冥剣術士ナズナ

アオピーナ

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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』

EP:SWORD 036 霧双凝結/霧転輪生

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 心の奥底からせり上がる雑多な感情。

 それを声に出して、意外にも発した言葉が本心そのものであったことに気付く。

 確かにここで愛火が死ねば、死角は消えて永絆は蓮花だけのものとなり、蓮花だけを見てくれるだろう。契約主であるターチスの存在はあるが、それもこの作戦が終わってルメリアが正気に戻ればどうにかなる。

 けれど。
 そこに果たして、蓮花が好きな永絆は居るのだろうか。大切な人を失った後の未来で、果たして永絆は蓮花が大好きな笑顔を向けてくれるだろうか。

 子供のように無邪気で、それでいて蓮花より十年生きてきた中で味わってきた嬉しさ、悲しさ、苦しさなど、数多の感情が滲んだような笑顔。

 それを絶やしたくないから。
 消したくないから。

 蓮花はまるで手術をこなす医者のように、『霧双凝結』で成された二色の双剣を介してありったけの魔気と霧を愛火の傷口に注ぎ、『壊死』を食い止める。

 幸い、貫通と凍結が同時に起こっていたことにより、術式を細部まで斬って霧散させれば、後は愛火が自力で魔気による回復を成功させるメドが立つ。

 それに、今もまだ蓮花と愛火は魔気にようパストで繋がっている。それが存分に生かされている以上、蓮花は奇跡をものに出来る筈なのだ。

 ただ、それは邪魔者が入らず、且つ蓮花が針の穴に糸を通すような精密性を寸分狂わずに連続的な成功を重ねていければの話で。

「ルメの準備は間も無く完了します。さすれば、お前達の死は確定する」

「……っ!」

 静かに響いた声音が、蓮花の五臓六腑を震わせた。心臓を鷲掴みにされ、そのまま握り潰れてゆくような圧倒的恐怖と脅威。

 霧の向こう側に立つルメリア。
 今どれだけ『霊魔』としての力を顕現させているかは分からない。

 それがせめてもの救いであり、同時に最大の懸念でもある。もし昨夜のターチスとの戦いの時のように全ての顕現を果たしているのなら、あと数秒のも経たないうちに残霧抱擁は破られ、二人は跡形も無く壊されて消えるだろう。

 そしてそれを見た、もしくは知った永絆は、果たしてどう思うだろうか。

「また、ナズ姉のこと考えてる……」

 我ながら呆れるものだ、と蓮花は唇を緩めて鼻で息を吐く。だって、こんなのはおかしい。
 今この瞬間、人の命を救うと共に格上過ぎる相手の最大に近い攻撃を回避しなければならないというこの上ない危機的状況にもかかわらず。

 好きな人を思い浮かべるだけで、こうも落ち着いた気分になれるなんて。

(あたし、ホント乙女だなぁ……)

 そうして何故だか泣きそうになる衝動を堪えつつ、蓮花は愛火の傷口を侵す黒氷の呪いを斬るのを止めない。

 頭が爆ぜ上がりそうになる程の集中力と精密性。動作を始めて僅か数十秒であるにもかかわらず、神経は既に擦り切れる寸前で。

「ナズ姉……」

 自然と、名前を呼んでいた。

「会いたいよ、ナズ姉……」

 涙が一滴零れ落ちて、視界が霞む。このままでは駄目だ。操作がぶれて失敗してしまう。
 だけど、一度溢れ出した涙はダムが決壊したように溢れ出しては止まらず、蓮花の手元を狂わせる。

 本当に不安で泣きたいのは重傷を負った愛火の筈なのに。彼女は自身でも魔気を手繰り、己の傷の治癒に神経を注いでいる。

 これが、異世界という本場の土を踏んだ者とそうでない者の差なのか。

 死に瀕したとしても尚、絶望に抗うことを止めずにほんの微かな光を掴み取ろうと手を伸ばす。それも、強固な自分の意思で。

(あたしも、頑張らないと……っ!)
 
