守骸伝

犬丸工事

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四、藍主従の放蕩と表裏

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 藍影らんえい国。国都、雛安すうあん藍華らんか通り。
 都でも指折りに栄えている、大きな目抜き通りが今、湧きにわいていた。

 並みいる群衆たちが通りの端々まで溢れかえり、みな一様に、自身ら人の波を割って、悠々と練り歩いている三人へと瞳を注いでいる。
 群衆らはこぞって歓声をあげていた。こんな具合に。

鄭義敢チャン・イーガン様! なにとぞ、我が大店《おおだな》に――」

藍宝保ラン・バオバオ様、万歳!」

貴竜公きりゅうこう様、こっちを向いて!」

 彼ら人垣を取り巻きらにかき分けさせつつ、ある者は傍らの二人へと意識を割き、ある者は胸を反らし、ふんぞり返って群衆らへ手を振り、ある者は薄く微笑みをうかべて流し目を送る。

 むかって左から順に、个子高ノッポ很矮チビ中等身ちゅうくらい

 折り目正しく黒の袍を着こみ、頑強な岩から名工が削りだしたような顔立ちをしている个子高ノッポ。右目へと眼帯をあてている。

 三人のなかで一番身なりがよく、優男である很矮チビ。夜陰のあおを思わせる藍色に、金糸の縁取りや刺繍が映える袍。両手の指にまで金の指輪を輝かせている。

 最後に、着崩した白の袍を着こんでは、くっきりとした幼げな目鼻立ちの顔に、軽薄な笑みを貼りつける中等身ちゅうくらい。その傍らには日傘をさす供の者がいた。

 通りを歩く三人への注目は高まるばかりである。また一人、店から走り出てきた者が、熱い呼びかけを彼らへと投じた。

 そして、「貴竜公様!」というとある呼び声に応じて、中等身が顔をむける。ふ、と杏の種のごとき吊り上がった黒瞳を細めるなり、傍らの很矮へと身を寄せた。
 半ばしなだれかかるようにすると、呼びかけの主を指さしてみせる。

 その透きとおるような真珠色の髪。顔の血色の悪さが、なおその白さを引き立ててやまない。そんな貴竜は、粒のそろう歯を覗かせるなり告げた。

『なあ、宝保バオバオ。次はあの店に行こうぜ。あそこな、ついこの間の宴席で、すごく質のいい真珠を箱いっぱい三つもくれたんだよ」

「おお、いいともいいとも。はっは! よし。店中ありったけの真珠を持ってこさせよう。お前に似合いの新しい髪飾りも作るとしよう!」

 莞爾かんじと笑い、勢いづいて歩を踏みだそうとする很矮――宝保である。が、そんな彼へと、待ったをかける者がいた。
 誰あろう、群衆には目もくれずに二人に意識を割きつづける个子高だ。淡々と低く生真面目な意見を投じた。

「皇子、これ以上の出費は」

 とたんに顔をしかめる宝保であった。眦をとがらせるなり个子高を睨みすえる。

うるさいなあ、義敢は。もう少しぐらい良いじゃないか」

「しかし、すでに衣服を二十着、靴を十足に、瑟瑟エメラルドを散りばめた赤革の帯を一つ。金編みの手袋に銀糸の羽外套。翡翠の足環に腕輪をそれぞれ六個。純金の首飾を三つ、純銀製で紅玉ルビー藍玉サファイアをあしらった時計を一つ――」

 まだまだ言えそう、並べ立てられそうな義敢。ウンザリとより眉を寄せて、宝保は耳をふさぐのであった。

「あーあーあー! 閉嘴だまれ閉嘴! 僕はあの店に行くぞ! もう決めたんだ、行くぞ!!」

 大声で怒鳴り返してしまう。そんな宝保に、義敢は目をすがめ溜息をついた。
 そんな義敢を鼻で笑うなり、貴竜はなおも宝保へと身を寄せていく。

 その身に焚きしめられている沈香の甘く辛辣スパイシーな香りが、宝保の鼻先にくゆる。おもわずどきまぎして閉口する彼へと静かに笑い、髪を擦らせ、上目遣いに貴竜は見上げた。

