守骸伝

犬丸工事

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二、風水僵尸(ふうすいきょうし)・賤竜

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 その口付けは、初めは触れ合うのみのものであったが。次第に濃く深くなっていった。

 冽花の体勢も、気付けばいつしか向かい合わせになり、対面する男の首筋へと腕を回す形になっていた。

 それは口付けの形をした『給餌きゅうじ』であると同時に、『契約』の瞬間でもあった。

 傷ついた口のなかの傷を冷たい舌で舐めあげられ、血を啜られる。冽花の身を抱きすくめる腕も、まるで罪人に巻かれた鎖のように固く、彼女をいましめ続けるのであった。

「う……ッ」

 呼吸すらも奪われるような濃厚で、随時刺すような痛みを伴われるそれに、跳ね強ばる冽花の身は、やがてくったりと脱力していく。

 その舌を濡らす血液すらも吸い、舐めあげられて、体を震わせる。
 うっすらと濡れる瞳で見上げると、眠たげに半ば下ろされていた瞼が、きちりと持ち上がっていた。

 ぬるり、と舌が引き抜かれる。

「っ、は……」

 硝子玉の瞳が、冽花をじっと見つめていた。
 そうして、次の瞬間には細く眇められたのであった。

『嘘吐き』

 ぽつり、と。そう短く吐きだされた冷たい声に、冽花は目を見開くなり、浮かんだ涙を零れ落とした。

 ――瞼の裏に鮮明に蘇る場面があった。
 これもまた、見続けてきた数多の夢の光景の一つである。
『あたし』が『私』であった頃の記憶。苦い苦い、悔恨と絶望の。

 豪華絢爛ごうかけんらんたる部屋の片隅にて、毛足の長い絨毯じゅうたんに膝をついた。

 対面にいる賤竜。彼に、何か言わなきゃと思うのに。口がわなないてしまい、たまらなかった。

 視界に映りこんだ黒備えのつま先が、みるみる揺れ、歪んでいった。両手で顔をおおい、ようやく涙もろともに振り絞ったのは。
 やはり謝罪と、たまらない罪悪感より絞りだされた懇願だった。

“もし、もう一度……貴方に巡り合えるのなら、お願い”
“なじってちょうだい。私のことを『嘘吐き』と”

 それは。

「……ああ……あは」

 紛れもない、『約束の履行』だ。
 冽花のなかの魂魄が、歓喜と痛みに震えていた。

 夢でずっと見続けてきた“気”の認識だか、別の機構でかは知らない。分からぬけれど、彼は、間違いなく自分を自分として認識していた。

 この冒冽花マオ・リーホアが、罪人である『玉環ユーホン』であったことを。
 それが涙の出るぐらい嬉しくて、悲しくて、たまらなかった。
 そのため、また謝罪がこぼれた。

「対不起《ごめんなぁ》、賤竜。次こそは。……今度こそ、は」

『……その謝罪を受け入れるべきでしょうか、これは』

「いい。……いい。冽花、って……呼んで。冒冽花、だ。敬語もなし」

『……知道りょうかい。契約者、冒冽花……冽花』

 そうして、賤竜は――龍の首を模した冑に、鱗状に甲片を連ねる歩人甲(ラメラーアーマー)を纏う僵尸は、冽花の肩ごしにその後ろの面々を見た。

『冽花。迅速な現場対応のため、その情報入力に協力を』

「あー……」

 非常に堅苦しく告げられているが、『どういう状況だか説明しろ』ということなのだろう。

 冽花は窮屈な棺のなか、賤竜の腕に支えられながら、背景をあらためて語った。

「後ろの奴らはな、お前を、てめえのモンにしようとしてた奴らだよ」

『此の所有を』

「そう。で、あたしは……今度こそ、お前を、龍脈の大河に還すために来たってわけ」

『なるほど。……そちらの身体的状況との因果関係は?』

「見たまんまだよ。ボコボコにやられた。あの、飴色髑髏の老鬼にな」

『老鬼』

 くろぐろと無機質な瞳に見つめられて、老鬼は肩を揺らすなり、おもむろに顎を引いた。一歩、また踏みだしては口を開く。

「賤竜。……お前が契約者重視な僵尸であることは承知している。そこで提案する。契約者を連れ、俺たちと共に来ることを」

笨蛋バカ言ってんじゃねえよ! お前が――」

「必要な措置としてやったまでのことだ。俺たちは対立関係にあった。が、この中でその契約者を治療し、延命しうるのが、どちらの集団であるのかは明白なはずだ」

 被せるように言葉を発してくる老鬼に、冽花は歯噛みする。

 確かに、自分はこの場では孤立無援だと、その自覚があった。体調のこともある。
 夢でずっと見続けてきた――逆を言えば、夢でしか賤竜のことを知らない。そんな自分は、彼の琴線に触れる働きかけができそうもなかった。

 逆に老鬼は訳知り顔だ。そのことを気に留めつつも、同じように賤竜を説得した上で、連れて逃げおおせるとは思えぬことに、頭を悩ませた。

 老鬼の言う通りだ。情勢は決していた。

 人獣たちは、彼と冽花との一連によって、みな委縮してしまっていた。牽制されていなければ、恐慌状態を起こし、散り散りになっていたとして不思議ではない。
 賤竜の目が老鬼らと人獣らを見回し、冽花を見下ろしてきた。

