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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』
EP:SWORD 044 冥竜と冥剣術士
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その黒竜には、見覚えがあった。
漆黒の鱗を纏い、紅く煌めく一対の翼と長く鋭い一角をシンボルとした、竜族の中の竜。
「——『冥竜』」
ルメリアではない誰かが凛とした声音でそう発すると同時、冥竜はその逞しい頭を垂れる。頭上、真っ赤な光を発する黒い大剣の上に立つ、白いワンピースドレスを着た少女を崇めるように。
「ロユリ・ブラク・オーディア……」
「ほう、まさか『剣神ノ子』に我のような、女王の妹というだけの女の名を覚えてもらっていたとは、冗談抜きで光栄の限りだな」
感情の読めない含み笑いと共に、ロユリは艶やかな黒髪を払って紅の双眸でルメリアを見下ろす。
彼女のその瞳に射抜かれただけで、ルメリアは脚が竦むような感覚を覚える。昨日のように、ルメリアは、このロユリという少女に恐怖している。
だが、それはもう、自分でもよく分かっている。
「悪いですが、ターチスお姉ちゃんは今外出中です」
「ああ、知っている」
「……っ! お姉ちゃんがどこに居るのか知っているのですか!」
「知っているもなにも、我が友は今、ピアネ城にて我が姉……女王と謁見している」
「女王と、謁見……?」
これまた、ルメリアの予想の範疇を超えた事実だった。となると、やはり、昨日ロユリとターチスが話していた『開闢の刻限』とやらが関係しているのか。
それを問い質そうとした時、
「おっと、聡明で麗しき幼女よ。お前はこれ以上、そのチート級の頭脳を使ってはならない」
「チー、ト……? まあ、いいです。今の反応であなたがターチスお姉ちゃんと何かを画策しているということは分かりましたから」
「なら話は早い。早いところ、お前をテストして……ああ、済まない。どうも異界語が染みついてしまっているようだ。まったく、セチアの奴が何ともない平凡以下の女に目を付けているせいで、こちらの戦況も些か面倒に……。たとえ我が剣になったとしても、あの異世界人に物理的且つ人生的に握られるのは御免だな」
「よく分かりませんが」
ロユリの意味不明なひとり言を、ルメリアは足下に黒氷を発し、それを巨大な両手にすることで足場を形成しつつ遮る。
直後、両手の下から先が手首、腕といったようにビキビキと音を立てて伸び、あっという間にロユリと同じ高さに達する。
「見下ろされるのも、仲間外れにされるのも好かんか?」
「そんなのは別にどうでもいい。ただ、お姉ちゃんのことで何か知っているのなら、そして何かを隠しているのなら……問答無用で、叩き潰します」
「死人に口なしって言葉を知っているか?」
「死なない程度に痛めつければ問題無いかと」
「困ったお子さんだ」
「『剣神ノ子』ですから当然です」
空気が、凍てつく。
今も継続して屋敷の庭を侵している『壊死』の黒氷による影響でもあるが、それ以上に二人を取り巻く空気が冷たく、尋常じゃないぐらいに張り詰めているのだ。
下手に言葉を発すれば、呼吸をすれば、そのコンマ終秒後にはどちらかの首が飛んでいる。もしこの場に第三者が居たならば、そんな未来が容易く想像出来ただろう。
もっとも、その第三者は自分が気付かずうちに自己が先に崩落しているだろうが。
「冥剣……『滅陽の短針』」
自らが足場にしている大剣。ルメリアに切っ先が向いているそれの名を口にし、ロユリは右腕に左手を添えて手のひらを相対者に向ける。
「冥剣の、剣能……」
今までにない程に警戒しつつ、ルメリアは自分を取り巻く事象全てを把握し、感覚を研ぎ澄ませて剣能を発する。
そこに余計なプロセスは要らない。ただルメリアが氷の弾丸を放ちたいと思えば、それはそう思い立った瞬間に成される。
故に、
「ルメの方が、何倍も速い」
