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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』
EP:SOWRD 048 剣獣・『聖天ノ蝶』
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――『剣獣』。
魔獣、霊獣と続く怪物種の特位個体。
『剣神ノ子』は心が剣であり、肉体は鞘。故に、それが乖離するとなれば、それはただの分離ではなく『抜剣』という形となる。
心身の乖離。感情の剥離。
結果、
「意図せずして、その力を発揮したと……」
『剣神の末裔』を謳う騎士は、自分と同じ『剣神』の名を授かりながら、しかしどこまでも果てしない才能の溝に深く息を吐いた。
だが、彼であればそれは絶望ではなく、眩い希望に過ぎない。『剣神ノ子』への勝利、その過程や結果が、自分をさらなる高みへと押し上げてくれる——そういった意味合いで、彼は微笑を浮かべていた。
その意思。その意識。
闇に飲まれ、怪物となったルメリアにとっては目障り以外のなにものでもなかった。
漆黒の胴体に紫紺の一角と羽を持つ『聖天ノ蝶』。
術士の心象そのものが具現化されるという『剣獣』は、確かにルメリアの心の慟哭そのものを現していた。
だから、この蝶の怪物にルメリアの意識は存在しない。
暗黒が、炸裂した。
蝶が奇怪な嬌声を上げ、肌を斬り刻むような冷気と破壊を伴って黒の暴走が玉座の間を侵していく。
「ふ……っ!」
ガレットは『振動』の剣能と『響界』の結界を用いて対応。
濃密な黒と、見えない波動が交錯して轟音が荒れ狂う。
玉座の間は滅んでいくが、結界自体がその情景、場所を複製するものでもあるので、現実世界に影響はない。もっとも、それもこの強大な力に耐えられたらの話だが。
闇に飲まれたルメリアの意識も、その最たる弱点を把握していた。
『聖天ノ蝶』は紫紺に光る角から黒い瘴気を発し、それは渦を巻いて砂鉄のようにしなり、ガレットを襲う。
目障りな結界を壊すには術士自身を。その正攻法を、正気を失ったに等しい今でも的確にやってのける。
神童たる所以の才覚を、ルメリアはここでも発揮する。
「しかし、それも所詮は原石に過ぎず。いかに強大なそれも、研磨の時間が短ければ短いほど粗は目立つ!」
ガレットは直感に従い、白銀の剣を構え直して黒い衝撃と剣身とを拮抗させる。
そこから伝わる莫大な振動も、ガレットは剣能を操作して外部にいなす。だが、ただではいなさない。
「『駆音』二節……」
ガレットを、白光が包み込む。そして、静寂の帳が落ちると共に、金色の騎士は白光を纏いて蝶の怪物に吶喊した。
黒い衝撃が彼の後を追うが、胴に直撃する目前に飛翔したことにより、射程圏外となる。
一角よりやや上に舞い上がったガレット。
「——『調《しらべ》』」
詠唱直後、白光は剣先に集約し、角へと振りかざされた剣は蝶の全身へ衝撃を送った。
『————ッッ!』
奇怪な不協和音が悲鳴として上げられ、
『聖天ノ蝶』は荒れ狂う。
だが、暫くの間続くかと思われた暴走は、突如として終わった。
ピタリ、と。操り人形が糸で操作されたが如く、その場で静止したからだ。
「『調』は、剣と己が受けた音波を一点に凝縮し、それで穿った相手に調和を促す剣能だ」
カツン、カツンと靴音を立てて怪物に近付く騎士。『剣神』の恩恵に授かりし者を示すその夕焼け色の瞳には、恐れや不安の一切が感じられない。
静止する『聖天ノ蝶』、その床に貼り付けられた頭部の前に立ったガレットは、文字通り眼前に剣先を突き立て、冷徹に述べる。
