……賤竜も、用いていた」
『ってことは陰気か、やっぱ。蟲人とはいえ、普通の人間が気を扱うたァ……』
「ああ。あの時は気付き得なんだが。炎、単体を見るなら、お前のソレによく似ていた。……俺の『目』で仕組みが視えなかったのも、説明がつく」
『お前の目、経絡(気の流れ)や経穴(気の出る場所)は視えないもんな』
貴竜の言葉に、老鬼は半面の上から右目をおさえる。左目をも閉じ、なおも告げる。
「奴は、『前世からの借りもの』だと言っていた。その力も」
『前世からの? ……ってことは』
「ああ。二つ、混じっているのだと言っていた。一人と一匹であるのだと」
『…………ふぅん』
「一匹の……猫の側はともかくとして、一人のほうはどうだ。お前の情報のなかに、それらしい人物はいるか? 然様な異能を操るという」
『…………いるねえ。言われてみると、一人だけ』
「誰だ?」
『藍玉環《ラン・ユーホン》。……三百年前の、最後の、哥哥の契約者だよ』
ゆるりと伏せていた目を上げて、老鬼は貴竜を見やる。
貴竜は在りし日を思い起こすのか、遠い眼差しをしていた。
「最後の契約者というと……お前と、賤竜を戦わせたという」
『そ。俗に言う“朱陽・藍影の乱”だね。当時は“戦神”だとか“藍備《あおぞな》えの娘娘《めがみ》”だとか色々言われてたっけ。あの契約者と哥哥の戦に負けはなかった』
「……藍玉環の、力の出所などは?」
『その手の情報はないねえ。気付いたら、相手がたに祭り上げられてた形だよ』
「……元より反乱軍。蜂起した者たちの寄せ集めだものな。ふむ。だが助かった。藍玉環。その名で調べてみようと思う。足取りは掴めたからな」
『さすがは百鬼幇。国お抱えの幇会(秘密結社)なだけはあるね』
「しばらくは泳がせようと考えている。あちらの意図を探る意味でな」
ここまで告げて、ひと呼吸おいた。
ここまでが報告になる。……これ以上は蛇足である、個人的な話だ。
だが、老鬼は――義敢は言わずにはいられなかった。
一度目を伏せて、再度瞳をもちあげると、呼吸と空気の変化に気付いた貴竜が、「なに?」と首を傾げてきた。
そんな彼に、義敢は意を決して言葉をつむいだ。
「奴は……賤竜を、龍脈の大河に還すのだと言っていた」
『へえ』
貴竜はひと瞬きをした後に、ふっと微笑みまじりに応じる。
『お前と一緒じゃん?』
「……まあ、な」
義敢は瞳をそらし、言葉を選ぶ。二拍ほどおいた後に、再び口を開いた。
「だが、だからこそ許せぬということもある。俺は。……あやつが、賤竜の縁者であるがゆえに」
『へえ?』
「…………お前と会い、かれこれ五年が経つ」
『うん? ああ、まあ、そうだな』
急な切り口に瞬きを重ねているに違いない貴竜。そちらに目をむけぬまま、義敢は膝の上で手を組んだ。語るにつれて、自然とその組む指は白く染まっていった。
「……お前を見つけるのに十年かかった。そこからさらに、この宮に潜り込んで、お前の前契約者を仕留めるまで五年。お前を、連れださぬことを条件に……この宮と、皇子とを隠れ蓑にして……水面下で事を進めて」
ぐっと奥歯を噛み締める。自然と目出し穴から覗かせる目も鋭く眇めていた。
「お前たち風水僵尸のしがらみを知らずに、そうも易々と言ってのけるのが気に食わん。まずもって、お前は……『どれだけ待っている』のかと。何も知らぬくせに、とつい」
瞳を床へと落とす。視界のすみで、軽く目をみはられるのが垣間見えていた。
クスリ、と遅れて小さく、柔らかい笑声が聞こえた。ちょいと瞳を寄せると。
貴竜は淡く、花が綻ぶように相好を崩して、肩を震わせていた。
『愛されてるねえ、俺もさ』
「……ぬかせ」
おもわず閉口した後に唸りまじりに告げる。が、ここで義敢は口をつぐんだ。
視界のすみに、擦りきれぼろぼろの――半透明の素足が入りこんできたためである。
だしぬけに、音もなく姿を現したそれに顔を上げる。
