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客死
0.40 みちがえた世界が広がる
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「一命は取り留めたよ」
結姫ちゃんのその言葉に、俺は一人、大きなため息を吐いた。
研究室の奥にある委員専用の病室。人払いのために倉庫に囲まれて監視が行き届いたここは、やっぱり、ひどく寒かった。それに、目の前でいろんな管を付けられて眠っている一也は傷だらけで。とても痛々しくて、涙が出そうになった。
琉央くんとシュンちゃんは隣にいない。一也がここに運び込まれて、朝を迎えたついさっき。二人は一也の大怪我をお上に悟らせないように、琉央くんは研究室へ、シュンちゃんは本部の執務室に出掛けていった。
何事もなかったかのように誤魔化すの、大変だろうな。
特に、シュンちゃんは ————
「一也君の容態について、まだ誰にも説明できてないんだけど、魁君に伝えて大丈夫?」
術衣の上に白衣を羽織った結姫ちゃんが言って、俺に椅子を勧めてくれた。
なんだか、昔を思い出す。俺がまだここに来たばかりで、病室に入り浸っていた頃。こうやって、時間があればいつも結姫ちゃんが相手をしてくれた。琉央くんが来るのを待ちながら。
「俺が聞いて報告する。二人とも夜まで帰って来ないと思うから」
俺が座りながら言うと、結姫ちゃんは「そう」と一言呟いて、一つ大きなため息を吐いた。
「一也君のこと、上には報告しないよね?」
「うん。しないと思うよ」
俺は言った。
「俺達の動向握られたら何されるかわかんないし」
「そう」
俯いて、どこかぼっとした様子で答える結姫ちゃんに、俺は「どうして?」と首を傾げる。
「どうして?」
俺の言葉に意外そうな顔をした結姫ちゃんが、俺と同じように首を傾げてこちらを見た。
「どうして、上に報告するか否か、確認するの?」
誰が敵か分からないこの状況で、と、皆までは言わなかった。けれど、それを察した結姫ちゃんは、納得したように深く頷いて、自分の頬に手を当てて深くため息を吐いた。
「ごめんなさい」
ぽろっと、溢れるように結姫ちゃんが呟いた。
「えへへ、どうして謝るの?」
「軽率なことを言ったから。少し考えたらわかることを。あぁ……やっぱりダメだな。私ったら」
「なになに? どうしたの? らしくないじゃん」
俺が戯けると、結姫ちゃんは今にも泣きそうな顔で俯いて、小さく息を吸った。
「一也君が、」と、詰まった声が聞こえた。
「……死んだかと思ったの。だから、動揺して……。東雲零樹の時を、思い出して」
東雲零樹の時。東雲零樹が死んだ時の様子を、俺は誰からも|(噂としてでさえ)聞いたことはなかった。
けれど、一度だけ。いつぞや、シュンちゃんが大怪我をして帰ってきた時。琉央くんから、そのことを、まるで大昔の伝承めいた雰囲気で聞いたことがあった。
『きっと僕が殺したことになるんだろうね』
『あれは人じゃなかった』
琉央くんのその言葉で理解したのは、おそらく、東雲零樹は “丹電子障害” となって、琉央くんに殺された、という事実だった。
この憶測以上の事は、馬鹿な俺には読み取る事はできなかった。でも、この解釈はおそらく正解だと思う。琉央くんは、それ以上は詳しく教えてくれなかった。だから、その事実を誰にも改めて確認したことはないし、聞こうとも思えなかったけれど。
それでも、その東雲零樹の死が、いろんな人の心に深い傷を残しているのだけは、その時の俺でも簡単に想像がついた。
「委員長、あんなに動揺して……」
結姫ちゃんが呟く。
「零樹さんの時と、おんなじように?」
俺が聞くと、そう、と結姫ちゃんが頷いた。
「……だから、とても不安になったし……今も、その動揺から抜け出せない。あなた達。今にもみんな、死んじゃうんじゃないかって」
今にも泣き出しそうな結姫ちゃんの声とは裏腹に、俺は思わず、あはっ、と笑った。確かに、自覚はある。ただでさえ、俺もこの間、正にこの場所で、結姫先生にお世話になったばかりなんだから。
「俺達のこと、信用できなくなっちゃった?」