『壊死』の術式が刻まれた氷弾。
一瞬にして辺り一面に発現した無数のそれらは、ロユリがこちらに向けた手のひらで何かをする間も与えず、冥竜もろとも、黒髪の少女を襲った。
一瞬。全てが一瞬で始まり、終わった。一拍、二拍遅れてけたたましい轟音と衝撃波が周囲に波紋し、大気を揺らす。
この衝撃で庭を侵食している凍結も収まればいいが……と、ルメリアが冷静に考えていた時。
「——は?」
眼前に、赤黒い球体が迫っているのを目にした。
咄嗟にルメリアは黒氷で巨大な盾を形成し、防御に応じる。
が、それもまた、
「『滅喰』」
凛とした声音がそう紡ぐ同時、赤黒い竜のような影によって掻き消されてしまう。
「ぐ……っ!」
だがすかさず、両手を左右に払い、勢いよく合わせて次なる動作へ。瞬時に顕現した幾千もの槍が竜の影を貫いて身動きを封じ、次いで迫り来る球体も霧散させる。
視界が、晴れる。
だが、そこに冥竜とロユリの姿は無かった。
そのことに驚愕すると同時に、ルメリアは考える。何故、自分はさっき、「両手を左右に払って勢いよく合わせる」なんていう無駄な動作を挟んだのだろう。
そして、それ以前に氷作りの両手の上に立っていたルメリアが、気が付いたら冥竜の攻撃を受けていたという展開も不可解だ。
あの状況。あの場所。あの攻撃。
まるで、時が巻き戻ったか、同じ事象が再現されているかのような——、
「それは少し違うな、『剣神ノ子』」
「……!?」
またもや、気が付けば、ルメリアは場所を転移させられていた。
しかし、今度は。
「我が『冥剣』の剣能は、事象を破壊する」
ベッドの上で横になっていたルメリアに、窓の枠に寄りかかって座っていたロユリが事もなげにそう言ったのだった。
「事象の、破壊……?」
ただオウム返しにするだけでなく、言葉として発し、脳内で咀嚼してから凄まじい速度で思考し、策を講じる。
「お前が無剣状態のまま発した剣能とそこに居た事実を、私は破壊した。その後、破壊された時は、異界のあの国で言う……そう、『だるま落とし』のように戻ったんだ。そしてすぐさまそれと同じことをして、今お前は庭に出る前の状況に居る」
「……しかし、それではお庭の凍結と崩落が今も尚、止んでいないことはどう説明がつくんですか?」
「ほう、ターチスから聞いた通り、実に聡明な子供だ。まあ、それに関しては単純な話だ。事象そのものを破壊する『滅廻』の範囲をお前だけに限定した。ただそれだけのことだ」
「なるほど、ご説明ありがとうございます」
瞬間、ルメリアはロユリの紅い瞳を睨みつけ、動作を挟まないまま、ちょうど窓枠に収まるサイズの氷柱を形成し、放った。
巨大な黒い氷の円柱は、そのままロユリと背後に控えていた冥竜を吹き飛ばし、無数の長く鋭い棘を発して爆発する。
「あなたがどさくさに紛れて破壊していた
『無動作発動』の恩恵も、今この瞬間、状況にルメリアを戻してくれたお蔭で復活してします。そんな見落としをするような抜けてる人だと思いませんでしたが……」
爆発の影響で、吹雪の如く寒波と、黒く、しかし透き通った氷粒が宙で乱舞し、庭の惨状を彩っている。
早くロユリを屈服させてターチスの行く末と『壊死』の術式の止め方を聞き出さなければならない。
自分とターチスの居場所を、これ以上他でもない、ルメリア自身の手で壊すなんてことは絶対にあってはならないのだ。
そう思って、
「——『抜けてる』か。確かによく言われるな」
その声と、赤黒い雷光が瞬くのを認識した時には既に、
「まあ、才人たるもの、どこかは抜けているものよな」
再び、いや厳密に言えば三度、ルメリアの姿はベッドの上にあった。
今度は、ロユリは窓枠ではなくベッドの上に腰を下ろしており、しかし冥竜は先と変わらず窓の外で待機している。
「安心しろ。我がいかに抜けているかは、たった今お前が教えてくれた。故に、今お前の中に『無動作発動』の恩恵は無い。我が跡形も無く消し去ったからな」
「……遊んで、いるのか……っ」
「チャームポイントの敬語が抜けているぞ、神童。いや、こうして少しずつ身ぐるみを剥いでいけば、ゆくゆくはただの小童か?」
