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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』
EP:SWORD 042 入学失敗
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さしもの神童ルメリアも、あまりに強大過ぎる自分の力を存分に発揮すべきではないことは理解していた。
また、たとえその力を全開にして振るったとしても、自分が望んだような学生生活は送ることは出来ず、どころか退学の可能性すらある——そんなことは百も承知だった。
では、なぜ彼女は学園を生徒や教員諸共、凍結させて退学処分を下されるまでに至ったのか。
答えは単純。
ターチスを、馬鹿にされたから。
それには、子供たる所以の無邪気さが招いた悲劇の過程があった。
「——ルメリアちゃんは、どこから来たの?」
三十人ほどのクラス。簡単な自己紹介を終えた後に、隣の少女が開口一番に聞いてきた内容。
ルメリアは用意してきた答えを、すぐに頭に浮かべ、
「この子、多分お家無いんだよ」
と、急に割って入って来た男子の根の歯も無い言葉により、想起した台詞は一気に吹き飛んだ。
「そんなこと言っちゃルメリアちゃんが可哀想でしょー!」
「でも、そいつ白髪だし、試験で手抜くくらいバカなんだぜ?」
「ルメリアちゃんの白髪は『老い』じゃなくて綺麗な地毛なんだよ?」
「とりあえず、こいつはこの名誉ある学園を舐め腐ってる! さっさと野に帰れ!」
皆それぞれ、好き勝手なことを言う。
特に辛辣な物言いでルメリアを攻撃してくる男子は、『剣神ノ子』の本領を発揮させないように魔気を抑制していたことの一部分を見抜いた上で咎めているのだろう。
勿論、『剣神ノ子』の力を宿していること自体は知られていないだろうが。
次第に、議論は本人を他所に白熱して他のクラスメイトたちを巻き込んでいく。
その中に、聞き捨てならない文言が飛び交っていた。
「きっと、こいつの親はとてつもない馬鹿なんだ! ろくな教育も受けず、与えない大馬鹿者なんだ!」
「————」
ルメリアの中で、何かがはち切れた。小さな音を立てたそれは、瞬く間に彼女の空けてはならない扉を開けてしまった。
そして。
「……もういいです。お前たち全員、皆殺しです」
夕焼け色の双眸が、昏い光を灯す。
その時既に、氷結の波動は辺り一帯を蝕んでいた。教室が、廊下が、別棟が、校庭が、演習場が、魔剣庫が——学園を形作る全ての場所が、あっという間に凍結された。
静かな怒りを表すように、本当の意味で肌を刺すほどの冷気が蔓延し、それは近隣の街へと広がっていく。
空間を凍てつかせていく氷は、徐々に黒く染まっていた。何色にも染まらない、漆黒へと。まるで、白き無垢なる少女の心の奥底で蠢く業を象っているかのように。
「あー」
黒く凍った世界。その起源に立つ『剣神ノ子』は、他人事のようにして呟いた。
「やっちゃった」
*
その後、駆け付けた警護騎士団によってルメリアの暴発した剣能は解除され、凍結に飲み込まれた生徒や教師たちも傷一つ無く解放された。
ただ、心に負った傷は簡単には癒えず。
トラウマとして、そして何より災厄級の異端児として、ルメリア・ユーリップの名は学園中に留まらず、近隣の街一帯へと広まることとなった。
当然、彼女を恐れた学園理事長は退学処分という形で、超常そのものを追放せざるを得なかった。
「ターチスお姉ちゃん……」
本を読んでいるターチスの膝の上に上体を預けているルメリアは、そのまま動かずに師の名前を呼んでいる。
「どうしたの? さっきからずっと、わたくしの名前ばかり呼んで」
「なんでもない、けど……何かある気がする……うぇへへ」
「その気味が悪い笑いを止めなさいな」
