冥剣術士ナズナ

アオピーナ

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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』

EP:SWORD 037 囚われのターチス

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「らぁッ!」

 尖った切っ先を持つ白焔を纏う腕を、縦横無尽に振り回す。

 段々と数を減らしている黒氷の塊は、表面にルメリアの像を見せて次々と剣霊術を放ってくる。

 永絆は小指と親指を曲げ、三本を指に力を集中させて炎剣をより鋭くさせ、

「お、ら、あぁぁッ!!」

 残りの氷塊をルメリアの像と剣霊術諸共、盛大に薙ぎ払った。

 真っ白な炎があちこちで揺らめき、黒い氷の欠片たちがそれを幻想的に映している。

 氷は炭のようになって消えていき、ソプラノの笑い声は徐々に遠ざかっていく。

「はぁ、はぁ……っ」

 永絆は足下でルメリアの像を歪ませている氷の塊に、右腕で纏う白焔の剣先を突き刺し、荒い息を吐いていた。

「あまり手ごたえは感じなかったけど……これでも十分ギリ、だ」

 既に目の焦点は合わなくなってきて、心臓や血管は悲鳴のような爆音で脈打ち、頭と耳を殴りつけている。

 大剣霊の加護。契約主より授かった契約者たる力の断片。その威力は本家であるターチス程でないにしても、実に凄まじいもので。

 同時に、体力や気力も根こそぎ持っていかれる。魔気は使っていない。しかし、もしかしたらこの『フェアリルマーキ』は、愛剣のヴァージを馬鹿正直に振り回すより遥かにコストが高いのかもしれない。

「無断でこれ使ったこと、絶対怒られるよなぁ……」

 苦悶に満ちた表情でそう漏らしながら、永絆は白く燃え上がる右腕をもう片方の手で庇いつつ、身体を引きずるようにして前に進む。

 吐く息は白く、けれど身体は熱くて今にも倒れ込みそうで。
 
 特に大剣霊の加護を具象化している右腕の熱は異様で、風邪と疲労の延長で身体を侵している同じそれとは比べ物にならない程だ。
 
 でも、永絆はこの訳の分からない屋敷の中を進まなければならない。
 魔剣を引き抜いた直後に魔獣に襲われ、その窮地を救ってくれたあの高慢な大剣霊を、次は自分がこの手で助けたいから。

「ヒーローなんて、ガラじぇねぇはずなのによ……」

 女好きで、飲んだくれで、その癖人一倍に人の悪意には敏感で社会に馴染めず、世界を傍観するろくでなし。そんな立ち位置が、自分にはお似合いで、そんな生き方を、自分はこの先一生するものだと思っていた。

 でも。
 そんな自分を愛していると言ってくれた少女が居て。

 そんな自分を優しく包み込んでくれる女性が居て。
 
 そんな自分を選んでくれた大剣霊が居て。

 一人ひとりの恩を返すとなるとだいぶ時間が掛かると思うから、まずは手っ取り早く、一番気難しそうな相手から攻略してしまおう。
 だから、

「——見つけたぜ、お姫様」

 薄暗い氷の牢獄の最奥で、永絆はカッコつけて救いの手を差し伸べる。
 相手の女は、氷作りの格子の先で、ベッドの上で横たわりながらこちらを見ていた。

「ナズ、ナ……?」

 流石の大剣霊も驚いている。
 だが、それは恐らく、永絆がここに来たことに対してではなく、永絆が疲労困憊な中、『フェアリルマーキ』を発動していることに対してのものだろう。