 二刀の切っ先に、さらなる力と魔気を注ぎ込む。愛火と繋がっているパスも駆使し、『壊死』そのものの詳細が顕微鏡で微生物を眺めるかのように把握できるようになったところで。
  
「実に、愚かで滑稽ですね」

 狂人が、目の前に立っていた。

 ローブは消え、白磁のように透き通った幼い肢体を黒氷のドレスで覆い、背には変わらず蝶の羽を模した翼をはためかせながら、しかし新たに腰から生えている竜が持つような二本尻尾は、一本ずつが別の生き物であるかのように不気味に蠢いてケタケタと笑っていた。

 段階は分からない。
 ただ、『霊魔』としての力をその身に纏い、超常的な力にさらなる拍車を掛けたのは明らかだった。

「そろそろ無駄な徒労は済みましたでしょうか。もし済ませたのなら、もう未練はありませんよね? ではここで、どうか悔いが沢山残るように死んでください」

「……っ!」

 手のひらを向けているルメリアを見上げて蓮花は歯噛みし、頭を沸騰させる。
 幾つもの選択が脳内でひしめき合い、悲しいかな、冷徹で合理的な思考が全てを無理だと斬り捨てる。

 愛火の治癒に全霊を賭しつつほぼ完全体たるルメリアの攻撃を防ぐ手当て。
 それが、無い。

「蓮花、ちゃん」

 愛火が、双剣を持つ蓮花の腕を弱々しく掴んで言った。

「私は、もう自分で治せる、から……あなた、だけでも」

「そんなありきたりなセリフ、言わないで。たった今、一つだけ方策が浮かんだから、あんたはここでじっと回復してて!」

 電流を流されたように反射的に立ち上がり、魔気の大量消耗と貧血による酷い立ち眩みを無理やり抑え、ルメリアが手のひらを、彼女が放たんとしている氷弾ごと双剣で斬り裂く。

「ぐ……っ」

 甲高い金属音と共に短い悲鳴を上げたのは蓮花の方だった。つい今しがた、愛火との魔気の供給を断ち、己の魔気のみで『霧纏衣』と『霧双凝結』を成しているのだから、それも当然だろう。

 その一方で、ルメリアは両断された手を無感動に見つめたと思えば、あっという間に氷を生成して手を元の姿に戻してしまった。

 そのあまりにも分が悪過ぎる状況に対して蓮花は歯噛みしつつ、だが瞳には確かな闘志を宿してルメリアの虚ろな瞳を射抜いて叫んだ。

「あんたを足止めするっ! それが、愛する人から託されたあたしの役割なんだっ!」

 まるで自分を鼓舞するかのように、蓮花は腹の奥底から叫んだ。息を荒く吐き、大量の汗を流しながら、倒れそうになる上体をなんとか堪えて中腰で双剣を構える少女。

 その剣も今や金色と水色の刃は明滅を始め、纏う霧の装束も少しずつ薄れている。

 風前の灯火。それが今の片喰蓮花という女を表すに相応しい言葉で。

(上等……ッ!)

 それを分かった上で、蓮花は闘志に満ち満ちた笑いを浮かべてルメリアに双剣を斬りつける。

 精一杯の薙ぎ。ルメリアはそれを易々と両手それぞれの人差し指と中指で挟んで止め、指先から切っ先へと瞬きよりも速い速度で『壊死』の凍結を遣わす。

「愚かで、無謀で、浅ましい」

「だけど、それも含めてあたしの生き様さっ!」

 即座に蓮花は双剣を手放し、後ろへ大きく跳躍する。同時に「アイリスッ!」と叫び、

「ほぅ?」

『霧双凝結』を霧散させ、残滓する霧を再び凝結し、大量の棘を量産した。

 水色と金色の二色の煌めきが幾多に輝き、それがルメリアの身体を串刺しにする。

 鈍い断絶音と金属音が響き渡り、蓮花は二、三歩ふらふらと後ろへ下がって両手で膝をつきながらその光景を見遣る。

「はぁ、はぁ……かは……っ!」

 視界が霞むと同時、盛大に吐血。しかし蓮花は口の端を伝う鮮血を手の甲で乱暴に拭うと、ふらつく足取りのまま指先で虚空をなぞり、
 
「戻って、アイリス」

 鋼鉄が渦を巻く形状に戻った愛剣を杖代わりにして地に突き、さらに次の行動に移る。
 
「斬り霧の——」

 ルメリアが再び態勢を立て直す前に、さらなる追い打ちをかけておきたい。そうした蓮花の願望を、狂人はいともたやすく打ち壊す。

「やはり……お前のチンケな霧ごときでは、ルメの想いが昇華された氷には勝てませんでしたね」

「あ、ああ、ああああ……っ」

 剣の柄を握り締めていた手が、炭のように黒ずんで消え去っていた。
 
 支えを失った蓮花は前に倒れ、地に手をついて顔を上げる。明滅を帯びた瞳に映るのは、桃色の唇を三日月の形に歪めながら黒氷で形成された巨大な鎌を掲げているルメリアの姿だった。

