守骸伝

犬丸工事

文字の大きさ
上 下
1 / 5

序章、『あたし』と『わたし』と『わたくし』の夢

しおりを挟む
 夢を見ている。
 何百、何千回と、生まれた時から見続けている、夢を見ている。

 あたしは――わたしは、わたくしは――……『私』は。

 『私』は、あお御旗みはたを掲げる戦士である。あかき旗を倒し、本懐を遂げるべく戦場を征《ゆ》く。
 これは、その最後の戦場の。悔恨に満ちた記憶の、始まりの場面であった。
 
 『私』は、黄色い砂塵の舞う、荒れ果てた広野にいた。
 馬上から臨むことで、その惨憺さんたんたる有様が伺える。

 かつて川床だった大地には亀裂が生じており、老婆の髪の毛より細い枯草が散見されるばかり。
 “翡翠たまのごとし”と謳われていた、この地が泣いているようだ。
 むせび泣くような、時おり唸りを混ぜた黄風が吹きつけていた。

 手慰みに左髪にす『あんずの花枝』を弄る。かろうじて生彩を残すものを確保し、挿したものである。同時にうつむけば、身をつつんだ藍き鎧が目に飛び込んでくる。

 こんな時に、よりにもよって『私』が、花を飾るなど。
 小さく溜息をついて、顔を上げては対面を見据えた。

 枯れ野を埋め尽くす勢いの、雲霞うんかのごとく大軍を見遣る。
 これでも減らした方であった。少しずつ少しずつ、長期にわたって櫛の歯を欠くよう、人を削り、物を削って、そうして――……。

玉環ユーホン様』

 ふと声があがった。とめどなく紡がれていた思考が、その倍は滔々とうとうと淡々と紡がれゆく声で霧散していくのである。

 それはこんな言葉であった。硬い男の声色にて紡がれていた。

『軽度の気滞きたいと、部分的な気虚ききょ(気の不足)を観測いたしました。肝(自律神経や情緒を司る臓腑)の乱れによる気の巡りの停滞……気鬱きうつ。また四肢末端への軽度の陽虚ようきょ(冷えの症状)の兆しが見られます。速やかに補気薬ほきやくおよび理気薬りきやくの服用を推奨いたします』

 見れば、傍らに立つ男は、しかつめらしい顔でこちらを見ていた。
 おもわず瞬いて――微笑んでしまった。

「有難う、賤竜ジェンロン。でも大丈夫よ。……将軍の私が布陣して以降、人前で薬を飲むわけにはいかないわ。皆に不安を招いてしまう」

『では――』

按摩あんまはもっと駄目。気持ちだけ受け取っておくわ」

 黙りこくる賤竜に代わり、『私』は再び眼前を臨む。
 言葉とは裏腹に、少しだけ胸が軽くなっているのを感じていた。

 相変わらず現状は、窮鼠きゅうそが果敢に攻め立てて、何度も猫を噛まねばならぬほどの人員と物量の差があるのだけれど。
 意識して深く息を吸うと、ぷん、と髪よりの花の香りが感じられた。
 おもわずと目を細めて、告げていた。

「ありがとう、賤竜」

『……は』

 自分は何もしていないのに、といったような間があくのに、また笑ってしまった。
 少しの安らぎを得て、『私』は再び彼を呼ばう。

「賤竜」

『は』

 彼は顔を向けてくる。一瞬遅れて、冑《かぶと》の額に貼られた黄符《きふ》がはためいた。

 朱墨しゅぼくつづった『勅令随身保命ちょくれいずいしんほめい』の文字が、くっきりと目に焼きつくようだ。対称的に、目出し穴より覗く目はくろぐろとした硬質をはらんでいるのだが。

 硝子球のような瞳が『私』を見返した。

「ここが正念場です。手筈てはずどおりにお願いいたします」

『畏まりました』

 こうべを垂れ、拱手きょうしゅ(両手を胸の前で組み、お辞儀する敬礼)にて応じてくる。

 賤竜。
 陰陽の陰をあらわす黒備えに、木行の緑の差し色をいれる武人。
 龍の首を模した冑に、鱗状に甲片を連ねる歩人甲(ラメラーアーマー)。黒き棍を携えている。

 『私』の忠実なるしもべにして、無くてはならない力であり、道具だ。
 風水僵尸ふうすいきょうし陰之断流いんのだんりゅう》型――賤竜。
 そんな『私』の僵尸きょうしにむけて、なおも言葉を続けたのであった。

「ねえ、賤竜」

『は』

「貴方には、辛い役目ばかり任せます」

 体の代わりに心が暖められたので。少しだけ、甘えが出てしまったのかもしれない。
 硝子球の瞳が瞬きを落とす。浅く首が傾げられる。

『辛い。身体しんたいもしくは精神に“忍従にんじゅうしきれないほどの”苦痛を感じている状態を指す……現在、該当する身体異常、精神的異常は認められません』

「耐えきれぬほどの痛みはない……“痛みを感じていぬ”わけではないのでしょう?」
 
 『私』の問いかけに、彼は口をつぐむと静かにまた瞬きを落とした。
 『私』は軍勢へと目を向ける。

 並みいる軍馬と人の群れ。中でも『私』の対面にいる――総大将が傍らを見つめながら、言葉を継いだ。

 これから彼が戦うことになる。どころか、今までも何度も『私』が命じて戦わせてきた存在を見つめつつ、胸の内を明かした。

 ……内心、どこまでも自分本位であり、卑小ひしょうな我が身を自覚して。吐き気すらも覚えながら。

 最後なのだからと。これで終わらせねばいけないのだから。今しか言えぬのだから、と。自分に言い訳をして、言わずにはいられなかった。

 風水僵尸。賤竜。
 自分の、罪の証の一つである彼に、懺悔ざんげまじりの決意を吐くより他なかったのだ。

「表にあらわさぬだけで、貴方が怒りを感じているのは分かります。貴方は……いいえ、貴方がたは怒るに足る、正当な理由がある。解っているのです。……けれど」

「この戦いが終われば、ようやく、貴方がたを解放することができる。ようやく、遥けき龍脈の大河へと還すことができる。見ていてください、賤竜。最後まで。……私の償いを、見届けていて」

 賤竜は応えなかった。黙って、『私』を見つめていた。
 そうするだろうと分かっていた。分かっていて、口に出し。
 『私』は。
 『私』は――……。

『――きて。……起きて、冽花リーホア! でないと死んじゃう!』

『私』は――わたしは、わたくしは――……あたしは、目が覚めたのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

処理中です...