「君は、まだ幼い子供とはいえ『罪人』であり、それ以上に『剣神ノ子』だ。『音』に乗って入った君の活躍と前情報……それで少しは情状酌量の余地はあるだろうが、しかし、やはり野放しにしておくにあたって、君の存在は危険過ぎる。国家……いや、君はもう、この世界そのものを揺るがす程の存在になってしまったんだ」
ガレットとて、同じく『剣神』の恩恵を授かり、なによりまだ無垢な子供にここまで言うことは良心が痛むものだ。
ただ、この超常が跋扈する世界で、そんな普遍的な倫理観は通用しない。
それに、同じ『剣神』の恩恵であっても、相手は本物の神童でありガレットは全くと言っていい程に才覚には恵まれてこなかった。
住む世界が、明確に違う。
だからといって、容赦を失くせるわけでは無い。それでも、ガレットは己が成すべき正義を成すだけだ。
「短い時だったが楽しめたよ、『剣神ノ子』。私もまだまだ発展途上であり、のびしろが無限のようにあるということを実感できた。何より、『剣神ノ子』たる君と剣を交えたことが何よりの成果だ。胸に刻まれたこの闘志。熱。今後、私が歩む騎士道の糧として——」
緩やかに瞑目し、胸に手を当ててひとり語るガレットの真横を、白い何かが通り過ぎていった。
白と朱色の残像。光の線を残したその双眸が狙うのは、一点のみ。
「まさか……っ」
後ろを振り返った時、ガレットは、自分が世界から剥離されたような感覚に陥っていた。『響界』はひび割れ、瞬く間に霧散していく。青く光る床が爆ぜているのも、彼女がたった今、全てを置き去りにしてやってのけていることだ。
ルメリア・ユーリップの速度性が、『神速』が、異次元過ぎるだけ。
ガレットがトドメを刺す際に、騎士道に則って感傷に浸りながら言葉を紡いで隙を作ることも。
正気を失ったにもかかわらず自分は未来の自分のために合理的な行動をとるだろうことも。
それを実行するにあたって尚も力が残っているだろうことも、全て無意識下で演算してやってのけることが出来たのも。
全て、ルメリアの才覚がとっくに人の域を出ていたからに過ぎない。
「わたしは、ルメリは、本当に化け物だったようですね」
黒氷の鋭い長剣を構え、真っ白な髪とローブをはためかせ、夕焼け色の瞳で玉座の一点を捉えて言う。
「それでも、わたしはお前を倒してターチスお姉ちゃんを助け出す」
無人の玉座。
その上で『剣神ノ子』が一人、壊死を孕む魔剣を掲げて舞う。
「……っ! 『駆音』三節! ——『奏《かなで》』ッ!」
間に合わないと踏んだガレットは、切っ先をルメリアに向け、膨大な音の波動を放った。本来ならこういった野蛮な使い方ではなく、演舞のように多彩な音色と共に剣戟を奏でるためのものであったが、悠長なことは言っていられない。
ルメリアは、とっくに気付いていた。この玉座の間の違和感と、ガレットが執拗に玉座を庇っていた理由に。
もしくは、たった今気が付いたのかもしれない。
しかし、それらの推測も今はどうでもいい。
数多の感情が、ガレットの胸中で渦を巻く。
その時、
「——『終焉世壊《ファイネル》』」
破滅を齎す剣閃が、無人の玉座を穿った。
*
……。
…………。
「…………は?」
その時、ルメリアは巨大な魔時計塔の文字盤のめり込んでいた。
空は再び夜闇に染まっていて、眼下に人混みは無く、無人の町々が広がっていた。
——いや、そんなことはどうでもいい。
たった今、ルメリアは確かに玉座を穿っていた筈だ。いや、手応えはあった。確かに穿ったのだ。そこに、ガレットを倒す以上に重要な目的があったから。
それなのに、今ルメリアは、時計塔に突き刺さっている。