話の流れが、呼び水となったのだろうか。
――ああ。来たな、と。義敢は胸の内でごちるのだった。
それは女の幽鬼であった。
見るだに幽鬼と言うにふさわしいほど、その身なりは荒れ果てている。
垢じみた粗末な袍に身を包んでおり、踝まで届くほどの蓬髪を引きずっていて。分厚い前髪の隙間から桜色の右目のみを覗かせて、貴竜を見ていた。
否。最初から彼女には、貴竜しか見えていなかった。
緩慢なすり足で歩み寄ってくるなり、義敢とは反対側、貴竜をはさむ形で腰をすえる。その身に腕をまわし、脂ぎってぼさぼさの髪に包まれた顔を肩へと擦りつけた。
そんな女に一瞥をむけるや、貴竜は――ごく薄っすらと、あるかなしかに眉尻をさげる。義敢の背から手を放すなり、白炎を消して。女の頭をひと撫でするのであった。
もう触れられない女の頭を。
そうして、その手は義敢へと戻ってくるのだ。義敢の背へとまわり、その肩を抱き直す。貴竜が、今度は義敢に縋りつくように身を寄せていた。
白炎を消した掌がおのが腹から浮いて、もたげられて――半面ごしに右目と、その下の頬とを撫でていく。
義敢はすべてを目にしながら、その手を拒まなかった。
そうして。ここで手を放しゆく貴竜とともに、扉を見やったのである。
『時間切れだな』
「そのようだ」
扉ごしでも分かる騒々しい――溌溂《はつらつ》とした気と、遠くからでも間違えようのない足音が近づいていた。その場の者らは三者三様の反応を示す。
一人はパッと桜色の光の粒子となり消えて。一人は笑い、一人は溜息をついて立ち上がったのであった。
都でも指折りに栄えている、大きな目抜き通りが今、湧きにわいていた。
並みいる群衆たちが通りの端々まで溢れかえり、みな一様に、自身ら人の波を割って、悠々と練り歩いている三人へと瞳を注いでいる。
群衆らはこぞって歓声をあげていた。こんな具合に。
「鄭義敢様! なにとぞ、我が大店《おおだな》に――」
「藍宝保様、万歳!」
「貴竜公様、こっちを向いて!」
彼ら人垣を取り巻きらにかき分けさせつつ、ある者は傍らの二人へと意識を割き、ある者は胸を反らし、ふんぞり返って群衆らへ手を振り、ある者は薄く微笑みをうかべて流し目を送る。
むかって左から順に、个子高・很矮・中等身。
折り目正しく黒の袍を着こみ、頑強な岩から名工が削りだしたような顔立ちをしている个子高。右目へと眼帯をあてている。
三人のなかで一番身なりがよく、優男である很矮。夜陰の藍を思わせる藍色に、金糸の縁取りや刺繍が映える袍。両手の指にまで金の指輪を輝かせている。
最後に、着崩した白の袍を着こんでは、くっきりとした幼げな目鼻立ちの顔に、軽薄な笑みを貼りつける中等身。その傍らには日傘をさす供の者がいた。
通りを歩く三人への注目は高まるばかりである。また一人、店から走り出てきた者が、熱い呼びかけを彼らへと投じた。
そして、「貴竜公様!」というとある呼び声に応じて、中等身が顔をむける。ふ、と杏の種のごとき吊り上がった黒瞳を細めるなり、傍らの很矮へと身を寄せた。
半ばしなだれかかるようにすると、呼びかけの主を指さしてみせる。
その透きとおるような真珠色の髪。顔の血色の悪さが、なおその白さを引き立ててやまない。そんな貴竜は、粒のそろう歯を覗かせるなり告げた。
『なあ、宝保。次はあの店に行こうぜ。あそこな、ついこの間の宴席で、すごく質のいい真珠を箱いっぱい三つもくれたんだよ」
「おお、いいともいいとも。はっは! よし。店中ありったけの真珠を持ってこさせよう。お前に似合いの新しい髪飾りも作るとしよう!」
莞爾と笑い、勢いづいて歩を踏みだそうとする很矮――宝保である。が、そんな彼へと、待ったをかける者がいた。
誰あろう、群衆には目もくれずに二人に意識を割きつづける个子高だ。淡々と低く生真面目な意見を投じた。
「皇子、これ以上の出費は」
とたんに顔をしかめる宝保であった。眦をとがらせるなり个子高を睨みすえる。
