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現界ノ章:SECTION1『初剣十二時間編』
EP:SOWRD 004 死を壊す
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五感の欠落、意識の喪失、魂の消失。
意識無くしてそれらを認めるほどに、無意識の海はとてつもなく広く深い。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
光が差さない不気味で濁った海を、魂はただただ下へ下へと落ちてゆく。
途端、光が無いというのに、大きな影が魂へと手を這わす。
まるで、さらなる海の底へとそれを引きずり込もうとしているかのように。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
影に抗うことなく、沈みゆく魂は底へと沈む。もはやそこに色は無く、無限に続く深淵が無感情に来訪を歓迎しているだけだった。
形を成さない中身。
器から漏れ出たそれは、とっくに生命としての役割を終えており、後はただひたすらに終焉へと近づいてゆくのみで。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼっ。
幕引きはいつも劇的とは限らず。それでいて、報い定められた運命が理由付けしてくれるわけでもない。
その時は。
なんの前触れもなく訪れ、積み上げてきた軌跡を、刻んできた足跡を、瞬く間に無へと返す。
やがて、その時は訪れる。
意味も、意図も、意思すら蚊帳の外であるまま。
──波月永絆は、初めての『死』を迎えたのだった。
*
女の笑い声が、血溜まりと一つの屍が鎮座する場で木霊する。
瞳が無理解に染まったまま絶命している女のものではなく、もっと幼く、それでいて無邪気な少女の笑い声。
「ああ、楽しい引きこもりの時間も一時中断か。あとちょこおっとだけ頑張ってくれれば、主である我が糧のことを少しだけ見直したというのに」
小鳥の囀りのようで、悪魔の独り言のようであるそれは、地に放られた黒塗りの大剣から聞こえる。
そして、その剣に変化が起る。
『剣能』発動時よりは微かに淡い赤黒き雷光。それが周囲に波紋し、ある存在の顕現を迎え入れる。
声音の主である、少女の存在を。
「棺桶としては些かロマンチズムに欠けるんだがな、これ。でもまあ、住めば都とも言うか。それがたとえ、何もかも滅ぼさずにはいられない駄々っ子だとしても」
まるで水面から引き揚げられるようにして、地上へと姿を晒す少女。
背まで伸びる艶やかな黒髪と、透明色の宝石に鮮血を垂らしたような紅の双眸は、さながら黒塗りの大剣の面影を思わせる。
普遍にして異端的。万人に埋もれるようで幾億もの美を淘汰しうる容貌。それは純白のワンピースドレスを纏うことで、より一層の神秘が際立つ。
「そしておはよう、日の目を見ることがないであろう下等剣種の魔獣諸君」
口ずさむようにして、それでいて悪気すら無く放たれた侮蔑。それを向けられたのは、少女と屍と化した女を囲む無数の『鬼』だ。
しかし鬼と言ってもそれは二本の角と形相の話で、首から下はさながら筋骨隆々な人の身体、下半身はといえば玩具のコマのように鋼鉄製の四本脚が高速で回転している。
それが、下駄箱から廊下、二階への階段まで、無数にひしめきつつ鬱陶しく回転してぶつかり合っているのだ。
「コマ鬼人……とか言っていたかな。二体居ればそれだけで騒音。こんなに集まればもはや耳がお亡くなりになられる。それはさておき──」
と、少女がなにやら指で虚空をなぞり始めた。鼻歌交じりの気まぐれな空描き。
――が、少女の頬が僅かに緩んだ途端、コマ鬼人共が掻き鳴らす騒音が一瞬にして止む。
理由は単純。それを遥かに上回る脅威に飲み込まれたから。
「数多の食材。ちまちま小分けにするより、一気に調理して食す方が幸福度高いものね」
下駄箱から廊下、二階への階段。とてもではないが広い方とは言える学校の出入口。そこから派生されるいくつもの通路、いくつかのスペース。
赤黒い雷光の大洪水は、それらを一挙に食い尽くした。
コマ型の魔獣たちは刹那にして消え失せ、まるで何事も無かったかのような静寂が素知らぬ顔で帰還する。
少女は「んっん~」と肢体を伸ばし、
「失われた剣力につき、等しき贄を。その『裏ルール』に則って、今回はこのぐらいとしておくか。なあ、我が贄」
そう言うと、少女は女の死体の横にしゃがみ込み、彼女の頬に両手を優しく添えて。
「さて、コンティニューの時間だ。我が飯」
そっと、口づけた。
柔らかな桃色の唇が、骸の冷たい無機質なそれに温度を通わせる。
微かに漏れ出る熱い吐息は、少女にとってこの行為と時間が甘美であることを示す。
同時に、黒塗りの魔剣は失った気力を取り戻したかのように轟々と唸り、女の口から溢れ出て溜まりを作っていた血は黒い煙へと姿を変え、彼女の体内へと逆流していく。
そして、長いようで短い接吻の時は、少女自ら終わりを告げ──、
「──『滅陽の短針』という剣名に因んで、よい時の終わりと始まりを」
少女もまた、何事も無かったかのように魔剣の中へと帰っていった。
小鳥の囀りのように残滓する雷光。
それは夢幻のひと時にもたらされる感慨を伴って、短い終わりを迎える。
*
魂が再び形を成し、遥か遠く、深くに追いやられていた意思と意識を掴み取って水面に顔を出す。