 気が付けば両手両脚もろとも、辺り一帯を覆っている黒い氷の侵食に、蓮花は言葉すらまともに発せず。 

 壊死の沼に沈んで自分の存在が消えてゆく瞬間を、ただ緩慢な時の中で待つのみで。

「……レイ、レイピ、ア……」

 か細く今にも消えそうな詠唱が、狂人の掲げていた氷槌を破砕した。
 しかし、迸る閃光は弱々しく、仰向けで倒れている愛火の手からはアイスピックが零れ落ち、表情もまた、蒼白で虚ろに近かった。

「悪足掻き、ご苦労です」

 愛火の方を見もしないでそう言ったルメリアは、もう片方の手にも同じかそれ以上に巨大な鎌を顕現させ、二つ同時に振り下ろさんと蓮花の前で構える。

「そして、お前も死ね」

 死神が、ほくそ笑む。

 やがて、命を刈り取る鎌を振り下ろす。

「ナ、ズ——」

 瞬間。

 視界が、黒く染まった。

「——『滅喰』ッ!!」

 ——続けて、紅い雷光が世界で瞬いた。
 
 蓮花はその光景を、呆然と見上げていた。

 竜の形をした赤黒い雷光が、頭上よりルメリアを喰らう。
 
「……っ!」

 ルメリアは瞬時に黒氷の傘を顕現し、落雷を回避した。

 その一方で、蓮花を侵食していた黒い破壊の呪いはもうどこにも無く、五体はきちんと戻っていた。
 でも、そんなこと、今はどうでもよくて。

「遅く、なった……。悪、い……」

 そう言って目の前でぶっ倒れた女を、蓮花は愛おしげに抱き締めた。

 倒れても尚黒い大剣は手放さず、汗で湿ったよれよれのブラウスを着た、乱れた藍髪を一本に結んだ女。
 蓮花の闘志を焚き付け、心に愛を注いでくれる相手。

「ナズ姉……っ!」

 蓮花は嗚咽混じりに愛しい女の名を呼び、ひときわ力強く抱き締める。
 そして、程なくして愛火もゆっくりと上体を起こして微笑を浮かべた。

「まったく、レディをこんなにも待たせるなんて」

 絶対的な危機を脱した安堵。
 それは勿論、永絆がなけなしの力を振り絞って発動してくれた『滅廻』による事実破壊の剣能で蓮花と愛火が瀕死の状態から回復できたこともあるが、

「永絆ちゃんがここに来たってことは、ようやく本命のご登場かしらねぇ」

 愛火は既に、それを察していた。永絆を抱き締めることに夢中だった蓮花も、流石にその変化を感じ取って思わず天を見上げた。

 ——どこまでも白く煌めく炎が、空間を埋め尽くしていたから。

「これって……」

 蓮花も見覚えのある、白い炎。すぐに、脳裏にはあの桃髪を靡かせた高慢な女のシルエットが浮かんだ。

「どう、して」

 ルメリアの声が、少し離れた位置から聞こえた。

「どうしてですか、ターチスお姉様っ! どうしてあなたはいつも、ルメのことを置いていこうとするのですかっ!!」

 瞬時に展開する、黒氷の世界。しかし、それは真っ白に燃え盛る巨大な火柱によって溶けて消え失せる。

「——あら、あらあらあら」

 応じた声主は。

「貴女は何か、勘違いしているのではなくて?」

 高飛車で、それでいて仄かな暖かさがこもった音色を灯していて。

「わたくしは、常に貴女を見守っているというのに」

 聖なる白焔をドレスのように纏い、天使が持つ様な翼を広げ、輪を冠していた。


 ——長い桃髪を靡かせた『純潔』の大剣霊、ターチス・ザミが降臨していた。
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