「嘈、義敢は。もう少しぐらい良いじゃないか」
「しかし、すでに衣服を二十着、靴を十足に、瑟瑟を散りばめた赤革の帯を一つ。金編みの手袋に銀糸の羽外套。翡翠の足環に腕輪をそれぞれ六個。純金の首飾を三つ、純銀製で紅玉、藍玉をあしらった時計を一つ――」
まだまだ言えそう、並べ立てられそうな義敢。ウンザリとより眉を寄せて、宝保は耳をふさぐのであった。
「あーあーあー! 閉嘴閉嘴! 僕はあの店に行くぞ! もう決めたんだ、行くぞ!!」
大声で怒鳴り返してしまう。そんな宝保に、義敢は目をすがめ溜息をついた。
そんな義敢を鼻で笑うなり、貴竜はなおも宝保へと身を寄せていく。
その身に焚きしめられている沈香の甘く辛辣な香りが、宝保の鼻先にくゆる。おもわずどきまぎして閉口する彼へと静かに笑い、髪を擦らせ、上目遣いに貴竜は見上げた。
『さっすがは宝保。名前どおり藍王朝の宝物だな。その思いきりのよさに痺れっちまうぜ。……今日の夜は……ちょっと、やりすぎちまうかもな?』
するりと胸をすべる指先に、宝保は肩を跳ねさせる。
「うっ、ぐ……お手柔らかに頼むぞ、貴竜」
『ふふ。どうしよっかなあ』
「貴竜公、明日の皇子のご予定は――」
「ええい、嘈、義敢!」
傍から見ているに、とても喧しい一団である。なんだかんだでその店へと吸いこまれていく。そうして、おおよそ一刻(二時間)後……心なしか肩をすぼませる義敢と上機嫌な二人という、対称的な姿で出てくるのであった。
藍王朝きっての蠢笨と陰で目されている藍宝保ひきいる一団は――色々な意味で人々の熱い眼差しを浴びながら、その場を後にしていく。
待たせていた豪奢な輿へと乗りこむなり、一路、王城への道を帰還しゆく。
だが、ふと、少しだけ御簾《みす》がかき分けられる。隙間から空をあおぐのは、義敢の左目であった。
視線のさきには、尾をひく鳴き声をあげながら、青空に円を描く鷹の姿がある。
すぐに御簾は元通りに閉めきられる。そうして――相も変わらずの三人のやり取りが、漏れ聞こえだすのであった、
そして、あっという間に夜が訪れた。
すみずみまで磨きあげてくる! と息巻く宝保を見送り、貴竜は牀上《ベッドじょう》から気怠げに手を振った。染み一つないすべらかな頬へと頬杖をついて、横に転がっては、その足音が遠のくのを聞いていて。
その気が完全に遠のいたのを感知するや否や、瞳を天井へと滑らせる。
ふと、唇をすぼめた。数度の細い口笛を奏でる。それに応じる形で、天井裏から小突く物音が数度。
天井板が外されて、そこから黒長衣と飴色髑髏の半面に身を包む男が飛び降りてきた。
その姿をみるに、貴竜は薄く斜に構えた微笑みをうかべる。
『辛苦了、義敢』
「この姿の時は老鬼と呼べ」
『べっつにだぁれも聞いてやしねえよ。お前だって分かってんだろう?』
「念には念を入れてだ」
『堅いねえ。昼も夜もそう堅くっちゃあ、肩凝っちまうぜ?』
けらりと笑う貴竜に老鬼は鼻を鳴らす。おもむろに自身の襟の釦へと手をかけた。
「ん、もうやるのかよ? もうちょい情緒を楽しんでもいいんじゃねえか? ……なあ。按摩でもしてやろうか』
「要らん。早く済ませるぞ」
首を振って襟を寛げる老鬼に、貴竜は肩をすくめてみせる。が、笑みを深めるなり身を起こした。その指での招きに応え、老鬼から歩み寄っていく。牀をきしませ、手をついて乗り上げる。
その首へと腕をまわし、貴竜はあらわとされた喉に顔を寄せる。冷たい指で側面の皮をつっぱらせるなり――ちろり、と氷のような舌で命脈を舐めた。
老鬼は途端に身を強ばらせる。目出し穴の目で半眼を作り、睨みやるのだった。
「っ、遊ぶな」
『ふふ。二週間ぶりの飯なんだからさ。楽しまないと』
「いつも皇子からせしめているだろう」
『ん。まあ、悪くはないけどね? 味も質も、契約者のそれとは比ぶるべくもない』
「……いずれにしろ、その皇子が戻ってくる。その前に報告したいことがあるんだ」
