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Two people and one person 2
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君に出会って、僕は人になれた。
冗談ではない。比喩的表現でもない。この字面そのままに受け取ってもらいたい。だって、それは、本当の事なのだから。
「は?」
今思い返せば、それはそれは失礼極まりない態度だ。
初対面の人間に、しかも相手はそれはそれは丁寧な態度だったのに。
しかし、思わず僕がそう言ってしまったのだって態(わざ)とではない。その位突然で、突拍子もない申し出だったのだ。
そして、それを申し出てきたのが、学園の中で有名な二学年下の彼で・・・邪な恋慕を抱いていたものだから、声を掛けられた時の驚きは、未だに人生のTOP1に輝いている。
自慢ではないが、自分もそこそこ有名であった自覚はある。
学科内では常にトップだったし、教授からも卒業したらこのまま残るか、もっといい大学に紹介してやるとかしょっちゅう言われていた。
今思えば勿体無い気もするが、当時の俺は遊ぶ方・・・もちろん、セクシーな方の意味でだ・・・に夢中で、鼻にもかけなかった。毎日毎日、誰かと交尾した。依存症の様に。それこそ獣の様に。けれど、満足する事なんてなくて、逆にどんどんと乾いていく自分自身に心底呆れていた。しかし、一時でも渇きを癒す為に、老若男女構わずまぐわった。
学園には数万単位の人間がいて、学科も100以上もあってそこから更に細かく分かれているから、同じ学科内でも顔を合わせない人間はざらにいた。
そもそも彼は学科が違った。その上、講義室は学園の端と端に位置していて、一つの都市ばりにでかい敷地でたまたま遭遇するなんて、交通事故に遭う位の確率。
三年だし、取りたい単位もないしで、今年になって敷地に足を踏み入れたのは、両手の指で足りるかもしれない。そんな中での彼との出会いだった。
ちなみに彼が有名だったのは、東洋人の風貌に180センチ越えの長身ですらりとしなやかな身体である事。その上、誰もが思わず振り返ってしまう美貌と優しく響くテノールの声に、その物腰は柔らかい・・・ときたら、噂にならないわけがない。新入生代表だったのも一役買っているのは間違いない。
その彼が、僕に、声を掛けてきたのだ。
僕だと分かった上で。
「あなたが、チャーリーさん?」
名前を呼ばれた瞬間、どこかくすんで見えていた視界が明るくなったのを感じた。悪意が籠っている様にしか聞こえなかった聴覚が、天使の囀(さえず)りを感じた。
その他、僕に備わっている感覚という感覚が、今までとまるで正反対の反応をした。
「・・・あ、うん・・・そうだけど・・・」
あまりにセンセーショナルな感覚に、ぶっきらぼうな返事しか返せなかった。そして、嬉しそうに笑った顔がキュートで辺りに花が咲いた様に見えた自分に驚く。
「突然申し訳ありません。どうしても直接会って話がしたくて・・・」
そう言って胸に手を当て軽く深呼吸すると、姿勢を正し、僕を真っ直ぐでなんの曇りもない瞳で見つめてきた。
黒いのに光の加減で青く光るその瞳があまりにも真っ直ぐで、眩しくて・・・僕は眼が焼けただれる思いで見つめ返す。
「僕のパートナーになって頂けませんか?」
「・・・は?」
ざわりと辺りの空気が蠢いた。
そりゃそうだ。彼は今、僕のテリトリーにいる。そこでパートナーになってくれと言ったのだ。
イコール恋人、もしくはセフレになってと言っているのと同義語であり、目の前にいる彼も僕と同類と思われる訳で・・・気が付くと、彼の手を取って走っていた。とにかく自分の痕跡の無い所にいきたくて、がむしゃらに移動する。人にぶつかったって気にしない。いや、気にする余裕すら無かった。
どの位走っていたのか、不意に繋いだ手がぐいと引かれた。足を止め振り返ると自由な片手を膝に置き、苦しそうに肩で息をしている彼。
ゼーゼーという息遣いの合間に、長めの前髪の隙間から見える細い顎先から、汗がぽたりぽたりと地面に落ちた。
彼ほどでもないけど僕も息が荒く、額に汗が滲んでいて、つうっとこめかみのあたりから滴がこぼれる。
自分が何故走り出したのか理解できない僕は、足を止めた彼に掛ける言葉が見つからず、ただただ後頭部を見つめた。
陽光にさらされて、きらきらと輝く彼の髪には綺麗な天使の輪が出来ていて・・・もしかしたら僕を真っ当な道に引き戻す為に遣われた天使なのではないか・・・と、柄にもない事を考えてしまう。
思わず握っている手に力が入ると、彼はちょっとだけ顔を上げて微笑んだ。
心臓が波を打つ。
血液の流れが速くなる。
鳩尾(みぞおち)辺りがきゅうっとして切ない気持ちになる。
しかしそれは嫌なものではなく、身体を重ねても乾いていった心が、静かに満たされていくのを感じた。
再び手に力を加えた。今度は自らの意思で。するとそれに応えるように握り返してきた。
今度は顔を伏せたままなので表情は見えないけれど、嫌がっている様子はない。
それがなんだか嬉しくて、子供の様に飽きずに繰り返す。それに律儀にも応えてくれる彼が愛しい。
(本当に神様が授けてくれたのかも・・・)
頬が緩むのを感じると、漸く彼は折りたたんでいた身体を持ち上げた。
俺よりかなり上にある目線。しかし、身長差による圧力は全くない。それよりも包み込まれるような優しさ・・・そんなのを感じて・・・彼の全てに好意しか感じない自分に戸惑う。
「急に走り出すんだもん、びっくりしたぁ」
ふはっと表情を崩した彼に驚く。見た目の印象からかけ離れた、その幼い笑顔と言葉に。
俺が目を丸くしたのを見て、「あ」という表情をすると、漫画のように握った拳を口元に当て、こほんと咳払いをした。
頬が少しだけ上気している。
(可愛い・・・)
ふふと微笑んでやるとさらに赤くなって・・・抱きしめてぐりぐりと頭を撫でくり回したくなる。
再び咳払いをした彼は、手を下ろし真っ直ぐな表情に戻ると、先ほどの言葉を繰り返した。
「それ、どういう意味で言ってんの?」
僕の問いに、不思議そうに小首を傾げる。
(やばい、お持ち帰りして、甘やかしたい・・・)
俺より頭一個分は高く、肩幅もあり声も低く男前な彼に、小動物・・・しかも生まれたての・・・に対して抱くような感情が湧いてくるのかはわからない。
しかし、庇護欲というのがこれであるなら、僕は彼を守るべき対象として認識したらしい。