 もっとも、それ以前に何故そのことを知っているのかという疑問もありそうだが。

「色々聞きたいことはあるだろうけど、それは私も同じだ。だから、さっさとここから出てあの狂愛者をガツンと止めてくれ。そしたら、私も死なずには、済む……」

 ぐらっ、と。
 強い眠気のようなものが唐突に襲ってきて、永絆はその場で倒れそうになる。
 しかし、

「……ええ。ええ、ええ。その通りね、ナズナ」

 いつの間にか傍に来ていたターチスが、裸体のまま、永絆を抱き留めていた。

 彼女の身体を拘束していただろうベッドと、外界を阻んでいた氷牢は音を立てて溶けていた。溶接されたようなオレンジ色の断面と、それを塗り潰すぐらいに煌めく純白。
 
 ああ、やっぱりお前の方が似合う。自然と、永絆はそう心の中で感嘆していた。

 穢れ、汚れた心を持つ自分には、この真っ白な聖火は使いこなせない。『純潔』を謳う大剣霊だからこそ、この白焔の剣は真価を発揮するのだ。

「あとは……任せていいか? ターチス……」
 
「そうね。貴女は十分に頑張った。その慣れない術式まで使って、身体をこんなに熱くさせてまで……」

「お前が素直に褒めるなんて……なにか、あったのか……?」

「軽口を叩ける余裕があるということは、まだもう少し粘れるということでいいかしら?」

「……?」

 ターチスの、豊な胸と滑らかで花の香り漂う肌に半分以上の意識を注いでいた永絆は、彼女が言った言葉の意味がいまいちよく分からなかった。

「ねばーぎぶあっぷ、というやつよ」

 相変わらず覚えたてのカタカナを拙く喋るターチスは、抱擁を解いて永絆正面から向き合うと、不敵な笑みを浮かべて両肩を掴んで言った。

「貴女がゔぁーじと呼んでいるその剣が持つ剣能について、色々とれくちゃあしてあげる」



 しかし、自信満々にそう言ったターチスの鼻っぱしを、永絆は秒速でへし折ってしまうことになる。

「……『滅廻』を、既に五回も……」

 ロユリが言うところの禁忌たる剣能。
 ターチスも段階を踏んで最後にその内容と教えようとしていたのだろうが、時すでに遅しというやつだ。

「その、何回か死んじまった機会があって、その時にぐぁーっとな」

「ぐぁーっとじゃないわよ! なに酒飲むときのノリみたいに言っているのよっ!」

 異世界では「ぐいっ」ではなく「ぐぁーっ」なのか、という突っ込みをぼやけた頭で思い浮かべている永絆に、ターチスは「はぁーっ」と強く溜息を吐き、

「貴女、そのうち酷い目に遭うわよ」
 
 永絆より少し背の低い彼女は、眼光に鋭い光を宿し、睨み上げるようにしてそう言った。
 永絆は鼻を鳴らし、

「酷い目になら、もう既に何回か遭ってるだろ」

「そういうことではなくてっ!」

「おわっ!?」

 急に声を張り上げたターチスに、熱で朧になりつつあった永絆の思考が一気にクリアとなる。

「死ぬより酷い目に遭うってことよ。ただでさえ、禁忌の剣能と呼ばれている大技なのに、それをこんな短期間に連発したともなれば、その代償は測り知れないわよ」

「代償……」

 また、ロユリが言っていた言葉が頭をよぎる。でも、その肝心な『代償』が分からないのでは、手のうちようが無い。
 それに、そのことを含め、永絆には聞きたいことが幾つかあった。

「なあ、ターチス。ルメリアはヴァージのことを『冥剣』と言っていた。それって一体……どういう——」

「ねえ、ナズナ」

「————」

「ルメリアが言ったの? それを」

 思わず、息を飲んでしまった。何故なら、『冥剣』という単語が出た瞬間から、ターチスの顔が一変したからだ。

 瞳を焦がすような冷徹な炎が、彼女の黄色の双眸で揺らめいている様に見える。そうして呆気に取られている永絆に、ターチスは能面のような貌を微笑に塗り変えて続けた。

「ごめんなさい、少し取り乱したわ」

「お、おう……」 

 禁忌である剣について問うことも語ることも、恐らくは禁忌。そんな内情を察した永絆は、どこか気持ち悪いしこりが胸の内に残る感覚を覚えた。

「そうと決まればさっさと行きましょうか。ああ、そうそう。貴女が『フェアリルマーキ』を発動してくれたお蔭で、わたくしの回復はたった今、完全に成されたわ。褒めて遣わすわ」