余裕綽々といった様子で笑みながらそう言うロユリ。だが、癪だがそれは認めざるをえない事実だった。
だって、今、ルメリアの手は震えている。
仰向けになった状態で寝ていたため、手は毛布の中に入っているので彼女には見えないが、恐らくは庭一帯を侵している惨状を察知した鋭い感覚で、もうとっくに知り得ているのだろう。
「まあ、とにかく落ち着け。深呼吸でもするがいい。四秒吸って八秒吐く……そうすることで、緊張を大いに和らげることが出来るぞ」
「そんな知識、とうの昔にお姉ちゃんから教わってます」
「ふむ、それは残念だ。まあ、しかし、我は嬉しいよ……『剣神ノ子』たるお前の『手』だけを震えさせるぐらいには、我は強いと証明出来たからな」
「大人気ないですね」
「我もまだまだ子供だからな。ほら、見てくれ通りに」
そう言って、ロユリはベッドから腰を、ぴょんっ、と上げると、くるくると白いワンピースドレスのスカートを翻して回り出す。
黒い大剣を構えることなく、冥竜も未だに窓の外で微動だにしない。
完全に舐められている。ルメリアの頭の中は、既に屈辱という二文字で溢れかえっていた。
だからこそ、ルメリアはさらに足掻く。
凄まじい反射神経で、仰向けの態勢から飛び跳ねるようにして立ち上がり、前に突き出した右手の親指と小指に、左手の小指と親指を重ねる。
剣能の、詠唱。
「吹っ飛べ」
寝室の床から、舞踊をしていたロユリを貫くようにして巨大な黒氷の棘が突き出た。
「か、は……っ」
鈍い音と共に、ロユリの短い悲鳴と血しぶきが舞う音が聞こえた。
だが、範囲はそこだけに留まらない。
ベッド含め、寝室全体、それだけに留まらず、窓枠の外に佇む冥竜をも巻き込み、ひいては庭の至る所を埋め尽くさんと黒氷の棘は次々と突き出ていく。
まるで、黒い氷で針山地獄が成されていくかのように。
——『獄園懐氷《ごくえんかいひょう》』。
詠唱の名の通りの、地獄。
そして、ターチスが扱う大剣霊専用の結界発動術式『剣ノ刻限』とまではいかなくとも、これはルメリアが人生の中で初めて展開させた『剣能結界』他ならなかった。
「『壊死』は今も尚、持続している……ロユリ、あなたはやはり、抜けている」
ルメリアが、まさかこの土壇場で結界を発動させるに至るとまでは考えが及ばなかったのだろう。
高位な魔剣術士になればなるほど、己が思い描く世界を『剣能結界』という形で具現できるとされている。
しかし、どれほど優秀な——それこそ、現第一位階魔剣術士にして女王直轄騎士団『オーケスタル』団長でさえ、死んだ方がマシな地獄を十年以上も味わいながら鍛錬し、その過程でようやくモノに出来たのだ。
それを、ルメリアは『怒ったから』という理由のみで、事も無げにやってのけてしまった。
今も、黒氷で作られた地獄は屋敷や庭の風景を塗り変え、白い太陽と灰色の空を創り出し、純黒の大地と棘の群れを形成している。
これが、『剣神ノ子』たる超常の一片。
ルメリアは、新たな感触を、手のひらを開閉させると共に堪能していた。
ロユリが冥竜と共に背後に立っているのも、既に気付いていた。
「驚いた。よもや『剣能結界』まで容易く発動させてしまうとは……それに、その姿」
ロユリが白く細い指先で示したのは、ルメリアの小柄な肢体——それを包み込んでいる、黒氷で作られたドレスだった。
鎧でよく見られる胴当てはルメリアの未成熟な胸を覆っており、細い腰回りでは鉤爪のようなコルセットが、その下では長いスカートがそれぞれ妖しく煌めいており、二本の白い脚がすらりと伸びている。
そして、両腕に短剣が連なった装甲が備わり、頭にはティアラのような小さな冠が飾られている。
「『人剣一体』までやってのけるとは、些か脱帽ものだよ。これは」
ロユリの呆れかえったような称賛に、しかしルメリアは全く反応を示さない。
しかし、それもその筈。
無反応なルメリアは、ロユリが気付いた時には既に、『残像』でしかなかったのだから。
「ひとまず、あなたを殺します」