にやにや笑いからくすくすと声を出し笑い始めた僕に、彼は一層不思議そうな顔をした。
あー、これ、本当にわかってないわ。
「俺とセフレになりたいのか、それとも別の意味があるのかってこと」
「・・・え」
ぱあっと顔全体が赤くなった。
きゅっと手が握られ、まだ手を繋いだままだった事に気付く。
名残惜しいけれど手を離し、そのまま腕組をした。
彼は赤い顔のまま俺の行動を眼で追うが、その先に続きがないとわかると再び視線を交じり合わせる。
(真っ直ぐだ)
気づいた頃には斜に構える事しか出来なくなっていた僕には、彼が真っ直ぐでいられる理由が見当もつかない。飛び級したとか聞いたことが無いから、三歳位しか違わないはずなのに。
進んでいる道が正反対な筈の僕に、君は歩み寄ってくれた。
それなら、僕も君に歩み寄ろう。そして、君の進むべき道に寄り添おう。そう心に決めた瞬間、彫像の様に美しい顔で彼は言った。
「俺のビジネスパートナーになって下さい」
彼と一緒にいるようになり、驚く事ばかりだ。
まず、距離が近くなった。
物理的な距離はもちろん、精神的な距離も格段に近くなる。ほぼ0距離。しかし、こちらから近づくと真っ赤になる。近いと言って。
そして、雰囲気ががらっと変わった。
いや、初対面の時もちょっとそんな所が垣間見えていたけれどね。・・・なんというか、年端もいかない男の子を相手にしているような・・・まさに無邪気という感じ。清々しいほど相手によって態度が変わるのだ。
それが彼の信頼の証なのだと気付いた時、嬉しさしか無かったのだけれど。
さらに意外な事に、アナログ人間だった。
キーボードを打ち込むのは両手の人差し指。
だからこその僕な訳だ。自慢じゃあないけど、この学年でトップという事は、イコール世界でもトップクラスという事。
初めてパソコンの前の彼を見た時、笑ってしまったものだ。
だって、いつもは美しいラインでしゃんと伸びている背筋が、おじいちゃんかよと突っ込みたくなる程丸まっていたから。
いや、実際突っ込んだけどね。
そうしたら、もう、可愛いのなんの。
自分でも恥ずかしいと思っていたらしく、真っ赤になりながらそれを隠す様に目元の辺りを擦っていた。堪らず抱きしめたら、思い切り頭を叩かれたけれど。
あばたもえくぼじゃないけれど、彼しか見えなくなっていた僕にとって、ギャップは萌え以外の要素なんてなくて・・・そんな彼を近場で見ていたくて、足繁く仕事場に通った。それまで生きてきた中で、同じ場所にこんなに毎日通った事なんてない。
ちなみに、仕事場と言っても、その頃は彼の実家の一室だった。要は通い妻・・・いや、僕の場合は通い夫か・・・な状態。
自室ではないけれど、彼のセンスの良さが現れており、それはそれは居心地の良い空間で、小さな個人経営の事務所なわりに来客は途絶えなかった。
彼狙いの不届き者が多かったけどね。僕が言うのもなんだけど。
そういうやつらを、ばっさばっさと思い切りぶった切ってやった。
最初は途絶えがちになった来客に首を捻った彼だったけど、すぐに気にしなくなり、その時間で僕からコンピュータとはなんぞやという事を学び始めた。
教え始めて思ったのが、
「天才か?」
だった。
お山の大将だったのは認める。いや、かなりデカいお山でしたけれど・・・しかし、それを抜きにしてもそう思わざるを得なかった。
彼は、一を教えると十五理解した。そして、あっという間に僕と肩を並べる程になる。
正直焦った。確かに仕事の幅が格段に拡がったが、僕はもういらないって言われるんじゃないかと。
そんな心配を始めた頃、ぱったりと俺に教えを乞う事はなくなった。しかし、今まで以上に僕に意見を求めるようになった。
ある時、思い切って聞いてみた。すると何を言っているかわからないという顔をされ、事も無げにこう言い放った。
「スペシャリストがいるのに、なんで俺もスペシャリストになんなきゃいけないの? チャックと出来るだけ対等に話がしたかっただけだし」
このデレ発言で、僕が暫く悶え続けたのは言うまでもない。
ああ、そうそう。もう一つ忘れちゃいけない事があった。
彼には年の離れた弟がいる。
7歳差で、母親が違っていて、日本を離れた時に弟が産まれたと、彼が言ったのか僕が聞き出したのかはもう覚えていない。
ただ、この頃の僕は”うざい”とだけ思っていた。
学校から帰ってくると、家と直接繋がっている扉・・・僕たちは裏口と呼んでいた・・・そこからずっと覗いているのだ。まさに、地縛霊の如く、そこに、イた。
その視線は、兄である彼に常に注がれていて、日に日に熱を帯びていくのを感じた。
だから僕は、態(わざ)とその視線を遮るように立ったり、子供には残酷な光景を見せたり・・・大分大人げないけど・・・毎日の様に嫌がらせをした。しかし、その瞳が終ぞ彼から外れる事は無かった。
そして、現在の場所に事務所を構えたのが、僕が一緒に仕事をするようになってから約二年後の事。事務所が移動してからは、弟くんの姿を見ることはなくなった。
事務所の場所が場所だから、小さい子一人で来るには危なかったし、学年が上がって交友関係もどんどん拡がり、実の兄だけにかかずらっている時間も自然と減っていった様だ。
僕らの仕事も順調に業績を伸ばし、忙しくなっていった。それにつれ、僕の中から弟くんの存在も徐々に薄れていくのは当然の流れというもの。
だから、大学生になった弟くんが事務所に来た時は、えらく若いお客さんが来たもんだと思った。
あれは、昼時だった。
事務所のドアが軽快な鈴音を鳴らし来訪を告げた。
僕はそちらへ足を運び、きょろきょろと所在なげに受付を見回している人物に声をかけた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」
「あ、えっと・・・」
ぱりっとした仕立ての良いスーツを着ていて、見た目もがっしりとして貫禄はあるものの、その言動からまだ相当若いと直感で感じる。
なによりも、相当なイケメン。
(にしても、かっこいいな、おい)
ここ数日、ルーが出張で一人でいたせいか、また悪い癖が首を擡げる。
うん、彼より身長は少し低いかな。
思わずにやけそうになるのをぐっと堪え、
「ま、ここじゃなんですから、中へどうぞ」
と受付の奥に通す。
促されるがままにソファに座った来訪者に紅茶を出すと、その向かいに腰を下ろす。
「で、どのようなご用件でしょう?」
紅茶を見つめていた瞳が持ち上がり、ばちりと音がするのではないかと思うほど目が合った。そのどこか熱の籠った瞳に心の中で首を捻る。
(あれ? なんかやらしたか、俺?)
