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0.00 呼ぶ聲がする
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意識を目の前の死体に集中する。
聴こえる。途端。引きずり込まれる。
こっちへ来いと言わんばかりに。丹が僕を喚び叫んでいる。
「お前もこちら側に堕ちて来い」と。
“丹” と “同調” する力。それが僕の持つ能力だ。
僕たちは “丹” と “同調” して、自ら一時的に “丹電子障害” となる。すなわち “丹” に感染して一体化する。そうして、内部から “丹” を破壊し、もう一度人間に戻ってくる。
“同調” から離脱できない時、それは僕の死を意味している。
けれど、僕が死んでも誰も感知することはできない。
『丹電子障害』はこの時代に存在しない病であり、この僕も書面上ですでに死亡しているからだ。
聴こえる。丹の聲こえが。
この喚び掛けに応えることで、僕も丹と一体化できる。
やり方は簡単だ。意識を丹に委ねればいい。まるで眠りにつくように、快感に体を埋めるように、僕の体の主導権をそっくり渡すように。
そこに能動的な何かなど必要ない。待っているのは、圧倒的な快楽と快感。苦痛の一切ない世界だ。
あぁ。毎回思う。
丹の喚び掛けに負けてしまえたら、きっと多幸感を感じながら僕はこの世から消えることができるのに。
丹の喚ぶ声はいつも甘く切ない。蠱惑的だ。
こっちへ来いと、僕を強烈に惹きつける。
とてつもない背徳感が快感となって僕に押し寄せる。
ダメだと言われた場所に入り込んだ時のように。目の前の最愛の人の誘いに乗るように。林檎をかじった人のように。
胸が苦しい。これは引力だ。焦燥感。期待にも似ている。おそらくそう感じる。
それでも、僕に与えられた責務から逃げる訳にはいかない。
僕は首に掛けていた音叉を取り出して、膝に叩きつけて柄を咥える。頭に音が響いて、自分が自分であることを思い出す。
心臓がドクドクと脈打ち始める。まるで病的に。死を間近に感じさせる。
それでも、音叉の澄んだ音が僕を体に引き止める。
丹電子障害となって死んでいった人たちのことを思い出させる。
羨ましさと、使命感が僕を引き裂こうとする。
息を深く吸う。太腿に手を伸ばして、ホルスターに入れていたナイフの柄を持った。
聴こえる丹の聲をつなぎとめる。
おいで、と聴こえるから。僕も『おいで』と囁いてあげる。そうやって、僕は心を許してあげる。
“同調” する。
僕も丹の一部になる。意識の端が溶けて、どこが境目かわからない。
そうやって。一緒にいてあげる。そっと丹の意識に寄り添って。
そうして僕が、殺してあげる。
目を見開く。
一気に意識が覚醒する。現実に引き戻されて、すべての感覚が手元に帰ってくる。
ナイフを構えた。
狙いを定めて腕を大きく振りかぶった。
———————— トスッ
鈍い音がして死体に刃が突き刺さる。
瞬間。
死体がビクッと動いて小さく痙攣し始める。小刻みに、けれど徐々に激しくなる振動と共に、ナイフを刺したところから、丹が無色に変わっていく。
そして。聲が僕の意識を追いかけてくる。
意識が引き摺り下ろされる。叫び聲が僕を突き刺す。
僕はまた音叉を叩いて柄を咥える。
ひどく悲しい感情を感じる。あまりにも痛い。
けれど、僕はその聲を無視する。
例えるなら。肉親、最愛の人を亡くしたかのような。体を引き裂かれる瞬間に考えることのような。恨みや悲しみや生まれてきたことに対する疑問を混ぜ込んだ感情が、僕の中に流れこもうとする。
それを、街の喧騒をイヤフォンで塞ぐように、音叉の音で掻き消す。