『冽花』

「あン?」

『意見を聞きたい』

「意見?」

 ぱちとおもわず瞬き返すと、律儀に『意見だ』と言って頷き返された。

『情報収集は完了した。あとは冽花、そちらの命を待つばかり。此はお前の風水僵尸なのだから』

 その物言いに納得がいった。夢のなかでも、彼は『命じられたために耐えて』、『辛い役目を全うしていた』。

 なによりも老鬼が言ったではないか。賤竜は契約者重視の風水僵尸なのだと。それは、契約者の心をも気にかけるということなのかもしれない。
 この機を逃す手はなかった。

「そんなモン……」

 冽花はぎゅっと眉を寄せてみせた。首を振るう。

「どっちについてくのも却下だ。下手なしがらみができちゃ、身動き取りづらくなるしな」

『承知した。然らば、指示を』

「ア?」

『命令を。この場を離脱するのに、力の行使が必要であると判じた。その許可を求む』

「あァ~~……」

 賤竜の物言いに、一気にその場に緊張が走るのを感じた。

 冽花はひょうの刺し傷がない無事な左腕にて、ガリガリと頭を掻く。どよめく黒尽くめ達を鎮めて、自身の背中ごしに指で符号を送る老鬼を――ちらと見やった。

 自身は到底、打破しようのないこの状況を。賤竜は打破しうることを知っていた。
 彼は風水僵尸なのだから。
 
 ――一瞬だけ、また脳裏に蘇る一場面がある。

 黄色い砂塵の舞う、荒野にて。
 馬上で剣を抜きながら、『私』が傍らの賤竜を見下ろして告げる映像が。

“賤竜――”

 現実に帰る。目の前には指示を待つ賤竜の姿があった。あの頃と同じように。
 冽花はひとつ深呼吸をした。そうして、次の瞬間、はったと睨むように、強い眼差しで賤竜を見据えたのだった。

「賤竜」

シー

「第一段階、『水滴石穿すいてきせきせん』の使用を許可する。――……頼む。助けてくれ、賤竜」

 命令を、と言われて。でも、自分は言い慣れない言葉を使うのに躊躇い、付け足した。
 頼む、という言葉に賤竜は瞬いたけれど。ほどなく。

『……知道りょうかいした

 目を細めて頷いた。そうして、ここで抱きすくめていた冽花の身を解放したのであった。

 そして、賤竜は動きだした。

 冽花とともに棺から出て、彼女を傍らに残し、一歩を踏みだす。
 そこで足を止めた。

「賤竜?」

 冽花はおもわずと怪訝に眉を寄せるものの――ふと、つかの間に目を見開かせた。
 やはり、前世の知識が告げていた。この行動は。

真的マジで? ここ? え、ここなのか、賤竜!?」

『是。ここが適当だ』

 否、だからこそ、この場所に賤竜は眠らされていたのかもしれない。

 風水僵尸ふうすいきょうし《陰之断流《いんのだんりゅう》》型、賤竜。
 その力は、『風水』の名を冠する通りに。

 ――握りしめた拳に、黒き炎……陰の気をみるまに帯びさせていき。

「総員退避!」

 声高に老鬼が叫び、黒尽くめらが一斉に背をむけた。大わらわになった人獣たちが右往左往するのも構わずに、賤竜は流れるような動きで足を肩幅に開き、腰を落としがてら、上体を大きく捻らせた。

 握り拳を、おのれの足元に打ちつける。
 一拍後にその拳が一段沈んだ。どん、とその場の面々の腹に響く、太鼓めく鳴動が響きわたる。半径二尺余り(一メートル)の円形の陥没、炎を噴きだす亀裂が生じた。

 そうして、炎の一打が呼び水となったがごとく、亀裂に添うようにして、『灰色の水』が溢れだしてきた。
 水は大きな波紋をともない、敷かれている石床をも巻きこみ、めくれ上がらせて、四方へと伝播していく。床はもちろん、柱をも駆けのぼり、天井へと至っていく。

 炎噴きだす亀裂が先行し、それを灰色の水が追いかけ、破壊をもたらしていく。
 ……夢で垣間見たので知っていた。彼に、指示を与えると、どういうことになるのかを。

 だが、いざ目の当たりにするとなると違う。
 予想以上である。

「ぁ……あァ……あああああァ!」

 冽花は頭を抱えていた。

「許可はしたけどよぉぉ!」

 波紋はもはや、廟中の亀裂、ひび割れと化して派生している。
 察するところは、この場の崩落。全破壊だ。

 安易に……否、決心はしたものの。それでもちょっぴり指示したことを後悔するぐらいには、そう、賤竜の力は凄まじかったのである。

 風水僵尸、賤竜。その力の在り様とは。
 ――その身に纏いし、濃厚な陰気。独自のそれをもって、その地に走る気脈を刺激し、任意の効果を発現させるものである。
 本来の流れを断ち、思い通りに動かす。それが故の《陰之断流いんのだんりゅう》型だ。

「分かってたけど……さぁぁあ!」

 もはや嘆くほかない冽花へと伸びる腕があり、その身が抱えこまれた。
 濡れるような漆塗りの柱も梁も、極上のろうかん翡翠の彫刻も。孔雀石で象られた絵図も。厳格な黒と萌えるような緑色で彩られた廟も。

 すべてを灰燼に帰す力であった。そうして、賤竜に躊躇いはなかった。
 冽花を連れて、その場の何もかもに背を向けて、離脱していったのだった。
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