「生憎、代表は出張中でして・・・明日には戻ってくる予定なのですが・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
反応がない。
しかし、こちらを見つめる瞳は依然変化なし。いや、先ほどよりも熱が籠もっているように見える。
沈黙に耐えかねて再び口を開こうとすると、
「俺の事、わからない?」
と、今度は向こうから問いかけてきた。
記憶を探る。
今までこんなにいい男に会った事はあっただろうか。
いや、ない。
さすがにこのレベルの男だったら、一夜限りだったとしても絶対に覚えている。
「えっと・・・どこかでお会いしましたっけ?」
「そっか、俺の事わかんないか」
挙句の上、楽しそうに満面の笑みで笑われた。
(なんなんだ、一体・・・)
顔に苦々しい思いが出ていたのかもしれない。相手は笑いを引っ込めて自分の顔を指さし、こう言った。
「俺、アレクサンダー。ルイスの弟」
途端に、ぽんと頭の中に毎日の様に裏口から覗いていた姿が浮かぶ。
しかし、その時と全く違う印象とサイズ感に、気付くと変な声を出していた。
「マジっ⁉ あの、アレクっ⁉」
「そうだよ。久しぶりチャーリーさん」
「うわー。でかくなったな、お前・・・」
アレクの横に移動する。
10歳位までの記憶しかないから、記憶の中のアレクと一致するところは少ない。
しかし、赤毛と赤みがかった瞳に、人懐っこい笑顔は変わっていない。まあ、笑顔は自分には向けられる事は無かったんだけどね。
気付くとソファに片足を乗せて立ち膝の状態になり、アレクの髪や顎のライン、がっしりとした肩などを触っていた。
そして、なんとなくそんな気分になっている自分に気付く。
10歳は下の、しかもルーの弟に対して抱く感情ではない。
しかし、止められない。
ふと、アレクの目と合うと、俺と同じ様な表情をしていた。手を止めてじっと見つめる。何を考えているのか探るように。
「・・・俺さ、チャーリーさんの事、すっごい怖い人だと思ってた」
「は?」
「だってさ、俺にちょくちょく嫌がらせしてたでしょ?」
「あら、わかってた?」
「わかんないわけない。バカにしてる?」
「いんや。お子様には難しかったかなって」
「子供心ながら、大人げない仕打ちを受けているなと思っていました」
「なんだそれ」
思わず吹き出すと、肩に乗せていた両手が捕らえられる。
はて、と捕らえられた両手を見てアレクに視線を戻すと、そこには発情した男の顔があった。その、荒削りながらも野性味溢れるその表情に、ドキリとする。
「今は、綺麗だなって思う・・・兄貴の次だけど」
「なに、口説いてんの?」
「お互い、一番欲しいのは兄貴。だよね?」
「まあね」
「そして、今目の前に居るのは、お互い好きなタイプ。でしょ?」
片頬を上げて同意を示すと、にやりと同じ様に笑った。
(あーあ、わっるい笑顔だこと)
「だからさ・・・鈍感なルイスに恋焦がれる二人で、慰め合わない?」
「・・・お前、本当にあのアレク?」
「そうだよ」
「大分捻くれちゃった感じ?」
「んー、ちょっと違うかな」
俺の両手を離した手が、腰を抱き込んでくる。
ぐっと近づいた距離に、再び心臓が跳ねる。
「沢山の人を愛する事を知っただけ」
「なんだそりゃ」
「誰でも良いって訳じゃないよ?」
「そりゃそうだろ」
「で、どお?」
するりと尻を撫でられる。
「若いね、アレクくん」
「あんたよりは間違いなく若いよ?」
「ふふっ。確かに」
触れ合う唇。
随分とご無沙汰な感触に、俺の鼻から甘ったるい音が出た。
それに気を良くしたのか、どんどんと深くなるキス。
暫くして唇が離れると、視線を交わせる。互いの唾液で濡れた自分の唇を俺に見せつけるように、右手の人差し指で殊更ゆっくりとなぞる姿が何ともセクシーだ。
(おいおい、これでまだ20歳かそこらかよ)
どうやら、この兄弟に流れている血には、エロスが多分に含まれているらしい。
視線が合うだけで、彼らの持つ媚薬にも似た人を惹きつけるフェロモンに絡み取られる。
気付いた時にはすでに遅い。蜘蛛の糸よろしく、ぐるぐる巻きにされて、ただただ食べられるのを待つだけ。
(俺も捕らえられた虫の一匹、か)
だけど、俺はただでは食われてやらない。俺だって捕食者をしていたのだから。
じっと上目遣いで見つめていると、アレクは俺の顎を捕らえ軽く仰け反らせる。
「あのさ、チャーリーさん」
「ん?」
「ザンって呼んでくんない?」
「アレクじゃ駄目なの?」
「駄目だね」
「なんで?」
「イヤだから」
「だからなんで」
「・・・言いたくない」
途端に年相応の・・・いや、もっと幼い男の子の様に唇を尖らせた姿に、不覚にもきゅんとしてしまう。
じっと見つめていると、表情はそのままに鼻先にキスをしてきた。続いて、頬、瞼、額と啄むようにキスをどんどんと落とす。
「ふふっ、わかったって」
「よろしく」
「俺はチャックでいいから」
「わかった、チャックさん」
「さんもいらない」
「チャック」
「ん」
「チャック」
低めの渋い声を耳から流し込まれ、ぞくりと腰が震える。
(今日は啼かされたいかも・・・)
「いいよ。おいで」
「ここで大丈夫?」
「ちゃんと介護してくれんだろ?」
「兄貴にみつかったらどうしよ」
くすくすと可笑しそうに笑い軽口を叩きながらも、服を脱がせあう。
旧知の間の様に・・・いや、実際そうなのだけれど・・・ぽんぽんと投げ合う言葉が楽しい。いつしかその言葉は意味のない音になり、互いの気持ちよさを伝え合うだけのツールになった。
そして、ルーの弟のアレクサンダーと、所謂”セフレ”になった。
しかしザンは、付き合っているのだと言い張る。真面目な顔をして何度も何度もそう主張するので、今は特に訂正する気はなくなった。
正直驚いているのは僕だ。
身体の相性が良かったのだろう。すんごい気持ちよかったのだ。人生で初めて、二度目の逢瀬を自ら求めてしまう程に。
それからなんだかんだと2年程この関係を続け、未だに飽きる様子も無い自分自身に驚きを隠せない。
最近は、ルイスよりも5センチ程小さい、筋肉質でマッチョ気味のザンを喘がせるのが楽しくて仕方がない。
僕が下の時は男らしく野性味があってかっこいいのに、彼が下になるとそのゴツさから考えられないほど可愛らしくなるのだ。
彼の中にはスイッチがあって、その時々でぱちんぱちんと切り替えられる。その切り替えが毎回振り切っているのが原因だろうけど。
本人に言ったら怒るけど、大型犬が甘えてくるのに似ているかもしれない。
それと、弟としての気質・・・とでもいうのだろうか・・・そんなものが相まって、10歳違う僕から見たら可愛く感じるのかもしれない。
家で家族に包まれたザンが、どんな雰囲気を纏っているのか見てみたい。
そんなことを考える位には、僕もザンに夢中になっている。その事は認めよう。
いや、僕はそんな事が言いたいわけじゃない。言いたくない訳でもないけど、言いたくもなるでしょうよ。この状況ならさ。
「ルー、ここ教えて」
「ん? どこ」
「ここ」
入社テストを追えて一ヶ月。僕とお付き合いを始めてから2年が経ったある日。
実際の仕事案件を利用して、少しずつ簡単な所から教え始めている。
ルーもすこぶる頭が良いが、そこは兄弟。ザンも申し分ない秀才だ。ただ、タイプは違う。
ルーは理詰めで結論を出すタイプで、ザンは直感で結論を出すタイプ。
しかし、どちらも普通の人の何倍も早いスピードで頭が回転していて、答えを知っていたのではないかと思う程瞬時に答えを出す。そして、その影響か、理解が早い。
話が反れた。
今週の教育当番はルーなので、ザンはその隣の席に座っている。なぜ2人だけの会社に席がそれ以上にあるかというと、クライアントに合わせて対応方法を変えるからだ。
基本的にはそれぞれで事案を処理するのだけれど、二人で対応する場合は、隣り合わせに座っていた方が効率が良い事もある。その時の為に、並んで座れるよう僕が申し出て、僕がデザインした。