そのまま。しばらく。無視しているうちにどんどん遠くなってくる。
死んでいく生き物のように、どんどん力が弱くなって。最後にはプツンと焼け落ちる。
死体の振動で揺れていた水面が、凪いでいくのと同時に、僕の意識も落ち着いてくる。
終わった。
また一つ。
僕はゆっくり立ち上がる。そして貯水槽の中にいる遺体を少し眺めてから、深く息を吐いた。
通信機のスイッチを入れる。
「こちらNo.3。任務終了。標的A-0670殲滅。異常なし。オールクリア。どうぞ」
『こちら司令室。お疲れ様です、少佐。処理班を派遣します。帰還してください。以上』
「了解」
僕はまた一つ息を吐いて、通信機のスイッチを切る。眉間に皺が寄っていたことに気付いて、顔の筋肉を緩めながらコートの裾を払った。悪い癖だ。人の声を聞いて、やっと安心して夢から覚めたことを実感できる。
もう一度、貯水槽の中を覗いた。遺体は、もうただの死体に戻っていた。
濁った水に浅黒い遺体が静かに浮いている。背中は爛ただれて茶色く変色している。貯水槽の中も赤さは消え、カビや苔で黒く汚れた壁面がそこにあるのみだった。
「かわいそうに」
呟いて、僕は奥歯を少し噛む。
丹に感染し、丹電子障害となった人間は、あの快楽に呑まれてそのまま死んでゆく。自分が死んだことにさえ気が付かない。
それでもその死んだ人間の周りには、本人を心配し探し続ける人々の存在がある。
今回はまだ歩く屍でないだけマシかもしれない。彼らを殲滅するのは、いつも心が引き裂かれそうになる。生きているように見えても、死んでいる。殺すことでしか救うことができない。
たとえ、本人に “意識” があったとしても。
どんなに任務の回数を重ねても、慣れることはない。
でも、感傷に浸っている暇はない。丹を殲滅し続けることが僕の任務だ。存在をひた隠しにし、人々の生活を守ることこそ、僕の存在理由だ。
そう。だって僕は。
国家機密組織、丹電子警衛委員会。
都市伝説名『黎明の鴉』なのだから。
聴こえる。途端。引きずり込まれる。
こっちへ来いと言わんばかりに。丹が僕を喚び叫んでいる。
「お前もこちら側に堕ちて来い」と。
“丹” と “同調” する力。それが僕の持つ能力だ。
僕たちは “丹” と “同調” して、自ら一時的に “丹電子障害” となる。すなわち “丹” に感染して一体化する。そうして、内部から “丹” を破壊し、もう一度人間に戻ってくる。
“同調” から離脱できない時、それは僕の死を意味している。
けれど、僕が死んでも誰も感知することはできない。
『丹電子障害』はこの時代に存在しない病であり、この僕も書面上ですでに死亡しているからだ。
聴こえる。丹の聲こえが。
この喚び掛けに応えることで、僕も丹と一体化できる。
やり方は簡単だ。意識を丹に委ねればいい。まるで眠りにつくように、快感に体を埋めるように、僕の体の主導権をそっくり渡すように。
そこに能動的な何かなど必要ない。待っているのは、圧倒的な快楽と快感。苦痛の一切ない世界だ。
あぁ。毎回思う。
丹の喚び掛けに負けてしまえたら、きっと多幸感を感じながら僕はこの世から消えることができるのに。
丹の喚ぶ声はいつも甘く切ない。蠱惑的だ。
こっちへ来いと、僕を強烈に惹きつける。
とてつもない背徳感が快感となって僕に押し寄せる。
ダメだと言われた場所に入り込んだ時のように。目の前の最愛の人の誘いに乗るように。林檎をかじった人のように。
胸が苦しい。これは引力だ。焦燥感。期待にも似ている。おそらくそう感じる。
それでも、僕に与えられた責務から逃げる訳にはいかない。
僕は首に掛けていた音叉を取り出して、膝に叩きつけて柄を咥える。頭に音が響いて、自分が自分であることを思い出す。
