冥剣術士ナズナ

アオピーナ

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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』

EP:SWORD 033 人剣一体術式『霧纒衣』

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 ——ルメリアは、倒す必要は無い。

 蓮花は、学校で永絆が言っていたことを反芻しながら、ルメリアの氷弾を迎え撃つ。

 炭が染み込んだように黒い氷片の数々が、一つ一つに『壊死』という凶悪な術式を組み込まれた状態で蓮花を襲う。

「剣能発動……『斬り霧の舞』っ!」
 
 蚊取り線香のように渦を巻く細い鋼が、曲線に沿って淡い光を走らせ、やがて切っ先に辿り着く。
 それと同時、蓮花もまた踏み込んで来るルメリアの方へ駆けていく。

「きゃはっ! 自殺願望者ですかぁ? あなたは。勇ましく口上を切った割には、とんでもない腰抜けでしたねっ!」

「腰抜けなのは認めるよ……あたし一人じゃあ、数秒前のあんたと目を合わせた瞬間に過呼吸起こしてただろうからね!」

 濃密な霧が噴出すると共に、ルメリアが手のひらで顕現させたナイフ状の透き通った氷がアイリスの細い剣身と交錯する。

 甲高い金属音が鳴り響いた直後、空間を凍てつかせるような音が多数、間近に迫っていることを蓮花は瞬時に認め、

「一見すれば無理ゲーなこのピンチ……しかし、スーパーJKこと蓮花ちゃんには秘策があーる!!」

 早口で言い終えるや否や、蓮花は叫んだ。

「——奥義、『霧纏衣《きりまとい》』ッ!」

「……?」

 突然の蓮花の詠唱に、ルメリアが白銀の眉を顰めた瞬間。

 ——宙を漂っていた濃霧が、一気に蓮花を包み込んだ。

 砂鉄が磁石に吸い付くように、斬撃を孕む霧が少女を抱擁し、無数の氷弾は霧の壁に当たっては次々と霧散していく。

 ルメリアがアイリスに拮抗させていた氷片のナイフにも、同じ現象が起きていた。

「一体何が……」

 疑問を零したルメリアは一度、後方へ跳躍して蓮花に起こった変化を凝視する。

 そして、二人を阻む霧の壁が徐々に開き、蓮花の姿が露わになった。

「『人剣一体』って言うんでしょ? これ」

「な……っ」

 その名の通り、アイリスの発する霧が蓮花に密着していた。

 さながら、天使の羽衣。

 透明ながらも濃密な霧は巫女装束の如く麗しく靡き、腰の後ろあたりには水色の雷光が蝶々結びを描いている。

 そして、電流が走るように、霧の羽衣の至る所で金色の光が煌めく。

 蓮花は、この状態になって場違いな安堵を覚えていた。

(きっと、アイリスがあたしを守ってくれてるんだよね)

 亡き愛犬が、今度は魔剣ではなく鎧として蓮花を守ってくれる。心の奥底から沸き上がる、熱い衝動と柔らかな温もり。

 蓮花は自身の胸に手を当てて鼓動の高鳴りを感じ、改めてルメリアと対峙する。

「まさか、異世界の素人がここまで出来るなんて……」

「おっと? 突然の素直な賞賛どうしたのか——」

「——なんて言うわけ無いでしょうクソ女狐が」

 ルメリアが、視界から消えた。

「……っ!?」

「確かにこの短時間で『人剣一体』をモノにしたのは凄いことですが……」

 上空より降り注ぐ声。蓮花は時の流れが緩慢になってゆく錯覚を感じながら、意識を生状に向ける。
 
 そう、意識だけ。

 コンマ数秒後、ルメリアはほぼ確実に氷弾をもって蓮花を仕留めるだろう。

「無理してそれを使って、ようやくルメが生まれたばかりの頃と拮抗できるって感じですねっ!」

 案の定、蓮花の頭上で跳躍している大剣霊は、突き出した手のひらと背後に周囲を埋め尽くす程の黒塗りの氷弾を現出している。

「————」

 蓮花自身、いくら『人剣一体』の術式を用いたとて、それでルメリアと互角に渡り合えるなどと安易に考えてなどいない。

(くそ……っ)

 しかし状況の悪さに、心の中で思わず悪態をついて舌を打つ。

 頭上より降り注がんとしている、悪魔の弾丸の数々。秒針が一度や二度、前に進むか否かの空白。

 死を待つ、空白。

「では、まずは一人目……」

「……ったく、ホントやだやだ」

 そう漏らした蓮花が口元を緩めると同時、またはその寸前に、『壊死』を孕む氷弾は轟音と共に放たれた。

「……ッ!?」

 だが直後、ルメリアの無表情の中に宿っていた微笑が、突如として消えた。彼女には珍しい、『格下の人間相手に対する驚き』。

 それが今、死亡が確定した筈の蓮花の状態に向けられていた。

 一瞬。
 一瞬のうちに数多の氷弾は無数の『閃光』によって消し飛ばされ、蓮花はルメリアを見上げたまま、しかし意識は彼女ではなく別の何かに向けられているようで。

 ルメリアは着地すると、再び蓮花と距離を取って相対する。

「ホント、嫌だよねぇ、こういうの。何が悲しくて、自分の命を恋敵に託さなきゃならんのさね?」

 閃光によって吹き荒れた粉塵が、徐々に開けていく。思えば、あの閃光、ルメリアは心当たりがあった。
 ターチスから訳の分からないことを言われて混乱した直後、ルメリアの右眼ごと頭蓋を貫き、一度脳髄をぶちまけた刺突の襲撃だ。