そう、僕が、デザインしたんだよ。仕事という口実で近くに居られるから。
こいつが来る前には成功していたこの作戦は、最近失敗続きだ。
「・・・・・・」
頬杖を付いて向かいに座る二人を見つめる。
(近い・・・)
肩をぴったりと寄せあい、顔と顔の距離なんて10㎝も無い。
普通の兄弟なら、僕だってこんな事思わない。
普通の兄弟ならね。
ザンが純粋に兄としてルーを慕っていたならね。
「あ、なるほどっ!」
ザンがぽんと手を打ち付け、止まっていた作業を再開する。
そんな姿にふっと笑いかけたルーは、すっかり手を止めてしまった僕に少しだけ咎めるような視線を寄こした。僕はふてくされた様な表情でそれを受け止める。
そんないつもとちょっと違う態度の僕に、はてとでも言う様に小首を傾げるルー。
(可愛いかよ)
さらにむすっとする僕。
ルーは頬杖を付くと、さらにじっと見つめてきた。
やめて、その曇りの無い瞳でみつめてくんの。
「降参」
耐えきれなくなった僕は、諸手を挙げて行動でも示した。そんな僕に、ルーはふっと相貌を崩すと、「休憩しよ」と告げ席を立つ。
少しして戻ってきたその手にはトレーが乗っており、ちょっと遅れて、コーヒーのかぐわしい香りが漂う。
「はい、チャック。ザンも手休めてこっちおいで」
コトリと音を立てて湯気の上がるカップが目の前に置かれた。そして、その程近くに更に2つのカップ。真ん中に高そうなお菓子が入った箱を置くと、近くの椅子を引き寄せ腰を下ろした。
ザンはその隣にからからと椅子を転がして近寄ってきた。その距離がまたもや近かったが、僕の近くにルーがそれと同じ距離でいるので、良しとする。
大の男3人が、広い机の角にこじんまりと集まり頭を突き合わせる。
傍から見たらちょっとむさ苦しいかもしれない絵面だが、間に挟まれたルーはそんな事お構いなしに、きらきらとした瞳を高級菓子に向けていた。
その横顔を観ていると、その反対側から同じように彼を見つめているザンと目が合う。睦言を言う時とは違う、敵を射抜くような瞳に瞬時に変わる。
(か~っこいい)
野生の獣の様なそれに、心を揺さぶられないと言ったら嘘になるけれど、恋人である前に俺たちはルーを狙うライバル同士なわけで・・・俺も挑発する様に見返す。
「これにしよっと・・・」
呟かれたその声に再びルーに視線を戻すと、気持ち猫背になった彼が、うきうきした様子で丁寧に包装を破いていた。
選んだのはマドレーヌ。
しっとりとしたそれにそっと歯を立てて、ゆっくりと咀嚼する。そのあまりにもうっとりとした顔が、情事の表情を想像させた。
溢れた唾を思わずごくりと飲み込むと、勘違いした彼が左手で箱を持ち俺に向ける。
「どれがいい?」
「・・・・・・」
「ん?」
「いんや。じゃあ、これ貰うわ」
「ザンは?」
俺が取ったのを確認してくるりと椅子を回転させると、右手に持っていたマドレーヌにザンが噛り付いた。
「あーっ!」
「うまっ」
「なにすんだよっ!」
「いいじゃん。まだあるんだし」
「だったら、こっち食えよっ」
「俺の分はルーにあげる」
「は?」
「だから、ルーが食べてるの一口ずつ頂戴」
ぽかんとルーがザンを見つめる。それをザンは嬉しそうな顔をして見つめ返す。
先手を取られた事に腹が立ったので、包装を雑に開け半分にちぎったお菓子をザンの口に突っ込んだ。
「俺と半分こしようぜ、アレキサンダー君!」
「んんっ⁉」
「美味しいかい?」
ルーの様に小首を傾げてやると、ちょっと顔を赤くする。
(ちょろい)
そう、心の中でほくそ笑んでいると、もぐもぐと咀嚼しながら俺達を見ていたルーが、またこてんと首を倒した。
「遠慮しなくていいんだよ?」
「ルーこそ俺達に遠慮しないで食べてよ」
「え? でも・・・」
と言いつつもお菓子に視線を向け、コクリと喉を鳴らす。喉仏が上下に動くのがエロい。
「ルーが旨そうに食べてる所が見たい」
「お前、いっつもそう言うな」
「家でも?」
「そ。なのに俺の食ってるもの、横から少しずつかっさらうの」
「ほー」
「食べたいんならやるって言ってるのに、こう、食べようとしてる所を横から、すっと」
お兄ちゃんの顔をしたルーは、冷め始めたコーヒーに口を付けた。
キンッ。
ジッポライターが独特な音を響かせた。
胸いっぱいに煙を吸い込み、少しだけ身体の中に留め、吸い込んだ時と同じ様に大きく息を吐き出した。
それと同時に辺りがバニラの匂いに包まれる。
うつ伏せにしていた上半身を捻りながら起こし、枕を立てそれに背中を預ける。そして、左手をサイドテーブルに伸ばし、灰皿を手にした。
再び煙を吐き出すと、
「・・・早いね」
と、隣から声が掛けられる。
首を捻りそちらに視線を向けると、こちらを見ている気怠い視線と重なった。
「声、がさがさ」
「誰のせいだっての」
「俺のせい」
悪びれもせずそう言ってやると、大きく溜息をつかれた。そして伸びてきた手に煙草を奪われる。
「・・・まず」
「匂いのついた煙だしね~」
「匂いは美味しそうなのに・・・」
「でしょ? ルーが好きそうだと思ってこれにしてみた」
煙草を奪い返し、不機嫌そうに突き出された唇にキスを落とす。
鼻にかかった吐息に、散々吐き出した筈の欲がゆっくりと首をもたげるのを感じ、キスを深くしようと少しだけ唇を離すと、隙間に手を突っ込まれた。
「ダメ」
間近で見るルーの目の周りは、昨晩の営みの影響でまだどことなく赤く、そして腫れぼったい。
「ダメ?」
「ダメ」
「どうしても?」
「どうしても」
きれいな細めの眉がきゅっと顰められたのを確認し、渋々身体を離した。名残惜しさを紛らわせる為に、再び煙を体内に取り込む。
「・・・ん」
隣から衣擦れと共に色っぽい呻き声。
そして、俺と同じ様に枕を立て掛けそれに背中を預けると、ほうっと溜息を吐いた。
「エロい声」
「馬鹿なの?」
「ひっど。アナタにぞっこんなだけなのに」
すると、俺の言葉に答えずこちらを見つめてきた。
その心の奥底を見通す様な瞳に、どきりとする。しかし、それを見せるのも癪なので、冷静を装い言葉を投げかける。
「なに?」
さらにじっと見つめた後、「俺の事好きなの?」と聞いてきた。
俺やザンと肉体関係を持つようになり数か月経つというのに、純粋無垢な顔で聞いてくる彼に、心底驚く。
とっさに反応が出来ない程に。
「・・・・・・は?」
「俺の事好きなの?」
「何を、言っているのかな?」
「だから」
「それは分かったから」
「で、どうなの?」
「どうって・・・・」
驚きで混乱した頭。あまりに混乱しすぎて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
そのまま暫く見つめていると、不意にルーの瞳が俺の左側に移動する。そして、「灰」と短く指摘され、指で挟んだままの煙草を思い出した途端、指先に熱を感じた。視線を移すと今にも落ちそうな程長くなった煙草を慌てて灰皿に押し付ける。
それでいくらか冷静さを取り戻した僕は、
「好きじゃ足りない程、愛してる」
と、灰皿に視線を落としたまま言った。隣で息を飲む声が聞こえ、次いで衣擦れの音。
布団が引っ張られる感じに視線だけ彼に向けると、布団の中に潜り込みこんもりと山を作っていた。
灰皿を再びサイドテーブルに置くと、身体を捻り肩と思わしきふくらみに手を乗せる。
瞬間、強張りを感じるが、気にせずそのまま身体を摺り寄せそっと布団を剥ぐ。抵抗は合ったものの優しく名前を呼んでやるとそれは無くなり、真っ赤に染めた顔が出てきた。
「ふふ、真っ赤じゃん」
「・・・うっさい」
「喜んでくれて嬉しい」
「うっさいってば」
ぐっと眉間に皺が寄り、唇が不機嫌そうに突き出される。
おっと、これ以上は本当に臍を曲げてしまうぞ。
だけど、俺も聞きたい。
聞いてみたい。
君はすぐに本心を隠そうとするから。
ね、教えてくれるよね?