心臓がドクドクと脈打ち始める。まるで病的に。死を間近に感じさせる。
それでも、音叉の澄んだ音が僕を体に引き止める。
丹電子障害となって死んでいった人たちのことを思い出させる。
羨ましさと、使命感が僕を引き裂こうとする。
息を深く吸う。太腿に手を伸ばして、ホルスターに入れていたナイフの柄を持った。
聴こえる丹の聲をつなぎとめる。
おいで、と聴こえるから。僕も『おいで』と囁いてあげる。そうやって、僕は心を許してあげる。
“同調” する。
僕も丹の一部になる。意識の端が溶けて、どこが境目かわからない。
そうやって。一緒にいてあげる。そっと丹の意識に寄り添って。
そうして僕が、殺してあげる。
目を見開く。
一気に意識が覚醒する。現実に引き戻されて、すべての感覚が手元に帰ってくる。
ナイフを構えた。
狙いを定めて腕を大きく振りかぶった。
———————— トスッ
鈍い音がして死体に刃が突き刺さる。
瞬間。
死体がビクッと動いて小さく痙攣し始める。小刻みに、けれど徐々に激しくなる振動と共に、ナイフを刺したところから、丹が無色に変わっていく。
そして。聲が僕の意識を追いかけてくる。
意識が引き摺り下ろされる。叫び聲が僕を突き刺す。
僕はまた音叉を叩いて柄を咥える。
ひどく悲しい感情を感じる。あまりにも痛い。
けれど、僕はその聲を無視する。
例えるなら。肉親、最愛の人を亡くしたかのような。体を引き裂かれる瞬間に考えることのような。恨みや悲しみや生まれてきたことに対する疑問を混ぜ込んだ感情が、僕の中に流れこもうとする。
それを、街の喧騒をイヤフォンで塞ぐように、音叉の音で掻き消す。
そのまま。しばらく。無視しているうちにどんどん遠くなってくる。
死んでいく生き物のように、どんどん力が弱くなって。最後にはプツンと焼け落ちる。
死体の振動で揺れていた水面が、凪いでいくのと同時に、僕の意識も落ち着いてくる。
終わった。
また一つ。
僕はゆっくり立ち上がる。そして貯水槽の中にいる遺体を少し眺めてから、深く息を吐いた。
通信機のスイッチを入れる。
「こちらNo.3。任務終了。標的A-0670殲滅。異常なし。オールクリア。どうぞ」
『こちら司令室。お疲れ様です、少佐。処理班を派遣します。帰還してください。以上』
「了解」
僕はまた一つ息を吐いて、通信機のスイッチを切る。眉間に皺が寄っていたことに気付いて、顔の筋肉を緩めながらコートの裾を払った。悪い癖だ。人の声を聞いて、やっと安心して夢から覚めたことを実感できる。
もう一度、貯水槽の中を覗いた。遺体は、もうただの死体に戻っていた。
濁った水に浅黒い遺体が静かに浮いている。背中は爛ただれて茶色く変色している。貯水槽の中も赤さは消え、カビや苔で黒く汚れた壁面がそこにあるのみだった。
「かわいそうに」
呟いて、僕は奥歯を少し噛む。
丹に感染し、丹電子障害となった人間は、あの快楽に呑まれてそのまま死んでゆく。自分が死んだことにさえ気が付かない。
それでもその死んだ人間の周りには、本人を心配し探し続ける人々の存在がある。
今回はまだ歩く屍でないだけマシかもしれない。彼らを殲滅するのは、いつも心が引き裂かれそうになる。生きているように見えても、死んでいる。殺すことでしか救うことができない。
たとえ、本人に “意識” があったとしても。
どんなに任務の回数を重ねても、慣れることはない。
でも、感傷に浸っている暇はない。丹を殲滅し続けることが僕の任務だ。存在をひた隠しにし、人々の生活を守ることこそ、僕の存在理由だ。
そう。だって僕は。
国家機密組織、丹電子警衛委員会。
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