冥剣術士ナズナ

アオピーナ

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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』

EP:SWORD 049 女王ラユリ・ワイト・オーディア

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 轟々と唸る白焔の波動が、ルメリアを焼き焦がしていく。

 数秒後に未来に自分が骨のみとなった姿を見た『剣神ノ子』は、咄嗟に自身を、『壊死』の黒氷を体内で暴発させることで消し、

「……っ」

 女王が坐する玉座の背後に『創生』を孕む黒水の泉と共に現れ、全身を襲う恐怖を噛み殺しながら黒氷の大剣を掲げる。

 女王は依然として、玉座に座って前を向いたまま、音波の小さな結界で守られている。顔だけを晒しているあれは、恐らくガレットの剣能によるものだろう。

 それにもっと早く気が付いていれば、女王に隙を与えることは無かったかもしれない。
 もっとも、それを今言ったところで仕方は無く。当のガレットはもう、この場には居ない。舐められたものだ。いかに『剣神ノ子』と言っても、所詮は小娘一人。座ったままでも一人で十分——そう思っているのだろうか。

「——正確には、違うな。小娘」

「……っ!?」

 宙を舞いながら剣を掲げ、今にも女王の背後を捉えているルメリアの思考が、止まった。まるで世界そのものが静止しているような感覚。
 
 それほどまでに、女王がルメリアの独白に応じたことと、それ以上に彼女が発する魔気、剣気が底知れないのだ。

 疑問が、ルメリアの脳内を支配する。
 このまま、突っ込んでしまっていいのか。このまま、剣を突き立ててしまっていいのか。
 このまま、何の策略も無く叛逆してしまっていいのか。このまま——、

「『累《かさね》』」

 その一言に、ルメリアの心臓が大きく脈打つ。

「『螺月《らげつ》・輪光《りんこう》』と言ってな。貴様が小生意気にも妾と目を合わせた時既に、『灼《あらた》』と同時に当てておいた」

 心が二つに分裂するような感覚と共に、視界が真っ赤に染まって強風に晒される。
 得体の知れない危機感を覚えたルメリアは、再び『壊死』と『創生』の術式を用いて女王の前方——しかし大穴が空いている壁の瓦礫を踏むようにして、最も遠い距離をとった。

 同時に、女王の身体を覆っていた結界が剥がれていく。

 豊かな胸元に豪華な宝玉が施された白銀の胴当てを着け、瞳と同じ蒼い煌めきが、白亜のドレスを彩っている。
 背まで伸び、目上で切り揃えられた長い髪同様に美しい衣は四肢を覆って貫録をさらに醸し出している。

「あ、あ……」

 その姿を見て、ルメリアは思わず『美しい』と思った。

 ——いや、だがあいつは悪魔だ。

 気を抜けば今すぐその場で跪いてしまう程に、神々しく。

 ——ターチスお姉ちゃんに危害を加える酷い奴な筈だ!

 その美貌、その声音、その心。
 どれをとっても、この世の何よりも美しい。

 ——そんな筈は無い。ついさっきまで怯えていたではないか。それに、この世でもっとも美しいのはあいつじゃなくてターチスお姉ちゃんだ!

 ターチス。ターチス・ザミ。

 あのような高慢な老獪よりも眼前の女王様方が、美しい。何よりも、美しい。

 この世界の何よりも、美しい。いや、もはや、世界そのものを壊して彼女だけが唯一神として存在する楽園を築いてしまおう。

 それがルメリアの役目。
 それがルメリアの喜び。
 それがルメリアの意義。
 それがルメリアの価値。
 それがルメリア・ユーリップ——、

「——ふざッ、けるなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 黒氷が、玉座の間を侵していく。
 口角を釣り上げる女王もろとも、死と破壊を司るそれは一つの世界を形作る。

 『煉氷懐界《ニヴェルヘル》』。
 女王かガレットのどちらかが発動していた結界に、ルメリアの憎悪に満ちた世界が上書きされる。

 少女は一界の支配者たるに相応しい装いで、未だに健在である玉座の女王のもとへ歩を進めていく。

 黒氷のドレスは肌を斬るような冷気を放ち、露出する白い肌から突き出る紫紺の角たちは怒りを示すかのように強く光っている。

 それは、右手に引っ提げた氷作りの大剣も同じで、しかしどの部分よりもルメリアの憤りを如実にしめしていた。

 剣能・奥義である『終焉世壊《ファイネル》』発動時や剣獣『聖天ノ蝶』に顕現した状態の時に発していた漆黒の、どこまでも黒く濃密な暗黒の瘴気。それが、ひとりでに蠢いているのだ。