「ねえ、ルー」
視線だけでなんだと聞いてくる。緩みそうになる表情を真剣なものに保ちながら僕は聞いた。
「僕らの事、好き?」
Two people and one person 2 おわり
冗談ではない。比喩的表現でもない。この字面そのままに受け取ってもらいたい。だって、それは、本当の事なのだから。
「は?」
今思い返せば、それはそれは失礼極まりない態度だ。
初対面の人間に、しかも相手はそれはそれは丁寧な態度だったのに。
しかし、思わず僕がそう言ってしまったのだって態(わざ)とではない。その位突然で、突拍子もない申し出だったのだ。
そして、それを申し出てきたのが、学園の中で有名な二学年下の彼で・・・邪な恋慕を抱いていたものだから、声を掛けられた時の驚きは、未だに人生のTOP1に輝いている。
自慢ではないが、自分もそこそこ有名であった自覚はある。
学科内では常にトップだったし、教授からも卒業したらこのまま残るか、もっといい大学に紹介してやるとかしょっちゅう言われていた。
今思えば勿体無い気もするが、当時の俺は遊ぶ方・・・もちろん、セクシーな方の意味でだ・・・に夢中で、鼻にもかけなかった。毎日毎日、誰かと交尾した。依存症の様に。それこそ獣の様に。けれど、満足する事なんてなくて、逆にどんどんと乾いていく自分自身に心底呆れていた。しかし、一時でも渇きを癒す為に、老若男女構わずまぐわった。
学園には数万単位の人間がいて、学科も100以上もあってそこから更に細かく分かれているから、同じ学科内でも顔を合わせない人間はざらにいた。
そもそも彼は学科が違った。その上、講義室は学園の端と端に位置していて、一つの都市ばりにでかい敷地でたまたま遭遇するなんて、交通事故に遭う位の確率。
三年だし、取りたい単位もないしで、今年になって敷地に足を踏み入れたのは、両手の指で足りるかもしれない。そんな中での彼との出会いだった。
ちなみに彼が有名だったのは、東洋人の風貌に180センチ越えの長身ですらりとしなやかな身体である事。その上、誰もが思わず振り返ってしまう美貌と優しく響くテノールの声に、その物腰は柔らかい・・・ときたら、噂にならないわけがない。新入生代表だったのも一役買っているのは間違いない。
その彼が、僕に、声を掛けてきたのだ。
僕だと分かった上で。
「あなたが、チャーリーさん?」
名前を呼ばれた瞬間、どこかくすんで見えていた視界が明るくなったのを感じた。悪意が籠っている様にしか聞こえなかった聴覚が、天使の囀(さえず)りを感じた。
その他、僕に備わっている感覚という感覚が、今までとまるで正反対の反応をした。
「・・・あ、うん・・・そうだけど・・・」
あまりにセンセーショナルな感覚に、ぶっきらぼうな返事しか返せなかった。そして、嬉しそうに笑った顔がキュートで辺りに花が咲いた様に見えた自分に驚く。
「突然申し訳ありません。どうしても直接会って話がしたくて・・・」
そう言って胸に手を当て軽く深呼吸すると、姿勢を正し、僕を真っ直ぐでなんの曇りもない瞳で見つめてきた。
黒いのに光の加減で青く光るその瞳があまりにも真っ直ぐで、眩しくて・・・僕は眼が焼けただれる思いで見つめ返す。
「僕のパートナーになって頂けませんか?」
「・・・は?」
ざわりと辺りの空気が蠢いた。
そりゃそうだ。彼は今、僕のテリトリーにいる。そこでパートナーになってくれと言ったのだ。
イコール恋人、もしくはセフレになってと言っているのと同義語であり、目の前にいる彼も僕と同類と思われる訳で・・・気が付くと、彼の手を取って走っていた。とにかく自分の痕跡の無い所にいきたくて、がむしゃらに移動する。人にぶつかったって気にしない。いや、気にする余裕すら無かった。
どの位走っていたのか、不意に繋いだ手がぐいと引かれた。足を止め振り返ると自由な片手を膝に置き、苦しそうに肩で息をしている彼。
ゼーゼーという息遣いの合間に、長めの前髪の隙間から見える細い顎先から、汗がぽたりぽたりと地面に落ちた。
彼ほどでもないけど僕も息が荒く、額に汗が滲んでいて、つうっとこめかみのあたりから滴がこぼれる。
自分が何故走り出したのか理解できない僕は、足を止めた彼に掛ける言葉が見つからず、ただただ後頭部を見つめた。
陽光にさらされて、きらきらと輝く彼の髪には綺麗な天使の輪が出来ていて・・・もしかしたら僕を真っ当な道に引き戻す為に遣われた天使なのではないか・・・と、柄にもない事を考えてしまう。
思わず握っている手に力が入ると、彼はちょっとだけ顔を上げて微笑んだ。
心臓が波を打つ。
血液の流れが速くなる。
鳩尾(みぞおち)辺りがきゅうっとして切ない気持ちになる。
しかしそれは嫌なものではなく、身体を重ねても乾いていった心が、静かに満たされていくのを感じた。
再び手に力を加えた。今度は自らの意思で。するとそれに応えるように握り返してきた。
今度は顔を伏せたままなので表情は見えないけれど、嫌がっている様子はない。
それがなんだか嬉しくて、子供の様に飽きずに繰り返す。それに律儀にも応えてくれる彼が愛しい。
(本当に神様が授けてくれたのかも・・・)
頬が緩むのを感じると、漸く彼は折りたたんでいた身体を持ち上げた。
俺よりかなり上にある目線。しかし、身長差による圧力は全くない。それよりも包み込まれるような優しさ・・・そんなのを感じて・・・彼の全てに好意しか感じない自分に戸惑う。
「急に走り出すんだもん、びっくりしたぁ」
ふはっと表情を崩した彼に驚く。見た目の印象からかけ離れた、その幼い笑顔と言葉に。
俺が目を丸くしたのを見て、「あ」という表情をすると、漫画のように握った拳を口元に当て、こほんと咳払いをした。
頬が少しだけ上気している。
(可愛い・・・)
ふふと微笑んでやるとさらに赤くなって・・・抱きしめてぐりぐりと頭を撫でくり回したくなる。
再び咳払いをした彼は、手を下ろし真っ直ぐな表情に戻ると、先ほどの言葉を繰り返した。
「それ、どういう意味で言ってんの?」
僕の問いに、不思議そうに小首を傾げる。
(やばい、お持ち帰りして、甘やかしたい・・・)
俺より頭一個分は高く、肩幅もあり声も低く男前な彼に、小動物・・・しかも生まれたての・・・に対して抱くような感情が湧いてくるのかはわからない。
しかし、庇護欲というのがこれであるなら、僕は彼を守るべき対象として認識したらしい。
にやにや笑いからくすくすと声を出し笑い始めた僕に、彼は一層不思議そうな顔をした。