「……ったく、ムカつくガキだ……っ」
コンマ数秒後には、ルメリアが右手に顕現させていた黒い氷剣が、ロユリと冥竜を一人一体まとめて真っ二つに斬り裂いていた。
漆黒の鱗を纏い、紅く煌めく一対の翼と長く鋭い一角をシンボルとした、竜族の中の竜。
「——『冥竜』」
ルメリアではない誰かが凛とした声音でそう発すると同時、冥竜はその逞しい頭を垂れる。頭上、真っ赤な光を発する黒い大剣の上に立つ、白いワンピースドレスを着た少女を崇めるように。
「ロユリ・ブラク・オーディア……」
「ほう、まさか『剣神ノ子』に我のような、女王の妹というだけの女の名を覚えてもらっていたとは、冗談抜きで光栄の限りだな」
感情の読めない含み笑いと共に、ロユリは艶やかな黒髪を払って紅の双眸でルメリアを見下ろす。
彼女のその瞳に射抜かれただけで、ルメリアは脚が竦むような感覚を覚える。昨日のように、ルメリアは、このロユリという少女に恐怖している。
だが、それはもう、自分でもよく分かっている。
「悪いですが、ターチスお姉ちゃんは今外出中です」
「ああ、知っている」
「……っ! お姉ちゃんがどこに居るのか知っているのですか!」
「知っているもなにも、我が友は今、ピアネ城にて我が姉……女王と謁見している」
「女王と、謁見……?」
これまた、ルメリアの予想の範疇を超えた事実だった。となると、やはり、昨日ロユリとターチスが話していた『開闢の刻限』とやらが関係しているのか。
それを問い質そうとした時、
「おっと、聡明で麗しき幼女よ。お前はこれ以上、そのチート級の頭脳を使ってはならない」
「チー、ト……? まあ、いいです。今の反応であなたがターチスお姉ちゃんと何かを画策しているということは分かりましたから」
「なら話は早い。早いところ、お前をテストして……ああ、済まない。どうも異界語が染みついてしまっているようだ。まったく、セチアの奴が何ともない平凡以下の女に目を付けているせいで、こちらの戦況も些か面倒に……。たとえ我が剣になったとしても、あの異世界人に物理的且つ人生的に握られるのは御免だな」
「よく分かりませんが」
ロユリの意味不明なひとり言を、ルメリアは足下に黒氷を発し、それを巨大な両手にすることで足場を形成しつつ遮る。
直後、両手の下から先が手首、腕といったようにビキビキと音を立てて伸び、あっという間にロユリと同じ高さに達する。
「見下ろされるのも、仲間外れにされるのも好かんか?」
「そんなのは別にどうでもいい。ただ、お姉ちゃんのことで何か知っているのなら、そして何かを隠しているのなら……問答無用で、叩き潰します」
「死人に口なしって言葉を知っているか?」
「死なない程度に痛めつければ問題無いかと」
「困ったお子さんだ」
「『剣神ノ子』ですから当然です」
空気が、凍てつく。
今も継続して屋敷の庭を侵している『壊死』の黒氷による影響でもあるが、それ以上に二人を取り巻く空気が冷たく、尋常じゃないぐらいに張り詰めているのだ。
下手に言葉を発すれば、呼吸をすれば、そのコンマ終秒後にはどちらかの首が飛んでいる。もしこの場に第三者が居たならば、そんな未来が容易く想像出来ただろう。
もっとも、その第三者は自分が気付かずうちに自己が先に崩落しているだろうが。
「冥剣……『滅陽の短針』」
自らが足場にしている大剣。ルメリアに切っ先が向いているそれの名を口にし、ロユリは右腕に左手を添えて手のひらを相対者に向ける。
「冥剣の、剣能……」
今までにない程に警戒しつつ、ルメリアは自分を取り巻く事象全てを把握し、感覚を研ぎ澄ませて剣能を発する。
そこに余計なプロセスは要らない。ただルメリアが氷の弾丸を放ちたいと思えば、それはそう思い立った瞬間に成される。
故に、
「ルメの方が、何倍も速い」
『壊死』の術式が刻まれた氷弾。
一瞬にして辺り一面に発現した無数のそれらは、ロユリがこちらに向けた手のひらで何かをする間も与えず、冥竜もろとも、黒髪の少女を襲った。
一瞬。全てが一瞬で始まり、終わった。一拍、二拍遅れてけたたましい轟音と衝撃波が周囲に波紋し、大気を揺らす。