 今のルメリアに、恐れなど微塵も無い。

「ふ……」

 女王が、静かに笑って言う。

「流石だ、『剣神ノ子』。この妾が珍しく他者を称賛するのだ。自信を持ってよいぞ」

 その直後に、女王はゆっくりと拍手をした。自分の周りの殆どが崩落の渦に飲まれているにも関わらず、女王は変わらず愉悦に浸っていた。

「……その指輪」

 ルメリアは黒い瘴気を発する剣の切っ先で、女王が左手の指に嵌めている四つの指輪を示して問う。

「『灼』とか言う白い宝石のそれは、ターチスお姉ちゃんの剣霊術が元ですね。二つ目の紅い宝石のそれ……『累』は、今わたしにしたように、自分にとって都合の良い人格を相手に創り出す術式で間違いないでしょうか」

 夕焼け色の瞳に怒気を孕んだルメリアの問いかけに、女王は不敵な笑みを浮かべて、

「ああ、ご名答だ」

 答え、さり気なく、

「『旋月・操光』——『歪《いびつ》』」

 薬指に嵌める第三の指輪、その黒い宝石を光らせた。
 
 それを予知したルメリアの第六感が、既にルメリア自身を突き動かしていた。

 大剣を持つ手に力を込め、背で紫紺に光る蝶の羽をはためかせるルメリアは、とっくに城の外で空を舞っていた。

 壁に空けられた大穴から外に出、玉座の間の天井から先に立つ巨大な塔を目指して。

「ありきたりで無力な作戦でしょうけれど……」

 まずは、宝石が放つ光の死角に逃げる。これを前提とし、あの女王を討つための作戦を練る。
 だが、聡明なルメリアの頭脳をもってしても、その解には中々辿り着けず、

「だったら、指ごと手を斬り落として指輪自体を無力化する……!」

 塔の頂に辿り着いたルメリアは、ここに突撃した時に空けた穴の先に切っ先を向ける。
 動作に呼応して溢れ出るのは大量の黒い瘴気で——、

「『壊死』の凍結に『終焉』をもってとどめを刺す」

 それぐらいのことをして、ようやく女王を玉座から引き下ろせるレベルなのだろう。そのぐらいの予測をしなければ、いつルメリアの首が飛ぶか分かったものではない。

「行け、『ファイネル』ッ!」

 暗黒が、一閃。

 塔の頂から玉座の間までを、獰猛に氾濫する黒の衝動が駆けていく。

「念のため、もう一振——」

 言葉が続かなかったのは、剣を握っていた右腕が消えていたから。

「——?」

 唐突な出来事に、頭が真っ白に染まる。だが、反射的に、理解はした。

 ——右手を斬り落としたのはルメリア自身の左手だ。

 鮮血に染まった、彼女自身の、白く細い指先。

 やがて、我を失って見つめる自らの左手に、変化があった。

『ルメリア。わたしが本当のルメリア。お前を消してわたしがお前に成り代わる。いや、今この瞬間、お前はもうお前としての意義や価値は失っている』

 気味の悪い紫色の唇が、ひとりでに喋る。

『さようなら、元ルメリア。お前が築いてきた軌跡を、わたしが美味しく堪能してあげるから』

 身体は動かず、その一方で唇は左手を侵食し始める。無数の眼球が、触手のような手が、這い寄ってくる。

 意識においても、その現象は起きていて。
 ルメリアの見た目をしたルメリアではない何者かの群れが、ルメリアをじっと見つめていた。

 ニヤニヤと、ケタケタと、気味の悪い笑みを浮かべながら。

『旋月・操光』——『歪』。

 その術式は、あの時に放たれる寸前だった黒い光を浴びていなくとも、既にルメリアを侵していた。

 身も心も、悪意によって凌辱されていく。
 ルメリア・ユーリップという個体そのものが、跡形も無く消えていく。

 ——貴女はルメリア。ルメリア・ユーリップ。わたくしの弟子にして、最愛の妹。

 浸食が、静止した。

「お姉、ちゃん……」

 失われかけた意識の中で、ルメリアは叫ぶ。

「ターチスお姉ちゃん……っ!!」

 白の侵攻が黒い衝動に掻き消され、一人の少女の形が再形成される。 
 黒い雨がルメリアを濡らし、おびただしい量の血を流していた右手首の切断面から新たな右手が生える。