あー、これ、本当にわかってないわ。
「俺とセフレになりたいのか、それとも別の意味があるのかってこと」
「・・・え」
ぱあっと顔全体が赤くなった。
きゅっと手が握られ、まだ手を繋いだままだった事に気付く。
名残惜しいけれど手を離し、そのまま腕組をした。
彼は赤い顔のまま俺の行動を眼で追うが、その先に続きがないとわかると再び視線を交じり合わせる。
(真っ直ぐだ)
気づいた頃には斜に構える事しか出来なくなっていた僕には、彼が真っ直ぐでいられる理由が見当もつかない。飛び級したとか聞いたことが無いから、三歳位しか違わないはずなのに。
進んでいる道が正反対な筈の僕に、君は歩み寄ってくれた。
それなら、僕も君に歩み寄ろう。そして、君の進むべき道に寄り添おう。そう心に決めた瞬間、彫像の様に美しい顔で彼は言った。
「俺のビジネスパートナーになって下さい」
彼と一緒にいるようになり、驚く事ばかりだ。
まず、距離が近くなった。
物理的な距離はもちろん、精神的な距離も格段に近くなる。ほぼ0距離。しかし、こちらから近づくと真っ赤になる。近いと言って。
そして、雰囲気ががらっと変わった。
いや、初対面の時もちょっとそんな所が垣間見えていたけれどね。・・・なんというか、年端もいかない男の子を相手にしているような・・・まさに無邪気という感じ。清々しいほど相手によって態度が変わるのだ。
それが彼の信頼の証なのだと気付いた時、嬉しさしか無かったのだけれど。
さらに意外な事に、アナログ人間だった。
キーボードを打ち込むのは両手の人差し指。
だからこその僕な訳だ。自慢じゃあないけど、この学年でトップという事は、イコール世界でもトップクラスという事。
初めてパソコンの前の彼を見た時、笑ってしまったものだ。
だって、いつもは美しいラインでしゃんと伸びている背筋が、おじいちゃんかよと突っ込みたくなる程丸まっていたから。
いや、実際突っ込んだけどね。
そうしたら、もう、可愛いのなんの。
自分でも恥ずかしいと思っていたらしく、真っ赤になりながらそれを隠す様に目元の辺りを擦っていた。堪らず抱きしめたら、思い切り頭を叩かれたけれど。
あばたもえくぼじゃないけれど、彼しか見えなくなっていた僕にとって、ギャップは萌え以外の要素なんてなくて・・・そんな彼を近場で見ていたくて、足繁く仕事場に通った。それまで生きてきた中で、同じ場所にこんなに毎日通った事なんてない。
ちなみに、仕事場と言っても、その頃は彼の実家の一室だった。要は通い妻・・・いや、僕の場合は通い夫か・・・な状態。
自室ではないけれど、彼のセンスの良さが現れており、それはそれは居心地の良い空間で、小さな個人経営の事務所なわりに来客は途絶えなかった。
彼狙いの不届き者が多かったけどね。僕が言うのもなんだけど。
そういうやつらを、ばっさばっさと思い切りぶった切ってやった。
最初は途絶えがちになった来客に首を捻った彼だったけど、すぐに気にしなくなり、その時間で僕からコンピュータとはなんぞやという事を学び始めた。
教え始めて思ったのが、
「天才か?」
だった。
お山の大将だったのは認める。いや、かなりデカいお山でしたけれど・・・しかし、それを抜きにしてもそう思わざるを得なかった。
彼は、一を教えると十五理解した。そして、あっという間に僕と肩を並べる程になる。
正直焦った。確かに仕事の幅が格段に拡がったが、僕はもういらないって言われるんじゃないかと。
そんな心配を始めた頃、ぱったりと俺に教えを乞う事はなくなった。しかし、今まで以上に僕に意見を求めるようになった。
ある時、思い切って聞いてみた。すると何を言っているかわからないという顔をされ、事も無げにこう言い放った。
「スペシャリストがいるのに、なんで俺もスペシャリストになんなきゃいけないの? チャックと出来るだけ対等に話がしたかっただけだし」
このデレ発言で、僕が暫く悶え続けたのは言うまでもない。
ああ、そうそう。もう一つ忘れちゃいけない事があった。
彼には年の離れた弟がいる。
7歳差で、母親が違っていて、日本を離れた時に弟が産まれたと、彼が言ったのか僕が聞き出したのかはもう覚えていない。
ただ、この頃の僕は”うざい”とだけ思っていた。
学校から帰ってくると、家と直接繋がっている扉・・・僕たちは裏口と呼んでいた・・・そこからずっと覗いているのだ。まさに、地縛霊の如く、そこに、イた。
その視線は、兄である彼に常に注がれていて、日に日に熱を帯びていくのを感じた。
だから僕は、態(わざ)とその視線を遮るように立ったり、子供には残酷な光景を見せたり・・・大分大人げないけど・・・毎日の様に嫌がらせをした。しかし、その瞳が終ぞ彼から外れる事は無かった。
そして、現在の場所に事務所を構えたのが、僕が一緒に仕事をするようになってから約二年後の事。事務所が移動してからは、弟くんの姿を見ることはなくなった。
事務所の場所が場所だから、小さい子一人で来るには危なかったし、学年が上がって交友関係もどんどん拡がり、実の兄だけにかかずらっている時間も自然と減っていった様だ。
僕らの仕事も順調に業績を伸ばし、忙しくなっていった。それにつれ、僕の中から弟くんの存在も徐々に薄れていくのは当然の流れというもの。
だから、大学生になった弟くんが事務所に来た時は、えらく若いお客さんが来たもんだと思った。
あれは、昼時だった。
事務所のドアが軽快な鈴音を鳴らし来訪を告げた。
僕はそちらへ足を運び、きょろきょろと所在なげに受付を見回している人物に声をかけた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」
「あ、えっと・・・」
ぱりっとした仕立ての良いスーツを着ていて、見た目もがっしりとして貫禄はあるものの、その言動からまだ相当若いと直感で感じる。
なによりも、相当なイケメン。
(にしても、かっこいいな、おい)
ここ数日、ルーが出張で一人でいたせいか、また悪い癖が首を擡げる。
うん、彼より身長は少し低いかな。
思わずにやけそうになるのをぐっと堪え、
「ま、ここじゃなんですから、中へどうぞ」
と受付の奥に通す。
促されるがままにソファに座った来訪者に紅茶を出すと、その向かいに腰を下ろす。
「で、どのようなご用件でしょう?」
紅茶を見つめていた瞳が持ち上がり、ばちりと音がするのではないかと思うほど目が合った。そのどこか熱の籠った瞳に心の中で首を捻る。
(あれ? なんかやらしたか、俺?)