まるで、『死』が与えられたという事実が、最初から存在していなかったかのように。
波月永絆は意識を取り戻し、知らずして蘇生を成したのだった。
意識無くしてそれらを認めるほどに、無意識の海はとてつもなく広く深い。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
光が差さない不気味で濁った海を、魂はただただ下へ下へと落ちてゆく。
途端、光が無いというのに、大きな影が魂へと手を這わす。
まるで、さらなる海の底へとそれを引きずり込もうとしているかのように。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
影に抗うことなく、沈みゆく魂は底へと沈む。もはやそこに色は無く、無限に続く深淵が無感情に来訪を歓迎しているだけだった。
形を成さない中身。
器から漏れ出たそれは、とっくに生命としての役割を終えており、後はただひたすらに終焉へと近づいてゆくのみで。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼごぼ。
ごぼっ。
幕引きはいつも劇的とは限らず。それでいて、報い定められた運命が理由付けしてくれるわけでもない。
その時は。
なんの前触れもなく訪れ、積み上げてきた軌跡を、刻んできた足跡を、瞬く間に無へと返す。
やがて、その時は訪れる。
意味も、意図も、意思すら蚊帳の外であるまま。
──波月永絆は、初めての『死』を迎えたのだった。
*
女の笑い声が、血溜まりと一つの屍が鎮座する場で木霊する。
瞳が無理解に染まったまま絶命している女のものではなく、もっと幼く、それでいて無邪気な少女の笑い声。
「ああ、楽しい引きこもりの時間も一時中断か。あとちょこおっとだけ頑張ってくれれば、主である我が糧のことを少しだけ見直したというのに」
小鳥の囀りのようで、悪魔の独り言のようであるそれは、地に放られた黒塗りの大剣から聞こえる。
そして、その剣に変化が起る。
『剣能』発動時よりは微かに淡い赤黒き雷光。それが周囲に波紋し、ある存在の顕現を迎え入れる。
声音の主である、少女の存在を。
「棺桶としては些かロマンチズムに欠けるんだがな、これ。でもまあ、住めば都とも言うか。それがたとえ、何もかも滅ぼさずにはいられない駄々っ子だとしても」
まるで水面から引き揚げられるようにして、地上へと姿を晒す少女。
背まで伸びる艶やかな黒髪と、透明色の宝石に鮮血を垂らしたような紅の双眸は、さながら黒塗りの大剣の面影を思わせる。
普遍にして異端的。万人に埋もれるようで幾億もの美を淘汰しうる容貌。それは純白のワンピースドレスを纏うことで、より一層の神秘が際立つ。
「そしておはよう、日の目を見ることがないであろう下等剣種の魔獣諸君」
口ずさむようにして、それでいて悪気すら無く放たれた侮蔑。それを向けられたのは、少女と屍と化した女を囲む無数の『鬼』だ。
しかし鬼と言ってもそれは二本の角と形相の話で、首から下はさながら筋骨隆々な人の身体、下半身はといえば玩具のコマのように鋼鉄製の四本脚が高速で回転している。
それが、下駄箱から廊下、二階への階段まで、無数にひしめきつつ鬱陶しく回転してぶつかり合っているのだ。
「コマ鬼人……とか言っていたかな。二体居ればそれだけで騒音。こんなに集まればもはや耳がお亡くなりになられる。それはさておき──」
と、少女がなにやら指で虚空をなぞり始めた。鼻歌交じりの気まぐれな空描き。
――が、少女の頬が僅かに緩んだ途端、コマ鬼人共が掻き鳴らす騒音が一瞬にして止む。
理由は単純。それを遥かに上回る脅威に飲み込まれたから。
「数多の食材。ちまちま小分けにするより、一気に調理して食す方が幸福度高いものね」
下駄箱から廊下、二階への階段。とてもではないが広い方とは言える学校の出入口。そこから派生されるいくつもの通路、いくつかのスペース。
赤黒い雷光の大洪水は、それらを一挙に食い尽くした。
コマ型の魔獣たちは刹那にして消え失せ、まるで何事も無かったかのような静寂が素知らぬ顔で帰還する。
少女は「んっん~」と肢体を伸ばし、
「失われた剣力につき、等しき贄を。その『裏ルール』に則って、今回はこのぐらいとしておくか。なあ、我が贄」
そう言うと、少女は女の死体の横にしゃがみ込み、彼女の頬に両手を優しく添えて。
「さて、コンティニューの時間だ。我が飯」
そっと、口づけた。
柔らかな桃色の唇が、骸の冷たい無機質なそれに温度を通わせる。
微かに漏れ出る熱い吐息は、少女にとってこの行為と時間が甘美であることを示す。
同時に、黒塗りの魔剣は失った気力を取り戻したかのように轟々と唸り、女の口から溢れ出て溜まりを作っていた血は黒い煙へと姿を変え、彼女の体内へと逆流していく。
そして、長いようで短い接吻の時は、少女自ら終わりを告げ──、
「──『滅陽の短針』という剣名に因んで、よい時の終わりと始まりを」
少女もまた、何事も無かったかのように魔剣の中へと帰っていった。
小鳥の囀りのように残滓する雷光。
それは夢幻のひと時にもたらされる感慨を伴って、短い終わりを迎える。
*
魂が再び形を成し、遥か遠く、深くに追いやられていた意思と意識を掴み取って水面に顔を出す。
まるで、『死』が与えられたという事実が、最初から存在していなかったかのように。
波月永絆は意識を取り戻し、知らずして蘇生を成したのだった。
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