俺が尋ねると、結姫ちゃんは首を横に振った。
「あなた達を信用しているか否かというより。きっと無意識に、何かに縋りたくなったの。そういう、無意味な質問をして。その返答に、拠り所を探したのかも」
「そっか」
「……いつも心配なんだから」
怒った様な口調で言った結姫ちゃんは、きっと、泣くのを我慢していたんだと思う。何を言っているのか、頭の悪い俺には(そっか、と相槌を打ったくせに)ちょっとわからなかったし、結姫ちゃんの握られた拳が震えているのも見えていた。
いつも冷静で、俺達を誰よりも知っている結姫先生らしくないな、と。頭の端で思った。
「深夜無制限の残業でも、スパイ活動でも、細胞の提供だって。私のできることなら、なんでもする。覚悟がある。でもね、でも…………」
言葉を詰まらせた結姫ちゃんは、真剣な顔で俺を見た。
「あなた達が死んじゃったら、元も子もないんだから」
その顔が、俺にとって初めて見る結姫ちゃんの顔で、俺は、少し動揺した。琉央くんがよく使う難しい単語で言えば『扇情的』という言葉に、きっとこの気持ちは定義されるのかもしれない。
それでも。俺が思い出したのはそんな難しいモノじゃなくて。昔、高校生の時。半年間だけ付き合っていた、俺の人生における唯一の彼女が、別れる時に最後に見せた顔。いつも大人しかったその子の、悲しそうで、それでも凛として、けれど怒っているような。全て許してくれた、その先の、ひどく落胆した。濡れた表情だった。
「…………ごめんね……結姫ちゃん」
思わず。その、彼女に謝ったあの時のような気持ちになって、俺は普段のペルソナが剥がれたみたいな、情けない声で結姫ちゃんに謝った。
けれど。女の子って、こう言う時、一瞬にして立ち直るから、本当にすごいと思う。とはいえ、俺の人生における検証ソースが少ないけれど。
俺が謝ってすぐ、結姫ちゃんは下を向いて小さく弱々しい溜め息を吐いた。でも、次の瞬間にはあっという間にいつもの顔に戻っていた。
「委員長にも、よくよく言っておいて」
いつものキリッとした表情で結姫ちゃんが言う。
そんなんだから、俺はあっけにとられて「おっけぇ」と間延びした返事をすることしかできなかったのだった。
結姫ちゃんのその言葉に、俺は一人、大きなため息を吐いた。
研究室の奥にある委員専用の病室。人払いのために倉庫に囲まれて監視が行き届いたここは、やっぱり、ひどく寒かった。それに、目の前でいろんな管を付けられて眠っている一也は傷だらけで。とても痛々しくて、涙が出そうになった。
琉央くんとシュンちゃんは隣にいない。一也がここに運び込まれて、朝を迎えたついさっき。二人は一也の大怪我をお上に悟らせないように、琉央くんは研究室へ、シュンちゃんは本部の執務室に出掛けていった。
何事もなかったかのように誤魔化すの、大変だろうな。
特に、シュンちゃんは ————
「一也君の容態について、まだ誰にも説明できてないんだけど、魁君に伝えて大丈夫?」
術衣の上に白衣を羽織った結姫ちゃんが言って、俺に椅子を勧めてくれた。
なんだか、昔を思い出す。俺がまだここに来たばかりで、病室に入り浸っていた頃。こうやって、時間があればいつも結姫ちゃんが相手をしてくれた。琉央くんが来るのを待ちながら。
「俺が聞いて報告する。二人とも夜まで帰って来ないと思うから」
俺が座りながら言うと、結姫ちゃんは「そう」と一言呟いて、一つ大きなため息を吐いた。
「一也君のこと、上には報告しないよね?」
「うん。しないと思うよ」
俺は言った。
「俺達の動向握られたら何されるかわかんないし」
「そう」
俯いて、どこかぼっとした様子で答える結姫ちゃんに、俺は「どうして?」と首を傾げる。
「どうして?」
俺の言葉に意外そうな顔をした結姫ちゃんが、俺と同じように首を傾げてこちらを見た。
「どうして、上に報告するか否か、確認するの?」
誰が敵か分からないこの状況で、と、皆までは言わなかった。けれど、それを察した結姫ちゃんは、納得したように深く頷いて、自分の頬に手を当てて深くため息を吐いた。
「ごめんなさい」
ぽろっと、溢れるように結姫ちゃんが呟いた。
「えへへ、どうして謝るの?」