「生憎、代表は出張中でして・・・明日には戻ってくる予定なのですが・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
反応がない。
しかし、こちらを見つめる瞳は依然変化なし。いや、先ほどよりも熱が籠もっているように見える。
沈黙に耐えかねて再び口を開こうとすると、
「俺の事、わからない?」
と、今度は向こうから問いかけてきた。
記憶を探る。
今までこんなにいい男に会った事はあっただろうか。
いや、ない。
さすがにこのレベルの男だったら、一夜限りだったとしても絶対に覚えている。
「えっと・・・どこかでお会いしましたっけ?」
「そっか、俺の事わかんないか」
挙句の上、楽しそうに満面の笑みで笑われた。
(なんなんだ、一体・・・)
顔に苦々しい思いが出ていたのかもしれない。相手は笑いを引っ込めて自分の顔を指さし、こう言った。
「俺、アレクサンダー。ルイスの弟」
途端に、ぽんと頭の中に毎日の様に裏口から覗いていた姿が浮かぶ。
しかし、その時と全く違う印象とサイズ感に、気付くと変な声を出していた。
「マジっ⁉ あの、アレクっ⁉」
「そうだよ。久しぶりチャーリーさん」
「うわー。でかくなったな、お前・・・」
アレクの横に移動する。
10歳位までの記憶しかないから、記憶の中のアレクと一致するところは少ない。
しかし、赤毛と赤みがかった瞳に、人懐っこい笑顔は変わっていない。まあ、笑顔は自分には向けられる事は無かったんだけどね。
気付くとソファに片足を乗せて立ち膝の状態になり、アレクの髪や顎のライン、がっしりとした肩などを触っていた。
そして、なんとなくそんな気分になっている自分に気付く。
10歳は下の、しかもルーの弟に対して抱く感情ではない。
しかし、止められない。
ふと、アレクの目と合うと、俺と同じ様な表情をしていた。手を止めてじっと見つめる。何を考えているのか探るように。
「・・・俺さ、チャーリーさんの事、すっごい怖い人だと思ってた」
「は?」
「だってさ、俺にちょくちょく嫌がらせしてたでしょ?」
「あら、わかってた?」
「わかんないわけない。バカにしてる?」
「いんや。お子様には難しかったかなって」
「子供心ながら、大人げない仕打ちを受けているなと思っていました」
「なんだそれ」
思わず吹き出すと、肩に乗せていた両手が捕らえられる。
はて、と捕らえられた両手を見てアレクに視線を戻すと、そこには発情した男の顔があった。その、荒削りながらも野性味溢れるその表情に、ドキリとする。
「今は、綺麗だなって思う・・・兄貴の次だけど」
「なに、口説いてんの?」
「お互い、一番欲しいのは兄貴。だよね?」
「まあね」
「そして、今目の前に居るのは、お互い好きなタイプ。でしょ?」
片頬を上げて同意を示すと、にやりと同じ様に笑った。
(あーあ、わっるい笑顔だこと)
「だからさ・・・鈍感なルイスに恋焦がれる二人で、慰め合わない?」
「・・・お前、本当にあのアレク?」
「そうだよ」
「大分捻くれちゃった感じ?」
「んー、ちょっと違うかな」
俺の両手を離した手が、腰を抱き込んでくる。
ぐっと近づいた距離に、再び心臓が跳ねる。
「沢山の人を愛する事を知っただけ」
「なんだそりゃ」
「誰でも良いって訳じゃないよ?」
「そりゃそうだろ」
「で、どお?」
するりと尻を撫でられる。
「若いね、アレクくん」
「あんたよりは間違いなく若いよ?」
「ふふっ。確かに」
触れ合う唇。
随分とご無沙汰な感触に、俺の鼻から甘ったるい音が出た。
それに気を良くしたのか、どんどんと深くなるキス。
暫くして唇が離れると、視線を交わせる。互いの唾液で濡れた自分の唇を俺に見せつけるように、右手の人差し指で殊更ゆっくりとなぞる姿が何ともセクシーだ。
(おいおい、これでまだ20歳かそこらかよ)
どうやら、この兄弟に流れている血には、エロスが多分に含まれているらしい。
視線が合うだけで、彼らの持つ媚薬にも似た人を惹きつけるフェロモンに絡み取られる。
気付いた時にはすでに遅い。蜘蛛の糸よろしく、ぐるぐる巻きにされて、ただただ食べられるのを待つだけ。
(俺も捕らえられた虫の一匹、か)
だけど、俺はただでは食われてやらない。俺だって捕食者をしていたのだから。
じっと上目遣いで見つめていると、アレクは俺の顎を捕らえ軽く仰け反らせる。
「あのさ、チャーリーさん」
「ん?」
「ザンって呼んでくんない?」
「アレクじゃ駄目なの?」
「駄目だね」
「なんで?」
「イヤだから」
「だからなんで」
「・・・言いたくない」
途端に年相応の・・・いや、もっと幼い男の子の様に唇を尖らせた姿に、不覚にもきゅんとしてしまう。
じっと見つめていると、表情はそのままに鼻先にキスをしてきた。続いて、頬、瞼、額と啄むようにキスをどんどんと落とす。
「ふふっ、わかったって」
「よろしく」
「俺はチャックでいいから」
「わかった、チャックさん」
「さんもいらない」
「チャック」
「ん」
「チャック」
低めの渋い声を耳から流し込まれ、ぞくりと腰が震える。
(今日は啼かされたいかも・・・)
「いいよ。おいで」
「ここで大丈夫?」
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「兄貴にみつかったらどうしよ」
くすくすと可笑しそうに笑い軽口を叩きながらも、服を脱がせあう。
旧知の間の様に・・・いや、実際そうなのだけれど・・・ぽんぽんと投げ合う言葉が楽しい。いつしかその言葉は意味のない音になり、互いの気持ちよさを伝え合うだけのツールになった。
そして、ルーの弟のアレクサンダーと、所謂”セフレ”になった。
しかしザンは、付き合っているのだと言い張る。真面目な顔をして何度も何度もそう主張するので、今は特に訂正する気はなくなった。
正直驚いているのは僕だ。
身体の相性が良かったのだろう。すんごい気持ちよかったのだ。人生で初めて、二度目の逢瀬を自ら求めてしまう程に。
それからなんだかんだと2年程この関係を続け、未だに飽きる様子も無い自分自身に驚きを隠せない。
最近は、ルイスよりも5センチ程小さい、筋肉質でマッチョ気味のザンを喘がせるのが楽しくて仕方がない。
僕が下の時は男らしく野性味があってかっこいいのに、彼が下になるとそのゴツさから考えられないほど可愛らしくなるのだ。
彼の中にはスイッチがあって、その時々でぱちんぱちんと切り替えられる。その切り替えが毎回振り切っているのが原因だろうけど。
本人に言ったら怒るけど、大型犬が甘えてくるのに似ているかもしれない。
それと、弟としての気質・・・とでもいうのだろうか・・・そんなものが相まって、10歳違う僕から見たら可愛く感じるのかもしれない。
家で家族に包まれたザンが、どんな雰囲気を纏っているのか見てみたい。
そんなことを考える位には、僕もザンに夢中になっている。その事は認めよう。
いや、僕はそんな事が言いたいわけじゃない。言いたくない訳でもないけど、言いたくもなるでしょうよ。この状況ならさ。
「ルー、ここ教えて」
「ん? どこ」
「ここ」
入社テストを追えて一ヶ月。僕とお付き合いを始めてから2年が経ったある日。
実際の仕事案件を利用して、少しずつ簡単な所から教え始めている。
ルーもすこぶる頭が良いが、そこは兄弟。ザンも申し分ない秀才だ。ただ、タイプは違う。
ルーは理詰めで結論を出すタイプで、ザンは直感で結論を出すタイプ。
しかし、どちらも普通の人の何倍も早いスピードで頭が回転していて、答えを知っていたのではないかと思う程瞬時に答えを出す。そして、その影響か、理解が早い。
話が反れた。
今週の教育当番はルーなので、ザンはその隣の席に座っている。なぜ2人だけの会社に席がそれ以上にあるかというと、クライアントに合わせて対応方法を変えるからだ。
基本的にはそれぞれで事案を処理するのだけれど、二人で対応する場合は、隣り合わせに座っていた方が効率が良い事もある。その時の為に、並んで座れるよう僕が申し出て、僕がデザインした。