 心を侵していた邪悪も消えていき、『剣神ノ子』の双眸に再び光が灯った。
 そして、同時に、心にかかっていた最後の靄も消える。

「ラユリ・ワイト・オーディア」

 名を紡いだ時には既に、ルメリアは女王の眼前に切っ先を突き立てていた。

「ほう。完全に妾への恐れを克服したか」

「今のわたしに、恐れや不安など、微塵も無い」

 ガレットの『振動』が無くても、ルメリアが剣を持つ手には僅かな震えも無かった。
 今ここで、この土壇場で、『剣神ノ子』は完全に花開いたのだ。

 ——というのが、

 ザザザッ、と、何やら耳障りな音が聞こえる。

 ——お前が勝手に浮かべて体験していた幻想なわけだが、

 気付けばそれは視界にも表れていた。音が、景色が、塗り変えられていく。今目の前で広がっている世界が終わる。

 最後に女王——ラユリは笑って言った。

 ——『華月《かげつ》・神光《しんこう》』……、

 一抹の夢は終わり、現《うつつ》は彩りを戻す。

「——『実《みのり》』」

 ラユリの声と共に、世界は再び像を結ぶ。
彩りを戻した世界で、ルメリアはうつぶせに倒れ込んでいた。

「……ッ!!」

 息を吸えば全身を激痛が襲い、息を吐けば血どころか内臓までも吐き出しそうな煉獄の渦中。文字通り、ルメリアは手も足も出せなかった。

「そもそも」

 ラユリは、小指に嵌められた指輪、それに施された碧色の宝石を淡く光らせて言う。

「おかしいとは思わなかったのか? この場にガレットは居ない。故に、結界を展開させるとなるとこの妾だけとなる訳だが……そのような動作、妾は一度も貴様に見せてはいないだろう」

 恐らく、ラユリはルメリアが確認した『夜』のことを言っているのだろう。確かにあの時、ルメリアは咄嗟にガレットかラユリが結界を発動していたものだと思い込んでしまっていた。

 いや、だがそれ以前に、ルメリアはいつから幻を見ていたのか。
 ラユリから目を逸らして思考するルメリアの心を読んだかのように、女王は疑問の答えを明かす。

「簡単なことだ。貴様がガレットの『響界』越しに妾を穿たんと迫った瞬間に、妾は『実』を発動させた。ただそれだけのことよ」

「————」

 そんな簡単なことを、ルメリアは気付けずにいた。一度目に『灼』で時計塔まで吹き飛ばされた時に、そのヒントは隠されていたというのに。

「戯れは終わりだ。妾が存分に貴様との遊戯を堪能したいがために、任務中の『オーケスタル』の面々や普段はこの部屋の周囲にて役目を全うしている近衛兵たちには手を出すなと言っておいたのだが……ふん。仮に手を出させてしまっていたらと考えると、せっかくの逢瀬の時もさらに限られていただろうからぞっとするぞ」

 嘲笑を交えて、ラユリは地に這いつくばるルメリアを見下ろしながら言う。

「愚妹のロユリを使って、今日、貴様をここまで招いたのには理由がある」

 遊戯。
 招待。
 逢瀬。

 ラユリにとって、身を粉にしたルメリアの奮闘は、盤上の駒を弄ぶ程度のものでしかなかったのだ。

「ガレット、もう出てきてよいぞ」

 ラユリは指を鳴らすと共に『剣神の末裔』の名を呼んだ。やがて、重厚な扉が開かれる音がして、ルメリアは激痛に軋む身体を動かして扉の方を見る。
 そこには、

「あ、あああ、あああああああ……っ」

「どうだ、お前が逢いたがっていた姉君だぞ」

 悲痛に顔を歪ませるガレットに横抱きにされた、血まみれのターチス・ザミの姿があった。
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