「が、あ、あ……っ」
認知した直後に遅れてやってくる激痛。全身の骨が軋み、所々に火傷のような鋭く重い熱と痛みを感じる。
視界は明滅を繰り返していて、息を吸って吐くごとに意識が飛びそうになる。
一体、何があったのか。
「……?」
聡明なルメリアの思考は、既に結論を導き出していた。だから、コンマ数秒前の決定的な記憶をすぐさま想起して、
「——ッ!? ……ぶ、ぶ、おぇ……っ」
血と共に、大量の吐瀉物を吐き出した。筆舌に尽くし難い恐怖がルメリアを襲ったからだ。痛みとは違ったところから、震えと冷や汗が溢れ出る。
その一方で、明滅していた視界がはっきりと世界を映していく。
ルメリアは無意識に、瞳に感覚を集中させて眼前を見据える。どれぐらい離れているかは分からない。それでも、徐々にそれは見えてきた。
——巨大な穴が空いた、玉座の間。
常人ならまず肉眼では目視できないほど——ルメリアであって、もようやく豆粒程度に確認できる遠く離れた距離。
それは、ルメリアのこの統計塔に叩きつけた者の力量、その規格外さがはっきりと表れていることを意味していた。
唇の端から血と胃液を垂らしながら、引き攣った笑みを浮かべてルメリアは『出来事』を完全に想起する。
『――まさかこの妾に相対するとはな。命知らずな輩よ』
声を思い出しただけで、手足末端までを震えが襲い、臓腑が搔き乱されるような感覚を覚える。
再び吐きそうになるのを堪えただけでも、称賛に値するぐらいの圧倒的恐怖。
ロユリやガレットに抱いた戦慄とは比べ物にならないほどの絶望。
しかし、
「それでも、あいつを倒したら、お姉ちゃんは……」
ターチスの為ならば、あんな規格外の相手でも……それこそルメリアでさえもまともに戦えるか分からない存在であったとしても、戦うしかない。
『剣神ノ子』は、限界に近い身体に鞭を打ち、底を尽きそうな魔気を使って『人剣一体』を成し、黒氷のドレスを纏い大剣を握り締める。
背中からは『剣獣・聖天ノ蝶』の名残であり紫紺の羽を、露出した白い肌からは同色に光る角が現れ、全身にさらなる力を送っていく。
『剣神ノ子』、本来の力——まだその一片でしかないが、それでも現状のルメリアにとっては最大最高の力。
文字通りの、全身全霊。
剣たる心、鞘たる器。
一体となった己を最たる魔剣として、ルメリアは吶喊する。
ここが結界内だと把握しているルメリアは、初速の段階で時計塔を破砕し、今まで以上の『神速』で一直線に玉座の間へと舞い戻る。
震えは怒りで押し殺す。
怯えは昂りではねのける。
これほどまでに、真摯に己と向き合い、研磨し、人剣一体になったことがあるだろうか。
そう自問自答するほどに、ルメリア・ユーリップは魔剣術士として、『剣神ノ子』として、全力になっていた。
やがて。
交錯の時は訪れる。
オーディア魔剣響国最強にして、国家最大の剣力と権力を持つ存在。
『開闢の刻限』を企む超常を超えた超常。
玉座の間に坐することを許された、歴代最強にして最優と謳われる魔剣術士——、
「お前を斬って、お姉ちゃんを助け出すッ!」
玉座の間に舞い戻った『剣神ノ子』に、『女王』は言った。
「——貴様も物好きという訳か」
白銀の長い髪を揺らし、頬杖をついてルメリアを見上げる女。
その者は、『音波』で形成された鏡のようなカーテンから顔を出し、
いかなる美しき物も掻き消すほどに煌めく蒼い双眸に光を灯して、
「よかろう、ではその負けん気に免じて妾が再度、貴様に絶望の限りを贈ってやろう。……『真月《しんげつ》・虐光《ぎゃっこう》』——」
左手の指に嵌められた四つの指輪、その内の人差し指が着けている白い宝石を備えたそれを光らせて紡いだ。