「やぁだよぉー」
「…………」
ちょうど、この時ぐらいからだっただろう。ルメリアがターチスに依存するようになり、彼女の行動に突拍子の無さが加わったのは。
それまでルメリアは、何だかんだ言ってターチスの言うことは良く聞いてきたし、『剣神ノ子』としての力も全く振るわず、常人より何倍も物わかりが良く賢い子供としての在り方を貫いてきていた。
ターチスも、それがルメリアの本性であり、そもそも人格に表裏を作る必要性すら感じていないほどに自身の超常的な実力を自負し、理解しているのだと思っていた。
それらは全て、的を射ていた。だが、肝心な部分は違っていた。
ルメリアは、あの入学式の日、『人間』を見限ったのだと思う。いくら超常たる力を持って生まれ、世の中を達観していようが、子供であることに変わりはなく。
そんな子供という立場からすれば、あの日、あの教室で言われた言葉や巻き起こった論争が、自分という存在を組み込む世界の全てだと思わせられたに違いない。
『剣神ノ子』としての力を封じて凡人のフリをすれば、手を抜く愚か者だと咎められる。
しかし、かといって『剣神ノ子』としての力を存分に振るえば、周りの人間はルメリアを拒絶し、安寧を守りたいがために彼女を迫害しようとする。
寵児に居場所など無い。どれだけ優れた力を持っていても、世界はそれを簡単には受け入れてくれない。
そんな過酷な現実を、ルメリア・ユーリップは見せつけられたのだ。
「大丈夫よ、ルメリア」
読み終えた本を閉じ、ターチスはルメリアの白い髪を優しく撫でる。
「ん……」
神童はそのまま目をつむり、こそばゆそうに、だけど安堵するようにしてターチスに身を委ねる。
開けられた窓から陽光が差し込み、二人の少女を照らす。そよ風がカーテンを躍らせ、白磁のようにきめ細かなルメリアの頬を撫でつける。
自然の心地よさを感じると、今度は香りを求めるようにして膝に顔を埋めて。
「まったく、いつから貴女はそんな甘えん坊になったのかしら?」
「うへへぇ、いつからでしょーかぁ」
「だから、その気持ち悪い笑い方を……もう、いいわ」
「やったぁ、お姉ちゃんに勝ったぁ」
呆れたように溜息をつきながらも、頬を緩めて妹の髪を撫でるのをやめない姉。そんな、気の抜けるようなひと時が、そこにはあった。
悠久の時を生きる『純潔』の大剣霊と、そんな彼女に比べればまだ生まれて間もない『剣神ノ子』。
ターチスは、どこかで思っていた。この穏やかな日常がいつまでも続いて欲しい。ルメリアが学校に行けないとしても、彼女がこの先ずっと自分に甘えてきても。
ターチスは、それこそ元々の目的であった後継者の育成なんか放り出して、いつまでもこうしてルメリアと二人で暮らしていけたら、それが幸せと呼べるのではないか……そう、思っていた。
しかし。
理想は結局、理想でしか無く。
『純潔』の大剣霊ターチス・ザミとして、女王から授かりし『御役目』は、彼女の幸福など微塵も祝福する気はなかった。
——『冥剣』を引っ提げた黒髪の女の来訪。
その時のことは、ルメリアの封じられた記憶の中で、真っ先に産声を上げた変革の日だった。
そこから、ターチスとルメリアの関係は、少しずつ変わってゆく。
*
ロユリ・ブラク・オーディア。
『冥剣』と呼ばれる黒い大剣を持ち、オーディア魔剣響国女王の実妹である彼女は、あろうことか誰も護衛につかせることなくひっそりとターチスの屋敷に訪れていた。
しかし、それもその筈。
そもそも、彼女は『冥剣』を握ってはいないし、背に備えてもない。
ただ、彼女が発する剣気が、魔気が、それ以上の何かが、『それ』を持ち、構える間も無く自らに叛逆する敵を瞬きよりも早く斬れるということを、如実に示しているのだ。
護衛など、それも『魔剣レベル』を扱う術士など、彼女にとっては足枷でしかない。女王もそれを分かって、彼女に単独行動を許したのだろう。