「軽率なことを言ったから。少し考えたらわかることを。あぁ……やっぱりダメだな。私ったら」
「なになに? どうしたの? らしくないじゃん」
俺が戯けると、結姫ちゃんは今にも泣きそうな顔で俯いて、小さく息を吸った。
「一也君が、」と、詰まった声が聞こえた。
「……死んだかと思ったの。だから、動揺して……。東雲零樹の時を、思い出して」
東雲零樹の時。東雲零樹が死んだ時の様子を、俺は誰からも|(噂としてでさえ)聞いたことはなかった。
けれど、一度だけ。いつぞや、シュンちゃんが大怪我をして帰ってきた時。琉央くんから、そのことを、まるで大昔の伝承めいた雰囲気で聞いたことがあった。
『きっと僕が殺したことになるんだろうね』
『あれは人じゃなかった』
琉央くんのその言葉で理解したのは、おそらく、東雲零樹は “丹電子障害” となって、琉央くんに殺された、という事実だった。
この憶測以上の事は、馬鹿な俺には読み取る事はできなかった。でも、この解釈はおそらく正解だと思う。琉央くんは、それ以上は詳しく教えてくれなかった。だから、その事実を誰にも改めて確認したことはないし、聞こうとも思えなかったけれど。
それでも、その東雲零樹の死が、いろんな人の心に深い傷を残しているのだけは、その時の俺でも簡単に想像がついた。
「委員長、あんなに動揺して……」
結姫ちゃんが呟く。
「零樹さんの時と、おんなじように?」
俺が聞くと、そう、と結姫ちゃんが頷いた。
「……だから、とても不安になったし……今も、その動揺から抜け出せない。あなた達。今にもみんな、死んじゃうんじゃないかって」
今にも泣き出しそうな結姫ちゃんの声とは裏腹に、俺は思わず、あはっ、と笑った。確かに、自覚はある。ただでさえ、俺もこの間、正にこの場所で、結姫先生にお世話になったばかりなんだから。
「俺達のこと、信用できなくなっちゃった?」
俺が尋ねると、結姫ちゃんは首を横に振った。
「あなた達を信用しているか否かというより。きっと無意識に、何かに縋りたくなったの。そういう、無意味な質問をして。その返答に、拠り所を探したのかも」
「そっか」
「……いつも心配なんだから」
怒った様な口調で言った結姫ちゃんは、きっと、泣くのを我慢していたんだと思う。何を言っているのか、頭の悪い俺には(そっか、と相槌を打ったくせに)ちょっとわからなかったし、結姫ちゃんの握られた拳が震えているのも見えていた。
いつも冷静で、俺達を誰よりも知っている結姫先生らしくないな、と。頭の端で思った。
「深夜無制限の残業でも、スパイ活動でも、細胞の提供だって。私のできることなら、なんでもする。覚悟がある。でもね、でも…………」
言葉を詰まらせた結姫ちゃんは、真剣な顔で俺を見た。
「あなた達が死んじゃったら、元も子もないんだから」
その顔が、俺にとって初めて見る結姫ちゃんの顔で、俺は、少し動揺した。琉央くんがよく使う難しい単語で言えば『扇情的』という言葉に、きっとこの気持ちは定義されるのかもしれない。
それでも。俺が思い出したのはそんな難しいモノじゃなくて。昔、高校生の時。半年間だけ付き合っていた、俺の人生における唯一の彼女が、別れる時に最後に見せた顔。いつも大人しかったその子の、悲しそうで、それでも凛として、けれど怒っているような。全て許してくれた、その先の、ひどく落胆した。濡れた表情だった。
「…………ごめんね……結姫ちゃん」
思わず。その、彼女に謝ったあの時のような気持ちになって、俺は普段のペルソナが剥がれたみたいな、情けない声で結姫ちゃんに謝った。
けれど。女の子って、こう言う時、一瞬にして立ち直るから、本当にすごいと思う。とはいえ、俺の人生における検証ソースが少ないけれど。
俺が謝ってすぐ、結姫ちゃんは下を向いて小さく弱々しい溜め息を吐いた。でも、次の瞬間にはあっという間にいつもの顔に戻っていた。
「委員長にも、よくよく言っておいて」
いつものキリッとした表情で結姫ちゃんが言う。
そんなんだから、俺はあっけにとられて「おっけぇ」と間延びした返事をすることしかできなかったのだった。
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