「——『灼《あらた》』」
災厄の言の葉を、紡いだ。
瞬間。
「————」
真っ白な炎の波動が、ルメリアを焼き焦がしたのだった。
魔獣、霊獣と続く怪物種の特位個体。
『剣神ノ子』は心が剣であり、肉体は鞘。故に、それが乖離するとなれば、それはただの分離ではなく『抜剣』という形となる。
心身の乖離。感情の剥離。
結果、
「意図せずして、その力を発揮したと……」
『剣神の末裔』を謳う騎士は、自分と同じ『剣神』の名を授かりながら、しかしどこまでも果てしない才能の溝に深く息を吐いた。
だが、彼であればそれは絶望ではなく、眩い希望に過ぎない。『剣神ノ子』への勝利、その過程や結果が、自分をさらなる高みへと押し上げてくれる——そういった意味合いで、彼は微笑を浮かべていた。
その意思。その意識。
闇に飲まれ、怪物となったルメリアにとっては目障り以外のなにものでもなかった。
漆黒の胴体に紫紺の一角と羽を持つ『聖天ノ蝶』。
術士の心象そのものが具現化されるという『剣獣』は、確かにルメリアの心の慟哭そのものを現していた。
だから、この蝶の怪物にルメリアの意識は存在しない。
暗黒が、炸裂した。
蝶が奇怪な嬌声を上げ、肌を斬り刻むような冷気と破壊を伴って黒の暴走が玉座の間を侵していく。
「ふ……っ!」
ガレットは『振動』の剣能と『響界』の結界を用いて対応。
濃密な黒と、見えない波動が交錯して轟音が荒れ狂う。
玉座の間は滅んでいくが、結界自体がその情景、場所を複製するものでもあるので、現実世界に影響はない。もっとも、それもこの強大な力に耐えられたらの話だが。
闇に飲まれたルメリアの意識も、その最たる弱点を把握していた。
『聖天ノ蝶』は紫紺に光る角から黒い瘴気を発し、それは渦を巻いて砂鉄のようにしなり、ガレットを襲う。
目障りな結界を壊すには術士自身を。その正攻法を、正気を失ったに等しい今でも的確にやってのける。
神童たる所以の才覚を、ルメリアはここでも発揮する。
「しかし、それも所詮は原石に過ぎず。いかに強大なそれも、研磨の時間が短ければ短いほど粗は目立つ!」
ガレットは直感に従い、白銀の剣を構え直して黒い衝撃と剣身とを拮抗させる。
そこから伝わる莫大な振動も、ガレットは剣能を操作して外部にいなす。だが、ただではいなさない。
「『駆音』二節……」
ガレットを、白光が包み込む。そして、静寂の帳が落ちると共に、金色の騎士は白光を纏いて蝶の怪物に吶喊した。
黒い衝撃が彼の後を追うが、胴に直撃する目前に飛翔したことにより、射程圏外となる。
一角よりやや上に舞い上がったガレット。
「——『調《しらべ》』」
詠唱直後、白光は剣先に集約し、角へと振りかざされた剣は蝶の全身へ衝撃を送った。
『————ッッ!』
奇怪な不協和音が悲鳴として上げられ、
『聖天ノ蝶』は荒れ狂う。
だが、暫くの間続くかと思われた暴走は、突如として終わった。
ピタリ、と。操り人形が糸で操作されたが如く、その場で静止したからだ。
「『調』は、剣と己が受けた音波を一点に凝縮し、それで穿った相手に調和を促す剣能だ」
カツン、カツンと靴音を立てて怪物に近付く騎士。『剣神』の恩恵に授かりし者を示すその夕焼け色の瞳には、恐れや不安の一切が感じられない。
静止する『聖天ノ蝶』、その床に貼り付けられた頭部の前に立ったガレットは、文字通り眼前に剣先を突き立て、冷徹に述べる。
「君は、まだ幼い子供とはいえ『罪人』であり、それ以上に『剣神ノ子』だ。『音』に乗って入った君の活躍と前情報……それで少しは情状酌量の余地はあるだろうが、しかし、やはり野放しにしておくにあたって、君の存在は危険過ぎる。国家……いや、君はもう、この世界そのものを揺るがす程の存在になってしまったんだ」