そういった推測ができ、答えが合っているほどには、ターチスは彼女と仲が良い。
だがルメリアは、彼女が纏うオーラ——剣気と魔気に酔いそうになり、部屋に迎え入れる時もまともに目すら合わせられなかった。
力の全てを解放すれば、多少の苦労は否めなくとも、数分あればとセルだろう——それがルメリアの反射的な分析だが、それを根本から否定する『何か』が、彼女にはある。
『剣神ノ子』に剣を交えるまでもなく恐怖を与える程の存在。それが、ロユリという女であり、ルメリアにとっての第一印象だった。
二人がテーブルを挟んで向かい合うのを、ルメリアはターチスの指示で二人に茶を淹れた後にすぐその場を離れて扉の隙間から見ていた。
「可愛い妹が出来たな」と茶化すロユリに、「ええ、自慢の妹よ」と応じるターチス。
その言葉を聞いて、ルメリアは赤くなった両頬に手を当てて悶える。桃髪黄眼の大剣霊と、黒髪紅眼の冥剣使いの第二王女。
ターチスが纏う黒いワンピースドレスに対して、ロユリが着る白いそれとの組み合わせは、非常に絵になる。
「我が姉……いや、女王陛下がお怒りだぞ、ターチス」
ロユリは、まるで他人事のようにしてそう言った。
それを聞いたターチスは、傾けていたカップをテーブルに置き、ロユリを真正面から見て返す。
「ラユリ女王がどう言おうと、わたくしは『節制』の代役にルメリアを引き込むことは無いわ」
「それがたとえ、このオーディア魔剣響国という巨大国家を敵に回す、もしくは陥落させることになるとしても?」
「ええ、わたくしの決意は揺るがない。それに、貴女もあの冷酷非道な女の傀儡となるのは御免でしょうに」
「ははっ、それもそうだな。一応、我はお前の味方……今日のことは忘れてくれ。女王には我の方から適当に言っておく」
そう言って、ロユリは茶を飲み干すと席を立ち、
「――そうそう、『開闢の刻限』について、我が姉はそろそろ本格的に動き出しているぞ」
紅の双眸に宿る、鋭い光。
それを受けたターチスもまた、顎に手を添えて何かを考え始めた。
ルメリアにとっては、その言葉と反応が何を意味するのか、全く分からない。けれど、だったら、聞いてしまえばいい。
思い立ったなら、すぐ行動。
ロユリが帰って屋敷の空気が緩んだのを見計らって、ルメリアは扉の前で来客を見送っていたターチスに色々と聞き出そうとした。
だが、ターチスは、
「ごめんなさい、ルメリア。わたくし、少しだけ家を空けることになるわ。恐らく、三日ほど」
「……え?」
「さっき、わたくしとロユリが話していた内
容を聞いていたでしょう? この国の女王が、合理性に満ちた選択を重ねていった果てに、祝福どころか災厄を起こそうとしているの……それも、恐らくは他の国々も巻き込んで」
「でも、それはお姉ちゃんとルメには関係が——」
「あるのよ」
そうルメリアに返したターチスの顔は、先のロユリのように、瞳に鋭い光を灯していた。
「あ……」
「わたくしは、大剣霊ですもの」
その言葉と共に。
ターチスは、白い炎を翼のようにしてはためかせ、「家を、頼んだわよ」と言い残して空を翔けていってしまった。
薄闇に覆われていく空に光る、真っ白な炎。徐々に小さくなっていくそれを、ルメリアは掴もうとしてやめた。
だって、ルメリアはターチスに「家を頼む」と言われたのだ。
だったら、彼女の妹として、それは全うすべき役目で。
「ふ、ふんだっ。いきなりルメを置いていくなんて、お姉ちゃんのバカ! ばーかばーか! やってやりますよ! お家の隅々までお掃除して、ご飯だって今以上に美味しいメニューを開発してやるんだから!」
ぷんすかぷんすか、と効果音を鳴らしながら、大股でルメリアは屋敷の中に戻っていった。
これから約三日間、ルメリアにとって数年ぶりともなる一人の生活が幕を開ける。
でも、大丈夫。自分は誰よりも強く、誰よりも優れている『剣神ノ子』。