そう、僕が、デザインしたんだよ。仕事という口実で近くに居られるから。
こいつが来る前には成功していたこの作戦は、最近失敗続きだ。
「・・・・・・」
頬杖を付いて向かいに座る二人を見つめる。
(近い・・・)
肩をぴったりと寄せあい、顔と顔の距離なんて10㎝も無い。
普通の兄弟なら、僕だってこんな事思わない。
普通の兄弟ならね。
ザンが純粋に兄としてルーを慕っていたならね。
「あ、なるほどっ!」
ザンがぽんと手を打ち付け、止まっていた作業を再開する。
そんな姿にふっと笑いかけたルーは、すっかり手を止めてしまった僕に少しだけ咎めるような視線を寄こした。僕はふてくされた様な表情でそれを受け止める。
そんないつもとちょっと違う態度の僕に、はてとでも言う様に小首を傾げるルー。
(可愛いかよ)
さらにむすっとする僕。
ルーは頬杖を付くと、さらにじっと見つめてきた。
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大の男3人が、広い机の角にこじんまりと集まり頭を突き合わせる。
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その横顔を観ていると、その反対側から同じように彼を見つめているザンと目が合う。睦言を言う時とは違う、敵を射抜くような瞳に瞬時に変わる。
(か~っこいい)
野生の獣の様なそれに、心を揺さぶられないと言ったら嘘になるけれど、恋人である前に俺たちはルーを狙うライバル同士なわけで・・・俺も挑発する様に見返す。
「これにしよっと・・・」
呟かれたその声に再びルーに視線を戻すと、気持ち猫背になった彼が、うきうきした様子で丁寧に包装を破いていた。
選んだのはマドレーヌ。
しっとりとしたそれにそっと歯を立てて、ゆっくりと咀嚼する。そのあまりにもうっとりとした顔が、情事の表情を想像させた。
溢れた唾を思わずごくりと飲み込むと、勘違いした彼が左手で箱を持ち俺に向ける。
「どれがいい?」
「・・・・・・」
「ん?」
「いんや。じゃあ、これ貰うわ」
「ザンは?」
俺が取ったのを確認してくるりと椅子を回転させると、右手に持っていたマドレーヌにザンが噛り付いた。
「あーっ!」
「うまっ」
「なにすんだよっ!」
「いいじゃん。まだあるんだし」
「だったら、こっち食えよっ」
「俺の分はルーにあげる」
「は?」
「だから、ルーが食べてるの一口ずつ頂戴」
ぽかんとルーがザンを見つめる。それをザンは嬉しそうな顔をして見つめ返す。
先手を取られた事に腹が立ったので、包装を雑に開け半分にちぎったお菓子をザンの口に突っ込んだ。
「俺と半分こしようぜ、アレキサンダー君!」
「んんっ⁉」
「美味しいかい?」
ルーの様に小首を傾げてやると、ちょっと顔を赤くする。
(ちょろい)
そう、心の中でほくそ笑んでいると、もぐもぐと咀嚼しながら俺達を見ていたルーが、またこてんと首を倒した。
「遠慮しなくていいんだよ?」
「ルーこそ俺達に遠慮しないで食べてよ」
「え? でも・・・」
と言いつつもお菓子に視線を向け、コクリと喉を鳴らす。喉仏が上下に動くのがエロい。
「ルーが旨そうに食べてる所が見たい」
「お前、いっつもそう言うな」
「家でも?」
「そ。なのに俺の食ってるもの、横から少しずつかっさらうの」
「ほー」
「食べたいんならやるって言ってるのに、こう、食べようとしてる所を横から、すっと」
お兄ちゃんの顔をしたルーは、冷め始めたコーヒーに口を付けた。
キンッ。
ジッポライターが独特な音を響かせた。
胸いっぱいに煙を吸い込み、少しだけ身体の中に留め、吸い込んだ時と同じ様に大きく息を吐き出した。
それと同時に辺りがバニラの匂いに包まれる。
うつ伏せにしていた上半身を捻りながら起こし、枕を立てそれに背中を預ける。そして、左手をサイドテーブルに伸ばし、灰皿を手にした。
再び煙を吐き出すと、
「・・・早いね」
と、隣から声が掛けられる。
首を捻りそちらに視線を向けると、こちらを見ている気怠い視線と重なった。
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「誰のせいだっての」
「俺のせい」
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「匂いのついた煙だしね~」
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鼻にかかった吐息に、散々吐き出した筈の欲がゆっくりと首をもたげるのを感じ、キスを深くしようと少しだけ唇を離すと、隙間に手を突っ込まれた。
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「ダメ?」
「ダメ」
「どうしても?」
「どうしても」
きれいな細めの眉がきゅっと顰められたのを確認し、渋々身体を離した。名残惜しさを紛らわせる為に、再び煙を体内に取り込む。
「・・・ん」
隣から衣擦れと共に色っぽい呻き声。
そして、俺と同じ様に枕を立て掛けそれに背中を預けると、ほうっと溜息を吐いた。
「エロい声」
「馬鹿なの?」
「ひっど。アナタにぞっこんなだけなのに」
すると、俺の言葉に答えずこちらを見つめてきた。
その心の奥底を見通す様な瞳に、どきりとする。しかし、それを見せるのも癪なので、冷静を装い言葉を投げかける。
「なに?」
さらにじっと見つめた後、「俺の事好きなの?」と聞いてきた。
俺やザンと肉体関係を持つようになり数か月経つというのに、純粋無垢な顔で聞いてくる彼に、心底驚く。
とっさに反応が出来ない程に。
「・・・・・・は?」
「俺の事好きなの?」
「何を、言っているのかな?」
「だから」
「それは分かったから」
「で、どうなの?」
「どうって・・・・」
驚きで混乱した頭。あまりに混乱しすぎて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
そのまま暫く見つめていると、不意にルーの瞳が俺の左側に移動する。そして、「灰」と短く指摘され、指で挟んだままの煙草を思い出した途端、指先に熱を感じた。視線を移すと今にも落ちそうな程長くなった煙草を慌てて灰皿に押し付ける。
それでいくらか冷静さを取り戻した僕は、
「好きじゃ足りない程、愛してる」
と、灰皿に視線を落としたまま言った。隣で息を飲む声が聞こえ、次いで衣擦れの音。
布団が引っ張られる感じに視線だけ彼に向けると、布団の中に潜り込みこんもりと山を作っていた。
灰皿を再びサイドテーブルに置くと、身体を捻り肩と思わしきふくらみに手を乗せる。
瞬間、強張りを感じるが、気にせずそのまま身体を摺り寄せそっと布団を剥ぐ。抵抗は合ったものの優しく名前を呼んでやるとそれは無くなり、真っ赤に染めた顔が出てきた。
「ふふ、真っ赤じゃん」
「・・・うっさい」
「喜んでくれて嬉しい」
「うっさいってば」
ぐっと眉間に皺が寄り、唇が不機嫌そうに突き出される。
おっと、これ以上は本当に臍を曲げてしまうぞ。
だけど、俺も聞きたい。
聞いてみたい。
君はすぐに本心を隠そうとするから。
ね、教えてくれるよね?
「ねえ、ルー」
視線だけでなんだと聞いてくる。緩みそうになる表情を真剣なものに保ちながら僕は聞いた。
「僕らの事、好き?」
Two people and one person 2 おわり
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「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
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私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
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