ガレットとて、同じく『剣神』の恩恵を授かり、なによりまだ無垢な子供にここまで言うことは良心が痛むものだ。
ただ、この超常が跋扈する世界で、そんな普遍的な倫理観は通用しない。
それに、同じ『剣神』の恩恵であっても、相手は本物の神童でありガレットは全くと言っていい程に才覚には恵まれてこなかった。
住む世界が、明確に違う。
だからといって、容赦を失くせるわけでは無い。それでも、ガレットは己が成すべき正義を成すだけだ。
「短い時だったが楽しめたよ、『剣神ノ子』。私もまだまだ発展途上であり、のびしろが無限のようにあるということを実感できた。何より、『剣神ノ子』たる君と剣を交えたことが何よりの成果だ。胸に刻まれたこの闘志。熱。今後、私が歩む騎士道の糧として——」
緩やかに瞑目し、胸に手を当ててひとり語るガレットの真横を、白い何かが通り過ぎていった。
白と朱色の残像。光の線を残したその双眸が狙うのは、一点のみ。
「まさか……っ」
後ろを振り返った時、ガレットは、自分が世界から剥離されたような感覚に陥っていた。『響界』はひび割れ、瞬く間に霧散していく。青く光る床が爆ぜているのも、彼女がたった今、全てを置き去りにしてやってのけていることだ。
ルメリア・ユーリップの速度性が、『神速』が、異次元過ぎるだけ。
ガレットがトドメを刺す際に、騎士道に則って感傷に浸りながら言葉を紡いで隙を作ることも。
正気を失ったにもかかわらず自分は未来の自分のために合理的な行動をとるだろうことも。
それを実行するにあたって尚も力が残っているだろうことも、全て無意識下で演算してやってのけることが出来たのも。
全て、ルメリアの才覚がとっくに人の域を出ていたからに過ぎない。
「わたしは、ルメリは、本当に化け物だったようですね」
黒氷の鋭い長剣を構え、真っ白な髪とローブをはためかせ、夕焼け色の瞳で玉座の一点を捉えて言う。
「それでも、わたしはお前を倒してターチスお姉ちゃんを助け出す」
無人の玉座。
その上で『剣神ノ子』が一人、壊死を孕む魔剣を掲げて舞う。
「……っ! 『駆音』三節! ——『奏《かなで》』ッ!」
間に合わないと踏んだガレットは、切っ先をルメリアに向け、膨大な音の波動を放った。本来ならこういった野蛮な使い方ではなく、演舞のように多彩な音色と共に剣戟を奏でるためのものであったが、悠長なことは言っていられない。
ルメリアは、とっくに気付いていた。この玉座の間の違和感と、ガレットが執拗に玉座を庇っていた理由に。
もしくは、たった今気が付いたのかもしれない。
しかし、それらの推測も今はどうでもいい。
数多の感情が、ガレットの胸中で渦を巻く。
その時、
「——『終焉世壊《ファイネル》』」
破滅を齎す剣閃が、無人の玉座を穿った。
*
……。
…………。
「…………は?」
その時、ルメリアは巨大な魔時計塔の文字盤のめり込んでいた。
空は再び夜闇に染まっていて、眼下に人混みは無く、無人の町々が広がっていた。
——いや、そんなことはどうでもいい。
たった今、ルメリアは確かに玉座を穿っていた筈だ。いや、手応えはあった。確かに穿ったのだ。そこに、ガレットを倒す以上に重要な目的があったから。
それなのに、今ルメリアは、時計塔に突き刺さっている。
「が、あ、あ……っ」
認知した直後に遅れてやってくる激痛。全身の骨が軋み、所々に火傷のような鋭く重い熱と痛みを感じる。
視界は明滅を繰り返していて、息を吸って吐くごとに意識が飛びそうになる。
一体、何があったのか。
「……?」