そう思っていた。
だが現実として起きたのは、国家においても今までに類をみない厄災で。
——ルメリア・ユーリップが国の四分の一を凍らせたのは、およそ三日後の朝のことだった。
また、たとえその力を全開にして振るったとしても、自分が望んだような学生生活は送ることは出来ず、どころか退学の可能性すらある——そんなことは百も承知だった。
では、なぜ彼女は学園を生徒や教員諸共、凍結させて退学処分を下されるまでに至ったのか。
答えは単純。
ターチスを、馬鹿にされたから。
それには、子供たる所以の無邪気さが招いた悲劇の過程があった。
「——ルメリアちゃんは、どこから来たの?」
三十人ほどのクラス。簡単な自己紹介を終えた後に、隣の少女が開口一番に聞いてきた内容。
ルメリアは用意してきた答えを、すぐに頭に浮かべ、
「この子、多分お家無いんだよ」
と、急に割って入って来た男子の根の歯も無い言葉により、想起した台詞は一気に吹き飛んだ。
「そんなこと言っちゃルメリアちゃんが可哀想でしょー!」
「でも、そいつ白髪だし、試験で手抜くくらいバカなんだぜ?」
「ルメリアちゃんの白髪は『老い』じゃなくて綺麗な地毛なんだよ?」
「とりあえず、こいつはこの名誉ある学園を舐め腐ってる! さっさと野に帰れ!」
皆それぞれ、好き勝手なことを言う。
特に辛辣な物言いでルメリアを攻撃してくる男子は、『剣神ノ子』の本領を発揮させないように魔気を抑制していたことの一部分を見抜いた上で咎めているのだろう。
勿論、『剣神ノ子』の力を宿していること自体は知られていないだろうが。
次第に、議論は本人を他所に白熱して他のクラスメイトたちを巻き込んでいく。
その中に、聞き捨てならない文言が飛び交っていた。
「きっと、こいつの親はとてつもない馬鹿なんだ! ろくな教育も受けず、与えない大馬鹿者なんだ!」
「————」
ルメリアの中で、何かがはち切れた。小さな音を立てたそれは、瞬く間に彼女の空けてはならない扉を開けてしまった。
そして。
「……もういいです。お前たち全員、皆殺しです」
夕焼け色の双眸が、昏い光を灯す。
その時既に、氷結の波動は辺り一帯を蝕んでいた。教室が、廊下が、別棟が、校庭が、演習場が、魔剣庫が——学園を形作る全ての場所が、あっという間に凍結された。
静かな怒りを表すように、本当の意味で肌を刺すほどの冷気が蔓延し、それは近隣の街へと広がっていく。
空間を凍てつかせていく氷は、徐々に黒く染まっていた。何色にも染まらない、漆黒へと。まるで、白き無垢なる少女の心の奥底で蠢く業を象っているかのように。
「あー」
黒く凍った世界。その起源に立つ『剣神ノ子』は、他人事のようにして呟いた。
「やっちゃった」
*
その後、駆け付けた警護騎士団によってルメリアの暴発した剣能は解除され、凍結に飲み込まれた生徒や教師たちも傷一つ無く解放された。
ただ、心に負った傷は簡単には癒えず。
トラウマとして、そして何より災厄級の異端児として、ルメリア・ユーリップの名は学園中に留まらず、近隣の街一帯へと広まることとなった。
当然、彼女を恐れた学園理事長は退学処分という形で、超常そのものを追放せざるを得なかった。
「ターチスお姉ちゃん……」
本を読んでいるターチスの膝の上に上体を預けているルメリアは、そのまま動かずに師の名前を呼んでいる。
「どうしたの? さっきからずっと、わたくしの名前ばかり呼んで」
「なんでもない、けど……何かある気がする……うぇへへ」
「その気味が悪い笑いを止めなさいな」
「やぁだよぉー」
「…………」
ちょうど、この時ぐらいからだっただろう。ルメリアがターチスに依存するようになり、彼女の行動に突拍子の無さが加わったのは。
それまでルメリアは、何だかんだ言ってターチスの言うことは良く聞いてきたし、『剣神ノ子』としての力も全く振るわず、常人より何倍も物わかりが良く賢い子供としての在り方を貫いてきていた。