『さっすがは宝保。名前どおり藍王朝の宝物だな。その思いきりのよさに痺れっちまうぜ。……今日の夜は……ちょっと、やりすぎちまうかもな?』

 するりと胸をすべる指先に、宝保は肩を跳ねさせる。

「うっ、ぐ……お手柔らかに頼むぞ、貴竜」

『ふふ。どうしよっかなあ』

「貴竜公、明日の皇子のご予定は――」

「ええい、うるさい、義敢!」

 傍から見ているに、とても喧しい一団である。なんだかんだでその店へと吸いこまれていく。そうして、おおよそ一刻(二時間)後……心なしか肩をすぼませる義敢と上機嫌な二人という、対称的な姿で出てくるのであった。

 藍王朝きっての蠢笨ばかものと陰で目されている藍宝保ひきいる一団は――色々な意味で人々の熱い眼差しを浴びながら、その場を後にしていく。

 待たせていた豪奢な輿へと乗りこむなり、一路、王城への道を帰還しゆく。

 だが、ふと、少しだけ御簾《みす》がかき分けられる。隙間から空をあおぐのは、義敢の左目であった。
 視線のさきには、尾をひく鳴き声をあげながら、青空に円を描く鷹の姿がある。
 すぐに御簾は元通りに閉めきられる。そうして――相も変わらずの三人のやり取りが、漏れ聞こえだすのであった、


 そして、あっという間に夜が訪れた。
 すみずみまで磨きあげてくる! と息巻く宝保を見送り、貴竜は牀上《ベッドじょう》から気怠げに手を振った。染み一つないすべらかな頬へと頬杖をついて、横に転がっては、その足音が遠のくのを聞いていて。

 その気が完全に遠のいたのを感知するや否や、瞳を天井へと滑らせる。
 ふと、唇をすぼめた。数度の細い口笛を奏でる。それに応じる形で、天井裏から小突く物音が数度。
 天井板が外されて、そこから黒長衣と飴色髑髏の半面に身を包む男が飛び降りてきた。

 その姿をみるに、貴竜は薄く斜に構えた微笑みをうかべる。

辛苦了おつかれさま、義敢』

「この姿の時は老鬼ラオグイと呼べ」

『べっつにだぁれも聞いてやしねえよ。お前だって分かってんだろう?』

「念には念を入れてだ」

『堅いねえ。昼も夜もそう堅くっちゃあ、肩凝っちまうぜ?』

 けらりと笑う貴竜に老鬼は鼻を鳴らす。おもむろに自身の襟のぼたんへと手をかけた。

「ん、もうやるのかよ? もうちょい情緒を楽しんでもいいんじゃねえか? ……なあ。按摩でもしてやろうか』

「要らん。早く済ませるぞ」

 首を振って襟を寛げる老鬼に、貴竜は肩をすくめてみせる。が、笑みを深めるなり身を起こした。その指での招きに応え、老鬼から歩み寄っていく。牀をきしませ、手をついて乗り上げる。

 その首へと腕をまわし、貴竜はあらわとされた喉に顔を寄せる。冷たい指で側面の皮をつっぱらせるなり――ちろり、と氷のような舌で命脈を舐めた。

 老鬼は途端に身を強ばらせる。目出し穴の目で半眼を作り、睨みやるのだった。

「っ、遊ぶな」

『ふふ。二週間ぶりの飯なんだからさ。楽しまないと』

「いつも皇子からせしめているだろう」

『ん。まあ、悪くはないけどね? 味も質も、契約者のそれとは比ぶるべくもない』

「……いずれにしろ、その皇子が戻ってくる。その前に報告したいことがあるんだ」

『あ、そうなの? じゃあ、仕方ない』

 ぶつり。
 『仕方ない』と言うが早いか、貴竜は老鬼の首に齧りついていた。

 粒のそろった歯列には、剥きだすと、獣のそれめく尖った牙が存在したのである。

 急所を食まれた者特有の反応として、老鬼はやはり肩をゆらし張り詰めさせる。そんな彼に忍び笑いつつ、貴竜は溢れだす血をすすった。

 軽く吸いついて、濡れた舌を何度も傷口に這わせて刺激する。ぴりぴりじくじくとした痛みに耐え、老鬼は歯を食い締め、身じろぎもしなかった。
 長いとも短いともつかない『給餌』の時が終わる。