この衝撃で庭を侵食している凍結も収まればいいが……と、ルメリアが冷静に考えていた時。
「——は?」
眼前に、赤黒い球体が迫っているのを目にした。
咄嗟にルメリアは黒氷で巨大な盾を形成し、防御に応じる。
が、それもまた、
「『滅喰』」
凛とした声音がそう紡ぐ同時、赤黒い竜のような影によって掻き消されてしまう。
「ぐ……っ!」
だがすかさず、両手を左右に払い、勢いよく合わせて次なる動作へ。瞬時に顕現した幾千もの槍が竜の影を貫いて身動きを封じ、次いで迫り来る球体も霧散させる。
視界が、晴れる。
だが、そこに冥竜とロユリの姿は無かった。
そのことに驚愕すると同時に、ルメリアは考える。何故、自分はさっき、「両手を左右に払って勢いよく合わせる」なんていう無駄な動作を挟んだのだろう。
そして、それ以前に氷作りの両手の上に立っていたルメリアが、気が付いたら冥竜の攻撃を受けていたという展開も不可解だ。
あの状況。あの場所。あの攻撃。
まるで、時が巻き戻ったか、同じ事象が再現されているかのような——、
「それは少し違うな、『剣神ノ子』」
「……!?」
またもや、気が付けば、ルメリアは場所を転移させられていた。
しかし、今度は。
「我が『冥剣』の剣能は、事象を破壊する」
ベッドの上で横になっていたルメリアに、窓の枠に寄りかかって座っていたロユリが事もなげにそう言ったのだった。
「事象の、破壊……?」
ただオウム返しにするだけでなく、言葉として発し、脳内で咀嚼してから凄まじい速度で思考し、策を講じる。
「お前が無剣状態のまま発した剣能とそこに居た事実を、私は破壊した。その後、破壊された時は、異界のあの国で言う……そう、『だるま落とし』のように戻ったんだ。そしてすぐさまそれと同じことをして、今お前は庭に出る前の状況に居る」
「……しかし、それではお庭の凍結と崩落が今も尚、止んでいないことはどう説明がつくんですか?」
「ほう、ターチスから聞いた通り、実に聡明な子供だ。まあ、それに関しては単純な話だ。事象そのものを破壊する『滅廻』の範囲をお前だけに限定した。ただそれだけのことだ」
「なるほど、ご説明ありがとうございます」
瞬間、ルメリアはロユリの紅い瞳を睨みつけ、動作を挟まないまま、ちょうど窓枠に収まるサイズの氷柱を形成し、放った。
巨大な黒い氷の円柱は、そのままロユリと背後に控えていた冥竜を吹き飛ばし、無数の長く鋭い棘を発して爆発する。
「あなたがどさくさに紛れて破壊していた
『無動作発動』の恩恵も、今この瞬間、状況にルメリアを戻してくれたお蔭で復活してします。そんな見落としをするような抜けてる人だと思いませんでしたが……」
爆発の影響で、吹雪の如く寒波と、黒く、しかし透き通った氷粒が宙で乱舞し、庭の惨状を彩っている。
早くロユリを屈服させてターチスの行く末と『壊死』の術式の止め方を聞き出さなければならない。
自分とターチスの居場所を、これ以上他でもない、ルメリア自身の手で壊すなんてことは絶対にあってはならないのだ。
そう思って、
「——『抜けてる』か。確かによく言われるな」
その声と、赤黒い雷光が瞬くのを認識した時には既に、
「まあ、才人たるもの、どこかは抜けているものよな」
再び、いや厳密に言えば三度、ルメリアの姿はベッドの上にあった。
今度は、ロユリは窓枠ではなくベッドの上に腰を下ろしており、しかし冥竜は先と変わらず窓の外で待機している。
「安心しろ。我がいかに抜けているかは、たった今お前が教えてくれた。故に、今お前の中に『無動作発動』の恩恵は無い。我が跡形も無く消し去ったからな」
「……遊んで、いるのか……っ」
「チャームポイントの敬語が抜けているぞ、神童。いや、こうして少しずつ身ぐるみを剥いでいけば、ゆくゆくはただの小童か?」
余裕綽々といった様子で笑みながらそう言うロユリ。だが、癪だがそれは認めざるをえない事実だった。
だって、今、ルメリアの手は震えている。