ターチスも、それがルメリアの本性であり、そもそも人格に表裏を作る必要性すら感じていないほどに自身の超常的な実力を自負し、理解しているのだと思っていた。
それらは全て、的を射ていた。だが、肝心な部分は違っていた。
ルメリアは、あの入学式の日、『人間』を見限ったのだと思う。いくら超常たる力を持って生まれ、世の中を達観していようが、子供であることに変わりはなく。
そんな子供という立場からすれば、あの日、あの教室で言われた言葉や巻き起こった論争が、自分という存在を組み込む世界の全てだと思わせられたに違いない。
『剣神ノ子』としての力を封じて凡人のフリをすれば、手を抜く愚か者だと咎められる。
しかし、かといって『剣神ノ子』としての力を存分に振るえば、周りの人間はルメリアを拒絶し、安寧を守りたいがために彼女を迫害しようとする。
寵児に居場所など無い。どれだけ優れた力を持っていても、世界はそれを簡単には受け入れてくれない。
そんな過酷な現実を、ルメリア・ユーリップは見せつけられたのだ。
「大丈夫よ、ルメリア」
読み終えた本を閉じ、ターチスはルメリアの白い髪を優しく撫でる。
「ん……」
神童はそのまま目をつむり、こそばゆそうに、だけど安堵するようにしてターチスに身を委ねる。
開けられた窓から陽光が差し込み、二人の少女を照らす。そよ風がカーテンを躍らせ、白磁のようにきめ細かなルメリアの頬を撫でつける。
自然の心地よさを感じると、今度は香りを求めるようにして膝に顔を埋めて。
「まったく、いつから貴女はそんな甘えん坊になったのかしら?」
「うへへぇ、いつからでしょーかぁ」
「だから、その気持ち悪い笑い方を……もう、いいわ」
「やったぁ、お姉ちゃんに勝ったぁ」
呆れたように溜息をつきながらも、頬を緩めて妹の髪を撫でるのをやめない姉。そんな、気の抜けるようなひと時が、そこにはあった。
悠久の時を生きる『純潔』の大剣霊と、そんな彼女に比べればまだ生まれて間もない『剣神ノ子』。
ターチスは、どこかで思っていた。この穏やかな日常がいつまでも続いて欲しい。ルメリアが学校に行けないとしても、彼女がこの先ずっと自分に甘えてきても。
ターチスは、それこそ元々の目的であった後継者の育成なんか放り出して、いつまでもこうしてルメリアと二人で暮らしていけたら、それが幸せと呼べるのではないか……そう、思っていた。
しかし。
理想は結局、理想でしか無く。
『純潔』の大剣霊ターチス・ザミとして、女王から授かりし『御役目』は、彼女の幸福など微塵も祝福する気はなかった。
——『冥剣』を引っ提げた黒髪の女の来訪。
その時のことは、ルメリアの封じられた記憶の中で、真っ先に産声を上げた変革の日だった。
そこから、ターチスとルメリアの関係は、少しずつ変わってゆく。
*
ロユリ・ブラク・オーディア。
『冥剣』と呼ばれる黒い大剣を持ち、オーディア魔剣響国女王の実妹である彼女は、あろうことか誰も護衛につかせることなくひっそりとターチスの屋敷に訪れていた。
しかし、それもその筈。
そもそも、彼女は『冥剣』を握ってはいないし、背に備えてもない。
ただ、彼女が発する剣気が、魔気が、それ以上の何かが、『それ』を持ち、構える間も無く自らに叛逆する敵を瞬きよりも早く斬れるということを、如実に示しているのだ。
護衛など、それも『魔剣レベル』を扱う術士など、彼女にとっては足枷でしかない。女王もそれを分かって、彼女に単独行動を許したのだろう。
そういった推測ができ、答えが合っているほどには、ターチスは彼女と仲が良い。
だがルメリアは、彼女が纏うオーラ——剣気と魔気に酔いそうになり、部屋に迎え入れる時もまともに目すら合わせられなかった。
力の全てを解放すれば、多少の苦労は否めなくとも、数分あればとセルだろう——それがルメリアの反射的な分析だが、それを根本から否定する『何か』が、彼女にはある。
