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客死

0.40 つれずれ、連綿たる光景

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「さっきも言った通りだけど」

 結姫ちゃんが、ベッドサイドのチェストの上にあったバインダーに手を伸ばして言った。

「結論、一也君は一命を取り留めた。あとは、彼の生命力次第。気を失った直接的な原因は、一也君が付けていた端末の動画記録の通り、障害物が左側頭部にぶつかった軽い脳震盪でしょう。でも、今も目が覚めない根本的な原因は、丹電子障害による神経汚染だと思う。両脚が酷くただれていたから、おそらく足元の傷からか、何かの衝撃で“丹”が全身に回ってしまったんだと推測できる。だから、丹電子障害一歩手前……だったはず、なんだけど」

「だったはず?」

 俺が首をかしげると、結姫ちゃんは眉間にしわを寄せて、うん、と唸った。

「……琉央から報告を受けて、第一研究室の回収部隊の精鋭が一也君を回収して真っ先にここに運んできた。その時覚悟してたの。一也君が……手遅れになってるんじゃないかって。でも、防具を付けた私の目の前に現れた一也君は、まるっきりだった。

 そして、驚くことに体内の “丹” の量を測定する検出器を通しても、少量の反応しか検出されなかった。つまりね。神経系の丹電子障害の症状がはっきりと現れているのに、原因物質の “丹” が、一也君の体内からほとんど消えていた」

「……そんな事あんの?」

 俺は思わず首を捻った。“丹” の体内における増殖スピードは尋常じゃない。たとえ、丹に対して比較的耐性のある黒の遺伝子を持っているとしても。あれだけ大きな丹化形態を目前にしてもっとひどい状態になっていても不思議じゃない。

 しかも、噂によれば体当たりなんかしたらしい。相棒のシュンちゃんと似てほしくないところばっかり似てくるみたいだ。

「確かに、ほんのわずか、微量の丹であれば、一般的なウィルスや放射線に対するそれのように、自己免疫・代謝機能によって人体に目立った影響があらわれないことが確認されている。
 けれど、ありえないの。あんなに大量の丹に曝さらされて、しかも症状もはっきりと顕れているのに。丹の体内増殖を押さえ込んで、あまつさえ体内から消えているなんて」

 俺は思わず一也の顔を覗き込む。なんだか、一也が一也であるか、一瞬不安になったから。でも俺の視界に映った一也は、俺の知っている “暁星一也” に他ならなかった。傷だらけではあったけど、少し幼くて、でも目鼻立ちがしっかりした、いつもと同じ、可愛い後輩だった。

「それでもね」

 結姫ちゃんが言った。

「やっぱり危ない状態だった。少量と言ったって、米粒大の丹でさえ、不意に同調してしまったり、体内に取り込んでしまえば命に関わる量なんだから」

「そうだね」

 俺も頷く。

「 “赤い遺伝子を持つ人間” 、つまり、あなたや委員長は、“黒の遺伝子を持つ人間” 、琉央、一也君がいる限り、丹電子障害になりかけた状況であっても助かる可能性は十分ある。極めて乱暴な言い方をすれば」

「黒い遺伝子を持つ人が、聲で呼び戻してくれるから?」

「そう。あなたが “亜種” にやっつけられそうになった時の琉央みたいにね」

 結姫ちゃんの眼光が痛い。

「ごめんて」と、思わず俺は呟いた。

「でも、黒の遺伝子を持つ一也君を “呼び戻す” 場合。進行の進んでしまった状態で、あなたや委員長が呼び戻そうとしても逆効果になる」

「逆に道連れになるからね」

「そう。でも、頼りになるはずの、黒の遺伝子を持つ別の委員である琉央との共鳴率は【0.10】。数値が低くすぎて、もう琉央でも為す術がなかった」

「だからね、これを使ったの」

 そう言って、結姫ちゃんが一也に繋がった点滴バックを指差した。

「黒の遺伝子を持つ人間の……東雲零樹の血から作った血清。丹電子障害の治療に効果がある、唯一の物質」

「……そんなの、あったんだね」

「一つだけ、奇跡的に。生憎、一也君の血から作った血清はまだ制作途中だったから」

 結姫ちゃんは言って、一也の額に手を伸ばした。そして、ゆっくりと撫でる。

「琉央の血から作った血清も、血液型が合わなくて使い物にならなかった。本当に、あの人の血清があってよかった」

「俺達の血からでも血清作れればいいんだけどね~」

 俺が言うと、結姫ちゃんは小さく溜め息を吐いて「そうね」と言った。

「でも、“赤い遺伝子”の血は、血弾けつだんに使用することはできても、血清に使うことはできない。赤は丹との同調に、黒は丹からの離脱に特化している遺伝子だから」

「まぁ、知ってるけど~」

 口を尖らせた俺に、結姫ちゃんが、ふふっ、と笑う。

「気持ちはわかる。でも、その “血弾” だって重要な存在でしょ? あなた達の戦闘の “キーアイテム” 」

「でもさぁ、バンバン使いまくるシュンちゃんと違って、俺は一度も使ったことないから。俺の場合 “キーアイテム” どころか “お守り” 状態だよ」

「ふふふ、そうだったね」

 戯けた俺に、結姫ちゃんは笑って、一也からそっと離れた。そして俺の方を向いて「そう言えば」と、一言呟いた。

「例の諜報活動は順調? ちなみに、こっちは何も収穫なし」

「こっちだってなぁんもないよ」

「やっぱり、そうなんだね」

「やっぱり?」

「委員長から報告がなかったから、そうじゃないかとは思ってた」

 結姫ちゃんが言って溜め息を吐きながら下を向く。

「琉央くんと睦のおっさんの方で動きがあればいいんだけどね」

 そう俺が言うと、結姫ちゃんは「そうね……」と静かに呟いて、自分の腕をさすった。

「……人の思惑や心情は目に見えないし、予測できない。でも、物理現象は嘘をつかないから。やっぱり、そういったモノの方が、早く決着が着くよね」

 結姫ちゃんの言葉は、なぜか寂しそうだった。

「そういうもんかな」

 俺は呟いた。肯定でも否定でもない、適当な返事だった。

 結姫ちゃんの言葉が、どういった寂しさを内包した言葉なのかはわからなかった。でも、結姫ちゃんの言う “目に見えない” ものについて、俺は少し思うところがあった。だからと言って、結姫ちゃんが発した言葉について否定することはできなかったけれど。

「そうだよ」結姫ちゃんは言って、小さく息を吐く。

「……なんだか、怖いな」

「カズが死んじゃいそうで?」

 結姫ちゃんの言葉に、俺が少しにやけて尋ねると、結姫ちゃんは少し戸惑いながら首を横に振った。

「違う。もちろん、それも、あるっちゃあるけど……」

「うん?」

「なにか。得体の知れないことが動き出しているように思う。内通者、敵対勢力という、言語化できるような存在を超えた。何か。超越したものが」

「……らしくないこと言うね」

 俺が笑うと、結姫ちゃんも笑って「そうでしょ?」と言った。

「一也君がこの組織に来たこと。それ自体、何か意味があるような気がしてるの」

「カズが、零樹さんに似てるから?」

 俺の問いに、結姫ちゃんはまた首を横に振る。

「わからない。確かに、一也君に会った時、あまりにも似ていて、態度に出さないようにするのが大変だった。でも……それだけじゃない。それが“きっかけ”になって、何か動き出している。そんな予感を感じる」

「物理現象を超えて?」

 俺が尋ねると、結姫ちゃんは「そう」と一言呟いて立ち上がった。

 そして、眉間にしわを寄せた。

「わからない。だから、怖いのよ」
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