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0.00 嗚き聲が聞こえる
しおりを挟む先進国であるこの国で、1年に申請のある行方不明者は約9万人。
そのうち毎年、85.3パーセントはすぐに所在が確認され、残りの14.1パーセントは死亡確認、または届け出が取り下げられる。
残された0.6パーセントは消息が分からないまま年を越す。年間約540人。記録に残る限りだけれど、この国では人が消えている。
そして、その一部に、恐らく、僕は大きく加担している。
80年前。未知の伝染病が、首都圏を中心に爆発的に流行した。
その病に感染した人間は、赤い錆によく似た痣・かさぶたが体を覆い、その大半が死に至った。
『丹電子障害』
全身が赤く染まる様相から『丹病』とも呼ばれたその病は、人々をパニックに陥れ、医療体制の崩壊を引き起こし、この国の秩序を失わせた。
混乱の中『丹病』の噂は一人歩きし、様々な都市伝説を生み出した。
『丹病は電波で感染する』
『丹病は生物兵器である』
『丹病に侵された死体は動き回る』
『丹病は神の審判である』
病の発見から80年。
不治の病と恐れられたその病の名は、現在、老人の口の端にも上らない。極めて少ないオカルト系の好事家達の間でのみ語られるだけとなった。「治療法が確立」され「根絶された病」として当局から公式に発表されているその病は、もはや “遠い過去” として、人々の記憶から消されつつある。
または、そのように仕向けられている。
珍しく月がよく見える。スーパームーンが近い晩だ。
雑居ビルの屋上で、僕は深く息を吸う。今日の僕に課された仕事は、このビルの屋上にある、現在使われていない貯水槽に発生した “赤錆” を掃除すること。
内容は文字通り、簡単に聞こえる。
“赤錆” の原因。つまるところ “丹電子障害に侵された死体” という詳細まで言及しなければ。
僕はひび割れたコンクリートの屋上をゆっくり進む。貯水槽を取り囲む、クリーム色の塗装がハゲた鉄柵を乗り越えて、そのまま貯水槽の上に静かに飛び降りる。しゃがみこんで、足下にあるマンホール蓋に手をかける。力を込めてゆっくりと引くと、ギィっと嫌な音と共に蓋が開いた。
臭い。鼻をつく甘さと、鉄と、酸っぱさが混じった嫌な臭いだ。吐き気を抑え、細めた視界の先。
死体が見えた。
真っ赤に変色した貯水槽内部。蓋から少し中心に寄った場所に、赤黒く濁った水の中で真っ赤な死体がゆらゆら揺れていた。
背中であろう部分だけが水面から浮き出ていて、その部分が不気味に蠢いている。そこから発芽するように、細い人間の手のなり損ないのような形をした触手が何本か生え始めていた。
丹化第六形態ヒトガタ。都市伝説名『赤い苔』。
変形が少ない。まだ新しい死体だ。
いずれ、この触手が成長して根を深く張り、カマキリを操るハリガネムシのように、この死体の神経細胞に根を張って死体をより強く乗っ取りはじめる。そして、死体が自ら動き始める。
当局により “複合的な日和見感染症” と吹聴され、最早過去の病と片付けられている丹電子障害という病は、今も“都市伝説” という皮を被り、人々を襲い続けている。
“複合的な日和見感染症” 。
当局が “原因ウイルス未発見の事実を誤魔化すため” に発表されたとされるこの見解は、全く違う意図で発表された。
丹。それが、僕たちだけが知る、丹電子障害の本当の原因。
国民の更なる混乱と、他国の軍事利用を恐れ、当局が機密として外部にひた隠しにした物質だ。
そして、これこそが、政府が隠し通したかった真実。
丹は、一般的な細菌・ウィルスなんかじゃない。例えるなら放射線。ファンタジックに言えばゾンビウィルス。実態が不明な謎の物質だ。
丹に侵され丹電子障害となった人間は、死に絶えた後、丹に身体を乗っ取られ、丹の一部として活動を始める。そして、他の生命体も自分の仲間に加えようとなりふり構わず襲い掛かる。
まるで、映画に登場するゾンビのように。
丹電子障害は伝染する。しかし、詳しい伝染のメカニズムはいまだ謎に包まれている。丹電子障害の患者に近寄っただけで伝染することもあれば、患者と濃厚接触をしたにもかかわらず伝染しない場合もある。
そして、当局は公式に発表していないが、丹電子障害となった患者の症状も数多の事例が報告されている。共通しているのは、発症した患部から全身へ赤い色素が広がり、死に至る頃には全身が赤く染まってしまう、ということだけ。
丹はアルコールや煮沸によって滅することも、長い時間をかけて伝染能力を半減させることもできない。
殲滅する術は、ひとつだけ。
“丹” と “同調” する能力がある人間による殲滅のみ。
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