仰向けになった状態で寝ていたため、手は毛布の中に入っているので彼女には見えないが、恐らくは庭一帯を侵している惨状を察知した鋭い感覚で、もうとっくに知り得ているのだろう。
「まあ、とにかく落ち着け。深呼吸でもするがいい。四秒吸って八秒吐く……そうすることで、緊張を大いに和らげることが出来るぞ」
「そんな知識、とうの昔にお姉ちゃんから教わってます」
「ふむ、それは残念だ。まあ、しかし、我は嬉しいよ……『剣神ノ子』たるお前の『手』だけを震えさせるぐらいには、我は強いと証明出来たからな」
「大人気ないですね」
「我もまだまだ子供だからな。ほら、見てくれ通りに」
そう言って、ロユリはベッドから腰を、ぴょんっ、と上げると、くるくると白いワンピースドレスのスカートを翻して回り出す。
黒い大剣を構えることなく、冥竜も未だに窓の外で微動だにしない。
完全に舐められている。ルメリアの頭の中は、既に屈辱という二文字で溢れかえっていた。
だからこそ、ルメリアはさらに足掻く。
凄まじい反射神経で、仰向けの態勢から飛び跳ねるようにして立ち上がり、前に突き出した右手の親指と小指に、左手の小指と親指を重ねる。
剣能の、詠唱。
「吹っ飛べ」
寝室の床から、舞踊をしていたロユリを貫くようにして巨大な黒氷の棘が突き出た。
「か、は……っ」
鈍い音と共に、ロユリの短い悲鳴と血しぶきが舞う音が聞こえた。
だが、範囲はそこだけに留まらない。
ベッド含め、寝室全体、それだけに留まらず、窓枠の外に佇む冥竜をも巻き込み、ひいては庭の至る所を埋め尽くさんと黒氷の棘は次々と突き出ていく。
まるで、黒い氷で針山地獄が成されていくかのように。
——『獄園懐氷《ごくえんかいひょう》』。
詠唱の名の通りの、地獄。
そして、ターチスが扱う大剣霊専用の結界発動術式『剣ノ刻限』とまではいかなくとも、これはルメリアが人生の中で初めて展開させた『剣能結界』他ならなかった。
「『壊死』は今も尚、持続している……ロユリ、あなたはやはり、抜けている」
ルメリアが、まさかこの土壇場で結界を発動させるに至るとまでは考えが及ばなかったのだろう。
高位な魔剣術士になればなるほど、己が思い描く世界を『剣能結界』という形で具現できるとされている。
しかし、どれほど優秀な——それこそ、現第一位階魔剣術士にして女王直轄騎士団『オーケスタル』団長でさえ、死んだ方がマシな地獄を十年以上も味わいながら鍛錬し、その過程でようやくモノに出来たのだ。
それを、ルメリアは『怒ったから』という理由のみで、事も無げにやってのけてしまった。
今も、黒氷で作られた地獄は屋敷や庭の風景を塗り変え、白い太陽と灰色の空を創り出し、純黒の大地と棘の群れを形成している。
これが、『剣神ノ子』たる超常の一片。
ルメリアは、新たな感触を、手のひらを開閉させると共に堪能していた。
ロユリが冥竜と共に背後に立っているのも、既に気付いていた。
「驚いた。よもや『剣能結界』まで容易く発動させてしまうとは……それに、その姿」
ロユリが白く細い指先で示したのは、ルメリアの小柄な肢体——それを包み込んでいる、黒氷で作られたドレスだった。
鎧でよく見られる胴当てはルメリアの未成熟な胸を覆っており、細い腰回りでは鉤爪のようなコルセットが、その下では長いスカートがそれぞれ妖しく煌めいており、二本の白い脚がすらりと伸びている。
そして、両腕に短剣が連なった装甲が備わり、頭にはティアラのような小さな冠が飾られている。
「『人剣一体』までやってのけるとは、些か脱帽ものだよ。これは」
ロユリの呆れかえったような称賛に、しかしルメリアは全く反応を示さない。
しかし、それもその筈。
無反応なルメリアは、ロユリが気付いた時には既に、『残像』でしかなかったのだから。
「ひとまず、あなたを殺します」
「……ったく、ムカつくガキだ……っ」
コンマ数秒後には、ルメリアが右手に顕現させていた黒い氷剣が、ロユリと冥竜を一人一体まとめて真っ二つに斬り裂いていた。
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