『剣神ノ子』に剣を交えるまでもなく恐怖を与える程の存在。それが、ロユリという女であり、ルメリアにとっての第一印象だった。
二人がテーブルを挟んで向かい合うのを、ルメリアはターチスの指示で二人に茶を淹れた後にすぐその場を離れて扉の隙間から見ていた。
「可愛い妹が出来たな」と茶化すロユリに、「ええ、自慢の妹よ」と応じるターチス。
その言葉を聞いて、ルメリアは赤くなった両頬に手を当てて悶える。桃髪黄眼の大剣霊と、黒髪紅眼の冥剣使いの第二王女。
ターチスが纏う黒いワンピースドレスに対して、ロユリが着る白いそれとの組み合わせは、非常に絵になる。
「我が姉……いや、女王陛下がお怒りだぞ、ターチス」
ロユリは、まるで他人事のようにしてそう言った。
それを聞いたターチスは、傾けていたカップをテーブルに置き、ロユリを真正面から見て返す。
「ラユリ女王がどう言おうと、わたくしは『節制』の代役にルメリアを引き込むことは無いわ」
「それがたとえ、このオーディア魔剣響国という巨大国家を敵に回す、もしくは陥落させることになるとしても?」
「ええ、わたくしの決意は揺るがない。それに、貴女もあの冷酷非道な女の傀儡となるのは御免でしょうに」
「ははっ、それもそうだな。一応、我はお前の味方……今日のことは忘れてくれ。女王には我の方から適当に言っておく」
そう言って、ロユリは茶を飲み干すと席を立ち、
「――そうそう、『開闢の刻限』について、我が姉はそろそろ本格的に動き出しているぞ」
紅の双眸に宿る、鋭い光。
それを受けたターチスもまた、顎に手を添えて何かを考え始めた。
ルメリアにとっては、その言葉と反応が何を意味するのか、全く分からない。けれど、だったら、聞いてしまえばいい。
思い立ったなら、すぐ行動。
ロユリが帰って屋敷の空気が緩んだのを見計らって、ルメリアは扉の前で来客を見送っていたターチスに色々と聞き出そうとした。
だが、ターチスは、
「ごめんなさい、ルメリア。わたくし、少しだけ家を空けることになるわ。恐らく、三日ほど」
「……え?」
「さっき、わたくしとロユリが話していた内
容を聞いていたでしょう? この国の女王が、合理性に満ちた選択を重ねていった果てに、祝福どころか災厄を起こそうとしているの……それも、恐らくは他の国々も巻き込んで」
「でも、それはお姉ちゃんとルメには関係が——」
「あるのよ」
そうルメリアに返したターチスの顔は、先のロユリのように、瞳に鋭い光を灯していた。
「あ……」
「わたくしは、大剣霊ですもの」
その言葉と共に。
ターチスは、白い炎を翼のようにしてはためかせ、「家を、頼んだわよ」と言い残して空を翔けていってしまった。
薄闇に覆われていく空に光る、真っ白な炎。徐々に小さくなっていくそれを、ルメリアは掴もうとしてやめた。
だって、ルメリアはターチスに「家を頼む」と言われたのだ。
だったら、彼女の妹として、それは全うすべき役目で。
「ふ、ふんだっ。いきなりルメを置いていくなんて、お姉ちゃんのバカ! ばーかばーか! やってやりますよ! お家の隅々までお掃除して、ご飯だって今以上に美味しいメニューを開発してやるんだから!」
ぷんすかぷんすか、と効果音を鳴らしながら、大股でルメリアは屋敷の中に戻っていった。
これから約三日間、ルメリアにとって数年ぶりともなる一人の生活が幕を開ける。
でも、大丈夫。自分は誰よりも強く、誰よりも優れている『剣神ノ子』。
そう思っていた。
だが現実として起きたのは、国家においても今までに類をみない厄災で。
——ルメリア・ユーリップが国の四分の一を凍らせたのは、およそ三日後の朝のことだった。
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