『あ、そうなの? じゃあ、仕方ない』
ぶつり。
『仕方ない』と言うが早いか、貴竜は老鬼の首に齧りついていた。
粒のそろった歯列には、剥きだすと、獣のそれめく尖った牙が存在したのである。
急所を食まれた者特有の反応として、老鬼はやはり肩をゆらし張り詰めさせる。そんな彼に忍び笑いつつ、貴竜は溢れだす血をすすった。
軽く吸いついて、濡れた舌を何度も傷口に這わせて刺激する。ぴりぴりじくじくとした痛みに耐え、老鬼は歯を食い締め、身じろぎもしなかった。
長いとも短いともつかない『給餌』の時が終わる。
『……ん。非常好吃』
「ん」
衣擦れの音をたて体を離す貴竜。太い溜息まじりに老鬼も体を離し――そこで袖を握る手に阻まれると、怪訝げに眉をひそめた。
『座れよ。……気付いてないかもしれないけど、体冷えてるぜ? 虚寒症(陽気、活力が足りぬ冷え)だ。ほっとくと疲れとの悪循環になる』
笑みまじりだが、有無を言わせぬ口ぶりだった。
そんな貴竜の様子におもわず瞬いて――苦虫を嚙み潰したような顔をする老鬼だった。
「……先に、按摩だなんだと告げていたのはそれでか」
『ん』
なおも渋い面で見返すものの、少しをおいた後に牀へと腰をすえる。
そんな老鬼の背に貴竜の手がまわり宛がわれて、もう片手が胸に当てられた。見る間に白い炎がその手へ灯される。
背中の手と胸元の手からじわりと染み入る温もりがあり、老鬼は俯いた。
まるで熱めの湯に浸かるような心地であった。初めはひりつくそれに震える息をこぼし、やがて緩む溜息をつく。やはり、冷えていた証であった。
貴竜の手は移り、下腹と側腹をも暖めにかかる。燃える掌に炙られて熱をもらいつつ、老鬼は瞳をゆらした。
その炎の揺らめきに覚えがあったからである。
伏し目がちになりつつ、おもむろに口を開いた。
「そのままでいいから、聞いてくれ」
『うん? うん』
「先日の、賤竜奪取作戦において。邪魔立てしてきた娘がいる……と、それだけ、部下に伝えさせたな」
『うん。お前が失敗したやつな。よりにもよって、珍しく』
「……。獣の蟲人で、あること以外にも……あれは、お前のソレに似て……黒い、炎を、纏ってきたんだ」
『……へえ?』
「同様の、似通う炎を……賤竜も、用いていた」
『ってことは陰気か、やっぱ。蟲人とはいえ、普通の人間が気を扱うたァ……』
「ああ。あの時は気付き得なんだが。炎、単体を見るなら、お前のソレによく似ていた。……俺の『目』で仕組みが視えなかったのも、説明がつく」
『お前の目、経絡(気の流れ)や経穴(気の出る場所)は視えないもんな』
貴竜の言葉に、老鬼は半面の上から右目をおさえる。左目をも閉じ、なおも告げる。
「奴は、『前世からの借りもの』だと言っていた。その力も」
『前世からの? ……ってことは』
「ああ。二つ、混じっているのだと言っていた。一人と一匹であるのだと」
『…………ふぅん』
「一匹の……猫の側はともかくとして、一人のほうはどうだ。お前の情報のなかに、それらしい人物はいるか? 然様な異能を操るという」
『…………いるねえ。言われてみると、一人だけ』
「誰だ?」
『藍玉環《ラン・ユーホン》。……三百年前の、最後の、哥哥の契約者だよ』
ゆるりと伏せていた目を上げて、老鬼は貴竜を見やる。
貴竜は在りし日を思い起こすのか、遠い眼差しをしていた。
「最後の契約者というと……お前と、賤竜を戦わせたという」
『そ。俗に言う“朱陽・藍影の乱”だね。当時は“戦神”だとか“藍備《あおぞな》えの娘娘《めがみ》”だとか色々言われてたっけ。あの契約者と哥哥の戦に負けはなかった』
「……藍玉環の、力の出所などは?」
『その手の情報はないねえ。気付いたら、相手がたに祭り上げられてた形だよ』
「……元より反乱軍。蜂起した者たちの寄せ集めだものな。ふむ。だが助かった。藍玉環。その名で調べてみようと思う。足取りは掴めたからな」