『……ん。非常好吃ごちそうさま

「ん」

 衣擦れの音をたて体を離す貴竜。太い溜息まじりに老鬼も体を離し――そこで袖を握る手に阻まれると、怪訝げに眉をひそめた。

『座れよ。……気付いてないかもしれないけど、体冷えてるぜ? 虚寒症きょかんしょう(陽気、活力が足りぬ冷え)だ。ほっとくと疲れとの悪循環になる』
 笑みまじりだが、有無を言わせぬ口ぶりだった。

 そんな貴竜の様子におもわず瞬いて――苦虫を嚙み潰したような顔をする老鬼だった。

「……先に、按摩だなんだと告げていたのはそれでか」

『ん』

 なおも渋い面で見返すものの、少しをおいた後に牀へと腰をすえる。
 そんな老鬼の背に貴竜の手がまわり宛がわれて、もう片手が胸に当てられた。見る間に白い炎がその手へ灯される。

 背中の手と胸元の手からじわりと染み入る温もりがあり、老鬼は俯いた。
 まるで熱めの湯に浸かるような心地であった。初めはひりつくそれに震える息をこぼし、やがて緩む溜息をつく。やはり、冷えていた証であった。

 貴竜の手は移り、下腹と側腹をも暖めにかかる。燃える掌に炙られて熱をもらいつつ、老鬼は瞳をゆらした。

 その炎の揺らめきに覚えがあったからである。
 伏し目がちになりつつ、おもむろに口を開いた。

「そのままでいいから、聞いてくれ」

『うん? うん』

「先日の、賤竜奪取作戦において。邪魔立てしてきた娘がいる……と、それだけ、部下に伝えさせたな」

『うん。お前が失敗したやつな。よりにもよって、珍しく』

「……。獣の蟲人で、あること以外にも……あれは、お前のソレに似て……黒い、炎を、纏ってきたんだ」

『……へえ?』

「同様の、似通う炎を……賤竜も、用いていた」

『ってことは陰気か、やっぱ。蟲人とはいえ、普通の人間が気を扱うたァ……』

「ああ。あの時は気付き得なんだが。炎、単体を見るなら、お前のソレによく似ていた。……俺の『目』で仕組みが視えなかったのも、説明がつく」

『お前の目、経絡けいらく(気の流れ)や経穴けいけつ(気の出る場所)は視えないもんな』

 貴竜の言葉に、老鬼は半面の上から右目をおさえる。左目をも閉じ、なおも告げる。

「奴は、『前世からの借りもの』だと言っていた。その力も」

『前世からの? ……ってことは』

「ああ。二つ、混じっているのだと言っていた。一人と一匹であるのだと」

『…………ふぅん』

「一匹の……猫の側はともかくとして、一人のほうはどうだ。お前の情報のなかに、それらしい人物はいるか? 然様な異能を操るという」

『…………いるねえ。言われてみると、一人だけ』

「誰だ?」

『藍玉環《ラン・ユーホン》。……三百年前の、最後の、哥哥あにきの契約者だよ』

 ゆるりと伏せていた目を上げて、老鬼は貴竜を見やる。
 貴竜は在りし日を思い起こすのか、遠い眼差しをしていた。

「最後の契約者というと……お前と、賤竜を戦わせたという」

『そ。俗に言う“朱陽・藍影の乱”だね。当時は“戦神”だとか“藍備《あおぞな》えの娘娘《めがみ》”だとか色々言われてたっけ。あの契約者と哥哥の戦に負けはなかった』

「……藍玉環の、力の出所などは?」

『その手の情報はないねえ。気付いたら、相手がたに祭り上げられてた形だよ』

「……元より反乱軍。蜂起ほうきした者たちの寄せ集めだものな。ふむ。だが助かった。藍玉環。その名で調べてみようと思う。足取りは掴めたからな」

『さすがは百鬼幇バイグイパン。国お抱えの幇会ほうかい(秘密結社)なだけはあるね』

「しばらくは泳がせようと考えている。あちらの意図を探る意味でな」

 ここまで告げて、ひと呼吸おいた。

 ここまでが報告になる。……これ以上は蛇足である、個人的な話だ。