「気を抜いたらすぐ上からだな、お前は」

 けれど、永絆はどこか安堵していた。てっきり、面倒な押し問答や言い合いになると思っていたからだ。『冥剣』や『代償』については後日改めて聞けばいい。

 今は、全快したターチスを連れて蓮花と愛火の二人と合流することが先だ。
 そして、その後は——、

「まだ倒れるには早いわよ、我が眷属」

 床に倒れかけた永絆の身体を、再びターチスが抱える。彼女の脇で抱かれた永絆は、赤を通り越して蒼白になった顏で「わーってるよ……」と弱々しく言う。

 そのまま、ターチスはひょいっと永絆をお姫様抱っこしてしまった。

「ちょ、ちょっ! なぜこの体勢!?」

「この方が持ち運びやすいからよ。それに、初めて会った時もこんな感じだったでしょう?」

「それは死にかけてたし、そのことにあまり意識が向かなかったからで……」

「では、今も別にどうってことないのでは?」

「いや、あるだろ……何というか、恥ずかしい……っ」

「……へぇ」

 熱とは別の熱さで顔を赤らめた永絆は、ニヤリ、という音を聞いた気がした。

 直後、「ちゅ」という音と衝撃が、永絆の唇から発せられた。

 柔らかな感触。唖然と目を瞬かせたあと、桃髪の少女の瞑目した端正な顔が目の前にあることを遅れて把握し、

「な、なななななななな……っ!?」

 キスから慌てて逃れた永絆は、人差し指をビシッと伸ばしてターチスを指差して叫んだ。

「いきなり何すんだっ!」

「あら、あらあらあら。てっきり貴女はなら喜ぶと思っていたのだけれど。この『純潔』を司る大剣霊からの直々の接吻なんて、めったに……それこそ、何度転生しても味わえるかどうか分からない代物なのよ?」

「自分の唇に価値置きすぎだろっ! ……というか、その……マジで、お前にこんなことされるとは思わなかったから……」

「ふふふっ、可愛い。非常に可愛らしいわね、ナズナ。今すぐ食してしまいたいわ、色々な意味で」

「うっさい。お前がそういうこと言うと本当に実現しちまいそうで怖いよ……あ、因みに今のお前が勝手にやったことだからな? 今すぐルメリアが女狐って叫んで襲ってきても知らないからな?」
 
「そうそう。そのルメリアの魔の手からお仲間を一瞬でも守ってあげるから、その隙に貴女はお仲間たちの傷を癒すことに専念することね」
 
 そう言って、ターチス再び永絆に迫って、今度は唇に人差し指を当ててきて口角を釣り上げ、

「たった今、接吻によって貴女の体内に魔気を注入してあげたわ。全快直後である故、最低限でしかないけれどね」

「なんだ、そのためのキスだったか。お前まで私の虜になっちまったら一体どうしたもんかと頭を悩ませていたぜ」

「その割には随分と顔を赤らめて乙女な態度を見せていたじゃない?」

「あれはサービスだ。サービスなんだ。お前を悦ばせたいという、気前の良いサービス」
 
 永絆は誤魔化すと、ターチスに背を向けて
「ほ、ほ、ほ」と確かめる様に歩き出す。

「千鳥足からはいくらか回復したじゃない。であれば、今すぐにでも行けるでしょう?」
 
「ああ、そうだな。剣能使ったらぶっ倒れるのは覚悟の上として……」

 そこで永絆は再びターチスを振り返り、改めて彼女の方を振り向く。
 いつの間にか、いつもの黒いワンピースドレスを纏っていたが。

「お着替え早いな」

「いつまでもわたくしの豊満で麗しい裸体を晒してしまっていては、貴女が溜まりに溜まった性欲を抑えるのに辛いだろうと憐れんでの判断よ。感謝するがいいわ」

「人を欲求不満の変態みたいに言うな。そしてお前に憐れまれる筋合いも無い」

 そんなやりとりをしている内に、気が付けばまた、永絆はターチスの腕の中に抱かれてお姫様抱っこをされていた。

 けれど、永絆はそれに対してとやかく言わないし、ターチスも恐らくこうした行為に言葉は必要ないと思っている筈で。

 契約主とその眷属は、今一度手を組んで、共に鋭く強靭な剣となる。

 やがてターチスは白焔で翼を形作ってはためかせ、暗がりの通路を前に進んでいく。

 方々で煌めく松明の火がターチスの炎翼に集約されていくことから、彼女の剣霊力をルメリアは意図的に分散させて弱体化を図っていたことが分かる。
 そのルメリアと、永絆は再び対峙することになる。

 でも、もう不安も緊張も感じてはいなくて。

 ただ、今は頼り甲斐のある契約主に抱き着いて、ひと時の安寧を得るのだった。
 そして——、

「『滅喰』──!」
「『悪しきを焦がす陽光ディ・レイヌ』」
 
 全てが滅びゆく凍てついた戦場に、血の色に煌めく破壊と聖なる白焔の雨が降り注いだ。
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