聡明なルメリアの思考は、既に結論を導き出していた。だから、コンマ数秒前の決定的な記憶をすぐさま想起して、
「——ッ!? ……ぶ、ぶ、おぇ……っ」
血と共に、大量の吐瀉物を吐き出した。筆舌に尽くし難い恐怖がルメリアを襲ったからだ。痛みとは違ったところから、震えと冷や汗が溢れ出る。
その一方で、明滅していた視界がはっきりと世界を映していく。
ルメリアは無意識に、瞳に感覚を集中させて眼前を見据える。どれぐらい離れているかは分からない。それでも、徐々にそれは見えてきた。
——巨大な穴が空いた、玉座の間。
常人ならまず肉眼では目視できないほど——ルメリアであって、もようやく豆粒程度に確認できる遠く離れた距離。
それは、ルメリアのこの統計塔に叩きつけた者の力量、その規格外さがはっきりと表れていることを意味していた。
唇の端から血と胃液を垂らしながら、引き攣った笑みを浮かべてルメリアは『出来事』を完全に想起する。
『――まさかこの妾に相対するとはな。命知らずな輩よ』
声を思い出しただけで、手足末端までを震えが襲い、臓腑が搔き乱されるような感覚を覚える。
再び吐きそうになるのを堪えただけでも、称賛に値するぐらいの圧倒的恐怖。
ロユリやガレットに抱いた戦慄とは比べ物にならないほどの絶望。
しかし、
「それでも、あいつを倒したら、お姉ちゃんは……」
ターチスの為ならば、あんな規格外の相手でも……それこそルメリアでさえもまともに戦えるか分からない存在であったとしても、戦うしかない。
『剣神ノ子』は、限界に近い身体に鞭を打ち、底を尽きそうな魔気を使って『人剣一体』を成し、黒氷のドレスを纏い大剣を握り締める。
背中からは『剣獣・聖天ノ蝶』の名残であり紫紺の羽を、露出した白い肌からは同色に光る角が現れ、全身にさらなる力を送っていく。
『剣神ノ子』、本来の力——まだその一片でしかないが、それでも現状のルメリアにとっては最大最高の力。
文字通りの、全身全霊。
剣たる心、鞘たる器。
一体となった己を最たる魔剣として、ルメリアは吶喊する。
ここが結界内だと把握しているルメリアは、初速の段階で時計塔を破砕し、今まで以上の『神速』で一直線に玉座の間へと舞い戻る。
震えは怒りで押し殺す。
怯えは昂りではねのける。
これほどまでに、真摯に己と向き合い、研磨し、人剣一体になったことがあるだろうか。
そう自問自答するほどに、ルメリア・ユーリップは魔剣術士として、『剣神ノ子』として、全力になっていた。
やがて。
交錯の時は訪れる。
オーディア魔剣響国最強にして、国家最大の剣力と権力を持つ存在。
『開闢の刻限』を企む超常を超えた超常。
玉座の間に坐することを許された、歴代最強にして最優と謳われる魔剣術士——、
「お前を斬って、お姉ちゃんを助け出すッ!」
玉座の間に舞い戻った『剣神ノ子』に、『女王』は言った。
「——貴様も物好きという訳か」
白銀の長い髪を揺らし、頬杖をついてルメリアを見上げる女。
その者は、『音波』で形成された鏡のようなカーテンから顔を出し、
いかなる美しき物も掻き消すほどに煌めく蒼い双眸に光を灯して、
「よかろう、ではその負けん気に免じて妾が再度、貴様に絶望の限りを贈ってやろう。……『真月《しんげつ》・虐光《ぎゃっこう》』——」
左手の指に嵌められた四つの指輪、その内の人差し指が着けている白い宝石を備えたそれを光らせて紡いだ。
「——『灼《あらた》』」
災厄の言の葉を、紡いだ。
瞬間。
「————」
真っ白な炎の波動が、ルメリアを焼き焦がしたのだった。
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