 だが、老鬼は――義敢は言わずにはいられなかった。

 一度目を伏せて、再度瞳をもちあげると、呼吸と空気の変化に気付いた貴竜が、「なに?」と首を傾げてきた。

 そんな彼に、義敢は意を決して言葉をつむいだ。

「奴は……賤竜を、龍脈の大河に還すのだと言っていた」

『へえ』

 貴竜はひと瞬きをした後に、ふっと微笑みまじりに応じる。

『お前と一緒じゃん?』

「……まあ、な」

 義敢は瞳をそらし、言葉を選ぶ。二拍ほどおいた後に、再び口を開いた。

「だが、だからこそ許せぬということもある。俺は。……あやつが、賤竜の縁者であるがゆえに」

『へえ?』

「…………お前と会い、かれこれ五年が経つ」

『うん? ああ、まあ、そうだな』

 急な切り口に瞬きを重ねているに違いない貴竜。そちらに目をむけぬまま、義敢は膝の上で手を組んだ。語るにつれて、自然とその組む指は白く染まっていった。

「……お前を見つけるのに十年かかった。そこからさらに、この宮に潜り込んで、お前の前契約者を仕留めるまで五年。お前を、連れださぬことを条件に……この宮と、皇子とを隠れ蓑にして……水面下で事を進めて」

 ぐっと奥歯を噛み締める。自然と目出し穴から覗かせる目も鋭く眇めていた。

「お前たち風水僵尸のしがらみを知らずに、そうも易々と言ってのけるのが気に食わん。まずもって、お前は……『どれだけ待っている』のかと。何も知らぬくせに、とつい」

 瞳を床へと落とす。視界のすみで、軽く目をみはられるのが垣間見えていた。

 クスリ、と遅れて小さく、柔らかい笑声が聞こえた。ちょいと瞳を寄せると。
 貴竜は淡く、花が綻ぶように相好を崩して、肩を震わせていた。

『愛されてるねえ、俺もさ』

「……ぬかせ」

 おもわず閉口した後に唸りまじりに告げる。が、ここで義敢は口をつぐんだ。
 視界のすみに、擦りきれぼろぼろの――半透明の素足が入りこんできたためである。

 だしぬけに、音もなく姿を現したそれに顔を上げる。
 話の流れが、呼び水となったのだろうか。

 ――ああ。来たな、と。義敢は胸の内でごちるのだった。

 それは女の幽鬼であった。

 見るだに幽鬼と言うにふさわしいほど、その身なりは荒れ果てている。
 垢じみた粗末な袍に身を包んでおり、くるぶしまで届くほどの蓬髪ほうはつを引きずっていて。分厚い前髪の隙間から桜色の右目のみを覗かせて、貴竜を見ていた。

 否。最初から彼女には、貴竜しか見えていなかった。
 緩慢なすり足で歩み寄ってくるなり、義敢とは反対側、貴竜をはさむ形で腰をすえる。その身に腕をまわし、脂ぎってぼさぼさの髪に包まれた顔を肩へと擦りつけた。

 そんな女に一瞥いちべつをむけるや、貴竜は――ごく薄っすらと、あるかなしかに眉尻をさげる。義敢の背から手を放すなり、白炎を消して。女の頭をひと撫でするのであった。

 もう触れられない女の頭を。
 そうして、その手は義敢へと戻ってくるのだ。義敢の背へとまわり、その肩を抱き直す。貴竜が、今度は義敢に縋りつくように身を寄せていた。

 白炎を消した掌がおのが腹から浮いて、もたげられて――半面ごしに右目と、その下の頬とを撫でていく。

 義敢はすべてを目にしながら、その手を拒まなかった。
 そうして。ここで手を放しゆく貴竜とともに、扉を見やったのである。

『時間切れだな』

「そのようだ」

 扉ごしでも分かる騒々しい――溌溂《はつらつ》とした気と、遠くからでも間違えようのない足音が近づいていた。その場の者らは三者三様の反応を示す。

 一人はパッと桜色の光の粒子となり消えて。一人は笑い、一人は溜息をついて立ち上がったのであった。
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