 噴煙が、霧が、開けていく。そして、

「——あらぁ、それは私も同じなのだけれど? でも、私は楽しいわよぉ」

 霧の装束を纏う蓮花の斜め後ろに、紫紺のドレスを纏う麗らかな薄緑髪の姿があった。

 その手には、淡い光を発している刺突用の小型の『冥位魔剣』。

 ルメリアは、その剣の概要を即座に思い出し、脳内における記憶のデータベースと照合する。

「……『トロア・フラッシェ』。一突きで無数の刺突を繰り出す剣能を持つ魔剣……そうか。三人目の女狐。お前もまた、ルメの願望を阻害するんですね」

「少し違うわね、剣霊ちゃん」

 と、愛火は手の内のアイスピックをくるくると回して微笑みながら言う。

「私と蓮花ちゃんは、共に愛する人に信頼され、頼まれたからここに居る……ターチスちゃんを奪還するという彼女の願いの為に。その途中で貴女が勝手に出てきて私達の邪魔をしているだけ……だから、貴女が潔く交渉してくれれば、これ以上お互いに頑張らなくて済むのだけれどぉ」

「勝手な物言いですね、ゴミクズ共が。ルメはお姉様のものであり、お姉様もルメのもの。故に、どれだけターチスお姉様があの『冥剣』の女狐と親しくしていたとて、それはルメにとってはどうでも良いことです。お姉様は、このルメが責任を持って『オーディア』に連れて帰ります。今、ルメを突き動かしているのはその確固たる目的だけです」

 愛火と蓮花を射抜く夕焼け色の瞳には、ルメリアが言った目的を必ず遂げるという、確かな信念が宿っていた。

 それを、愛火は微笑を絶やさず、しかし柴色の瞳に鋭い光を宿して否定する。

「まるで子供の我儘ね。自分の都合ばかりで、相手の気持ちすらまともに考えてはいない」

 その発言にルメリアが眉をピクリと動かすと同時、蓮花も「その点については同意」と続ける。

「ターチスさんが本当に愛する人ならさ……あんた、その愛する人の言葉に、ちゃんと耳を傾けたの?」

 その言葉を聞いて、ルメリアは思った。この娘は不思議なことを言う。ルメリアがターチスの言葉に耳を傾けない筈が無い。ましてや、彼女が願う物事を、ルメリアが知らない訳が——、

「そう、それ」

 蓮花の人差し指が、ルメリアの顔を指していた。

「その表情。『他人が何を考えているのか分からない』っていう、そんな顔をしてる」

「…………は?」

「だからさ、あたしはこう言ってるんだよ」

 紅梅色の目を細め、蓮花は人差し指に力を込めて、獰猛な笑みを顔に刻んではっきりと言った。

「——お前の『愛』は本物じゃない。独りよがりで自分本位な、紛い物だ」

「————」

 ルメリアは、自分の耳を疑った。

 ルメリアの、ターチスに傾ける愛が本物ではなく、紛い物であると。同じ大剣霊どころか、魔剣術士としてもまともな土俵に立っていない小娘が、無責任にそう言ったのだ。

 ルメリアの全てを理解している訳でも無いのに、ルメリアの全てを否定したのだ。

 黒い氷が、辺りを覆う。

 硝子の破片を踏みつけるような音が、耳朶に響く。それは心の中の話なのか、外の話なのか。ルメリア本人にも、よく分からなかった。

 他者から放たれた言葉が、向けられた指が、ルメリアを根幹から瓦解させてゆく。 

「…………」

 手足が脱力し、上体を保っているのがやっとの状態にまでなって。

「…………」

 自分すら覆う黒い凍結が自分を壊し、すぐさま再生していく様を呆然と眺め、

「…………」

 周囲の音が消え、視界が一瞬、モノクロに染まった時。

「――壊す」

 ぼそりとそう呟いた直後から黒氷は猛々しく荒れ狂い、方々にでたらめな塊を形成して舞踊を始める。

 蓮花がその異変を認識した直後、既にルメリアは眼前まで迫っていた。

 朱の色にありったけの憤慨を込めて血走った眼が、蓮花を真っ向から捉えている。
 
「壊す」

「……っ!」
 
 霧の装束で黒氷のナイフを防ぎ、嵐の如く吹き荒れて次々と飛来する氷弾も、濃霧の無数の斬撃で何とか防いでいる。

「あらあらぁ、随分と怒らしちゃってぇ」

 若干呆れたようにそう漏らした愛火が、蓮花の斜め背後からルメリアにアイスピックの尖端を向け、剣能を放つ。

「『一突連——』」

「壊、す」

「あらぁ?」

 愛火の頭上に、巨大な黒氷の鎚を振りかざしているルメリアの姿があった。

 コンマ数秒かどうかを考えるのすら馬鹿らしい、人智を越えた速度。移動も、氷塊による武器の生成も、人間の認知を雄に越えており、

「アイリスッ!」

 その怪物と渡り合えるべく力を纏った蓮花もまた、常軌を逸した速さで氷の鉄槌と交錯する。
 両手に新たな二本の剣を持って。

「あんたが本当の愛を知らないっていうんなら、あたしが教えてやるよ」

 やがて、氷槌は水色や金色の結晶のようなものが飛び出たと同時に内部から爆ぜ上がり、キラキラと煌めく細かな氷片を降らせて霧散した。

「お前のそれ、また、進化したですか……っ!」

 空中。
 共に浮遊している蓮花が構えるそれを、ルメリアが睨みつけて忌々し気に吐いた。

 霧の装束と同じく、金色と水色に光る煌めき。それが霧状ではなく『結晶』として、薄くも硬い双剣となっていた。

「『霧双凝結』」

 再び新たな剣能名を呟き、二色二刀となった愛剣を構えて声高らかに宣言した。

「このあたしが教えてやるよ。本物の愛ってやつをッ!!」
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