『さすがは百鬼幇。国お抱えの幇会(秘密結社)なだけはあるね』
「しばらくは泳がせようと考えている。あちらの意図を探る意味でな」
ここまで告げて、ひと呼吸おいた。
ここまでが報告になる。……これ以上は蛇足である、個人的な話だ。
だが、老鬼は――義敢は言わずにはいられなかった。
一度目を伏せて、再度瞳をもちあげると、呼吸と空気の変化に気付いた貴竜が、「なに?」と首を傾げてきた。
そんな彼に、義敢は意を決して言葉をつむいだ。
「奴は……賤竜を、龍脈の大河に還すのだと言っていた」
『へえ』
貴竜はひと瞬きをした後に、ふっと微笑みまじりに応じる。
『お前と一緒じゃん?』
「……まあ、な」
義敢は瞳をそらし、言葉を選ぶ。二拍ほどおいた後に、再び口を開いた。
「だが、だからこそ許せぬということもある。俺は。……あやつが、賤竜の縁者であるがゆえに」
『へえ?』
「…………お前と会い、かれこれ五年が経つ」
『うん? ああ、まあ、そうだな』
急な切り口に瞬きを重ねているに違いない貴竜。そちらに目をむけぬまま、義敢は膝の上で手を組んだ。語るにつれて、自然とその組む指は白く染まっていった。
「……お前を見つけるのに十年かかった。そこからさらに、この宮に潜り込んで、お前の前契約者を仕留めるまで五年。お前を、連れださぬことを条件に……この宮と、皇子とを隠れ蓑にして……水面下で事を進めて」
ぐっと奥歯を噛み締める。自然と目出し穴から覗かせる目も鋭く眇めていた。
「お前たち風水僵尸のしがらみを知らずに、そうも易々と言ってのけるのが気に食わん。まずもって、お前は……『どれだけ待っている』のかと。何も知らぬくせに、とつい」
瞳を床へと落とす。視界のすみで、軽く目をみはられるのが垣間見えていた。
クスリ、と遅れて小さく、柔らかい笑声が聞こえた。ちょいと瞳を寄せると。
貴竜は淡く、花が綻ぶように相好を崩して、肩を震わせていた。
『愛されてるねえ、俺もさ』
「……ぬかせ」
おもわず閉口した後に唸りまじりに告げる。が、ここで義敢は口をつぐんだ。
視界のすみに、擦りきれぼろぼろの――半透明の素足が入りこんできたためである。
だしぬけに、音もなく姿を現したそれに顔を上げる。
話の流れが、呼び水となったのだろうか。
――ああ。来たな、と。義敢は胸の内でごちるのだった。
それは女の幽鬼であった。
見るだに幽鬼と言うにふさわしいほど、その身なりは荒れ果てている。
垢じみた粗末な袍に身を包んでおり、踝まで届くほどの蓬髪を引きずっていて。分厚い前髪の隙間から桜色の右目のみを覗かせて、貴竜を見ていた。
否。最初から彼女には、貴竜しか見えていなかった。
緩慢なすり足で歩み寄ってくるなり、義敢とは反対側、貴竜をはさむ形で腰をすえる。その身に腕をまわし、脂ぎってぼさぼさの髪に包まれた顔を肩へと擦りつけた。
そんな女に一瞥をむけるや、貴竜は――ごく薄っすらと、あるかなしかに眉尻をさげる。義敢の背から手を放すなり、白炎を消して。女の頭をひと撫でするのであった。
もう触れられない女の頭を。
そうして、その手は義敢へと戻ってくるのだ。義敢の背へとまわり、その肩を抱き直す。貴竜が、今度は義敢に縋りつくように身を寄せていた。
白炎を消した掌がおのが腹から浮いて、もたげられて――半面ごしに右目と、その下の頬とを撫でていく。
義敢はすべてを目にしながら、その手を拒まなかった。
そうして。ここで手を放しゆく貴竜とともに、扉を見やったのである。
『時間切れだな』
「そのようだ」
扉ごしでも分かる騒々しい――溌溂《はつらつ》とした気と、遠くからでも間違えようのない足音が近づいていた。その場の者らは三者三様の反応を示す。
一人はパッと桜色の光の粒子となり消えて。一人は笑い、一人は溜息をついて立ち上がったのであった。
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